つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

大津旅行記1~三つの青。

2022年05月05日 23時00分00秒 | 旅行
                   
きのう(2022/05/04)、僕は滋賀県・大津市へ日帰り旅行に出かけた。
本日は、その旅の記録として「三つの青」を取り上げようと思う。

一、あをもみじ



三井寺(みいでら)は、天台寺門宗の総本山。
境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる
霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、
後に「三井寺」と通称されるようになった。
国宝の金堂を始め、西国第十四番札所の観音堂、釈迦堂、唐院など
多くの堂舎が建ち並び、国宝・重要文化財は一〇〇余点を数える。
(※滋賀県 公式観光ガイドより引用/抜粋)



好天にも恵まれ、多くの人手で賑わっていた。
もちろん僕もその一人である。
確かに、どの建築物もよく整備され、実に堂々とした佇まいだ。
奈良時代の創建(途中、焼失・再建)と聞くだけに重厚長大。
--- しかし、僕は、どうもしっくりこないところがあった。

“僧または尼が住み、仏像を安置して、仏道を修行し、仏事を行う建物。”
辞書で「寺」を引くとそんな記載があるのだが、
ここは「観光地」「パーク」の色合いが強いと感じた。
ま、個人的な好みのハナシである。
見どころは盛沢山だ。
何より「あをもみじ」が美しい。
野趣ではなく、人の手が造り上げた調和の美は実に素晴らしかった。









また、寺院境内でいただいた「名物 三井寺 辯慶力餅」のあを団子も忘れ難い。
柔らかくコシのある求肥餅の上に、和三盆糖・国産きな粉・抹茶。
とても美味しかった。(※詳細上記下線部より、リンク有)
おかわり自由のお茶も付いて、大満足である。

ニ、青い瓦



青い甍(いらか)の天辺に十字架をいただく楼閣風の建築。
まるでお城の天守の様にも見受けられる「カトリック大津教会」。
同じgooブログ「Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~」にて、
主宰者「Zhenさん」の紹介記事を読み、昨秋、初訪問。
その折は、コロナ禍で内部見学は出来ず。
あれから半年以上が経ち、再びお邪魔しようと思い立った。

事前に同教会HPの電話番号へ連絡してみたがつながらず、
いざ目の前にした聖堂の扉は固く閉じられたまま。
諦めかけ、三度目の正直に期待しようとも考えたが、
お隣「司祭館」のインターホンを押してみたところ応答があった。
突然の訪問の非礼を詫びつつ、経緯を説明。
聖堂内へ足を踏み入れることを許してもらえた。




                     




自然光が差し込む聖堂内。
木造トラスを組んだ天井に連なるアーチは、モザイクタイル張り。
祈りをささげる場は静謐。
おそらくハンドメイドであろう素朴なステンドグラスも実にいい。
念願が叶い、嬉しい限り。
帰りがけにお礼を述べると「よい旅を」と声をかけてもらい恐縮。
--- 何にしろ次に向かうのは、邪(よこしま)なトコロなので。

三、碧い水



ご存じ、日本最大の面積と貯水量を誇る「琵琶湖」。
そこには「びわこ競艇場」がある。
青い空の下に広がる碧い水辺。
競争エリアの外では、観光船やヨットが行き交う。
プールの競争水面とは一味も二味も違う魅力がある。
僕は、ここの景観が大好きだ。



当日は、滋賀県知事杯争奪「第23回 ビナちゃんカップ」最終日。
最終レースは、シリーズの優勝戦が行われた。

1号艇:丸野一樹
2号艇:川島圭司
3号艇:川北浩貴
4号艇:守田俊介
5号艇:木村仁紀
6号艇:吉田和仁
全員が地元・滋賀支部所属のレーサー。
本番前のお披露目「展示走行」を見て、悩んだ挙句に本命戦を予想。
3連単は、1→24→流し。 2連単は、14→146で投票した。
本番レースは、ほぼ思い描いたとおり。
守田がトップスタートを切って、捲り攻勢。
丸野がそれを受け止め、向こう正面を独走。
焦点は2号艇と6号艇がもつれる3着争い。
結果は---1→4→2。
的中!
3着が6なら大きくプラスになったが致し方ない。
ギャンブルの引き分けは「勝ったも同然」である。



溜息と共に胸を撫でおろした僕は、
若武者のウイニングランへ拍手を送った。
帰り際、後ろを振り返ると、
夕闇が下りてきた琵琶湖は碧から朱に染まり始めていた。



さて、今回の日帰り旅は、もう一つ立ち寄った場所があるのだが、
それについては、次回の投稿に譲りたいと思う。
                  
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愛か破滅か。~ あしたはどっちだ。

2022年05月03日 20時22分22秒 | 手すさびにて候。
                    
小学生時代、僕は、度々まちの本屋「スガイ書店」で立ち読みに耽った。
寛大なお目こぼしに与ったうち、忘れられない作品の一つが「あしたのジョー」である。

原作:高森朝雄(梶原一騎)。
作画:ちばてつや。
昭和43年(1968年)から5年に亘り「少年マガジン」で連載されたそれは、
ボクシングマンガの金字塔。
多くの方がご存じだろうが、まずは改めて簡潔に概要を記しておきたい。

主人公は風来坊の不良少年「矢吹 丈」。
彼が、元プロボクサー「丹下 段平」に見込まれ世界王座を目指す物語である。

運命のライバル「力石 徹」。
クロスカウンターの使い手「ウルフ金串」。
ベネズエラの陽気な殺し屋「カーロス・リベラ」。
韓国の戦闘マシーン「金 竜飛」。
メキシコの絶対王者「ホセ・メンドーサ」。
これら強敵と繰り広げる熱戦の数々がストーリーの核。

