つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

歴史が繰り返すのは必然か?それとも偶然か?

2023年04月16日 22時00分00秒 | 手すさびにて候。
                            
「ナチス」は政党の名前である。
「国家社会主義ドイツ労働者党」。
「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」の略称「ナチ(Nazi)」の複数形だ。
彼らがドイツを率いた1933年から1945年、わずか10年あまりの間に、
数々の犯罪・蛮行が繰り返されたことは、今さら説明するまでもないだろう。

敗戦後、ドイツは謝罪・賠償に留まらず、国民の教育、法律の制定など、
国を挙げて、過去の膿を絞り出してきた。
その根底にある1つは「原罪意識」。
ナチス政権は民主的な選挙により誕生しているからだ。
禁断の果実(ナチズム)を食べるよう勧めたのは蛇(ナチス)だが、
手を伸ばし口にしたのは、当時のドイツ国民たち---アダムとイヴの意志だった。

今回は、その出来事を“舞台劇”に例えてみようと思う。
但し、スポットライトを当てるのは「アドルフ・ヒトラー」に非ず。
主演は3人の裏方である。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十三弾「第三帝国の立役者たち」。



企画演出・広報:「パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス」

権力を握ったヒトラーは「国民啓蒙・宣伝省」を創設。
目的は、あらゆるメディアを総動員してドイツをナチス一色に染め上げる事。
大臣に任命されたゲッベルスは辣腕を振るう。

映画、演劇、音楽、美術、
娯楽の裏にナチスの意図や思想を忍び込ませ、
観客の潜在意識に語りかけ、刷り込み、大衆が「自ら進んでナチスに賛同するよう」誘導。
また、ラジオも大いに活用。
安価で海外の放送が聞けない「国民ラジオ」受信機を大量生産・普及させ、
全国どこにでも、リアルタイムでヒトラーの演説を直接届けた。
徹底的なプロパガンダにより、7000万国民の大半を洗脳。
“ヒトラーがゲッベルスを創り、ゲッベルスがヒトラーを創った”のである。

大道具・書割り:「アルベルト・シュペーア」
          
ヒトラーが最も寵愛した建築家。
「廃墟価値の理論」を提唱した。

“建物とは数千年先の未来、廃墟となってなお美しさを感じさせなければならない。
 古代ギリシャやローマの遺構が美しさを伴っているのは、
 劣化した建築材と絡み合う自然との調和があるから。
 朽ちてなお、かつて繁栄した偉大な文明と暮らし、
 悠久の時を夢想させる建築にこそ価値がある”

そんな考えに基づき、ヒトラーが理想とする古典的で重厚な石造建築群を生み出す。
代表的な一つは「ベルリン・オリンピアシュタディオン」。
現在も廃墟になることなく現役を務める競技場は、
「第11回 夏季オリンピック大会」のメイン会場となった。

こうしてゲッベルスが演出し、シュペーアが整えた舞台に、
いよいよ3人目のキャストが登場する。

映画監督:「レニ・リーフェンシュタール」

「我々が政権を獲得したら、あなたは私の映画を撮影してくれますね」

初対面でそう言ったヒトラーは、嘘をつかなかった。
首相に任命されるや正式に依頼があり、
ナチス党大会のドキュメンタリー映画『意志の勝利』が製作された。
16台のカメラ、100人を超えるスタッフを動員。
当時としては大規模な現場で指揮を執ったのは、30歳を過ぎたばかりの女性だった。

彼女「レニ・リーフェンシュタール」は、20世紀の幕が開いた翌年、
ベルリンの裕福な家庭に生まれる。
水泳、体操、アイススケート、ピアノ、テニス。
子供の頃から様々なことに取り組み、ダンサーとしてプロデビュー。
将来のスター候補として階段を登り始めた矢先、膝を負傷。
舞踏家の道を断念せざるを得なかった。
失意の中で観た一本の映画に感銘を受け、女優に転身。
監督と主演を務めた作品が、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。
映画人の地歩を固めた頃、ヒトラーに出逢いナチスとの二人三脚が始まる。

