つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町、深秋の候。

2021年10月30日 14時31分31秒 | 自然
                         
時の経過を「深まる」と表現する季節は「秋」くらいのものだろう。
気温が下がり、光が弱まり、葉が色づく。
そうした変化が、割合ゆるやかなテンポで進むせいかもしれない。
気が付けば只中。
秋をそんな季節に思うのは僕だけだろうか。



街中でアキアカネを見かけるようになった。
ツイッ、ツイッと空中を行き交う目的はパートナー探し。
梅雨直前に田んぼや沼地などで羽化したトンボは、
夏の訪れと共に避暑のため高地へ移動。
秋雨前線が通過したのを合図に大挙して山を降り、産卵に励む。
彼らにとって、秋は恋の季節なのである。



津幡小学校でアサガオの実を見かけた。
この子房の中に6個程度の種が入っているのは、ご存じのとおり。
僕が小学生だった当時から教材植物である。
その理由の一つは「育てやすい」から。
また「典型的な被子植物」である点も大きい。
土に種を植え、芽が出て、葉が広がり、ツルが伸び、花が咲く。
成長観察の入門編には、もってこいだ。



それにしてもツルを這わせる支柱は、随分変わった。
僕の記憶にあるそれは、自前で調達した細い竹。
何だかパンタグラフみたいでカッコいいのである。



近代俳句の偉人「正岡子規(まさおか・しき)」が、
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのは、明治28年(1895年)10月26日。
柿は、日本の秋を象徴するフルーツだ。

柿は甘柿と渋柿に大別されるが、前者の登場は鎌倉時代。
それ以前から、先人たちは渋柿の皮をむいて干し、
渋み成分・タンニンを甘く変化させて食べてきた。
水分が抜け、表面にブドウ糖の結晶がて浮き出てきたら食べごろ。
この吊るし柿もまた、長い歴史の中で受け継がれてきた秋の景色である。
               

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2 コメント

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Mrs (玲子H)
2021-10-30 19:59:37
りくすけ様
赤とんぼ、なつかしいです。
奥能登穴水町の奥、住吉に住んでいた7歳のころ、村の裏山へ上って、畑が広がっていた山中の空が赤とんぼの大群で思わず見とれてしまいました。
今でも時々思い出し、あれは夢だったのだろうかと考えることがあります。
イギリスではイトトンボは水辺で見かけますが、赤とんぼの群れは見たことがありません。
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玲子H様へ。 (りくすけ)
2021-10-30 21:00:23
コメントありがとうございます。

赤とんぼが群れ飛ぶ空、
僕も思い出に残っています。
毎年、小学校の運動会が後半に差し掛かると、
グラウンド中空が赤とんぼで埋め尽くされました。

夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか
十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

有名な童謡を口ずさむと
柄にもなくホロリとします。
赤とんぼは郷愁を呼び覚ます
スイッチなのかもしれません。

では、また。

追伸
イタリア旅ブログ、
楽しませてもらっております。
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