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澄み渡る皐月の空を飛ぶ (12) - 美ヶ原

2010-05-22 | 中部



「霧の子孫たちがやらねばならない仕事はいっぱいあるでしょう。諏訪湖を生き返らせること、諏訪の澄んだ空気を工場の煙でよごされないようにすること。そうね、諏訪だけのことではないは、長野県全体、日本全体の霧の子孫たちが手をつないで、自然を守る運動を起こさないと日本の自然はほんとうに亡びてしまうかもしれないわね」

(新田次郎著『霧の子孫たち』より)




有料道路反対運動に立ち上がったのは、「諏訪の自然と文化を守る会」を主催している考古学者の藤森英一氏、産科婦人科医青木正博氏、諏訪清陵高校理科教師牛山正雄氏であった。

この反対運動は日増しに拡がり、やがて全国的な注目を集めた運動が展開された。

結局、建設自体は覆らなかったが、八島ヶ原湿原と旧御射山遺跡を避ける「南回りルート」に変更された。

遺跡も湿原も一応は守られた。



当時自然破壊の問題は日本各地に起こっており、日に日に日本の自然と文化遺産が観光開発の名のもとに失われて行く中にあって、諏訪市における、この反対運動の成功はたいへん珍しいことであったという。


霧ヶ峰の麓の村、諏訪市角間新田に生まれ育った新田次郎氏は、1970(昭和45)年に、この事件を題材とした小説『霧の子孫たち』を書いた。

氏は、この小説のあとがきで、「霧ケ峰に有料道路が出来、なだらかな起伏が続く大草原が、コンクリートの道路によって分断されたのみならず、その延長路線が、旧御射山遺跡と七島八島の高層湿原地帯を通る予定だと聞かされたときは、身体が震えるほどの怒りを覚えた。なぜ貴重な自然や遺跡を破壊してまで、観光目的の有料道路を造らなければならないのだろうか。私は長野県の方針に疑問を持った」と述べている。

小説『霧の子孫たち』は、自然保護運動の記念碑的作品として読みつがれている。