前述した『意志の勝利』に続いて取り組んだ素材が、ベルリン・オリンピックだった。
・聖火リレー、開会式などの大会演出と、
 古代オリンピックから受け継がれる陸上競技を記録した『民族の祭典』。
・陸上以外で美しさを感じる競技や、選手の横顔をまとめた『美の祭典』。
2本の異なる作品を通称『オリンピア』と呼ぶ。

焦点距離の異なるレンズを駆使し、撮影対象に合わせてフィルムを使い分けたり。
レールの上に置いたカメラでアングルを変えながら被写体を捉えたり。
地面に掘った穴にカメラを据えて撮影したり。
大胆なクローズアップで群衆の一人を切り取って見せ、観客に臨場感を抱かせたり。
競技後、選手たちを呼び戻し、スタジアムにエキストラを集め、
改めて録り直した映像・音声、効果音を巧みに交えたり--- 。
様々な工夫を凝らし、監督の感性を前面に押し出した作品の芸術的完成度は極めて高い。
再現フィルムというファンタジーを加えたそれは厳密なドキュメンタリーとは言えないが、
五輪史上初の本格的長編公式記録映画として、大ヒットを記録した。

1936年開催の「ベルリン・オリンピック」は、
ナチスが総力を結集した壮大な目くらまし。
競技場の建設、大会運営に至るまで金と労力を惜しまず注ぎ込み、
過去最多の選手と観客を集め、世界記録とオリンピックレコードを量産。
過剰なまでに一分の隙も無く文句が付けにくい大会をやり遂げ、
「平和で寛容なナチス・ドイツ」を印象付けることに成功した。

だが、程なく世界は知ることになる。
その裏にひた隠しにされた人種差別政策や領土拡大の野望を。
そして僕たちは知っている。
ナチスが歴史のタブーになったこと。
タブーが過去になっていないことを。

80年代以降、景気の悪さなど不満のはけ口を、
自分達とルーツが異なる人々に向ける勢力「ネオナチ」が台頭した。
また近年、世界各国で排他的な流れが起こっている。
ロシアの大統領は、ウクライナ侵攻について、
しばしば「ネオナチと戦うため」とまやかしを口にしている。

今投稿冒頭で書いたとおり、
ナチスは、民主的な憲法の下、民主的な選挙によって生まれた。
民主主義は万全ではない。
我々扱う側が常に試めされているとも言えるのではないだろうか。

結びとして拙作イラストに掲載した「言葉」について紹介したい。
ドイツの哲学者「フリードリヒ・ヘーゲル」曰く
「Wir lernen aus der Geschichte, dass wir überhaupt nichts lernen」
「我々が歴史から学ぶことがあるとすれば、
 我々は歴史から何一つ学んでいないということだ」
                            

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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2023-05-05 17:18:15
すっかりごぶさたしてしまいました。

>ナチス政権は民主的な選挙により誕生しているからだ。

まさにその通りです。
戦争犯罪人とされているプーチン大統領も選挙によって誕生していますね。
中東、アフリカの独裁者も同様です。

そのことを知ったドイツ国民は、素晴らしい。
日本をはじめ西側諸国の「民主主義を普遍的正義」と思っている国民は、同じ過ちを繰り返すかもしれません。実際に極右政党が票を獲得していますからね。

ヒトラーにすべての罪を押しつけ、国民が被害者面してはいけない、原罪意識が必要ですね。

我々日本人って、どうなのでしょうか?

では、また。
Zhen様へ。 (りくすけ)
2023-05-05 20:13:29
お久しぶりです。
お元気ですか?
コメントありがとうございます。

日本人の第二次大戦に於ける原罪意識は、
「ドイツに比べると」薄い。
そう考えます。
日本は大陸や半島で随分酷いことをしましたが、
国家がユダヤ抹殺計画を立案し実行した
ナチスのホロコーストとは別物。
日本の所業が善か悪かではなく、
行いの質・量・レベルが違います。
故に罪の意識も同様に感じますね。

民主主義。
人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理。
耳当たりのいい言葉の裏には危うさが潜む。
世論に流されると、思わぬトコロへ流されてしまいかねない。
気を付けなければならない。
そう思います。

--- 今後もお時間とご都合が許せば、
拙ブログを覗きにきてやってくださいませ。
どうぞよしなに。

では、また。

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