ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

軽重

2011-03-22 00:36:24 | Weblog
私も原発の恩恵を受けていた。

原発がつくられた当時、私には参政権がなかった。
でも、そんな言い訳は、
今回の原発事故で避難を余儀なくされ、
故郷を案じている多くの未成年の人たちに対して通じない。
これから生まれる生命。
全てに対し、言い訳は・・・、言うだけ恥だ。

先日、大震災前、会社ですごくゆるせない言葉を聞いた。
私の同僚である派遣さんが、全体のスケジュールから、
スタンバっている必要があるかないか、
もしすべてが自分のところに来たら、さばききれないが、と、
社員に相談したとき、社員が、こう言った。
「こんな仕事、まわらなかったら中国辺りに出せばすむことなんだからさ」と。

「てめーは、どんだけ偉いんじゃ~!」と、
もし私が社員だったら、そいつのネクタイをつかんで、
見下しながらクールに言ってやったところだろう。
さいわい、そいつより私のほうが背が高い。
さぞかし絵になった。

震災後なら、確実に実行にうつしていた。
派遣社員だろうがなんだろうが、気にすることはなかった。
人の命に軽重はない。

命とは、時間だ。
その時間を奪う権限は、誰にもない。

そして、いま、私が生きているのは、単なる偶然にすぎない。
だからといって、自分が幸運を享受すべき存在だとも思わない。
自分に対し幻想をもって想像するに、
もし私が被災したら、
自分よりも将来がある若い人を先に逃がそうとするかもしれない。
でも、そう実行しようが、実行しまいが、
そこに、本来的に、命の軽重はない。

ここ数年、私が一番むしゃくしゃするのは、
エリート意識と言うか、自分が偉い、自分は特別だと思いこんでいる人間の、
その醜さに接したときだ。
正直に言って、無性に、そいつを抹殺したくなってしまう。

そんなときに救ってくれるのは、
「自分のために生きる範囲はせまいけれど、他人のために生きる範囲は広い」という考え方だ。
だから、自分のせまい観念のなかにあるのではなく、
もっと広い視野をもつ必要性を自分に気づかせてくれたのだと、
そのための機会だったのと、無理に思い込むことにしている。

でも、本気で自分を偉いと思い込んでいるようなヤツは嫌いだ。
そして、自分はダメなんです。と言いつつ、
心の底では,自分は特別だと思いたがっているヤツも嫌いだ。
だからこそ、二元論的な神は、すでに論じるに値しないと思っている。

ガス炊飯器

2011-03-21 20:48:49 | Weblog
昨日、スーパーに行ったら、比較的食べ物があった。
ただし、牛乳と納豆はゼロ。
牛乳と納豆を少しのあいだ摂取しなくても、決して死ぬことはないので、
ましてや成長に影響するわけでもないから、
まあ、しょうがないな、と思っている。

野菜の放射能の問題は、基準値がどうの、という説明ばかりで、
どのくらい摂取しつづけたらどんな危険性があるのか、という説明が乏しいので、
よくわからない。様子見だ。
とりあえず、水でよく洗って食べることにしている。
一回食べただけで即問題が出てくるような食べ物なら、
店頭に並ぶ前に何か問題が起きているだろう。
それよりも気になるのは、これから先、水と土がどうなるのか、ということ。

広島や長崎の例を挙げて、大丈夫、と言う人もいるけれど、
原発が一進一退の病状である以上は、なんとも言えない。
継続している、という点が、なかなか難しい。

原発は、廃炉になるという話があるけれど、
というか、私のような素人が見た限りでも、
廃炉にして封じるしかないだろうと思うし、
それよりも、もう稼働させないでくれというのが本音だが、
鉄とコンクリで覆うのも、たいへんな作業なのだろうと思う。

