Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

都市を眺める (3) - 東京・新宿

2010-04-10 | 関東


斎は、肉筆画、錦絵、版本の挿絵など、さまざまなジャンルにおいて、膨大な作品量を手がけた。

その代表作として、様々な身分の人たちが生き生きと働く様を軽妙に描いた『近世職人尽絵詞』や、人物や動物、草花などを簡略な筆致で描いた絵手本である『略画式』などを挙げることができる。

斎と同時代に活躍した著名な浮世絵師に、葛飾北斎(1760~1849)がいるが、世界的に知られる北斎の代表作『北斎漫画』は、実は斎の『略画式』の影響を受けていると言われている。

斎と北斎。二人はほぼ同時代に活躍した絵師であるが、その作風は対象的だ。
北斎の絵が『富嶽三十六景』に代表されるように、想像性豊かで力強く躍動的であるのに対し、斎の作風の特徴は、軽妙洒脱であるといわれている。

「形によらず精神を写す。形たくまず、略せるを以て略画式と題す」

とその序文の中にもあるように、これこそが斎の略画の本質を言い表していると言ってもいいだろう。

強烈な印象を与える力強い北斎に対し、洗練された軽妙な印象を与える都会的な斎。
北斎が地方の大衆の人気を博したのに対し、斎はおもに都会人に評価された。

「北斎嫌いの斎好き」という言葉があるが、これは斎に対する“江戸っ子”の親近感を
あらわしたものといえる。




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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (芋焼酎)
2010-04-10 21:01:54
sogoさん

こんばんは。

 ご無沙汰しております。
コメントの書き込みはしておりませんでしたが、sogoさんの空からの写真は毎日チェックしていました。いつもながら、旅客航空機の乗客の撮影とは思えないカットの連続、ただただ脱帽の一言です。

 
 

 
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Unknown (sogo)
2010-04-10 22:12:00

芋焼酎さま。

お久しぶりです。
いつもご覧いただきありがとうございます。

最近はネタ切れで、テーマも思いつかず、“苦し紛れ”なんです。
なんとか続けようとはしているのですが…

そういえば、先日、職場の先輩から、例の“ジェットストリーム”のCDをいただきました。
早速、車に積んで聴いているのですが、あの城達也氏のナレーションとともに、
当時の懐かしい音楽が次々と流れ、なかなかのものです!

とくに夜のドライブでは、音楽を聴いていると、うん十年前の思い出が次から次えと頭をよぎり、
何とも言えない気分になります。

こんな洒落たプレゼントをいただき感謝しています!
当分の間、車に乗るのが楽しみです。

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Unknown (芋焼酎)
2010-04-10 23:15:41
sogoさん

 こんばんは。

 『ジェットストリーム』って、結構コアなファンがいるんですよね。CDショップにも並んでいるんですが、笑ってしまうのは販売されている『ジェットストリーム』のCDは、全て『城達也』氏のナレーション版ですよね。他にも何人かのナレーターがいたのですが、『ジェットストリーム』=『城達也』なんですね。

 さて、今回の「東京空撮編」で「浮世絵」について述べられているのは「さすがsogoさん!」という思いで読ませていただきました。「ネタ切れ」なんてご謙遜ですよね。

 その「浮世絵」ですが、日本が誇る芸術文化ですが、実は日本においては評価は実に低かった事は有名な話ですよね。明治維新後、日本から輸出される「陶器」等の緩衝材として「浮世絵」をくしゃくしゃにして使用されていてたそうです。イギリスやアメリカ・フランスで輸入した「陶器」の荷を解く時、緩衝材としての「浮世絵」が注目され、現地の人々が競ってコレクションし始めて、初めてその芸術性が日本でも認知されたというのが通説のようです。

 もちろん「北斎」等は当時でも売れっ子の絵師だったそうですが、他にも数千名の絵師が江戸時代活躍していたそうです。

 昔、ある本で「川原慶賀」という「浮世絵絵師」の話を読んだ事があります。長崎の出島に出入りを許された絵師だったそうで、シーボルトにも寵愛されていて、それが元で「シーボルト事件」で連座され投獄されたそうです。

