ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

キング・オブ・ポップ - ジャパン・エディション

2010-01-17 17:00:51 | Weblog
いまさら私が言うことでもないけど、マイケル・ジャクソンはすごい人だと思う。
ここのところ、家にいるときは「キング・オブ・ポップ - ジャパン・エディション」という
2008年に発売されたCDをかけている。
もちろん購入したのは「THIS IS IT」を見てからだ。

ベストアルバムなだけに、とても完成度が高い。
私のような「にわかファン」でも、曲ごとに何か新たな試みをしていることが伝わってくる。
これに、かっこいいプロモーションビデオがついていたのだから、一世風靡するわけだ。
歌がうまくて、踊りがかっこいい。そして、次はなに?という期待。
とにかく、追いかけていると楽しい、という充実感。

そうか、楽しくなければ継続して追いかけないよな、と思った。

そんなとき、高校時代から価値観において多大な影響を受けている友人と会った。
ある人の絵を一緒に見た時、「よく見るとうまいんだけど・・・、
見てておもしろいのは、こっちの違う人の作品なんだよね」というようなことを友人が言った。
もちろん、いい悪い、好き嫌い、という尺度の話ではない。
私も同じように感じていたので、この感覚はいったいなんだろうなあ、と思っていた。

帰り道、ジャンケレヴィッチの『イロニーの精神』の続きを読み、
難しくてよくわからないながらに、
「相対化の仕方の違い」というキーワードをもらったような気がする。

ある人の作品は、触れると楽しい。触れつづけることもできるし、
もし一時期はなれたとしても、未来のある時また再会するだろう、と思う。
受け取る人によっては、導かれていると感じることすらあるだろう。

ある人の作品は、自分の心の一瞬を凝縮したもののようだ。
それは、誰にも言えなかった心の痛みで、私にとっては過去の自分。
懐かしく思うこともあるし、こんな作品を生み出す人が、
少しでも幸せになれたらいい、という祈りがある。

いろいろな共感があるけれども、
私が求めるのは、迷っていながらも、未来に光をあてようと努力している姿。
そして、それが個人的なものにとどまらず、
何か人としての進むべき道の方向性を映す鏡であることだ。

やはり作家が、自分が救われることだけを求めている場合は、
私が個人的にその人を愛せるかどうか、という一点に意味が集約されてしまうから、
恋人でもない以上、というか、たとえその人が恋人であっても、
追いかけるのは無理だと思う。

ずっと愛され続ける普遍的なもの。
たとえ流行の実用書であっても、その中心は普遍的な何かが構成している。
でも、その普遍性は、とことん他人が感じ、他人に判断されるものだ。
そしていくら普遍的とは言っても、そこには、なにか動的なものがあると思う。

こういったことをグルグル考えた上で、
改めてマイケル・ジャクソンはすごいと思った。


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