ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

むしゃくしゃ

2013-05-08 00:40:59 | Weblog
今日は久しぶりに、元同僚と同窓会だったのだけど、
同僚時代からずれているなあ、と思っていた人とは、やっぱりずれており、
この溝は埋め難いほどに離れていて、
近いなあと思っていた人とは、やっぱり近かった。

私が同僚だった時代には、私のことを避けていた目上の人が、
誘ったら来たもんだから「変だな」と思ったら、
どうやら「お前を抜いたぞ」と誇示したかったらしく、
自慢のために参加したらしかった。

そもそも、その価値観じゃなかった、っつーの!
ああ、めんどくさいなあ、と思いながら帰路についた。

どうもバブル入社で、その後、バブルとともに弾けてしまった人とは
そりが合わない。

あ~、飲み直したいぞ。
でも、今日はまだ火曜日なのだった。

本でも読むか。

腰痛

2013-05-07 00:13:06 | Weblog
今朝、やはり腰の調子がよくないと思い、コルセットを巻いて出社した。
どうやら社内レイアウト変更後、机と椅子が変わり、腰に負担がかかっていたらしい。
椅子の高さを調整したら、昼ぐらいからよくなった。

それにしても、そのくらいで腰痛になるなんて、
確実に年齢を重ねている、という感じだ。
というよりも、眼精疲労→肩こり→腰痛という流れだろうか。
週末、寝っころがってずっと本を呼んでいた報いかもしれぬ。

行きのバスの中ではKindleで坂口安吾の『死と影』を読んだ。
どこまでが実体験で、どこからが夢想なのかがよくわからない文章だ。
淡々と事実を、というよりも、
かなり赤裸々に自分のことを書いているように思える。
とはいえ、自分のことであればあるほど、
そこには主観が入り込んで、絶対思い込みがあるはずなのだが、
それがどのポイントなのか、よくわからない。

つまり、文章がうまいんだろうと思う。

今朝のバスは、いつも以上に荒くれで、しかも乗客が多く、
多くの人の体重を受け、くっつきたくない人とくっつき、
それも腰痛の一因となったと思われる。

上海のバス、地下鉄、タクシーも、そして自家用車も!
もっと静かに運転できないものなのか。
よく年寄りが、吹っ飛ばされてる。
でも、誰も気にしない。

年は取りたくないものだ。特に中国では。

みのむし化

2013-05-06 01:14:01 | Weblog
いくら寝ても疲れが取れない上に、最近はひどい寝相。
気がつくと、ベッドに対し直角に寝ている。
で、朝、目が覚めてふと気がついた。

そうだ。ベッドが東西を向いているからだ。
上海に来て一年半以上、何だか寝苦しいのは異国だからと思っていたけど、
どうやらそればかりが理由ではない。

もともと北枕で寝るクセがあり、
ちょっと縁起が悪いだろうということで、日本では南枕にしていた。

ということで、部屋の模様替えをした。
と、偉そうなことが言えるほど広くはない部屋なので、
ベッドの向きを変え、ソファーをむぎゅっと詰めただけの変更だけど、
少しだけ気分が変わった。

午後、あまりの気持ちのよさに昼寝を2時間。
寝る向きを変えただけでこんなにぐっすりと眠れるなんて、
本当に不思議だ。
地球の磁力ってすごい。

で、親しい友人が日本に帰ったあと、
交友関係を広げる努力をしていない当然の結果として、
この週末も家から一歩もでなかった。

せっかく5月で気候もいいのに、みの虫になっているのももったいないし、
それにアパートの別の階では、大々的な工事をやっていて、
その音もうるさい。たぶん粉塵もたくさん飛んでいる。
日曜日くらいは休めばいいのに、そのへんは中国だから、
他の住人のことなんかは気にしてくれない。

しょうがないから、電気ドリルの音とともに、本を2冊。
『西巷説百物語』と『ミスティック・リバー』。

京極夏彦さんの文章は、近くでおっちゃんが語っているような気になるから
すごいなあ、といつも思う。

両方とも600ページ以上あって、週末に一気に読むには最適なボリュームと
内容だったんだけど、
ほんとに、ずっと寝転んで本ばかり読んでていいのか、という気に少しなった。
メガネをかけないですむ週末はラクチンだけど、
寝ながら本を読むと、きっと近視と乱視は進んでいると思う。

が、先週は少し腰も痛かったところなので、
これもまたよし。

無理なチーム戦

2013-05-03 22:26:42 | Weblog
ここのところ、本当に余裕がなかったので、
中国人の部下くんを、仕事から外した。
いつまで経っても覚えないし、まあ、いいかな、と思って。

そしたら、みんなの残業が半分くらいに減り、
いつもより大変だったはずなのに、なんだか残業時間が少ないじゃん!
という状況になった。

日本人にとってはできて当然の仕事でも、
中国人にとって難しい仕事っていうのは、たくさんある。
例えば、コピーする。パンチで穴を開けてファイルする。
枚数を数えながら通し番号をつける。など。

日本なら、新入社員がやる「いわゆる雑用的なこと」を、
普通にできる中国人は少ない。
大卒はやらないし、高卒にはできない。
そんな仕事がたくさんある。

とはいえ、仕事にはそういう雑用がたくさんあり、
それをいかに要領よくやって自分の本来の仕事をつくるかが、
日本人にとっては重要だけど、
中国人からすると、やらないですむことは、わざわざやらない。
やらなきゃいけないことでも、やりたくないことからは逃げる、
という道が堂々と歩めてしまう以上、
日本人と中国人が混じったチーム戦は、非常に難しくなる。
そもそも、中国人にはチームという感覚がないし。

