八ヶ岳の細長い主稜線は、普通夏沢峠によって二分され、それ以北が「北八ッ」という名で登山者に親しまれるようになったのは、近年のことである。北八ッの彷徨者山口耀久君の美しい文章の影響もあるだろう。八ヶ岳プロパーがあまりに繁昌して通俗化したので、それと対照的な気分を持つ北八ッへ逃れる人がふえてきたのかもしれない。
四十年前、私が初めて登った時は、八ヶ岳はまだ静かな山であった。赤岳鉱泉と本沢温泉をのければ、山には小屋など一つもなかった。五月中旬であったが登山者には一人も出会わなかった。もちろん山麓のバスもなかった。
建って二、三年目の赤岳鉱泉に泊り、翌日中岳を経て赤岳の項上に立った。横岳の岩尾根を伝って、広やかな草地の硫黄岳に着き、これで登山が終ったとホッとしたが、それが終りではなかった。そのすぐあとに友の墜落死というカタストロフィーがあった。
今でも海ノ口あたりから眺めると友の最後の場であった硫黄岳北面の岩壁が、痛ましく私の眼を打ってくる。
(深田久弥 著『日本百名山』より)