温暖化をこれ以上進めないために原発! と、学生のころ習った。
家で原発の話をしたとき、原発大反対の母はこう言った。
「大きな工場のような大口顧客には、電気料を安くしているのよ。
電気なんて、一番熱効率が悪い、無理のあるエネルギーなのに、まったくおかしい話。
その、最も無理があるエネルギーを作るために、
最も危険な核を使うなんてアホとしか言いようがない。
うちは、なるべく無駄な電気は使わない。
電気は安全だと思っているから、ダラダラと家事をする。
部屋のあかりもつけっぱなしにする。
例えばガスだったら、火から離れることができないから、
料理も効率よくするでしょう。
だいたい、原発を作るために、どれだけ石油を使っているかわからないし、
一概に、温暖化には原発なんて、言えないわよ。
だから、うちは絶対にガス炊飯器を使う!」と。

半ば、趣味の話で終わったけれど、
そのガス炊飯器が、いまも大活躍している。
三合のお米が約12分で炊け、蒸す時間を入れても15分だ。
確かにススはたまるし、手入れは電気炊飯器より、一手間かかる。
でも、いま堂々とお米を炊けるので、結構えっへん!という気持ちになっている。
炊き上がりでスイッチが切れる機能がこわれたので、
毎回、炊けている音の変化とタイマーで最終判断をして火を止めている。
それも、なかなかいい。

火を制御できないものとして接していた時、
街灯も列車も、そして家で使う火も、すごく小さかった。
その時代に戻ろうとまでは言わないけれど、
使途をしぼっていく必要はあると思う。

早春の散歩

2011-03-20 17:58:04 | Weblog
探しもの。

春を探しに出掛けた。

カメの甲羅干し。
どうやら、その甲羅の上を狙っているような、もう一匹のカメもいる。
鯉が悠然と泳ぐ。



鵜がカモの群れに混じっている。
潜水能力は鵜のほうが高かった。



花が咲く。

 

よく母に「あなたの花」と言われた花。



振り返ると、美しい庭先。
柳かな、その芽。ピンクの花。

 

そして、日本の春といえば。



もうじきだ。

凛とした鳥。



柳の新芽を食べている。



早咲きの種もある。

 

東京の春は、もうすぐ本番。

墓参り

2011-03-19 21:12:54 | Weblog
今日は、埼玉の久喜まで墓参りに行った。
いつもはクルマで来る叔母一家も、ガス欠のため電車。
こういう旅もたまにはいい。

車窓から、先日の地震で瓦が落ちた家が散見された。
そして、ガソリンスタンドに並ぶクルマの列が見えた。

待ち合わせで、久喜の駅前の喫茶店に入り、
いちごフロートを頼んだら、こんな大きさだった。



コーヒーやあんみつが小さく見える。
飲みきれるわけがない。

お墓に行くと、
墓石は倒れていなかったけれど、
周りのお墓の湯のみが割れたり、いろいろと倒れた痕跡があった。

うちのお墓は、被害がないと思ったら、
敷地の境界線のブロック塀がずれて、欠けているものもあった。
寿命なのかもしれない。

家に帰ってきて、月の写真を撮った。



もうすぐ咲き誇るサクラの木の向こうに、ぼんやりと月が輝いていた。
春はもうすぐそこだ。

想像してみる

2011-03-18 22:28:50 | Weblog
帰りの電車の中で、「東京を離れます!」と嬉しそうに話している人が何人かいた。
会社でも「くにに戻ってこいと言われる」と話している人がいた。
出身地が東京でなく、帰れる人は、東京から離れたほうがいいと思う。
身軽になれば、食糧難も電力の負担も軽減される。

ふと、もし植物状態だった母がまだ生きていたら、と想像してみる。

おそろしい。
実際には、母がいた病院は、そういった人の専門機関だったので、
自家発電機があったし、いますぐ命にかかわるようなことはなかったろう。

でも、動ける人にこれだけのストレスがあり、
私は毎晩、会社帰りに食糧を求めて右往左往し、
被災地では、元気なお年寄りが、どんどん衰弱しているのに、
母がぬくぬくと快適なベットで寝ているとなると・・・、
命の軽重はないけれども、ないからこそ、
安心しつつも「先に倒れた者勝ちかよ!」と言いたくなる気持ちを
理性で抑えることは難しいだろう。

