つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ドッペルゲンガー。~ 李香蘭と山口淑子。

2021年10月24日 10時00分00秒 | 手すさびにて候。
                          
「ドッペルゲンガー(Doppelgänger)」。
自分の生き写しを目撃すること、または、その分身のこと。
古くからヨーロッパで民間伝承されてきた幻覚の一種で、
「幽体離脱」に端を発する「いるはずのないもう1人の自分」。
禁忌に触れた者には、死が訪れるともいわれている。

今回は生まれ落ちた時から、
そのドッペルゲンガーと共に人生を歩んだ美女のハナシだ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百八十五弾「李香蘭(山口淑子)」。



「血」は日本。
「地」は中国。
彼女は二つの縁を持っていた。
大正9年(1920年)中国東北部・遼寧省で、
佐賀県出身の父と、福岡県出身の母の間に生を享けた。

「山口淑子(やまぐち・よしこ)」。
「李香蘭(り・こうらん)」。
彼女は二つの名前を持っていた。
中国では、伝統的に親しい家同士が義理の血縁関係を結ぶ習慣があるという。
「李家」と親交の深かった「山口家」の娘に、別名「李香蘭」が与えられた。
実際に籍を動かしたわけではなく、形だけの養子縁組。
ニックネームのようなものと、付いた当初は気軽に考えていた。
--- 運命の歯車が回り始めるまでは。

語学師範の父の手解きにより身に着けた正調・北京語。
オペラ歌手に基礎を叩き込まれた美声。
大きな瞳のエキゾチックな美貌。
“五族協和”を体現した理想的な素材に、
日本の国策映画会社「満州映画協会」が目を付けたのは必然かもしれない。

“中国人スター”「李香蘭」の誕生である。



盧溝橋で銃弾が交錯した翌年、昭和13年(1938年)。
「李香蘭」は、娯楽映画「蜜月快車」主演で銀幕デビュー。
自らが歌った主題歌もヒットメイク。
以降、女優として、歌手としてトップへの階段を駆け上がってゆく。

『やがて一九三八年(昭和十三年)ごろから東宝とご縁ができまして、
 長谷川一夫さん
(※戦前から日本映画界を代表した二枚目)とご一緒して
 「白蘭の涙」「支那の夜」「熱砂の誓い」という三本の映画を撮りました。
 これらの映画は“大陸三部作”と呼ばれていました。
 これが、のちに私が中国から「漢奸(かんかん)」---
 裏切り者と言われる原因となった作品です。』


「大陸三部作」は、日本でのみ大ヒットした。
どれも演じた役は、日本男子を慕う純情可憐な満州姑娘。
どれも当時の日本人が抱いていた大陸へのロマンや憧れを描いたメロドラマ。
すべてプロパガンダだった。
日本の観客には「李香蘭」は、夢への懸け橋。
中国の観客には、侵略者の手先と映った。

『私は、兵隊さんの慰問に最前線へも行きました。
 李香蘭が中国人なら日本の兵隊さんの慰問に行くことは絶対にしません。
 私はやはり日本人ですから、最前線の日本軍の慰問にも行ったのです。
 そして、最前線で死と隣り合わせの状況にある兵隊さんたちを目の当たりにしました。
 そのように、良いことも悪いことも嫌なことも、
 戦争という状況下で、吹きだまりになっていた世界に生きていた。
 それが、私の青春時代でした。』

(※『   』内太字、天理教道友社刊「次代に伝えたいこと 歴史の語り部 李香蘭の半生」より抜粋/引用)

本人も思い悩んでいた。
偽りの経歴は、母国を欺き、生まれ故郷を裏切ることになる。
カミングアウトして解放されたいと願っていたが、
次第に混迷を深める戦局が、その機会を与えなかった。

昭和20年(1945年)、戦争が終わった。
同時に、彼女の苦闘が始まった。

「李香蘭」は軟禁され、当局の監視下に置かれる。
罪状は「漢奸とスパイ」。
前述の「大陸三部作」により、祖国を冒とくしたとして国家反逆を問われた。
また、交友関係を利用してスパイ活動に従事したとも疑われた。
取調べでは『自分は日本人だから、漢奸には該当しない』と主張。
多くの関係者も異口同音に証言し、真実は明らかにされつつあった。
しかし、いずれも状況証拠ばかり。
事実を証明する物的証拠がない。
決定打に欠けた。

