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太平洋沿岸を飛ぶ (50) - 足摺岬

2010-03-18 | 四国


太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着した万次郎らは、そこで過酷な無人島生活をおくる。

漂着から143日後、万次郎は仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号によって救助されるが、この出会いが万次郎の人生を大きく変えることになるのだ。

当時、日本は鎖国をしており、外国の船は容易に近づける状態ではなかった。万次郎を除く4人はハワイで降ろされるが、船長のホイットフィールドに気に入られた万次郎は、本人の希望で船長と共にアメリカに渡る。この時、船名にちなんだ“ジョン・マン”という愛称をつけられた。

アメリカ本国では、マサチューセッツ州のオックスフォード校に学び、英語のほか、航海術、数学などを修得。ホイットフィールド夫妻を初めとするアメリカ人社会でも愛され、21才のときには、乗船していた捕鯨船フランクリン号船長の病気による降船に伴って、一等航海士に昇格してアメリカへ帰還。

その後、ゴールドラッシュのサンフランシスコに渡り、ここで得た金で自身の船を購入。1850年12月、本人の購入した捕鯨船でハワイへ向かい、共に遭難しハワイに残された日本人仲間を伴って日本への帰国に向かうのである。






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4 コメント

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Unknown (芋焼酎)
2010-03-19 07:07:02
sogoさん

 おはようございます。
 
 黒船が来航して、幕府の役人とアメリカ側の代表が外交交渉する場面がNHKの『龍馬伝』に出てきますね。日本語→オランダ語→英語(米語?)という流れで通訳していましたが、実際もあんな感じだったんでしょうね。大変興味深く観てしまいました。

 あの場面を見ると、『ジョン・万次郎』の帰国後の運命が決まってしまった思いがします。鎖国するにせよ、開国するにせよ、日本に押し寄せてくる諸外国との外交交渉は重要な位置を占めるのは必然です。幕府が『万次郎』が持ち帰ってきた、測量技術やアメリカの文化・政治情報という財産はもちろんですが、一番欲しがったのは外交交渉をする際の「語学力」だったのは容易に納得できます。

 言葉の持つ微妙なニュアンスをどう翻訳するかは今の時代にも、大事な問題ですよね。ちょっと(大きく?)話がそれますが、2006年に国連で採択された障害者権利条約を、日本も調印しました。しかしながら未だ日本の国会で批准出来ていません。国会で批准されれば、障害者を取り巻く様々な施策が大きく変わるので、当事者をはじめ沢山の人が期待しています。未だ批准できないのは、『条約』に対する政府の公式翻訳と、障害者団体の翻訳が大きく違っているからだと言われています。

 言葉を翻訳するのは、鎖国政策をとっていた江戸時代も、そしてグローバル社会と言われる現代も大事で、そして難しい事だと言うのがよくわかりました。

 出勤時間が迫ってきましたので、この辺で!
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Unknown (芋焼酎)
2010-03-20 07:31:17
sogoさん

 おはようございます。

 一昨日に私が『大黒屋光太夫』や『平兵衛』について書き込んだコメントですが、「ウソ」を言ってしまいました。

 昨日、本棚から『大黒屋光太夫』や『平兵衛』関連の本を引っ張り出して調べなおして、間違いに気がつきました。

 『平兵衛』を石巻の漁師と書きましたが、間違いでした。実際には、北上川流域一帯で生産された「米」や木材を運搬する「千石船の船頭」でした。

 また、『平兵衛』の帰国ルートを「ペテルブルグ→大西洋→喜望峰→インド洋」と書き込みましたが、これも間違いでした。正しくは、大西洋で舵を西に切って「ペテルブルグ→大西洋→ホーン岬沖のドレーク海峡→太平洋」のルートで帰国しました。

 自分の記憶に頼って、一気に書き込んでいるので、こんな間違いをするんですね。ひょっとしたら他にも知ったか振りで「ウソ」の書き込みをしている気がしてなりません。もし、間違いに気づかれたら指摘して下さい。

 さて、これから海岸に孫と「ビーチコーミング」に出かけます。いい石が拾えますように!

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Unknown (sogo)
2010-03-20 20:11:39

芋焼酎さま。

こんばんは。
いつもご覧いただきありがとうございます。

ビーチコーミングの収穫いかがでしたか?

「平兵衛」という人物は知りませんでした。日本人で初めて世界一周をしたのですか!
「大黒屋光太夫」は、吉村昭が、彼の“漂流もの”のひとつとして同名の小説を書いています。

ジョン万次郎や大黒屋光太夫以外にも多くの船乗りたちが、「漂流」によって異国体験をし、持ち帰えった貴重な海外情報が、その後の日本の世界認識の発展に大きく寄与したということですね。

江戸時代、鎖国政策下の島国日本、漂流船乗りたちのアドベンチャー、興味が湧いてきました!!



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Unknown (芋焼酎)
2010-03-20 22:04:43
sogoさん

 こんばんは。
 
 今日、孫との「ビーチコーミング」風が強くて砂が舞い散り難儀しましたが、なかなかいいビーチグラスとマーブル模様の小石が取れました。この「ビーチコーミング」って、結構はまりますね。

 仲のいい友人が、今年定年なので仲間たちと、来週一泊で送別会をやるのですが、夕方にその打ち合わせを「コメダコーヒー」という所でやって先ほど帰宅しました。

 打ち合わせをした友人とは、久しぶりの再会でしたので近況報告と昔話で終始し、結局送別会の話は何も出来ませんでした(別に打ち合わせするほどの事でもないのですが・・・)。

 打ち合わせに来た友人は、無類の歴史好きな人物なので、例の『ジョン・万次郎』『大黒屋光太夫』『平兵衛』の話を振っていました。すると、その友人は「平兵衛は世界一周なんかしていないと思うけど。世界一周したのは津太夫じゃなかった?」と言い放ったのです。

 帰宅してすぐに調べました。確かにその彼が言うとおり、世界一周したのは『津太夫』という船乗りでした。またまた、訂正することにないました。sogoさんが『平兵衛』を知らないはずです。まったく穴があったら入りたい心境です。すみませんでした。やっぱり、コメントの書きみは、キチンと調べてからでないとするべきではないですね。反省、反省!!

 という事で、『平兵衛』を『津太夫』に読み替えて下さい。

 歴史好きの友人との話で面白かったのは、「日本に来た外国人」の事です。鎖国を敷いていた江戸時代にも沢山の外国人が日本の地を踏んでいるんですね。通訳も幕府の中に何人かはいたそうです。主としてオランダ語の通訳だったらしいですが、中には流暢なラテン語を操る通訳もいたそうです。

 この辺の話、記憶に頼ったらまた『ウソ』を
書き込むことになりそうなので、ちゃんと調べてから書き込む事にします。
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