そして、もし母が被災地にいたとして、
植物状態の母を動かそうとすると、
専用の救急車を貸し切りにし、看護婦さんを一人つききりにする必要がある。
平時でも順番待ちなのに、いまは無理だ。

病院で働いている人にも家族はある。
幼い子どもをかかえ、働いている若い女性もたくさんいる。
子どもの食べ物はもちろん、夜、母親がいないことを、
いつも以上に不安がる子どももいるだろう。

それでも、寝たきりの母を見捨てるわけにはいかない人がいる。
そして、娘の私は一向に役に立たない。
本当に、被災地は限界だと思う。

何かできることはないのだろうか。
そういった焦燥感を、寄付というかたちでしかあらわせない。
この年齢になるまでに、もっと人の役に立つ知識なり技術を
身につけていればよかった。

心がけ

2011-03-17 21:05:24 | Weblog
地震直後から、会社で堂々と
「会社では死にたくない。それに泊まりたくもない」と言っている。
このあたりは正直に生きている。
だから、地震のあとは、毎日退社するときに、
明日、そしてそれから先も、もし私が出社しなくても、
後の人が困らないように、と心がけている。
もともと派遣社員だから、かりそめの仕事だと思っているし。

で、今日「大規模停電が起きるかもしれないから、早めに帰宅しましょう」と
総務から全社アナウンスが入った後に、
「ここまでやる。私が死んで来られなくなっても困らないように」と言ったら、
隣の席に座っている派遣さんに、
「あなたが死ぬよりも先に、会社のほうがダメになるよ。
っていうか、あなたと一緒にいるのが一番安全そう」と言われた。

ここのところ、いろいろな人が動揺している。
私も動揺している。そして疲れてもいる。
管理職だから正社員だから、判断力や決断力があるわけではない。
事なかれ主義の男性は、いつもに増して「だんまり」を決め込み、
一人であたふたしているようになった。

朝、ミーティングのようなものはない職場なので、
意識して「今日はここまでやろう」と、
同じ仕事をしている他の派遣さんに言うようにしている。
そして、帰る前、明日最低限やりたいことを整理して帰るようにしている。
明日の午前中はこう、午後はこう。
きっと、自宅待機の取引先とは連絡とれないだろうし、
スケジュールは、考えたとおりにはいかないだろう。
でも明日、結果としてできなかったことを挙げるのではなくて、
こんな状況にもかかわらず、前進しただけすごいじゃん、と言う。
私たちってすごいじゃん、と笑う。

漫然と、いまが平常時と思い込むのではなく、
勝手に被災者意識におぼれるのでも、問題を先送りするのでもない。
思考停止するのでもない。
ただ、8割で帳尻をあわせる方法を考えよう、と言う。

なんだか、いろんな人と仲良くなった。
だから、明日も、そう心がけよう。

ほんのりと

2011-03-16 23:19:47 | Weblog
朝の電車で、「今日どうしても出社する必要があるわけではないのに出社するらしき男性」
「自分の習慣だから、という理由により、マイペースに外出するお年寄り」
といった人を眺めながら、
被爆国、70年安保、冷戦からの「影響」というか、「つながり」を、つらつらと考えた。

まだまとまっていないけれど、
いずれ笠井潔氏あたりが評論に書いてくれるような気がするので、
それを楽しみにしている。
それまでは、被曝しても生きるぞ。

なぜ、あの人ではなく私が生き残ったのか、
逆にいうと、なぜ私は生き残りあの人が死んだのか。
そこにある罪悪感と優越感。
これを突き詰めるほどひどい現実は、東京では起きていない。