“上海国際競馬場で銃殺刑”---との新聞記事も出て不安を募らせていたある日、
彼女の元に古びた藤娘の人形が届く。
それは、子供の頃からのお気に入りで、北京の家に置いてあるはずものだった。
荷を手配したのは、幼馴染のロシア人女性。
実は密かに「日本の戸籍抄本」を入手するよう依頼していた。
人形の帯に隠された公式文書により、罪は晴れた。

判決から一ヶ月後、彼女は上海の港に立つ。
ドラが鳴り、汽笛と共に錨が上がり、引き揚げ船「雲仙丸」が岸壁を離れた。
その時、思いがけず船内ラジオから自分の大ヒットナンバー、
「夜来香(イエライシャン)」が流れてきた。

那南風吹來清涼 那夜鶯啼聲輕唱
(あわれ春風に 嘆くうぐいすよ)
月下的花兒都入夢 只有那夜來香
(月に切なくも 匂う夜来香)
吐露著芬芳
(この香りよ)
我愛這夜色茫茫 也愛著夜鶯歌唱
(長き夜の泪 唄ううぐいすよ)
更愛那花一般的夢 擁抱著夜來香
(恋の夢消えて 残る夜来香)
吻著夜來香
(この夜来香)
夜來香 我為你歌唱
(夜来香 白い花)
夜來香 我為你思量
(夜来香 恋の花)
啊…   我為你歌唱
(あゝ 胸痛く 唄かなし)

彼女は、ようやく別れを告げた。
眩い栄光も、暗い奈落も共にした“もう一人の自分”ドッペルゲンガーに。

『さようなら、李香蘭』

デッキの手すりを握り、風に髪を解かれ「山口淑子」は、そう呟いていた。

<後記>
「李香蘭」の半生は、度々ドラマ化、舞台化されてきた。
ご覧になった方も多いだろう。

戦後「山口淑子」氏は日本人女優として再出発。
ハリウッド作品にも出演した。
2度目の結婚に際し専業主婦となり一線から身を引いたが、
TVワイドショー「3時のあなた」の司会進行で芸能界に復帰。
ジャーナリストとしてもブラウン管に登場するようになった。
昭和49年(1974年)政界へ転身。
参議院議員を3期務め、平成4年(1992年)に引退。

今(2021年)から7年前、
平成26年(2014年)心不全のため自宅で息を引き取った。
94年の生涯だった。

僕に、故人の歌手・女優の記憶はない。
報道と国政の現場でのご活躍を知るのみである。
                 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2021-10-24 22:38:06
期待通りの読み応え、素晴らしいです。

スター、アイドルというものは、本人と異なる別人格を演じ続けるものですが、彼女の場合、それが国策によってなされたことと、日本人と中国人といった外国人を演じることを強いられたことでしょうね。

僕もりくすけさん同様、彼女が歌手・女優であったことは知っていても、リアルには知りません。

では、また。
返信する
Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-10-25 07:26:11
コメントありがとうございます。

今回の記事を組み立てるにあたり、
山口氏の自叙伝の頁を初めてめくりました
中には建国間もない満州国内。
大戦期末期~敗戦当初の様子。
皇帝・溥儀、川島芳子、甘粕正彦、
笹川良一、イサム・ノグチなど、
近現代史に名を残す人物の横顔。
などが詰め込まれています。

どれも「書き手の視点」で捉えていて、
偏りはありますが面白かったです。
行間、裏側に隠れたダークサイドを
想像しながら拝読しました。
もし未読でご興味があり時間と都合が許すなら
ご一読をお勧めいたします。

では、また。
返信する
Unknown (kirakira0611)
2021-10-25 07:47:52
おはようございます。はじめまして。
あまりに懐かしくてコメントしました。
わたしもリアルタイムで李香蘭を知りませんが、小さな頃に劇団四季とドラマのDVDで知りました。自叙伝も読んだことがあります。国会議員だったことは知ってます。
楽しく読ませていただきました。
ありがとうございました。
返信する
kirakira0611様へ。 (りくすけ)
2021-10-25 09:47:20
はじめまして。
コメントありがとうございます。

拙文を楽しんでもらえたなら、
拙文を切っ掛けに思考してもらえたなら、
大変嬉しく思います。

拙ブログは北陸の田舎町
「津幡町」の記録を主にしていますが、
時折、イラスト&コラムを掲載しております。
その題材にお好みはあるでしょうが、
今後も興味が湧き、時間と都合が許せば、
覗きに来てやってくださいませ。

では、また。
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