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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

仄暗き近代御伽草子。

2023年03月12日 08時00分00秒 | 手すさびにて候。
                          
むかし、美しい女が、さらわれて、遠い砂漠のあちらの町へ、つれられていきました。
疲れているような、また、眠いように見える砂漠は、
かぎりなく、うねうねと灰色の波を描いて、はてしもなくつづいていました。
幾日となく、旅をすると、はじめて、青い山影を望むことができたのであります。

そのふもとに、小さな町がありました。
女は、そこへ売られたのです。
女自身をのぞいて、だれも、彼女のふるさとを知るものはありません。
また、だれも、彼女の行方を悟るものとてなかったのであります。
彼女は、ここで、その一生を送りました。
サフラン酒を、この町の工場で造っていました。
彼女は、その酒を造るてつだいをさせられていたのでした。

月が窓を明るく照らした晩に、サフランの紅い花びらが、風にそよぐ夕方、
また、白いばらの花がかおる宵など、
女は、どんなに子供のころ、自分の村で遊んだことや、
父母の面影や、自分の家の中なかのようすなどを思い出して、
悲しく、なつかしく思ったでありましょう。
いくら思っても、考えても、かいないものならば、忘れようとつとめました。
彼女は、生まれたふるさとのことを、永久に思うまいとしました。
また、育てられた家のことや、村の光景(ありさま)などを考えまいとしました。

美しく、みずみずしかった女は、
いつとなく、堅い果物のように黙って、うなだれているようになりました。
人がなにをきいても、知らぬといいました。
「この女は、つんぼではないだろうか?」
「あの女は、きっとおしにちがいない……。」
そばの人々は、皮肉にも、彼女をそんなようにいいました。
彼女は、まだそれほどに、年をとらないのに、病気になりました。
そして、日に、日に、衰えていきました。
「どうせ、わたしは、家に帰られないのだから……死んでしまったほうが、かえって幸福であろう。」
と、彼女は思いました。

しかし、彼女は、なにも口にはいわなかったものの、
胸の中(うち)は、うらみで、いっぱいでありました。
どうかして、このうらみをはらしたいと思いました。

彼女は、小指を切りました。
そして、赤い血を、サフラン酒のびんの中に滴らしました。
ちょうど、窓の外は、いい月夜でありました。
びんの中では、サフランの酒が醸されて、
プツ、プツとささやかに、泡を吹く音がきこえていました。
サフランの酒の色は、女の血で、いっそう、美しく、紅く色づきました。

女は、それから、まもなく死んでしまったのです。
彼女の体は、異郷の土の中に葬られてしまいましたが、
その年のサフラン酒は、いままでになかったほど、いい味で、
そして、美しい紅みを帯びていました。

いい酒ができたときは、その酒を種子(たね)として造ると、
いつまでも、その酒のようにできると、いい伝えられています。
この町の人は、その酒の種子を絶やしてはならないといって、
珍しく、いい色に、いい味に、できた酒をびんにいれて、
地の下の穴倉の中に、しまってしまいました。

この町のサフラン酒は、ますます特色のあるものとなりました。
女は、とうの昔に死んでしまったけれど、
その血の色を帯びて醸される酒は、幾百年の後までも、残っていました。
そして、その魔力をあらわしていました。

砂漠の中の町……赤い町のサフランの赤い酒……
それは、いったい、どうした魔力をもっているのでしょうか?


ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十一弾「乾坤一擲、血の一滴」。



今投稿の書き出しは、童話『砂漠の町とサフラン酒』より冒頭を抜粋引用(原文ママ)。
作者は「小川未明(おがわ・みめい)」という。
本名「小川健作(おがわ・けんさく)」。
明治15年(1882年)現・新潟県 上越市 高田の旧藩士の家に生まれた。
尋常中学校までを郷里で過ごし、上京。
明治37年(1904年)早稲田大学在学中、
文筆の師から「未明」の雅号を与えられ文壇デビュー。
卒業後、雑誌編集にたずさわり、童話も書くようになった。
大正15年/昭和元年(1926年)、小説の筆を折り童話に専念。
79歳で死去するまで1200点以上を創作したことで知られる。

--- さて、貴方は「未明童話」を読んだことがあるだろうか?
僕はごく最近まで馴染みがなかったが、
2ヶ月前、あるラジオ番組での朗読を聴き、美しく幻想的な文体に魅了された。
また、“仄暗く妖しい作風は豪雪地帯の湿潤な冬が育んだのではないか?”
との評に興味を掻き立てられたのは、
ちょうど窓の外で深々と雪が降っていたせいかもしれない。
ともかく、先月、生誕地・上越高田を訪れ文学館へ足を運び
現地で買い求めた書籍を読み耽るなどして、すっかりファンになったのである。

幾つもの作品の中で感慨を覚えた1つが、
大正14年/1924年発表『砂漠の町とサフラン酒』。
美しい女が血と情念を託した赤い酒は、一体どんな魔力を帯びているのか?
簡潔に後半のあらすじを紹介したい。
では---。

“砂漠の中の赤い町が栄えているのは、人の生き血を吸っているからだ。”

まことしやかにそう囁かれる噂に確証はなかったが、
魔女が住んでいるという風聞はまんざら嘘でもなかった。
日干し煉瓦の街並みを行き交う女たちは、エキゾチックな別嬪ばかり。
彼女たちは、世界中からさらわれてきた種族が何代にも亘って混ざり合い、
互いの遺伝子が引き立て合うことで咲いた妖艶な花だ。
そして砂漠を染める夕焼けのように紅い、名物サフラン酒。
「美酒と美女の赤い町」は半ば伝説になり流布していった。

やがて砂漠の先にある青い山から砂金や宝石が出土し始め、
そこに若い男たちが集まるようになる。
熱波に吹かれ、砂の海を越え辿り着いた先で、岩を砕き、土を掘る日々を送り、
まとまった金が手に入ると、彼らはそれぞれの故郷への帰路に着いた。

途中、砂漠の赤い町で荷をほどいて一休み。
美しい女たちにもてなされ評判のサフラン酒を1杯、また1杯と飲むうちに我を忘れ、
稼ぎを全て使い果たしてしまうのだった。
失態に気づかないまま町を出て、砂漠で酔いが覚めてびっくり。
手ぶらで家には戻れない。
再び山へ取って返し、苛酷な労働に従事して金を貯め山を降りると、
また赤い町で勧められるまま酒に手を伸ばし、財産を失う。
同じことを繰り返すうち年を重ね、気力も萎え、
ついに男たちは永久に故郷を見捨てることになる。

女の血が醸した魔力を宿す美酒で名高い赤い町は、
砂漠の彼方で不思議な毒々しい花のように咲き誇っていた---。


『砂漠の町とサフラン酒』が編まれたのは、今から一世紀前。
現代には馴染まない表現や設定もあるだろう。
物語の中には、拉致、人身売買、奴隷、憤死、呪詛、魔、
蠱惑、堕落、愚行、諦念、絶望、悲哀が散りばめられている。
それを子どもに読ませるのは抵抗があるかもしれない。
だが、人は誰しも無垢なままではいられない。
理不尽な現実を味わいながら成長し、単純な勧善懲悪ストーリーに違和感が芽生え、
「いつまでもしあわせにくらしましたとさ」のハッピーエンドに首を捻るようになる。
そんなタイミングこそ「未明童話」に触れ、新しい扉を開くチャンスだ。

そして充分に大人の読み物たり得る。
もし貴方が未読だったり、疎遠だったりするならば、
機会を作り手を伸ばしてみてはいかがだろうか。

--- まことにもって、おすすめするものなのであります。
                   
コメント (4)
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