子どもは宝者・将来を担う全ての子どもたちは人類の宝。

NZに和風感覚のマイホームを!
ryohei@iwasaki617.net

Dubai Dairy 09 -ブルーの怪しい光のその奥には世界一の・・・

2012-06-23 12:29:46 | Weblog


ドバイにも鉄道があります。ドバイメトロと言いますが、
私の乗った路線は全て道路より高い高架でした。
レッドラインとグリーンラインの2系統があり
総延長が75KMもあります。
すべての車両が無人運転で、営業距離では無人鉄道としての世界一です。
上図は、メトロ駅の外観ですが、全ての駅が同じデザインなので、
どこにあるかすぐわかります。

 

エスカレートを上がると何やらブルーの怪しい場所に迷い込み
改札にたどり着きます。これらのデザインは駅によって違います。

 

ホームにたどりつくと床のデザインがまた素晴らしいです。
車内はかなりゆったりとしていますし、
乗り場上部には駅名の入った路線図があるので便利です。

私の乗ったこのレッドラインは、全29駅あり、
各駅4~7分間隔で電車が発着します。(51台の電車で運用)。
日系デベロッパーによる建設で、現在も営業距離が伸びています。
値段はエリアごとにDh2.00~6.50(約50円~162円)とかなりリーズナブルです。





月日の流れを感じるこの週末、気持ちだけはどんどん若返るのですが・・・

2012-06-18 12:54:29 | Weblog
先週の6月16日に精華町の東光小学校で、創立20周年記念式典が行なわれました。

 

全校生徒約1000人と共に、町長をはじめ多くの来賓が招待されていました。
歴代のPTA会長も招待されましたので、私も出席しました。
私はちょうど10年前の創立10周年の時の会長でしたので、感慨深いものを感じます。

当時息子は4年生でしたが、今は来年成人を迎えるまでになりました。
本当に月日が流れるのは早いものです。
職員室を訪ねても、当時の私が知っている先生は一人もいません
聞けば、先生の平均年齢は29歳とのこと!

  


この式典の前日15日には、理科の授業での出前授業がありましたので
一緒に参加しました。
(株)京セラが行なうもので、7年前にも一緒に行なったのですが、
やはり別の担当者になっていました。月日は流れていきます。

そして17日は私の53回目の誕生日です。例年父の日とよく重なりますので
祝い事が1回減ります。ここでも月日の流れを感じます。

今日18日には、休暇で帰国している息子と久しぶりに食事に行きます。
親は年老いていっても、息子が親を追い越し成長していきますので
こんなに嬉しいことはありません!

Dubai Diary 08 Room interior of The Ritz Carlton (ドバイ日記 08 ホテルリッツカールトン)

2012-06-12 11:08:37 | Weblog
今回宿泊したリッツカールトンDIFCホテルです。
海岸沿いにもリッツが建っていますが、こちらは去年新しくオープンしたホテルです。
ツインのシングルユースでしたが、2人でも広すぎるぐらいでした。

  

金きらではなく落ち着いた品のある内装です。
ネット環境も整っていましたし、TVはアラビア語と英語です。

   

洗面、浴室、シャワー、トイレも広々として言うことありません。床、壁、天井全てが大理石貼りです。
シャワーと洗面の床にレベル差がないので、水が洗面まで流れ込みビチャビチャになります。
床の大理石は濡れるとすべるので注意が必要です。
日本ではビジネスホテルでさえシャワートイレですが、ここドバイではありません。
NZでも見たことはありません。日本のホテルに滞在した海外の旅行者から、
シャワートイレを使った感想を聞いてみたいものです。



水周りは全てガラス貼りですので、さらに広い空間になりますので開放的です。

  

最後はバルコニーですが、これまた広く、ドバイ中心地の夜景が美しいです。
ベッドメイキングの後は枕元にいつもチョコが置いてありました。
本当に快適なホテルでした!!!








初夏の鯖江・大野(福井)の街歩きは、新緑が美しくて吹く風が心地いい!

2012-06-08 13:50:11 | Weblog
 本山誠照寺

建築士会の研修旅行で鯖江・福井へ行きました。
鯖江では、ボランティアガイドさんと一緒に駅周辺のまちあるきをしました。
鯖江市街地は、江戸時代に間部氏がこの地を治め、城下町として栄えたそうです。



その一角にこの画像の呉服屋がありました。

 

店内には驚く無かれ、けやきの大きな一枚板(240cm×96cm×10cm)に書かれた
看板が飾ってあります。作者はあの北大路魯山人!!!

大正2年9月に彫られたそうですが、当時魯山人は、福田大観と名乗っていました。
長年店の外に掲げられ風雨にさらされていましたが、
昭和59年の店舗改装のおりに、店内に移されたそうです。

魯山人は当時31歳で、このような大看板を好んで彫っていて
山代温泉にも作品が残っているそうです。
本当に力強い書です。