ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

過信

2011-03-22 22:18:11 | Weblog
今日、震災後はじめて、岩手の作家さんに電話をした。
用件はしごく事務的なことだったので、ずっと遠慮していたのだけれど、
やっと声が聞けて、嬉しかった。
内陸なので、ご親族もみな無事だし、家も大丈夫だということ。
でも、灯油やガソリンといった燃料がないので、身動きがとれなかったらしい。
今日は寒い中、自転車をこいで、郵便局まで、
私たちがお願いした文書を出しに行ってくれた。
「もうすぐ4月だし、あたたかい日も増えるから、大丈夫よ」という言葉。
すっかり、こちらが元気づけられてしまった。

さて、占いというものについてちょっと思うことがある。
私は寅卯空亡で、どうやらいま大殺界なのだけれど、
この1年ちょっとの間に、我が身に起こったことを思い返すと、
つまり運気が悪いってこういうこと?と思う。

私は、何よりも体力に自信があった。
私の知力、色気、すべては体力に劣る。
そう思っていた。

でも、ここのところ、どうも体調が悪い。
いつものようなパワーが出ない。
肩こりはもちろん、生まれてはじめて腰が痛くてまっすぐに立てなくなったし、
声が出ない日が約半月も続いた。
少し無理をすると、そのあと、しっかりと寝てもズルズルとだるい。

普段から運がない金運などは、今さら取り上げることでもないので、
運気が悪くても気にならない。
ただ、ふだん過信しているもののペースが変わると気がつく。
そんなもんなんだな、と思う。

そろそろしっかりと仕事がしたくなってきた。
それには、派遣という働き方はあわないと思う。
さて、この震災、ますます長引きそうな日本経済の停滞。
どのように進んで行こうか。

軽重

2011-03-22 00:36:24 | Weblog
私も原発の恩恵を受けていた。

原発がつくられた当時、私には参政権がなかった。
でも、そんな言い訳は、
今回の原発事故で避難を余儀なくされ、
故郷を案じている多くの未成年の人たちに対して通じない。
これから生まれる生命。
全てに対し、言い訳は・・・、言うだけ恥だ。

先日、大震災前、会社ですごくゆるせない言葉を聞いた。
私の同僚である派遣さんが、全体のスケジュールから、
スタンバっている必要があるかないか、
もしすべてが自分のところに来たら、さばききれないが、と、
社員に相談したとき、社員が、こう言った。
「こんな仕事、まわらなかったら中国辺りに出せばすむことなんだからさ」と。

「てめーは、どんだけ偉いんじゃ~!」と、
もし私が社員だったら、そいつのネクタイをつかんで、
見下しながらクールに言ってやったところだろう。
さいわい、そいつより私のほうが背が高い。
さぞかし絵になった。

震災後なら、確実に実行にうつしていた。
派遣社員だろうがなんだろうが、気にすることはなかった。
人の命に軽重はない。

命とは、時間だ。
その時間を奪う権限は、誰にもない。

そして、いま、私が生きているのは、単なる偶然にすぎない。
だからといって、自分が幸運を享受すべき存在だとも思わない。
自分に対し幻想をもって想像するに、
もし私が被災したら、
自分よりも将来がある若い人を先に逃がそうとするかもしれない。
でも、そう実行しようが、実行しまいが、
そこに、本来的に、命の軽重はない。

ここ数年、私が一番むしゃくしゃするのは、
エリート意識と言うか、自分が偉い、自分は特別だと思いこんでいる人間の、
その醜さに接したときだ。
正直に言って、無性に、そいつを抹殺したくなってしまう。

そんなときに救ってくれるのは、
「自分のために生きる範囲はせまいけれど、他人のために生きる範囲は広い」という考え方だ。
だから、自分のせまい観念のなかにあるのではなく、
もっと広い視野をもつ必要性を自分に気づかせてくれたのだと、
そのための機会だったのと、無理に思い込むことにしている。

でも、本気で自分を偉いと思い込んでいるようなヤツは嫌いだ。
そして、自分はダメなんです。と言いつつ、
心の底では,自分は特別だと思いたがっているヤツも嫌いだ。
だからこそ、二元論的な神は、すでに論じるに値しないと思っている。