 「川原慶賀」の作風は山や海という大きな題材を描いた「北斎」とは真逆の、蝶々・花・鳥・昆虫等を本物そっくりに描いた詳細画の絵師だったそうです。写真技術がまだなかった(少しはあったのかな?)時代に、「慶賀」の詳細画は大変貴重だったのは言うまでもありません。

 残念なことに「慶賀」の作品は日本国内にはほとんど残っていないそうです。その多くの作品は欧米の美術館や個人がコレクションしているそうです。特に、終戦後日本に進駐してきたアメリカ兵や民間人が、日本国内をくまなく回ってただ同然の金額で「浮世絵」を買い漁り、本国に持ち帰ったそうです。私が読んだ本では、今の金額で100円位の価格で買い叩いたという話もあったそうです。

 「慶賀」の話は、もっとしたいのですが、長くなりそうなので、またの機会にと思います。

 
 
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シーボルトと「慶賀」 (sogo)
2010-04-11 12:22:13

芋焼酎さま。

おはようございます。
いつもご覧いただきありがとうございます。

西洋の“透視遠近画法”を日本の風景画にとりいれて発展したということで
浮世絵や、北斎やけい斎といった浮世絵師をとりあげましたが、
それと同時に、西洋の印象派とよばれる芸術家、
たとえば、ゴッホやモネなどの画家たちにも浮世絵は、大きな影響を与えたことはよく知られている所です。
あの彫刻の巨匠、ロダンも浮世絵が大好きだったとか。


「川原慶賀」という浮世絵師のことは知りませんでした。
シーボルトという人物やその周辺のことには以前から、とても関心がありました。
私のブログにもいつか取り上げようと思っていました。
というわけで、その側近「慶賀」には興味津々です。
是非、もっとおしえてください!

吉村昭の小説に『ふぉん・しいほるとの娘』というのがありますが、その中にも登場していたかもしれませんね。

それにしても、浮世絵が、荷物の緩衝材になっていたという話、笑ってしまいます。

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Unknown (芋焼酎)
2010-04-12 00:13:05
sogoさん

 こんばんは。

 今日は知りあいのロックシンガーがライブを行うという事で招待を受けたので、渋谷まで出かけ先ほど帰宅しました。若い人たちに交じって、大音響の音楽を3時間、ちょっとヘビーでした。しかし、雰囲気が良かったので結構楽しめました。

 さて、『川原慶賀』のことですが、私が知っているのは写真がなかった時代(あったとしても稚拙)に、彼の絵が写真の役目を果たしていた事は事実です。確か日本には100点未満の作品しか保存されていないと思います。長崎県にある美術館だか博物館だかがコレクションしていると思います。

 しかし、彼の浮世絵は昨日書いたように、精密画がほとんどですが、一部風景画もあります。私は本でしか『慶賀』の作品を見た事があ
りません。本で見た中で印象に残っているのは、長崎の丘の上から出島を鳥瞰した絵・職人が使う道具・武士や商人の衣服等です。ともかく写真のように当時の様子が分かるので、歴史の興味がある人はもちろん、そうでない人も興味深く見る事が出来ると思います。

 残念なことに、日本より外国に彼の作品がより多くコレクションされているので見る機会が限られてきます。しかし、日本でコレクションされていたら、戦災でかなり焼失されていた可能性が高いので、逆にこれでよかったと思う時もあります。現在、ヨーロッパを中心に数千点の作品が、外国で保存されていると聞きます。保存状態も良いそうです。

 シーボルトが書いた日本を紹介する「日本」の挿絵は全て『慶賀』が描いたとされています。また、ねじめ正一が書いた「シーボルトの眼 出島の絵師川原慶賀』という本は『慶賀』の作品がたくさん出てきます。ほとんどの図書館にあるので機会があったら見てください。わたしは、飽きずに一気に読む事が出来ました。

 『浮世絵』が輸出する『陶器』の緩衝材として使われていたという件ですが、「和紙」に描かれていたという点に、そのヒントがあると言われています。つまり、和紙をクシャクシャにするといい緩衝材が出来ると言う訳です。それで、浮世絵が緩衝材として沢山使われたということですね。

