ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

今宵の月 14

2011-03-13 19:19:52 | Weblog
なんだか、漫画まことちゃんの顔を描き込みたくなるような
月の写真が撮れた。



みんなが省エネにつとめているからか、
今日は、クルマで外出する人が少なかったからか、
いつもよりも星がよく見え、お正月のような夜空だ。

気温もあたたかいし、ほんわかとする。

むかし国語の教科書だったと思うが、
日本人は、大きな被害を与えた自然と直面しつつ、
夕陽の美しさという同じ自然に心をうたれる民族だと書かれていた。
あれは確か、関東大震災後の東京の描写だったか。

こんなとき、欧米人は「自然め、やっつけてやれ!」と思うのに、
親兄弟を奪われてもなお、夕陽に救われる日本人と言うのは
まったく不思議な民族だ、と国語の先生が語っていた。
そう。あれはもう亡くなった中学校のときの国語の先生の言葉だ。

そして、きっと花粉は容赦なく飛ぶ。

2011-03-13 13:43:15 | Weblog
余震が恐いので、家から半径20メートル以内をウロウロした。

梅が香る。



黄色い花たち。もうタンポポも咲き始めている。

 

白い花。



花の色は、春、薄い色から始まって、気温が高くなるにつれて、どんどん濃くなっていく。
そう語ったむかしお世話になった当時の社長さんはお元気だろうか。

梅の木まで戻ると、うぐいすが来ていた。



うぐいす色は大好きな色なので、もし将来、鳥に生まれ変わることがあったら、
ぜひ、うぐいすになりたい。



花の蜜を吸っている。
きっと、うぐいすからもいい香りがするだろう。



軽やかに枝を渡る。
地震で電車がとまって歩いて帰ったとき、
夕暮れ巣に急ぐカラスを見て、思わず「いいなあ」とつぶやいた。
カラスを羨ましいと思ったのは、生まれて初めてだった。



2羽いたので、きっとつがいだろう。
家族でいるべきだ。特にいまは。

 

春が来ている。

つれづれなるままに

2011-03-13 02:45:54 | Weblog
ここ数日、いろんなことをつらつらと考えたのだけれど、
ロシアでツイートできなかったり、
地震でツイートを控えたりしたので、思いついたままをブログに書いてみようと思う。

ロシアのサンクトペテルブルクで。

雪にとざされていたせいもあると思うけれど、
街がきれいで、ゴミも少なく、歩く人も節度ある雰囲気だった。
お店やホテルの人も、日本に比べると愛想がないけれど、
面倒くさそうでも、ケンカ腰でもなかった。
そして、夜でも酔っぱらいに会わなかった。
てっきり社会主義だと公共の感覚がなくなるものだと思っていたので、
中国の騒々しさは、やはり中国の性質なのだと思い直した。

どちらかというと、
個人の性質としては、日本とロシアが近く、
中国とアメリカが近いのではないか、とも思った。

ただ、もしかしたら、とりあえず公共の場では表面を取り繕っているだけかもしれない。
1993年に北京に留学した時の、ロシアからの留学生の生活は・・・、
まあ、政府高官のボンボンたちだったとはいえ、ヒドいものだった。

私服の秘密警察がいたのかもしれないけれど、
街では、警官に会わなかったし、監視されている感じもなかった。
写真を撮っていて注意されることもなかった。
常に背後にも注意を向けていたのだけれど、変な気配もなかったし、
単に日本人の女2人連れ、しかもまったくロシア語ができない旅行者なんて、
ノーマークだっただけかもしれないけど、非常にスムーズだった。

それを帰国後、会社の人に言ったら、
たいていロシアに旅行した友だちは、いいことを言わない、と言っていたので、
もしかしたら、私の「最低基準」が、普通よりもかなり低いだけかもしれない。

地震で。

地震が起きた後、携帯電話から災害伝言ダイヤルにかけたけれど、
まったく通じなかった。
携帯電話は使えない。でも、公衆電話が少な過ぎる。

18時ごろ、池袋駅の近くを歩いていたときに、
長距離バスが、乗客ガラガラなまま走って行った。
お年寄りや子ども連れの人だけに限ってでいいから、乗せてやればいいのに。
少しの距離でもいいから。
思わず「いま、そんな無駄で無意味なことをするな!」と、
バスに向かって悪態をついてしまった。

あと、テロ対策なのかもしれないけれど、
街からゴミ箱が撤去されたせいで、
歩きながらコンビニ弁当を食べた人たちが、
そのへんにゴミを捨てて行くことが結構あった。
人ごみの中では、足下のゴミに気がつかないこともあり、
下り階段の真ん中に、ゴミが蹴り出され危なかった。
これは、街のあり方として、再考すべきポイントなのではないかと思った。

そして、ロシアでチェルノブイリをちらりと思い出したところだったので、
原発のニュースが気になる。
原発が危ないと言うことはできるけれど、生活を原発に頼っている仕組みになっているから、
じゃあどうするの、と思う。
確かに、各家庭で節電はできる。
でも、はるかに大きな電力を使う工業や商業が、大きく原発に依存している。
復興や景気回復にも、原発は不可欠になってしまっている。

そして東京でみなが冷静に行動できたのも、ライフラインはすぐに復旧する、
電車が不通ならゆっくり歩いて帰ってみるか。今日は金曜日だ。
どうせ、開放されてる公共機関も込んでるし、
駅もいいところは、もう誰かが座っているし、
腹ごなしして歩いているうちに、タクシーをつかまえるか、電車が復旧するだろう、
といった気分になれて、明日の自分の生活を楽観視できたのも、
ライフラインの多くが原発に依存しているからかもしれない。

でも、原発も地震と同じ。
人間には制御しきれないもの。
そして、根本的な路線転換をするには、東京が壊滅するくらいでないと、
きっと多くの都会人は、いまの生活を捨てられない。
私の生活自体に無理があって、そのリスク部分を他人に押し付けていることに、
ここでも気づかぬフリをしている。
東京に原発をつくること、反対するでしょう。私も。
沖縄の基地と同じだ。

確かに冷静に行動した東京の人たちはすごい。
私もその光景を見ながら歩いて感動した。
でも、その美しさは、誰かに危険を押し付けているからできてることかもしれない。

そんなことを考えていた。