ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

フリー チベット

2010-01-19 00:06:23 | Weblog
私は中国共産党が大嫌いだ。

最近、多くの人に、中国へ行ってビジネスをしたら?
と言われる。

自分でも、その可能性はあると、ずっと思っている。

でも、中国共産党と人民解放軍に対して、
生理的な嫌悪感がある。

「フリー チベット!」と叫びたい。

この矛盾を超えるべき手段をずっと探している。

ただ、1つだけ私の根幹に関わる部分として、
考えることがある。
それはまだ、具体的な方法論を見いだしていないけど、
少し考えてみようと思っている。

ああ、共産党が大嫌いなんて書いたら、
次に中国へ入国する際、マークされるのかな。

キング・オブ・ポップ - ジャパン・エディション

2010-01-17 17:00:51 | Weblog
いまさら私が言うことでもないけど、マイケル・ジャクソンはすごい人だと思う。
ここのところ、家にいるときは「キング・オブ・ポップ - ジャパン・エディション」という
2008年に発売されたCDをかけている。
もちろん購入したのは「THIS IS IT」を見てからだ。

ベストアルバムなだけに、とても完成度が高い。
私のような「にわかファン」でも、曲ごとに何か新たな試みをしていることが伝わってくる。
これに、かっこいいプロモーションビデオがついていたのだから、一世風靡するわけだ。
歌がうまくて、踊りがかっこいい。そして、次はなに?という期待。
とにかく、追いかけていると楽しい、という充実感。

そうか、楽しくなければ継続して追いかけないよな、と思った。

そんなとき、高校時代から価値観において多大な影響を受けている友人と会った。
ある人の絵を一緒に見た時、「よく見るとうまいんだけど・・・、
見てておもしろいのは、こっちの違う人の作品なんだよね」というようなことを友人が言った。
もちろん、いい悪い、好き嫌い、という尺度の話ではない。
私も同じように感じていたので、この感覚はいったいなんだろうなあ、と思っていた。

帰り道、ジャンケレヴィッチの『イロニーの精神』の続きを読み、
難しくてよくわからないながらに、
「相対化の仕方の違い」というキーワードをもらったような気がする。

ある人の作品は、触れると楽しい。触れつづけることもできるし、
もし一時期はなれたとしても、未来のある時また再会するだろう、と思う。
受け取る人によっては、導かれていると感じることすらあるだろう。

ある人の作品は、自分の心の一瞬を凝縮したもののようだ。
それは、誰にも言えなかった心の痛みで、私にとっては過去の自分。
懐かしく思うこともあるし、こんな作品を生み出す人が、
少しでも幸せになれたらいい、という祈りがある。

いろいろな共感があるけれども、
私が求めるのは、迷っていながらも、未来に光をあてようと努力している姿。
そして、それが個人的なものにとどまらず、
何か人としての進むべき道の方向性を映す鏡であることだ。

やはり作家が、自分が救われることだけを求めている場合は、
私が個人的にその人を愛せるかどうか、という一点に意味が集約されてしまうから、
恋人でもない以上、というか、たとえその人が恋人であっても、
追いかけるのは無理だと思う。

ずっと愛され続ける普遍的なもの。
たとえ流行の実用書であっても、その中心は普遍的な何かが構成している。
でも、その普遍性は、とことん他人が感じ、他人に判断されるものだ。
そしていくら普遍的とは言っても、そこには、なにか動的なものがあると思う。

こういったことをグルグル考えた上で、
改めてマイケル・ジャクソンはすごいと思った。

気持ちよく中国語を話した

2010-01-17 00:59:51 | Weblog
久しぶりに、自分のことを中国語で話した。
仕事ではたまに中国語を使うけど、事務連絡や誰かの簡単な通訳。
いつも間違えちゃいけない、という気持ちが強く、
もともとあまり慣れていない北京以外の発音の人と話す時は、特に緊張する。
耳に神経を集中していないと聞き間違えるから、とにかく疲れる。