で、たいていは日本人がイライラし、
中国人は「なに、日本人、カリカリしてんの? バッカじゃない?」となるから、
仕事が増えて、バカにされるなんて後味が悪いこと、
いっそのことやめようと思って、チームを解消した。

たいへん大人な判断だと思う。私って素晴らしい。

話は変わるが、中国にも食べるラー油はあるのだけど、
やっぱり日本で売ってるやつのほうが美味しい。
味の深みが違う。

日本の白米が食べたいなあ。

UFOキャッチャー

2013-05-02 23:32:39 | Weblog
昨日、友人宅に遊びに行った。
上海市中心から、小一時間の距離。
郊外の団地のようなたたずまいで、なんだか懐かしかった。

団地につきものなのは、やはり商店街。
敷地内のプチ商店街は、すごく中国ローカルな雰囲気を漂わせていた。

で、友人がお惣菜を買っている間に発見したUFOキャッチャーらしきもの。


よくよく見ると、景品がタバコだった。


しかも中国銘柄だけ。
西日がもろに当たっている。
いつのものかもわからない色あせた感じ。
本当に、これをキャッチしたいと思う大人がいるのだろうか。

相変わらず謎がいっぱいな中国ローカルだった。

敗北宣言、かな

2013-05-01 00:06:53 | Weblog
そろそろ負けを認める時が来たかな。

久しぶりだ、こんな休みの日。
昨日、最低限の洗濯と掃除をして、読書と決め込んだ。

それから、これまでに読んだ本は4冊。
『フィレンツェに消えた女』からイタリア繋がりで、
『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』。しばし睡眠。
今朝起きて、『神去なあなあ日常』。しばし日本に滞在。
母の故郷である高野山の山と森の深さに思いを馳せ、
ミステリー『警視の愛人』でイギリスに飛んだ。

あさって、中国人の同僚はきっと「労働節の休み、何してた?」と聞いてくるだろう。
私は「家でずっと読書。最高の休日」と答える。
「えー何を読んだの?」と聞かれ、
「いろいろ読んだよ、日本のとか外国の翻訳書とか。没頭した」と答える。
「え、でも、家で1人? さびいしいじゃん」と言われる。
「そんなことないよ。地球を旅してたからね」と答える。
こんな話は無駄という顔をして中国人の同僚は去って行く。

20歳で北京に留学していた時、韓国人の友人に言われた。
「ほんとに、中国人とわかり合えるなんて思ってる? 彼らは中国人だよ」と。
韓国政府は日本政府に対する批判を強めているようだけど、
彼はいま、どんなふうにいまの日韓関係を眺めているだろう。
もう連絡をとらなくなって15年が過ぎたから、連絡の取りようがなくて、
実際に、話はできないけど。

あの頃、他国から来た留学生は、日本人よりもずっと大人びていた。
「君は、その理想主義が、ほんとに可愛いね! 日本人らしくていいよ!」
そう、よく言われた。年下からも「うぶ」と扱われた。
初めて欧米人とも話すようになって、早く大人になりたいと思った。
成熟した人間になりたいと。
麻薬をやるかどうか、どのくらいお酒を飲むか、
法に従うんじゃなくて、自分で決める人間に。

一生懸命に背伸びしてきたのに、これまで。
20年経って来た中国は、上海の中国人は、当時の中国人よりももっと、子どもだった。
北京大学の人と比べちゃいけないと思う。
いまでも、北京大学の人たちはすごいんだろう。

でも、私は背伸びをしたわりには、いま北京大学クラスの人たちと
肩を並べて働くレベルには達しなかった。
私の周りにいるのは、私が見てないと仕事をしないような、
私が幼稚園の保母さんにならないとダメなような、子どもみたいな中国人ばかり。

自分が足りなかったのが一番の原因だとはわかっている。
でも、あまりにも幼い彼らを見ていて、
付き合って行くには、もう限界に近いんだなあと感じるようになった。

おそらく、大半の中国人は、私が付き合っている中国人たち。
ほんの一握りのエリートは、私には見えないところにいる。

私は言葉を扱う仕事の、端っこのほうの仕事をしているけど、
言葉とは、人生観そのものだと思う。

中国の日本語科卒業の子たちは、論理性がまったくない。
暗記力はある。日本のあいまいな文化に憧れももっている。
でも、生き物である言葉と仲良くして行くという感覚に乏しい。
最後まで、擬態語なんて使えないだろう。彼らには。
そこには、日本の神がいるから。言葉と言う神がいるから。
それは、自然の神で、風のそよぎで、小川のせせらぎだから。
そして、舞い散る桜の狂乱と静けさだから。

日本語は文法が難しい。
それを一生懸命に学んだ中国人の大学生は、
「これは連体修飾語だから、この言葉は活用が間違ってる」等と言う。
でも、日本語は主語があいまいなんだよ。
私たちは自然や他人と自分を同化するから、動詞なんて、いかようにも活用するんだよ。
そもそも、私に、日本語の文法なんて聞かないで。わかんないよ。
私にわかったような気がしてるのは、そのとき、その場にあった雰囲気だけだよ。

あなたは、月光をおそれる狂犬病の犬の気持ちを考えたことがある?
私が中学校1年生のときに考えていたのは、
そんな染み込むような、奥底から私を変えていくような月の光のおそろしさだよ。

そして、私には、あなたたちの乾いた大地を走る風の匂いがわからない。
だから、日本的な意味での技術は説明できても、
それを中国に落とし込むことは無理なんだ。私には。

言葉は、人の魂で、自然の魂だから。