つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

秋が来て、夏は堕ちた。

2017年09月09日 10時19分55秒 | 自然
午前6時前、散歩へ出発した僕は少し後悔した。
Tシャツ1枚の身支度では不十分なほど、涼しかったからだ。
あれほど喧かった蝉たちは鳴りを潜め、
代わって野の主役を張るのは、コオロギやササキリ、ウマオイ、ツユムシなど。
津幡町は、すっかり秋の装いである。

愛犬を伴った道すがら出会った、季節を象徴する景観の1つがコレだ。

庄町交差点近くの「刈田(かりた)」である。
およそ3週間前に頭を垂れ始めた早稲は、既に収穫を終えた。
別の場所…北中条では、ガードレールを利用した「藁干し」も行われている。

思えば僕たち日本人は、余すことなく稲の恩恵を享受してきた。
実は、食料に。
糠は、洗剤に。
籾は、緩衝材、除湿剤に。
茎は、草履や靴、蓑や縄に。
燃した後の灰は、肥料に。
稲は、命をつなぐために必要な多くを頼ってきた運命共同体である。
その縁が絶えないよう、米を喰おう。

また、秋らしい人の営みにも出会った。
コレは「Aコープ津幡店」前の路上でお客の集合を待つツアーバス。

秋に冠せられる形容詞の一つは「行楽」。
特に、晴れ渡った今日などは楽しい道行きになると思う。
僕も久しぶりに予定のない休日だ。
ぶらりと近場へ出かけてみようかなとも考えている。

実りが結び、暑熱も緩む秋。
しかし、豊かな季節を堪能する事なく去る者もいる。
冒頭に書いた夏の象徴がそれだ。

樹上から地に堕ち、寿命が尽きようとしているアブラゼミ。
その複眼に映るのは、一体どんな景色なのだろうか。
コメント
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