 これも余談ですが、緩衝材として箱に入っていた『浮世絵』の中に思わず赤面するようなものが沢山あったと言われています。しかし、これが、浮世絵人気に火を付けたとも言われています。ヨーロッパの人たちは『陶器』より赤面するような浮世絵を競って集めたそうです。しかし、これはデフォルメされて描かれたものが多く、日本人(特に男性の)を間違って理解されてしまい、これに纏わる笑い話はいくらでもあります。

 日本でも、ビデオの普及は「赤面系」の作品が大きな役割を果たしたと言われています。確か、パソコンもそうでしたよね・・・・??(少なくとも、私はそうでした??)

 ちょっと酒を飲みながらの書き込みなので、話がグダグダになっています。このへんで終わりにします。お休みなさい!!
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Unknown (sogo)
2010-04-12 21:20:04
芋焼酎さま。

こんばんは。
いつもご覧いただきありがとうございます。

ねじめ正一『シーボルトの眼 出島の絵師 川原慶賀』ですね。
今度、図書館へ出向いて探してみます!
ありがとうございます。

さて、彫刻家のロダンについてですが、彼は浮世絵の熱心なコレクターであり、その中には、いわゆる「春画」もたくさんあったそうです。
女性の身体のしなやかさが、簡素な「線」で見事に表現されていたからといわれていますが・・・。

当時、日本人として、ただひとり、ロダンのモデルをつとめた女優で、「花子」という人がいましたがたが、
その花子さんが語った、ロダンと浮世絵(春画)に関する面白いエピソードは有名です(笑)!
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Unknown (芋焼酎)
2010-04-12 21:51:56
sogoさん

 こんばんは。

 「花子」さんが語った、「ロダン」と「春画」に関する面白いエピソード、知りません。ちょっと興味があります、というよりかなり興味があります。機会がったら教えてくださいませ。

 ・・・でも、ここにUPするのは問題ありですかね・・・・?
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人間、ロダン (sogo)
2010-04-13 20:11:07

芋焼酎さま。

それでは、かんたんに。

花子とロダンとの出会いは、明治39年、花子が38歳の時でした。
ロダンは、マルセイユ博覧会に出演していた女優、花子の名演技を見て魅了されます。
その後、花子は芝居興行の合間に、モデルとしてロダンのアトリエをたびたび訪れることになります。

ロダンの家には、コレクションの日本の古い軸や支那の絵本や枕草紙などがたくさんありました。
ある日、花子に日本の名所づくしの絵本を出して、
「退屈だろうから、これを読め」
といってその本を貸してくれたそうです。

花子は自分の部屋へもって行って、その本を開いてみると、なんとその中には支那や日本の春画がたくさん挟んであった!

花子は戸惑い、こんなものを返したら先生の面目はまるつぶれ。そうかといって、本を見ないといって返すわけにも行かず、奥さんに返すと、また変に思われても困ると思って、半月ほど自分の部屋に置きっぱなしにしておいた。

以下、花子さん語る。

『ある朝ロダン先生が、
「花子、花子」
といってバタバタと私の部屋に入ってきて、
「花子アタン、アタン」
といって、しきりに書棚に目をつけてその本を探し出して
「見たか?」
というから、私は見ないと答えると、
「ボン、ボン、パルドン、パルドン」(よかった、よかった、ごめんなさい)
といって出てゆく姿の面白さといったらなかった。
私は一人で笑い崩れました……』

ちなみに、普段の日の朝、ロダンは
「ボンジュール花子、トレビヤン」
と紳士的に挨拶してロダンの後から下女が、お盆に載せたお茶を持って入ってきたとある。

この日は下女も従えず、挨拶もそこそこ、いきなり書棚の本を探しはじめたということです!!


どこにでもありそうな話ですが、あの近代彫刻最大の芸術家ロダンというところが何とも言えず笑えます。

ロダンといえば、あのカミーユ・クローデルとの子弟愛など、話題に事欠きません!


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Unknown (芋焼酎)
2010-04-13 21:08:16
sogoさん

こんばんは。

 『ロダン』と『花子』の話、ありがとうございました。ロダンに親しみが湧いてきました。
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