ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

サンクトペテルブルクから帰国 3月9日

2011-03-12 20:13:34 | Weblog
朝になって、モノクロで写真を撮ることにはまった。



ベンチが雪の中から発掘されたようだ。



気温があがり、除雪が進む。



どうやら交通事故があって道路が渋滞したらしく、
待ち合わせの時間になっても、旅行会社のクルマが到着しない。

ホテル宛に「遅れる」と連絡があってから、1時間半も来ない。

いよいよ飛行機に乗り遅れるだろう、というタイミングになったので、
ホテルのフロントの人にカタコトの英語で相談をし、
モスクワの旅行会社に電話をかけてもらったりした・・・。
だんだんフロントの人の顔が「大丈夫だろうか」という感じになったので、
おそらく現地の人ですらハラハラするリミットにさしかかったのだろう。

そうこうしているうちに、ようやくクルマが到着し、急いで空港へ。

無事に飛行機に乗って国内線でモスクワへ。
モスクワで国際線に乗り換えて成田へ戻る。

シェレメチェヴォ国際空港のDターミナルで乗り換え。
いろいろと食べそびれたロシア料理があったので、
待ち時間に食べようと思ったのに、どこにでもあるようなカフェしかない。
ここでサンドイッチやハンバーガーを食べてどうする!



品数というか種類が乏しい免税店で売られているチョコはスイスのだし、
ロシアって、商売が下手なのだろうか。やはり。

待ち時間に、アエロフロートの写真を撮ってみた。



ロシアの夕陽は、一度見たいと思っていた。

 

カフェに中国語の新聞があった。
3月4日付けの大紀元時報のロシア版。



いい暇つぶしになった。

ボーイングの機体ばかりだったなあ。



相変わらず、食に貧しい旅行になってしまった。
友人には申し訳ない。

ペトロバヴロフスク要塞のカフェで食べた「ビジネスランチ」。



一応、ボルシチは食べた。ビールと黒パンは酸っぱかった。



ロシアは、また行きたいと思うけれど、アジアが恋しくなった。
どうも、石で四角く囲まれた街は疲れる。

サンクトペテルブルク 3月8日 その2

2011-03-12 20:02:41 | Weblog
ショーの会場のアイスリンクがある建物。
ロシアの人たちがわらわらと集まっている。



前から2列目という、とてもいい席。準備が進められている。



はじめてフィギュアスケートを「なま」で観た。
躍動感があって「ああ、これはスポーツなのだな」と実感した。



とりあえず、動いているものをカメラで撮る練習だったので、いろいろと撮り、反省をし、
一眼レフの動画機能でも、ハイビジョンで撮ればなかなか美しく見られるものだと感動をし、
なんとなく、最低限の「カメラ小僧」はできたと思う。

帰り道のメトロ。



街の中心まで戻る。



寒いから温かいものが食べたくて頼んだアスパラガスのスープ。
でも、ぬるかった。
室内は暖かいけれど、どうも食べ物の保温は弱い。



エルミタージュも美しい。



ぶらぶらしているうちにメトロの最終に乗り遅れた。
23時過ぎで、もう終わりなんだ。
タクシーに乗ったけれど、まあ、そんなにボラれることもなく、無事にホテルへ戻った。

この日観たスケーターのうち、プルシェンコ以外の人は名前すら知らなかったけれど、
友人の解説によると、世界トップレベルだったようだ。
そういわれると、テレビで見ているかのような上手な演技だったので、
初めて見たリアルフィギュアとしては、ラッキーだったのだと思う。

