「今日の一枚」は「津幡町PTA大会」に人々が集う様子。
先頃・11月11日、津幡町文化会館シグナスにて開催された。
僕は縁がなく参加しなかったが、当日は以下のような内容だったらしい。
『教育委員会表彰、町P連会長表彰、
講演会 10:30~12:00
演題「ケータイ・インターネットが子どもたちに及ぼす影響について」
講師 金沢星稜大学 村井万寿夫氏』
…これは「津幡南中学校」のブログ「校長室より」引用させていただいた。
文中にある「P連」は「PTA連合会」の略。
小中学生の親御さん方が、学校と連携した教育活動の成果を披露し、
あるいは努力を労い、有識者による指導を受ける。
そんな場なのだ。
「PTA」…「Parent-Teacher Association.」
日本語訳としては「父母と教師の会」。
第二次大戦後、父母・教師が相互に協力して学校単位に発足した任意団体。
お手本は、戦勝国のアメリカである。
目的は、子供の福祉と教育効果の向上。
その考え方は間違っていない。
また、その行為も間違ってはいない。
…しかし、小学生の僕の頭には、別の幻想が張り付いていた。
『度々、サブカルチャーに「有害」のお墨付きを与える
アタマのカタイ大人達の集まり。』
図書、TV番組、音楽、映画などにNGを出すニュースを見聞きして、
戦々恐々としたものだ。
無知だったのである。
さて、前述引用した「津幡南中学校」のブログには、
講演会告知に続き、こんな記載があった。
『是非この機会に現代的課題である情報モラルについて
インターネットを通した話で理解を深めてほしいと思います。
もはや、この問題については
学校では指導と対策に限界を感じています。』
現実世界と乖離した電脳世界の歴史は浅く、経験の蓄積による規範の構築や
法整備を遥かに上回る凄まじいスピードで変化している。
便利な面は認めるが、昨今のPC遠隔操作事件などを見ても分かるように、
恐ろしさも内包した別世界だ。
大人は勿論、未熟な子供が足を掬われるケースは想像に難くない。
確かに、使う側が道徳と知識を備える事は、必要不可欠な要素である。
先頃・11月11日、津幡町文化会館シグナスにて開催された。
僕は縁がなく参加しなかったが、当日は以下のような内容だったらしい。
『教育委員会表彰、町P連会長表彰、
講演会 10:30~12:00
演題「ケータイ・インターネットが子どもたちに及ぼす影響について」
講師 金沢星稜大学 村井万寿夫氏』
…これは「津幡南中学校」のブログ「校長室より」引用させていただいた。
文中にある「P連」は「PTA連合会」の略。
小中学生の親御さん方が、学校と連携した教育活動の成果を披露し、
あるいは努力を労い、有識者による指導を受ける。
そんな場なのだ。
「PTA」…「Parent-Teacher Association.」
日本語訳としては「父母と教師の会」。
第二次大戦後、父母・教師が相互に協力して学校単位に発足した任意団体。
お手本は、戦勝国のアメリカである。
目的は、子供の福祉と教育効果の向上。
その考え方は間違っていない。
また、その行為も間違ってはいない。
…しかし、小学生の僕の頭には、別の幻想が張り付いていた。
『度々、サブカルチャーに「有害」のお墨付きを与える
アタマのカタイ大人達の集まり。』
図書、TV番組、音楽、映画などにNGを出すニュースを見聞きして、
戦々恐々としたものだ。
無知だったのである。
さて、前述引用した「津幡南中学校」のブログには、
講演会告知に続き、こんな記載があった。
『是非この機会に現代的課題である情報モラルについて
インターネットを通した話で理解を深めてほしいと思います。
もはや、この問題については
学校では指導と対策に限界を感じています。』
現実世界と乖離した電脳世界の歴史は浅く、経験の蓄積による規範の構築や
法整備を遥かに上回る凄まじいスピードで変化している。
便利な面は認めるが、昨今のPC遠隔操作事件などを見ても分かるように、
恐ろしさも内包した別世界だ。
大人は勿論、未熟な子供が足を掬われるケースは想像に難くない。
確かに、使う側が道徳と知識を備える事は、必要不可欠な要素である。