今日は、友人同士の「最近どうしてる? 元気?」という会話。
こんなリラックスした会話を中国語でしたのは、いったい何ヶ月ぶりだろう。
というよりも、あんなに笑いながら友人と食事をしたのも、
かなり久しぶりのような気がする。

中国語は、食事が似合う。
少しお酒が入ると、日本人もだんだん口がなめらかになる。
格段に中国語がうまくなる。
一時期、私は「中国語=お酒」と脳が覚えていた時期があり、
日本語での飲み会でも、酔うと中国語で考えるようになり、
注意しないと、そのまま口走ることがあった。

いまは、そこまでの回線は繋がっていない。
それでも、今日はかなり早く中国語にチューニングがあった。
通訳がメインで行く出張では、現地に入って3日目くらいにならないと、
なかなかスムーズに話せるようにはならないけど、
自分が考えていることを話すのなら、30分あれば、まだ十分なんだ。

一時期、通訳を仕事として考えていたころ、
当時、お世話になっていた中国人の先生に相談したら、
「他人の話を訳すなんてつまんないわよ。
あなたは、自分のことを話しなさい」と言われたのを思い出した。
まったくそのとおりだ。

そして食事中、ふと気がつくと、
自分も日本人が閉口する大音響の中国語スピーカーになっている。
そんな自分に苦笑しつつも、思考回路がどんどん中国語文法になっていく。
これが私には快感なんだなあ、と、今日改めて思った。

話すこと

2010-01-16 00:44:52 | Weblog
今日は、なかなかよく動いた1日だった。すでに午前中の記憶がない。

最近、再認識しているのだけど、
私にとって、誰かと話すということは、とても重要なことだ。

言葉を覚え始めたころから、我が家には「主張の時間」というのがあった。
テレビの前に立たされて、
その日にあったこと、それについてどう思ったのかということを両親に向かって語る。
話がまとまらなくても、怒られたりはしない。
ただ、目をそらすと注意される。話している相手の目を見ろ、と言われる。
話し終わると、
そう感じた後に、なぜ行動としてその選択をしたのか、という点について語る。

言いたいことがうまく言えなくて、自分に混乱して、いつも泣いていた記憶があるし、
伝わらなくて癇癪を起こしたし、あまり楽しい時間ではなかった。
何度もイヤだと言った記憶もある。
ただ、人と話すことと、伝えようと努力すること、これは身に染み付いたと思う。

その後、中国に留学して、
言語と文化の違いからくる、どうしてもわかり合えないことについて、
かなり、立ち止まった。
でもいまは、日本語よりも中国語のほうが、感覚的にぴったりと表現できる時もある。
いまは日常的に中国語を使っているわけではないけど、それでもたまに夢を中国語で見る。
でもやっぱり、中国人の感覚はわからないと思う。
そして、わからないことを、そのまま「よし」として受け止めることも、
少しずつできるようになってきた。
昔は、なるべくその距離を埋めるために、
とことんまで語り合わなければならない、という感覚があったんだけど、
「とりあえず保留」ができるようになった。

明日は久しぶりに、中国語三昧の夕食会だ。
最近どうしてるの?と聞かれた後、私はどのように中国語で自分を表現するだろう。
相手の目を見たときに自然と出て来る言葉。
これは、ひたすら感覚的なものなので、話しながら自分の言葉に驚くことがよくある。
そうか、こんな表現があったか、と思う。
そしてこの感覚は、母語である日本語では味わえない種類のものだ。

そして、友人たちの語る近況。
その中に、たくさんの生きるための、考えるためのヒントがある。
そこには苦悩があって、喜びがある。
私は無から何かを生み出せる人間ではない。
自分のなかを掘って行っても、すぐに涸れてしまう。
でも、友人の中には、私が生きたかもしれない人生がある。
これがいいんだ。

いつか

2010-01-15 00:09:57 | Weblog
今日の午後、父が生前お世話になっていた会社に遊びに行った。
久しぶりに、数年前、父とした会話を思い出してすごく楽しかった。

両親が離婚して20数年。
私は、中学生ごろから、父が関係している仕事方面の情報をなるべくシャットアウトしていた。
映画、演劇、ドラマ。そして父が大好きだったゲーム。
すべて、考えないように、見ないようにしていた。

