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琉球弧の島々を飛ぶ (29) - 西表島・由布島

2009-09-01 | 沖縄
三線を聴きながら西表島と由布島の間を水牛車に揺られて行き交う光景は、八重山の象徴的な景色としておなじみである。
由布島は、周囲2.15km、海抜1.5mの小さな島。「ゆぶ」とは砂州を意味するという。潮が引くと西表島と由布島は陸続きとなる。

西表島は古くからマラリアの発生地として入植を拒み続けてきた。
由布島に集落が作られたのは、戦後の昭和22年(1947年)に竹富島や黒島からの入植による。
昭和23年には小学校も作られ、一時期は人口が100人にもなったという。
もともと由布島は平らで風通しが良かったので、マラリアを媒介する蚊が少なかったこともあり、対岸の西表島に水田を作り、由布島の家で寝泊りをするという生活が行われていた。しかし、昭和44年の台風(エルシー台風)で多くの死者を出し、甚大な被害を被ったことで、ほとんどの島民は西表島(美原地区)へ移住した。

しかし、この島を「ハワイのような夢の楽園にしたい」。そう願って島を開墾し続けた人物がいる。
西表正治氏(平成15年11月96歳で逝去)である。

台風の被害でみんなが島を離れるなか、周囲から変人呼ばわりされながらも、四半世紀かけて島に残り、道を整備し、椰子を植え、草花を植え、そして昭和56年には遂に「手づくりの楽園」を作りあげた。(『楽園をつくった男 沖縄・由布島に生きて』森本和子著)

由布島の現在の人口は5戸、15人。




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