その裏で、人間模様が綾を成す。
友情、信頼、正義、裏切、不安、焦燥、葛藤、よろこび、かなしみ。
折々で登場人物たちが見せる心情に共感したり、反発したり。
一心不乱にページを捲った中で、取り分け印象に残っているのは、
やはり最終回のリングサイド。
あのラストシーン直前の“交流”である。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 節目の第二百弾は「白木葉子(しらき・ようこ)」。



それまでの熱狂は掻き消え、日本武道館は緊張に包まれていた。

チャンピオン「ホセ・メンドーサ」対 挑戦者「矢吹 丈」。
互いに倒し倒された15R。
どちらが勝ってもおかしくない激闘が終わり、
満場の観客は、判定が下される瞬間を固唾を呑んで待っているのだ。

しかし、青コーナーに座る当事者はベルトの行方にそれほど関心はない。
最後まで戦い切った。
精魂尽き果て、真っ白に燃え尽きた。
充足感ではない。
達成感とも違う。
空虚だが悪くない。
そんな感慨に浸っていた。

--- ふと、控室での告白と涙を思い出し声をかけた。
「葉子はいるかい?」
駆け寄ってきた彼女に、自分の分身を差し出す。
「このグローブ--- もらってくれ」
思いもしなかった突然の申し出。
言葉がでない。
「あんたに--- もらってほしいんだ---」
強く握りしめた贈り物からは、皮と、血と汗と、ワセリンの匂いがした。

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「あしたのジョー」には、物語のカギを握る女性が2人いる。
「林 紀子」と「白木 葉子」だ。

片や、プロ駆け出しの頃のアルバイト先、乾物店「林家」の看板娘。
片や、因縁浅からぬ「白木財閥」の令嬢で「白木ボクシングジム」会長。
出自も環境も、まったく異なる2人ながら、その容姿は酷似している。
また、どちらも異なるアプローチではあるが同じ人物に思いを寄せていた。

当初、惚れた相手の世話をかいがいしく焼いていた「紀ちゃん」は、
ストーリーが進むにつれ、恋のリングを下りる。
ボクシングにしか生きる価値を見い出せない「ジョー」について行けなくなったのだ。
平凡で穏やかな暮らしに幸せを求める、常識人なのである。

しかし「葉子」は違った。
戦いに殉ずる姿勢に“ある種の美”を認め、むしろ後押しする。
試合でライバルを死に至らしめ、スランプに陥った彼を蘇らせ、
次々と強敵をあてがいキャリアを積ませ、遂には世界戦もプロデュース。
女は、男が望む「あした」を提供し続けたのだ。

たとえ、そのお膳立てが「ジョー」のパンチドランクを誘発したとしても、
それを愛とは呼べないだろうか?


                     
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津幡町 ざわめく田園 からみつく花。

2022年05月01日 08時30分30秒 | 自然
                       
大型連休さ中、拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしだろうか?
僕はといえば、作文、お絵描き、読書、音楽、競艇、酒。
つまり、相も変わらない時間を楽しんでいる。

さて、本日(2022/05/01)から月替わり。
5月の別名(旧名)は「皐月(さつき)」だ。
この「さ」は、田の神、あるいは、田の神に捧げる稲を表しているとか。
散歩中、田仕事を見かける機会が増えてきた。



田んぼを耕し水を入れ始めたばかりの頃は、
まだ土が見えたり、水が濁ったりしている。
時間が経つにつれ透き通ってきて、
風がないとまるで鏡のように、空の景色を映し出す。





写真ではお伝えできないのだが、辺りは蛙の合唱。
その獲物を狙う、シラサギ、ゴイサギが飛び交う。
人が作る場所に生き物が集い、一つの世界が出現。
それは日本人が長年繰り返してきた美しい営みだ。

大陸から稲作が伝わったのは、
今からおよそ3,000年前の縄文時代後期という。
比較的、栽培作業、調理作業が楽。
生産性が高く、収穫が安定している。
そして、何より「うまい」。
優れた作物「稲」は、各地に広がって定着していった。

稲作の普及は「余剰」を生み出す社会の始まりであり、
物資の生産・蓄積が、流通・交換・分配・消費を生み、
やがて「経済」や「国家」へ繋がったとも言えなくはない。
誤解を恐れず乱暴に表すなら「米は日本の礎(いしずえ)」である。



--- ハナシが飛躍したようだ。
とにかく僕はご飯が大好きである。
熱い味噌汁、少々の副菜、漬物、炊きたての白飯があれば何の文句もない。
そんな食事がいただけるのは、先達が積み上げてきた経験と、農家の方々の努力、
そして、豊かな自然のお陰なのだ。



目線を上げると、杉に絡み付く「ヤマフジ(山藤)」が美しい花を咲かせていた。
日本の固有種で別名は野藤(ノフジ)とも呼ばれる。
花色は、淡い紫が主流。
低い山や林に分布し、繁殖力旺盛。
宿主の光合成を阻害したり、時には締め倒してしまったりすることもあると聞く。
山の中で長い花房が風に揺れる様子は美しく風情を感じるが、
なかなかの猛者でもある。



鴬の 声もさがるや 藤の花  -  加賀千代女

江戸時代の女流俳人「加賀千代女(かがのちよじょ)」は、
松尾芭蕉の『奥の細道』が刊行された翌年・元禄16年(1703年)、
加賀国・松任町(まっとうまち/現:白山市)に生まれた。
最も知られた句は【朝顔や 釣瓶とられて もらい水】。
生涯を北陸の地で過ごし、遺した2,000近くの歌の多くから、
優しく、素朴な慈愛が滲む。
              
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