でも、父と仲直りをした約6年前、
酔った勢いで挙げた、この数年で抜群と思ったドラマのシナリオ、俳優さん。
そのとき「お父さんには失礼かもしれないけど」と前置きして挙げた人たち。
父は数秒間、考え込んで、「今度、事務所に遊びにこいよ」と行った。
その後、そのすべてが、父が仕事で日常的にお世話になっていた人たちだったと知った。
血は争えないと言うか、同じ好みだったことにビックリした。

今日は、父の事務所の人と話をして、
父は、私と話すために、私と会った次の日、
「昨日こんなことを言われた。次に会うまで勉強する」と言って、
仕事そっちのけで書店に通い、私との共通言語を持とうと努力していてくれたことを知った。

父は、私には「そんなこと30年も前から考えていたよ」というふうに語っていたのに、
裏でそんなことをしてくれていたのだと嬉しかった。

ああ、なぜもう、リアルでは話せないのだろう!

今年の初夢には、父よりも早く亡くなった母が出て来た。
母は私に、「あなたは小さい頃からお父さんも、父方の親戚も大好きだった。
だから戻っていいよ。もう一度、いとこたちとも仲良くしたらいい」と言われ、
「なぜ今さら、そんなことを言うの。離婚したと言うことは、縁を切ると言うことでしょう。
だから私は努力して来たのに、今さらもとに戻れば?なんて、ひどいこと言わないでよ。
とにかく、私は亡くなる前に父とは仲直りしたから、それだけでいいの!」
と、母に言い返した。

そして、それを言ったあと、
なんてひどいことを母に言ってしまったんだろうと思って、寝ながら泣けてきた。
気がついたら、目が覚めても泣いていた。

ああ、本当に、両親が離婚を決めたのは、
私が、「そんなんなら、さっさと別れなよ。私もう耐えられないよ」と言った、
あの小学5年生の時の、家族会議での一言のせいだったのだろうか。

ああ、なんでもう、話すことができないんだろう。
いつか、超えてやる!

恥をかこう

2010-01-13 22:17:31 | Weblog
自分の思考回路を知るには、親しくて本音が話せるけれども、
日常的に会っているわけではない人と話すのが一番だと思う。

この2日間、何人かの友人と会って話をして、
なんとなく、いまの方向性は間違っていないな、と思えて来た。

これまでの人の繋がりの延長で、なにか仕事を仕掛けようと考えるとき、
まず「ああ、これは、あの人が嫌がるな」が頭に浮かぶ。
自由に発想しようと思う前に、特定の人の意見が気になって、
その人の思考をトレースしてしまう。

これは、ある意味で、これまでの仕事ではとても必要なことだった。
でも、それでは息が詰まるから、つまらないから、
これまでの仲間とは少し距離をおきはじめたわけだ。

それでも、話をしていると、考えることを楽しむ以前に、
「うまくやる方法」を考えてしまう。
攻略する方法、説得する方法は、後から考えればいいんだった。
自分の欲求が明確になるよりも前に、他人に対して気をつかう必要はない。

でも、なかなかそこに、自由な思考にアンテナがあわない。
あいそうになると、恐怖感がやってくる。
相乗効果で植え付けられた恐怖感、飼いならされた思考は、
やはり根深いものなのだろうと思う。

そんなことを考えながらの帰り道、
ここはひとつ、思い切り恥をかこうと思った。
やったことがないこと、でも興味があって面白いと思っていること、
なんらかのアウトプットをして、恥をかいて、一度こわしてみよう。
その勇気は、まだある。
そう思わせてもらった。

素敵なご近所さんだけど

2010-01-12 12:34:13 | Weblog
最近、近所に素敵なご夫婦が越して来た。

ご主人は、細身ですらっと背が高て足が長く、ジーパンがとても似合う。
ハーフかと思うくらいの彫りの深い顔に、いつも幸せそうな瞳をしている。
これがまたきれいな白髪で、たぶん60歳くらい。かっこいい。

