小学生時代、僕は、度々まちの本屋「スガイ書店」で立ち読みに耽った。
寛大なお目こぼしに与ったうち、忘れられない作品の一つが「あしたのジョー」である。
原作:高森朝雄(梶原一騎)。
作画:ちばてつや。
昭和43年(1968年)から5年に亘り「少年マガジン」で連載されたそれは、
ボクシングマンガの金字塔。
多くの方がご存じだろうが、まずは改めて簡潔に概要を記しておきたい。
主人公は風来坊の不良少年「矢吹 丈」。
彼が、元プロボクサー「丹下 段平」に見込まれ世界王座を目指す物語である。
運命のライバル「力石 徹」。
クロスカウンターの使い手「ウルフ金串」。
ベネズエラの陽気な殺し屋「カーロス・リベラ」。
韓国の戦闘マシーン「金 竜飛」。
メキシコの絶対王者「ホセ・メンドーサ」。
これら強敵と繰り広げる熱戦の数々がストーリーの核。
その裏で、人間模様が綾を成す。
友情、信頼、正義、裏切、不安、焦燥、葛藤、よろこび、かなしみ。
折々で登場人物たちが見せる心情に共感したり、反発したり。
一心不乱にページを捲った中で、取り分け印象に残っているのは、
やはり最終回のリングサイド。
あのラストシーン直前の“交流”である。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 節目の第二百弾は「白木葉子(しらき・ようこ)」。
それまでの熱狂は掻き消え、日本武道館は緊張に包まれていた。
チャンピオン「ホセ・メンドーサ」対 挑戦者「矢吹 丈」。
互いに倒し倒された15R。
どちらが勝ってもおかしくない激闘が終わり、
満場の観客は、判定が下される瞬間を固唾を呑んで待っているのだ。
しかし、青コーナーに座る当事者はベルトの行方にそれほど関心はない。
最後まで戦い切った。
精魂尽き果て、真っ白に燃え尽きた。
充足感ではない。
達成感とも違う。
空虚だが悪くない。
そんな感慨に浸っていた。
--- ふと、控室での告白と涙を思い出し声をかけた。
「葉子はいるかい?」
駆け寄ってきた彼女に、自分の分身を差し出す。
「このグローブ--- もらってくれ」
思いもしなかった突然の申し出。
言葉がでない。
「あんたに--- もらってほしいんだ---」
強く握りしめた贈り物からは、皮と、血と汗と、ワセリンの匂いがした。
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「あしたのジョー」には、物語のカギを握る女性が2人いる。
「林 紀子」と「白木 葉子」だ。
片や、プロ駆け出しの頃のアルバイト先、乾物店「林家」の看板娘。
片や、因縁浅からぬ「白木財閥」の令嬢で「白木ボクシングジム」会長。
出自も環境も、まったく異なる2人ながら、その容姿は酷似している。
また、どちらも異なるアプローチではあるが同じ人物に思いを寄せていた。
当初、惚れた相手の世話をかいがいしく焼いていた「紀ちゃん」は、
ストーリーが進むにつれ、恋のリングを下りる。
ボクシングにしか生きる価値を見い出せない「ジョー」について行けなくなったのだ。
平凡で穏やかな暮らしに幸せを求める、常識人なのである。
しかし「葉子」は違った。
戦いに殉ずる姿勢に“ある種の美”を認め、むしろ後押しする。
試合でライバルを死に至らしめ、スランプに陥った彼を蘇らせ、
次々と強敵をあてがいキャリアを積ませ、遂には世界戦もプロデュース。
女は、男が望む「あした」を提供し続けたのだ。
たとえ、そのお膳立てが「ジョー」のパンチドランクを誘発したとしても、
それを愛とは呼べないだろうか?
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