つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

Only Time ~ れきしる 春の民俗資料展示。

2022年05月08日 21時29分29秒 | 日記
                  
カレンダーを見れば、本日(2022/05/08)は大型連休最終日。
明日からの日常に溜息を突いている人は、少なくないだろう。
「休み(の時間が過ぎるの)は、あっという間だな」
--- そんな風に考えてしまうのではないだろうか。
だが、もちろん時間が進むスピードに変化はない。
1秒、1分、1時間、1日、1ヶ月、一年、いつも同じペースで刻まれている。

楽しく感じる日も、苦しさの中で悩む日も。
季節が変わっても、国が違っても、宇宙でも。
古代でも、現代でも、未来でも。
たとえ人類が滅んでも、地球がなくなっても。
唯一絶対に止まらないもの。
それが「時」だ。
滔々とした流れは決して目に見えないのだが、
それを「可視化」した道具が「時計」である。



津幡ふるさと歴史館 れきしる」にて、春の民俗資料展示「時を知る」が開催中。
先日、お邪魔してきた。


展示物の中で、もっとも年代が古いものがコチラ。
今からざっと120年以上前、明治時代に造られた掛け時計。
製造元の「松下時計」は大阪にあったメーカーである。


手前に写る丸い掛け時計。
学校統合によって今は無くなった「能瀬小学校」にあったもので、
大正12・13年卒業生の寄贈品。
メーカーは「ANSONIA U.S.A.」とある。
ネットで調べた限り、アンソニアは1854年創業。
アメリカの名門時計メーカーだとか。

その隣には立派な柱時計が並んでいる。
これとはサイズもメーカーも違うのだが、
僕の生家にも茶の間に黒い柱時計があった。
長針・短針それぞれの場所にハンドルを差し、
ゼンマイを巻き上げる古式ゆかしい手巻き式。
正時、半時に音が鳴り、家の中の時を刻んでいた。

--- あれはまだ僕が2~3歳の頃だろうか。
その時計の下で祖父母が言い争いをしたことがあった。
話の内容はまったくわからないが、
激しい剣幕の舌戦にボーンボーンと鳴る時計の音が重なる光景と、
怖ろしく感じて泣いた自分自身のことはよく覚えている。


閑話休題。
これは、津幡小学校の教材として活用された腕時計のパーツ標本。
寄贈提供元は、金沢・香林坊の「ユアサ時計店」。
朧気ながら、小学生時代に見た記憶がある。
小さなボディに沢山の部品が収まっているのを目の当たりにし驚いたものだ。

つらつらと書き綴ってきたが、紹介した「れきしる」春の民俗資料展示は、
6月26日(日)まで開催している。
時間と都合が許せば足を運んでみてはいかがだろうか。
ちなみに期間中に迎える「時の記念日(6/10)」は、ちょうど100回の節目だ。

--- さて、最後に時にまつわる歌を一つ。

Who can say where the road goes
(この道を行けばどうなるものか誰も教えてくれない)
Where the day flows, only time
(この一日の流れつく先を知っているのは「時」だけ)
And who can say if your love grows
(愛の行く末もわからない)
As your heart chose, only time
(時が経ち振り返って初めてわかるものなのよ)

Enya - Only Time/(    )内、意訳りくすけ

                        
コメント (2)
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