奥さんもすらっとしていて、黒くて長い髪。
少し憂いがある雰囲気で、うつむきがちだけど、
顔の造作はとても東洋的にきれいで、意志の強い表情をしている。
たぶん40歳前だと思う。美人さんだ。

そして、幼稚園生くらいの元気な子どもがいる。
声しか聞いたことがないから性別はわからないけど、たぶん女の子。
最初はお孫さんかと思ったけど、たぶんそうじゃない。
いつも笑い声をあげている。いい子だ。

なんだか不思議な既視感を覚えた。

私の父も、60歳で亡くなったとき、30代中盤の女性と付き合っていた。
両親は離婚しているから、倫理的に咎めることはないけれど、
私と2歳しか離れていない女性と付き合っていたことを亡くなってから知って、
正直なところ、かなり戸惑った。

父も彼女といたとき、あんなに幸せそうな瞳をしていたんだろうか。
同級生のような人が父の奥さんとなって、3人で一緒に食事をするようなことが、
私にもあったのだろうか。
30歳も年齢が離れた兄弟ができる可能性があったのだろうか。

考えるとクラクラするので、父が亡くなってから約3年、
そのことはなるべく考えないようにしていたんだけど、
最近、引っ越して来たご近所さんとすれ違うたびに、
いいご夫婦なだけに、なんだかムズムズする。

誰でも同じなのかもしれないけど、
私は家族に対する執着心がとても強くて、
「こうあってほしかった」という家族像に、いまでもかなり縛られている。
そして、努力しなくてもそのことを考えないですむようになったころ、
それを思い出させるような何かが、私の周囲に集まって来る。
そんなもんか。

感性について

2010-01-10 21:56:08 | Weblog
感性は、ひたすら受動的なものだと思う。
何かに接した時、こう思った、こう感じた、
という動物的な嗅覚のようなものが感性で、
いっぽう、受け取ったものを自分なりにどう表現するか、
ということは、また別次元のことだと思う。

ある日の夕方、とてもきれいな夕焼けの空を眺めていたとする。
ある人は絵にし、詩にし、音楽にする。
そして、多くの人がとる一般的な方法は、
大切な人に写メを送ったり、その光景を眺めるだけというものだろう。
このすべてにおいて、感性じたいの優劣はないと思う。

ただ、実際には、感動を誰かと分かち合いたいと思ったときにとる方法の違いが、
感性じたいの違いと言われることが多いと思う。

あの人は、こんなにすごい表現が出来るのだから、感性も優れているのだ。
また逆に、なにも表現しないから感性が乏しい、というように。

確かにそういう部分もあるかもしれない。
でも、表現したい、という動機には、
必ずしも、いやおうなく無意識のうちに表現したくなる、というときだけではなくて、
他人に認められたいから表現をする、表現したからには認められたい、
認められないのは他人の感性が乏しいからだ、
と、どんどん置き換えられていって、単なる自意識のかたまりになることもある。

別に、否定しているわけではなくて、
なぜ、ウケる作品と、そうでない作品があるのだろう、と考えていたときに、
自他ともに「感性がすぐれた人」と認める人の作品が、
必ずしも「見る人に感動を与える作品」になるとは限らないし、
「感性がすぐれた作品」と言われるともかぎらないのは、
受動と能動という、なにか大きな違いにあるのではないか、と思ったからだ。

表現したものが、評価されなかったからといって、
それは、その人の感性のすべてが否定されたわけではない。
つまり、人間としての一番根本的な部分にある受動的な自分、
「こう思ってしまった」という逃げようのない部分にある自分を
否定されたわけではないのだと思う。

蒼き狼の血脈

2010-01-08 23:26:40 | Weblog
小前亮著 、文藝春秋刊

チンギス・カンの長子ジュチの子バトゥの物語。

書名に「蒼き狼」とあり、しかも、ジュチの子バトゥが主人公とは。
完璧に「やられた」という感じだ。
書店の店頭でこの本を見かけた瞬間、「はい。ターゲットは私です」と
手を挙げた気分になって購入した。

