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太平洋沿岸を飛ぶ (51) - 土佐清水市

2010-03-20 | 四国

翌年の嘉永6年、突如として、ペルリの率いる日本遠征隊が浦賀に来航した。幕府はもとより諸国各藩も大いに打ち驚き、国を挙げての大騒ぎとなった。尊王攘夷の論も火の手をあげて来た。幕府では土佐の漂民万次郎が幸い米国の情事に明るくメリケン語にも通暁しているというところから万次郎を江戸に迎え、十一月六日付をもって二十俵二人扶持の御普請役格に登用した。土佐の領地以外には住居を禁じられていた日かげ者が、一躍して旗本に取りたてられたのである。時勢の波に乗ったとはいえ、当時の官界では珍しい任官沙汰である。これは概ね閣老伊勢守の方寸によるもので、伊勢守一派はメリケン仕込みの万次郎に、よほど期待するところがあったにちがいない。
(井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」より)



万次郎らは1851(嘉永4)年、薩摩藩領の琉球国摩文仁間切小渡浜に上陸。番所で尋問後に、薩摩本土に送られ、薩摩藩や長崎奉行所などで長期に渡っての尋問を受けた。

約2年後、土佐への帰国となる。土佐藩主山内豊信公の命により、吉田東洋から70日の取り調べを受けるが、日本語をほとんど忘れていた万次郎は、蘭学の素養がある絵師・河田小龍と寝食を共にし尋問を受ける。後に小龍は、万次郎の漂流から米国などでの生活を経て帰国するまでをまとめ挿絵を入れて『漂巽紀略』としてまとめた。

その後、土佐藩の士分に取り立てられ、高知城下の藩校「教授館」の教授となる。この時、後藤象二郎、岩崎弥太郎等が直接指導を受けている。

万次郎は幕府に招聘され江戸へ。直参旗本となり、その際、故郷である中浜を姓として授かり、中浜万次郎と名乗るようになった。この異例の出世の背景には、ペリー来航によりアメリカの情報を必要としていた幕府があった。

万次郎は翻訳や通訳、造船指揮にと精力的に働き、日米和親条約の締結に向け尽力した。
1860(万延元)年には、日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団の一人として、「咸臨丸」に乗り込むこととなる。この軍艦・咸臨丸には、艦長の勝海舟や福沢諭吉ら歴史的に重要な人物らも乗っていた。諭吉と共にウェブスターの英語辞書を購入したエピソードは有名である。




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1 コメント

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Unknown (芋焼酎)
2010-03-21 15:00:50
sogoさん

 こんにちは!

 コメントは、早朝か深夜に書き込んでいるので今日のような「こんにちは」という挨拶は、何だか変な感じがしますね。

 今日は午前中に海岸で「ビーチコーミング」をしてきました。海岸は今日も風が強く、砂嵐と波しぶきで大変でしたが、収穫の方はばっちりでした。海岸は大量のゴミで埋まっていて、もの凄い光景が広がっていましたが、ゴミの中に良い感じの流木もちらほらあって、結構面白かったですよ。夕方にもう一度行ってみようと思っています。

 さて、この所私が書き込んだコメントの内容にミスが目立っています。情けないと思うのと同時に、本当に申し訳なく思います。昨日UPしてくださったのも先ほど見たら、ミスを見つけてしまいました。いつの間にか途中の文が抜いて投稿したようで、意味が通じないものになっていました。文を修正しているうちに抜け落ちてしまったようです。

 それは、コメント後半の「日本に来た外国人」の説明の所です。実際には次のような事を書き込みたかったです。

 「①『日本に来た外国人』との話を通訳するために、幕府も専門の人間を通訳師として養成していた。②その通訳師はほとんどがオランダ語専門だったが、中には流暢なラテン語を話す者もいた。③綱吉の時代に、今村源衛門という通訳師は、20歳前半には完璧なオランダ語とラテン語を話し、ドイツ語の文献も読みこなしていた。④今村源衛門については、彼の通訳の世話になった外国人たちが本国に帰国後書いた文献で一様に、その完璧な語学力を称賛している。」

 「日本に来た外国人」はほとんどがカトリックの宣教師だったようですが、中には『万次郎』や『光太夫』『津太夫』のように船の難破で日本に来た者もいたそうで、数もかなりのものになっていたらしいですね。

 笑えるのは、布教の為日本に上陸したイタリアかフランスのカトリックの宣教師が、ちょんまげを結って、帯刀し、武士になりすましていたという話です。顔かたちが違うため直ぐにばれて捕えられたのは言うまでもありません。

 しかし、驚いたのはその宣教師、日本上陸の前に勉強して日本語を話せたと言う事です。昔々本で読んだことなので、その宣教師がどこで日本語を勉強したの、その宣教師の名前がんんというのか、その年代も覚えていません。

 少し風が収まってきたようです。そろそろ本日2回目の「ビーチコーミング」に出かけようと思います。また、コメントの内容にミスがありそうで心配ですが、今日はこのまま「えい!やっ!」と投稿をクリックします。
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