最近よく思い出す中国の女性がいる。
95年に出張で中国の銀川に行き、ホテルの従業員のお嬢さんと少し仲良くなった。
彼女がある日、「私は韓国ウォンを持っているんだけど・・・」と話し出した。
危険な気配を感じたので、私は話をそらし、逃げた。
それから毎日、彼女は私を追いかけてくる。
「韓国ウォンを持っているんだけど、価値がわからない」と。
ある日、ホテルの廊下を歩いていたら、彼女がついてくる。
「銀行へ行っても、韓国ウォンのことが書いていない。
あなたしか聞ける人がいない。
あなたがお金を換えてくれるのでもいいのだけれど」と言われた。
金額を聞いてみると、韓国ウォンらしく、額面は大きく感じるのだけれど、
日本円にすると500円にもならない金額だった。
少し面倒になったので、
「韓国ウォンは、中国では換金できないから価値がないよ。
それに、私は韓国ウォンをほしくない」と言ってしまった。
ふと振り返ると、彼女は泣き崩れていた。
当時、韓国人の留学生は、ドルで持ってきていた。
そして、中国人は外貨をほしがっていた。
彼女は、どうやってウォンを手に入れたのだろう。
あれだけ号泣したのだから、
きっとすごく辛い想いをしながら、手に入れたのだろうと思った。
それに、そのお金になにか夢や希望を持っていたのだろうと思った。
不安に押しつぶされそうになりながら、
それでも一縷の望みをもって、勇気をもって私に聞いたのに、
私が冷たく言ってしまった。
言った内容よりも、言い方のほうが冷たかったかもしれない。
翌日も、その翌日も、彼女の姿を見なかった。
いまだったら、なんて言うだろう。
当時と違って、韓国ウォンも中国国内で換金できる場所ができたし、
中国人も、むかしのように外貨を求めていない。
相変わらず韓国ウォンの額面は大きいが、
中国国内でも適正な価値を知ることができるようになった。
彼女は、いま、あのときのことを思い出すことがあるだろうか。
あのとき、換えてあげればよかった、とも思うけれど、
普通のレートで換えてあげたら、それはそれで、彼女は傷ついただろう。
だまされた人が悪いのか。
だました人が悪いのか。
だまされた人を、さらに傷つけた人が悪いのか。
あの時の彼女の涙は、いまでもとても重い。
95年に出張で中国の銀川に行き、ホテルの従業員のお嬢さんと少し仲良くなった。
彼女がある日、「私は韓国ウォンを持っているんだけど・・・」と話し出した。
危険な気配を感じたので、私は話をそらし、逃げた。
それから毎日、彼女は私を追いかけてくる。
「韓国ウォンを持っているんだけど、価値がわからない」と。
ある日、ホテルの廊下を歩いていたら、彼女がついてくる。
「銀行へ行っても、韓国ウォンのことが書いていない。
あなたしか聞ける人がいない。
あなたがお金を換えてくれるのでもいいのだけれど」と言われた。
金額を聞いてみると、韓国ウォンらしく、額面は大きく感じるのだけれど、
日本円にすると500円にもならない金額だった。
少し面倒になったので、
「韓国ウォンは、中国では換金できないから価値がないよ。
それに、私は韓国ウォンをほしくない」と言ってしまった。
ふと振り返ると、彼女は泣き崩れていた。
当時、韓国人の留学生は、ドルで持ってきていた。
そして、中国人は外貨をほしがっていた。
彼女は、どうやってウォンを手に入れたのだろう。
あれだけ号泣したのだから、
きっとすごく辛い想いをしながら、手に入れたのだろうと思った。
それに、そのお金になにか夢や希望を持っていたのだろうと思った。
不安に押しつぶされそうになりながら、
それでも一縷の望みをもって、勇気をもって私に聞いたのに、
私が冷たく言ってしまった。
言った内容よりも、言い方のほうが冷たかったかもしれない。
翌日も、その翌日も、彼女の姿を見なかった。
いまだったら、なんて言うだろう。
当時と違って、韓国ウォンも中国国内で換金できる場所ができたし、
中国人も、むかしのように外貨を求めていない。
相変わらず韓国ウォンの額面は大きいが、
中国国内でも適正な価値を知ることができるようになった。
彼女は、いま、あのときのことを思い出すことがあるだろうか。
あのとき、換えてあげればよかった、とも思うけれど、
普通のレートで換えてあげたら、それはそれで、彼女は傷ついただろう。
だまされた人が悪いのか。
だました人が悪いのか。
だまされた人を、さらに傷つけた人が悪いのか。
あの時の彼女の涙は、いまでもとても重い。