つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

時空を駆けるオルレアンの少女。~ジャンヌ・ダルク。

2017年03月29日 06時43分21秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第三十八弾は「ジャンヌ・ダルク」。

昨年10月10日「手すさびシリーズ」第22弾として、
「巴 御前」について投稿した。
わが津幡町に所縁のある女武将の異名は“日本のジャンヌ・ダルク”。
ジャンヌ・ダルクのように、男勝りの勇ましい活躍をしたという訳だ。
対する本家が“オルレアンの巴 御前”と呼ばれる事はない。
前者は確かに平安期の女傑だが、
後者はフランスのヒロインにして、カソリック教会の聖人。
知名度と歴史に果たした大きさが圧倒的に違うのである。

「ジャンヌ・ダルク」は、15世紀のフランスに生まれた。
13歳になった夏のある日、不思議な体験をする。
『お前は、祖国を救う役を担うのだ。
 男の装いをまとい、武具を身に着け、兵士達を導くがよい』

突然耳を打った大いなる者の声に従い、軍隊に身を投じた。

当時、フランスはイギリスとの百年戦争の真っただ中。
首都パリを含む北半分をイギリスに制圧され、最後の砦オルレアンは陥落寸前。
王太子は即位の目途もつかず、外国への亡命を考えていた。
つまり、瀕死の重病人同然。
いつ逝っても不思議ではない窮地に立っていたからこそ、
神の啓示を受けたというだけの、何の実績も後ろ盾もない少女に、
命運を託したのである。

ともあれ彼女が指揮を執り始めてから、フランス軍は変わった。
「騎士道精神に悖る(もとる)」として使用を禁じてきた大砲の砲門を開き、
「騎士道精神に基づく」として行ってきた名乗りを封じ、遮二無二戦った。
オルレアン包囲戦で初勝利を挙げたのを機に、
僅か数か月という短期間で、パリ以南のイギリス軍を駆逐してしまったのである。

この奇跡の大活躍が仇となった。
戦いのさ中、捕虜となった彼女は異端裁判にかけられる。
裁くのは、復讐の炎を燃やす敵側。
神の声を聴いたなど怖れを知らぬ妄言綺語だ!
男装は公序良俗に反する恥知らずの行為だ!
…散々追い詰められた末、刑場の露と消えた。 
まだ19歳の若さだった。

しかし、四半世紀後、ローマ教皇の命で復権裁判が行われ無実と殉教を認可。
仏・守護聖人の一人となり、キリスト教美術を筆頭にあらゆる分野のモチーフとなった。
ここ日本における一例を挙げてみよう。

♪鳶色のひとみに 誘惑のかげり
 金木犀の 咲く道を 銀色の翼の馬で駆けてくる 
 二十世紀のジャンヌ・ダーク
 OH 君のひとみは10000ボルト 地上に降りた最後の天使
 君のひとみは10000ボルト 地上に降りた最後の天使
      <君のひとみは10000ボルト/作詞:谷村新司 作曲・唄:堀内孝雄>

僕が「ジャンヌ・ダルク」を意識し始めたのは、
昭和53年(1978年)の流行歌がキッカケだったかもしれない。
コメント
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