そして、黄色い声援を送っているロシアの乙女たちを見て、
なんだかスのロシアという感じで楽しかった。

サンクトペテルブルク 3月8日

2011-03-12 19:55:32 | Weblog
なかなかいい天気だ。
空気は冷たいけれど、風がないので、まずまず。



街に出ると、レニングラードの名残り、というか、レーニンらしき建物があった。



ロシアの看板。
左下に、見に来たショーのポスターが貼られている。



メトロに乗る。
エスカレーターは長く、けっこう速い。
高所恐怖症なので、ちょっと怖かった。





ドストエフスキーの家の前、トラックで花売りが来ていた。



最後の作品「カラマーゾフの兄弟」を書いた家らしい。
でもこの日はロシアの休日でおやすみ。残念。



フルーツを売っていた。
温室育ちのフルーツたちかな。



メトロの駅は、それぞれ内装が違って、美しかった。



メトロを乗り継いで、スポルチーヴナヤ駅へ移動。



メトロはなかなか快適。
ホームに入る直前、一瞬車内の電気が消えたりするけれど、怖くはない。

サンクトペテルブルク 3月7日 その3

2011-03-12 19:44:06 | Weblog
ロシアチームのグッズを買った友人と落ち合い、ぶらぶらと市内を歩く。

半分くらい閉まったお土産屋さんの広場。
友人曰く、ロシアには独自の青いサンタクロースがいるのだとか。
名前は忘れた。

 

血の上の救世主教会へ向かう。
どうしても、「血の月曜日教会」と言いたくなってしまう。



タマネギ。アラブの香りがする。



ウズベキスタンのサマルカンドにも、こんな木彫りのレリーフがあった。



これでもか、という内装。





キリスト教徒ではないからか、また観光地化されているからか、
自然とひざまずくような気分ではなかった。単に底冷えしていたからか。





街を歩くと夕暮れに。
建物に灯りがともり、昼間とは違った美しさになる。



青いポスト、かわいらしい。



またもや凍り始めた道を歩いて、帰路につく。



ホテルの窓からは、美しくライトアップされた中心地が望めた。



ホテルは、アズムトホテルというソビエト時代からあるホテル。
ちゃんとお湯が出た。排水もそこそこ。まずまず。

サンクトペテルブルク 3月7日 その2

2011-03-12 19:19:00 | Weblog
ツアー旅行ではないから、とりあえず自分の足で歩く。

日中の気温はだいたいマイナス5度から、2度くらいまでの間だったのだろうと思う。
まあ、北京くらいだ。

友人が翌日のショーの会場の下見に行ったので、
ひとりでペトロバヴロフスク聖堂とその周辺をブラブラ。





ピョートル大帝以降のロマノフの皇帝が眠る。





ロシア最後の皇帝ニコライ2世も、ソビエト崩壊後、ここに葬られるようになったらしい。
死者に対する敬意というか、ソビエト時代にも、徹底的に破壊されることなくのこされ、
いままた大切にされていることに、なんだか安心を覚えた。

凍ったネヴァ川にかかるトロイツキー橋。
その前で遊ぶ犬たち。



モスクに雪。なんだか、面白い。



橋から下を見ると、凍った川にウサギのおきもの、そしてお賽銭。



ペトロバヴロフスク要塞の中にある宇宙飛行の展示室に入った。

やっぱりあった月の石。本物だろうか。



コンピュータがいまほど発達する前、よく月まで飛んだものだ。
このうにょうにょした回線にすら美しさを感じる。



誰かのサインが入っている。



閉所恐怖症の人には絶対無理な操縦室。



自国がこんな歴史をもっていたら、愛国心だけではなくて、研究熱も自然に高まると言うもの。
こういうことは、やはり「一番じゃなきゃダメ」なのだろう。



おっ、有名な犬たちの肖像画だ。



月の裏側。
こんな展示室が、ロシアにはいくつあるのだろう。
たぶん都市ごとにあるんだろうな。



帝政ロシアの時代、そしてソビエト時代の記憶ともうまく共存していると思う。

サンクトペテルブルク 3月7日

2011-03-12 19:02:08 | Weblog
会社で「サンクトペテルブルク」と言うと、なぜか必ず「レニングラード」と言い換えられた。
確かに「レニングラード」のほうが言いやすいから、私も途中で諦めて「レニングラード」と言うようになった。