70年安保は、正直に言ってよくわからない。
親も、これについて、いつも言葉を濁していたので、
イメージがつかめないから。

冷戦は、私にもぼんやりと記憶がある。
誰かが核のボタンを押したらおしまい。
日本は非武装で、米ソの中間にあって、まな板の上の鯉。

原発が暴走しても、比較的あきらめモードが先行しているのは、
被爆国であること、そして「武装することは悪。武装するくらいなら横並びに座して死のう」と、
学校で左翼から執拗に教え込まれたことによる必然的な結果のような気がする。
誰かが何とかしてくれるのを待つ。
誰かがどうすることもできなかったら、なんとなく逃げるか、
日本はもうどこへ行っても同じだから、しょうがないからここで死ぬ。

これって、非武装で、アメリカの軍事力のもとにあった国民にとっては、
当然の思考ではないだろうか。

ほら、世界のみなさん、日本を守りたくなったでしょ。
という、媚を感じてしまう。ほんのりと。

これも日常

2011-03-16 22:24:30 | Weblog
今日は暑かった。
節電のために社内の空調を入れず、人とコンピュータとコピー機などで、すごい発熱。
いつもはこれを冷やしているわけなので、「そりゃ、電気使うわな」と実感した。
夜、東京も気温が下がったけれど、
会社を出て「涼しくて気持ちいい」と思ったほどだった。

さて、震度3くらいでは、動じなくなったし、
震度2くらいだと、座っていても「あれ? 揺れてる? 揺れてるのは私?」と
周囲の人どうしで確かめ合うようになってしまった。

働いているママさんは、食糧が手に入らず、
いつもより高価なものを買って子どもに与えることになってしまったよう。
そしたら子どもに、「これ、いつものより美味しい!」と味をしめられてしまい、
これから躾に苦労しそうだと言っていた。
まだ、平和だ。

派遣でお世話になっている会社だから、軽々しく言えないけれど、
出社している全員が、いま本当に出社する必要があるのかどうか、
ちょっと疑問だ。
そういう私は、「休みたいです!」と訴えたのだが、
「場合によっては、土日出勤もしてもらえる?」と切り返された。
定時でさっさと帰る社員が、もっとちゃんとチームとして協力したらいいのに、
と、訴えてみたけど、困った顔が並んだところで終了。

ただ私は、地震だし、津波だし、原発暴走中だし、
言うべきことは言っておいてやろう、と吹っ切れた。

それにしても、大阪の関係先は、容赦ないな。
電車の本数が少ないから遅刻していると説明しても「なんでだ」という雰囲気。
その点、神戸の人はあたたかい。
東京在住の大阪の人いわく、
「神戸の震災のとき、実際は神戸だけがひどくて、大阪は翌日から普通だったから、
東北がたいへんだからといって、東京は関係ないだろう、と思ってるのでは」と。

という、諸々のことを考えると、
やはり明日は休みたい、という気持ちがつのる。

適正量

2011-03-15 22:24:31 | Weblog
こうなったら、食べたいものを食べよう。
いままでもダイエットなんて、してなかったけど。
と、思ってスーパーへ行っても、食糧がない。
子どもがいるわけではないので、ここは我慢だ。
働いているお母さんは、本当に大変だ。

今日は、この期に及んで、ピンヒールで通勤をしている
若い女性のパワーと、
バブル入社→女性管理職になったらしい40代女性たちの
負けん気に脱帽した。
私はとっくに、平常時からスニーカーだ。

20時すぎの帰り道、電車はすごくすいていて、
家々の明かりが、いつもよりたくさんついていた。
スーパーに品物はなかったけれど、
家に家族が集まっている姿を想像しながら帰る道は、
なかなか、あたたかかった。

昔話を読むと、
その日のうちに商品が売り切れなくて家に持って帰るのは、
すごく辛くて、悲しいことだった。
いまは、冷蔵庫があるし、車があるから、
その気持ちは薄れたけれど、
商品は売り切れるくらいでちょうどいいと思う。
賞味期限切れで捨てるよりは、よっぽどいい。
買いだめした人、捨てるんじゃないぞ。

20時の人口として、いまの都心はなかなか適正だ。
これが、常態になるようならいいのに。
人間らしい生活だと思うよ。