ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

感性について

2010-01-10 21:56:08 | Weblog
感性は、ひたすら受動的なものだと思う。
何かに接した時、こう思った、こう感じた、
という動物的な嗅覚のようなものが感性で、
いっぽう、受け取ったものを自分なりにどう表現するか、
ということは、また別次元のことだと思う。

ある日の夕方、とてもきれいな夕焼けの空を眺めていたとする。
ある人は絵にし、詩にし、音楽にする。
そして、多くの人がとる一般的な方法は、
大切な人に写メを送ったり、その光景を眺めるだけというものだろう。
このすべてにおいて、感性じたいの優劣はないと思う。

ただ、実際には、感動を誰かと分かち合いたいと思ったときにとる方法の違いが、
感性じたいの違いと言われることが多いと思う。

あの人は、こんなにすごい表現が出来るのだから、感性も優れているのだ。
また逆に、なにも表現しないから感性が乏しい、というように。

確かにそういう部分もあるかもしれない。
でも、表現したい、という動機には、
必ずしも、いやおうなく無意識のうちに表現したくなる、というときだけではなくて、
他人に認められたいから表現をする、表現したからには認められたい、
認められないのは他人の感性が乏しいからだ、
と、どんどん置き換えられていって、単なる自意識のかたまりになることもある。

別に、否定しているわけではなくて、
なぜ、ウケる作品と、そうでない作品があるのだろう、と考えていたときに、
自他ともに「感性がすぐれた人」と認める人の作品が、
必ずしも「見る人に感動を与える作品」になるとは限らないし、
「感性がすぐれた作品」と言われるともかぎらないのは、
受動と能動という、なにか大きな違いにあるのではないか、と思ったからだ。

表現したものが、評価されなかったからといって、
それは、その人の感性のすべてが否定されたわけではない。
つまり、人間としての一番根本的な部分にある受動的な自分、
「こう思ってしまった」という逃げようのない部分にある自分を
否定されたわけではないのだと思う。