第二次大戦のとき、ドイツ軍と激戦があった街。
以前、ドイツ映画でレニングラード攻防戦を描いた作品を観た。
多くの人が亡くなったあの街だ。

でも一応、サンクトペテルブルクと書いておこう。
観光ではないロシア旅行。

サンクトペテルブルクの朝焼け。





ぶらぶらと外に出ると、配水管が凍っていた。
1日目は、ショーのチケットを取りに行きがてら、街中を歩いた。



雪の帽子をかぶったクルマ。



猫、しもやけにならないだろうか。



パラボラアンテナも凍る。日が射すと氷が溶け、ぽたぽたと雫が落ちる。



日陰は寒い。



ついに乗りこなせなかったバス。本数は多いようだ。



なんだろう。この看板、よく見かけたのだけれど、よくわからない。
共産党時代を風刺したものかな。



トロリーバス。乗りたかったが、ロシア語できないし、今回は諦めた。



エルミタージュ美術館を外から眺める。中の見学は、次回に持ち越した。



エルミタージュの前に、トイレが停まっていた。



きっと夏はこっちのトイレが使われる。でも、冬は雪没している。



転んだら痛そうな地面。でも、美しい。



かっこいい制服を着た若者たち。この制服を着ている人はみな若かったのだけど、新兵の制服なのかな。



広い川も凍る。



氷に穴をあけて、釣りをしている人たち。
朝から夕方まで、少しずつ場所を変えながらずっと釣りをしていた。
さ、寒くないのだろうか・・・。



友人がインターネットで、気合いで購入したチケットが、無事に引き取れた。
なんとも、スムーズで驚く。

ガソリンの匂い

2011-03-12 16:13:34 | Weblog
ここ数日、鼻の奥でガソリンの匂いがしている。
おそらく、血圧が少しおかしいと、この匂いがする。

ロシア旅行中は、移動中ほとんど寝ていたので、
過労の疲れはとれたと思うけれど、それでも、この匂いが消えない。

昨晩は3時に帰宅し、
明け方まで地震の緊急メールの着信音に起こされ、
少し前に、ようやく身体が動くくらいまで、目覚めた。

昨晩は、池袋駅にも新宿駅にもたくさんの人がいて、
座り込んだり、並んだりして、電車の運転再開をまっていた。
あの人たちも帰れただろうか。

中国出張中のあの人は、ご実家が岩手だけれども、
ちゃんと連絡がとれただろうか。

アメリカに住んでいる友人から、メールが届いた。
彼女のご主人のご実家も無事だったようなのだけれど、
原発のほうにあるので、とても心配している。
先日、ロシアにいたとき、ちらりと脳裏をチェルノブイリの事故がかすめた。
便利の代償に、多くの見えない危険を抱えたのが、いまの私の生活なのだと
改めて思った。

大阪や宮崎の友人、千葉の親戚からもメールをもらったのだけれど、
池袋、新宿あたりを歩いていたときは、メールの受信が遅かったし、
携帯電話も不通だった。
あのエリアは、通信がパンクしていたのだろう。

昨晩は、整然と並び、助け合い、道を歩く日本人の姿にとても感動しながら、
少しハイになりつつ帰ってきたのだけれど、
いま改めてテレビをつけると、その恐ろしさに息をのむ。

私の家は、ガスの元栓が地震により閉じていたこと、
雑誌が少し落ちていたこと、父の形見の時計が落ちていたこと、
そのくらいの変化しかなかった。ありがたいことだ。

東北はまだまだ寒いだろう。
1人でも多くの方が、早く落ち着いた生活を取り戻せますように。


うちのいちご。ますます赤く色づく。
春は近い。



いま、少し揺れているように感じるのは、
飛行機と地震のせいで、私の三半規管が少し狂っているせいもあるのだろう。
この週末は、ごろごろと休ませてもらうことにした。
月曜日までには、このガソリンの匂いが消えますように。

帰宅

2011-03-12 03:03:11 | Weblog
地震がおきて約12時間後、ようやく会社から帰宅。
会社の同じ方面の人たちと一緒に、半分歩き、
最後、動き出した私鉄に乗って帰った。
ロシアから帰って、この地震。
今週は忙しい・・・。

会社に泊まるという選択肢もあったのだけれど、
天井がはがれたりしたので、
「ここでは死にたくない」と思ったから帰ることにした。

会社から帰る道すがら、道路が盛り上がっていた。


てくてく歩いては、居酒屋に入って燃料を補給し、また歩く。
たくさんの人が歩き、多くの車が渋滞していた。
東京ガスの車が走り、救急車が急ぐ。
でも、日本人はひたすら静かに歩く。
これは、たぶんすごいことだ。

インド・ネパール料理屋に入り、
久しぶりに、ネパールのビールを飲んだ。


モモも食べた。


居酒屋→インド・ネパール料理→雑炊とはしごをして、
ようやく満員電車がおさまった電車に乗って、家に帰った。

なんだか、旅が続いている。