goo blog サービス終了のお知らせ 

つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町からお江戸への弾丸ツアー~その2~。

2013年02月21日 23時23分19秒 | 旅行
今回の投稿はきのうの続編…
強行軍の中で、束の間のぶらり散策ができた羽田空港でのエピソード。
第一ターミナル、マーケットプレイス3階にて
「北原コレクション エアポートギャラリー」を発見した。
「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として、アンティーク玩具のコレクターとして有名な、
「北原照久」氏コレクションの常設展示スペースである。
あいにく、オープン前の時間だったため施設の外から眺めるに留まったが、
そこで撮影したのが「今日の一枚」である。

「クラシックなアメ車の模型」と「ドーナツ盤」。
こんな解説が添えられていた。

『サンセット77・ルート66~1960年代~
 “~セブンセブン サンセット・ストリップ……”と、軽快で浮き立つような
 主題歌で始まるのが『サンセット77』だった。ロサンゼルスのハリウッド、
 その有名なサンセット通り77番地に私立探偵事務所を構えるスチュアート・ベイリーと
 ジェフ・スペンサーのコンビが、さまざまな犯罪捜査に活躍するサスペンス・ドラマだった。
 ルート66は1962年ジョージ・マハリスとマーチン・ミルナーの2人の大学生が、
 コルベットコンバーチブルに乗ってハイウェイ・ルート66(ロスからシカゴ)を通り、
 アメリカ横断の旅をするという話。この頃のアメリカはほのぼのしたよき時代で、
 豊かな憧れの国であった。そしてすべてがかっこ良かった。』 

昭和37年(1962年)のアメリカは「JFケネディ」が大統領。
カリブ海を舞台に米ソが一触即発の事態になった「キューバ危機」が起こり、
ベトナムで火の手が上がりはじめた動乱期の入口。
揺れる民心とは裏腹に、ブラウン管では黄金の50年代を懐古するような
明るく楽しいドラマが人気を呼んでいたのだろう。

スタンダードナンバーの1つである「ルート66」は、旅情を誘う。

『もし西海岸へドライブ旅行するのなら、
 ハイ・ウェイを使うのが一番。僕はいつもそうしてるよ。
 ルート66を使えば、ごきげんな旅になる。
 シカゴからロスまで、曲がりくねった道の行程は2,000マイル以上。
 セントルイスをぬけ、ミズリー州ジョプリン。
 オクラホマ・シティーはすごくきれいな街だよ。
 アマリロを見て、ニュー・メキシコ州ギャラップ。
 アリゾナ州フラッグスタッフ、そうそう、ウィノナも忘れずに。
 “Get Your Kicks On Route66!” 
 ルート66を使えば、旅はごきげんさ。』(※作詞作曲:Bobby Troup / 意訳:りくすけ)

アメリカに自動車時代が訪れた1926年。
イリノイ州・シカゴとカリフォルニア州・LAを結ぶ道路が完成した。 
それがルート66。
文字通りメインストリートとして人々に愛されてきたが、
より近代的な新しい道が整備され、時代の流れと共にその役目を終えた。
しかし、今も「Historic」…【歴史的な】という言葉と共に、各地に標識が立っている。

地図の上に記載はなく、大地の上に存在する道。
記録ではなく、記憶に残る道「ルート66」。
いつかは訪れてみたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする