拙ブログでは都合3度に亘り、津幡町に伝わる「忠犬伝説」について投稿してきた。
【昭和19年(1944年)の春。
大雨が降る中、一匹の犬が吠えながら駆け回り、
堤が決壊しそうになっている事を伝え、水害を未然に防いだ。
これが元になり、町内には守り神としての「犬の置物」が目立つ。】
…というのが、以前の掲載のあらましである。
きのうの散歩中、和菓子店「加賀藩たかくら」店頭にて、
その置物について書かれたポップを発見。
「津幡どまん中新聞」と銘打つ元ネタは「北陸中日新聞」の記事のようだ。
以下に引用する。
【商店街見守る 招き犬
商売繁盛の縁起物といえば招き猫。
でも、津幡町の「パピィ・1商店街」には犬の置物が並ぶ。
姿形はそれぞれだが、つぶらな瞳と柔和な表情は似ている。
それもそのはず、すべて一人の男性が作ったから。
作者は加賀爪の故・岡本七郎さん。一九九九年に七十七歳で亡くなった。
長男の進一さん(六七)は「父は運送会社を五十代前半で退職し、
自宅の庭に飾ろうと作り始めました」と振り返る。
体はセメント製で、チャームポイントの目はビー玉。
知人に譲るうちに、町内の評判になったそうだ。
「商店街が三十年ほど前、活性化のキャラクターにしようと
岡本さんに制作を依頼。軒を連ねていた約四十店が店頭に並べました」
「写真のミヤノ」店主の宮野明年さん(七九)は、
犬が置かれることになったいきさつを説明する。】
< 後 略 >
今朝の散歩の折に一部を撮影してきた。
4つのスナップは、いずれも前述の商店街でシャッターを切った。
歩を進めると、他でも同様の置物を見ることができる。
また、犬以外の造作も。
岡本さんは、他界するまで3,000体あまりを制作したんだとか。
その頑張りに頭が下がる思いだ。
前述の記事内では、伝説と置物の関係について触れていなかったが、
他の資料によれば、両者は相見互いのようだ。
地球と月のように。
(※2010年5月14日。
※2011年10月11日。
※2015年9月12日に関連記載アリ)
【昭和19年(1944年)の春。
大雨が降る中、一匹の犬が吠えながら駆け回り、
堤が決壊しそうになっている事を伝え、水害を未然に防いだ。
これが元になり、町内には守り神としての「犬の置物」が目立つ。】
…というのが、以前の掲載のあらましである。
きのうの散歩中、和菓子店「加賀藩たかくら」店頭にて、
その置物について書かれたポップを発見。
「津幡どまん中新聞」と銘打つ元ネタは「北陸中日新聞」の記事のようだ。
以下に引用する。
【商店街見守る 招き犬
商売繁盛の縁起物といえば招き猫。
でも、津幡町の「パピィ・1商店街」には犬の置物が並ぶ。
姿形はそれぞれだが、つぶらな瞳と柔和な表情は似ている。
それもそのはず、すべて一人の男性が作ったから。
作者は加賀爪の故・岡本七郎さん。一九九九年に七十七歳で亡くなった。
長男の進一さん(六七)は「父は運送会社を五十代前半で退職し、
自宅の庭に飾ろうと作り始めました」と振り返る。
体はセメント製で、チャームポイントの目はビー玉。
知人に譲るうちに、町内の評判になったそうだ。
「商店街が三十年ほど前、活性化のキャラクターにしようと
岡本さんに制作を依頼。軒を連ねていた約四十店が店頭に並べました」
「写真のミヤノ」店主の宮野明年さん(七九)は、
犬が置かれることになったいきさつを説明する。】
< 後 略 >
今朝の散歩の折に一部を撮影してきた。
4つのスナップは、いずれも前述の商店街でシャッターを切った。
歩を進めると、他でも同様の置物を見ることができる。
また、犬以外の造作も。
岡本さんは、他界するまで3,000体あまりを制作したんだとか。
その頑張りに頭が下がる思いだ。
前述の記事内では、伝説と置物の関係について触れていなかったが、
他の資料によれば、両者は相見互いのようだ。
地球と月のように。
(※2010年5月14日。
※2011年10月11日。
※2015年9月12日に関連記載アリ)
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