著者は、大学での専攻が中央アジア・イスラーム史というだけあって、
史実を丹念に調べ上げた結果の作品と思う。
しかも、モンゴル高原など現地にも行って、
実際にそこの風を受けた経験も豊富なのだろう。
小説の内容だけではなく、歴史小説の方向性として、すごく共感した。

私は学生時代に、モンゴル帝国の歴史にハマって、
自分なりにかなり一生懸命に調べた。
そのなかでも、一番興味があったのは、ジュチだった。

ジュチはチンギス・カンの妻ボルテが、
メルキト族に捕われていた時期に身ごもった子どもと言われ、
チンギス・カンの実子ではないと言われていた。
チンギス・カンも「客人」=「ジュチ」という名をつけたほどだ。
そのため、血統を重んじるモンゴルにおいて、
ジュチはチンギス・カンの後継者から脱落する。
そして、ジュチは一生涯をかけて、
自分がモンゴルの血をひく人間であることを実証するため、
モンゴル高原を西へと戦っていった人物だ。

ジュチが亡くなる間際、
体調が悪くて父チンギス・カンの召還に答えることができなかったとき、
父から謀反の心ありと疑われた。
もし、もっと長くジュチが生きていたら、親子の戦争があったかもしれない。
ジュチはチンギス・カンよりも先に亡くなり、それは回避された。

ジュチは絶えず、自分は何者なのかを問いながら生きた人物だと思う。
そのジュチの子バトゥは、「賢明なる王」と呼ばれるにいたった。
モンゴル高原の中心で、酒と権力に溺れていたモンゴルの正統筋よりも、
ジュチ・ウルスは、ずっとモンゴル的だった。

本書の内容は、日本人には馴染みのうすい中央アジアの地名や歴史が出て来るし、
登場人物の血縁関係は複雑だ。
でも、こういった本をとおして、モンゴルの世界を一人でも多くの人に知って欲しいと思うし、
このような文章を書ける著者に、今後の活躍を期待する気持ちでいっぱいだ。
読みながら久しぶりに体中があつくなった。

アウシュヴィッツの〈回教徒〉

2010-01-07 10:42:07 | Weblog
現代社会とナチズムの反復 柿本 昭人著 春秋社刊

むかし、よく何かを揶揄するときに「誰それさんみたい」という表現を使った。
学校では仲間はずれが流行ったし、自分が標的になることもあれば、他の人を標的にしたこともあった。
何か勝手な定型をつくり、「それに合致しないのだから、仲間はずれにされて当然」という雰囲気は、
加害者のときも被害者のときも、知らず知らずのうちに受け入れていた。
会社で働くようになってからは、上司の個性や会社の方針という、
より巧妙な言葉に隠されながら、基本的には同じことが繰り返されていると思う。

ナチの強制収容所では、「生きようとする意志がなく、自己意識もなく、精神が死んでいて、
動物的な生存と結びつくことにのみ反応する人」のことを「回教徒」と呼んでいた。

これは、ナチ側だけでなく、収容されていた人たちも使っていた言葉で、
いまでも、いろいろな回想録などで使用されている。
多くの資料からその例を示し、現代社会の姿に通じるものを投げかけるのが本書だ。

ナチは武力では滅んだけれども、思想として破れたわけではなく、
人間を「有用な者」と「無用な者」に分けることは、いまでも日々行われている。
「私はある時期に回教徒だったが、その後、その状態を脱した」という表現を読むと、
死んで行った人たちへの免罪符を、そこに埋め込んでいると思う。

生き残った人には、恐怖が残る。
なぜ、あの人が死んで私が生き残ったのか。
ほんの少しの偶然に左右された生死。
自分の生命の軽さを実感させられた隣人の死。

そこにはすでに、「有用な人間だから生き残れる」という表面的なラベルすらない。
すでに自分も無用な人間であることを認めさせられたにもかかわらず、それでも生き続ける。
生きるには、生きるだけの「資格」がほしい。
それが、「回教徒だった」「私は回教徒ではない」という表現なのだろう。

去年のうちに読み終わりたかったんだけど、年を越してしまった。