美瑛町は、明治27年、現在の旭地区へ兵庫県人小林直三郎が入植し、2年後の明治29年、和歌山県より、北海道開拓の壮大な夢と希望を抱き、田仲儀太郎を団長に熊野団体29戸が現在の美瑛町扇町付近に入植した。
当時の美瑛は、鬱蒼と生い茂る原生林であった。木を切り倒し小屋を建て、泥流地帯に悩まされながら開墾の鍬を下ろした。
故郷熊野との気候風土の違いなど、移住以来あらゆる苦難を乗り越え、励まし合い血と汗の上に現在の美瑛町が築かれた。
当時の美瑛は、鬱蒼と生い茂る原生林であった。木を切り倒し小屋を建て、泥流地帯に悩まされながら開墾の鍬を下ろした。
故郷熊野との気候風土の違いなど、移住以来あらゆる苦難を乗り越え、励まし合い血と汗の上に現在の美瑛町が築かれた。
適当ではないと思いますが、あえて例えるならば日曜日の早朝に放映されている、NHKの「漢詩紀行」を観ているような錯覚を覚えたとでも言いましょうか・・・。「漢詩紀行」のナレーションはとても心地よい響きと内容で私を酔わせてくれますが、ここのサイトの写真と文はそれに匹敵するようなものでした。
数々の写真を見ているうちに、城達也のジェットストリームという番組を思い出しました。
今は亡き城達也氏の素晴らしい声と共に、フランク・プールセル・オーケストラの「ミスターロンリー」で始まる珠玉の番組でしたが(今は違う人がやっている?)、私はこのラジオ番組で飛行機旅行の虜になったと言っても過言ではないと思います。
そして今、このサイトに出会えて久しぶりに飛行機に乗りたくなってきました。そして、初めて乗った(実際には3歳の頃、板付飛行場(現福岡空港)で米軍の飛行機に乗せてもらった事があるが記憶にはない)日本航空、福岡―羽田の深夜便「ムーンライト号」の事を思い出しました(年がばれますね)。古き良き時代です。深夜、ダグラスDC6(DC7だったかな?)のプロペラ音と共に空へと飛び立つのは特別なことでした。
その後、DC8や727、コンベア880、747、737、777などに乗るのですが、あの当時のワクワク感は皆無になってきました。しかし、このサイトを眺めていくうちに「飛行機に乗りたい」気持ちがフツフツと沸いてきました。
今日はこれからいい音楽を聴きながら芋焼酎を飲みます。久しぶりにそんな気になりました。改めて素晴らしい写真と文、ありがとうございました。
はじめまして。
ようこそTenkuu Café へ!
そして、たいへん素敵なコメント、ありがとうございます。
コメントを読ませていただくにつれ、懐かしい青春の思い出が蘇ってまいりました。
「夜のしじま(?)の、なんと饒舌な・・・??」でしたっけ??
私も、深夜の時間、ラジオから流れる、心地よいメロディとナレーションにしばし聴き入り、
いつかは、雲海の上を飛び、外国に行ってみたくなるような誘惑にかられたものでした。
私の“空への憧れ”も、ひょっとしたら、このあたりが、原点だったのかもしれません。
同じ時間を、芋焼酎さん と共有していたかと思うと嬉しくなります!
私も、忘れかけていた青春の時間を思い出し、また「夜間飛行」をしたくなりました。