(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書メモ『神田村通信』~フラヌール鹿島

2008-03-29 | 時評
『神田村通信』(鹿島茂 清流出版 2007年12月)

 フランス文学者にして書評家の鹿島茂が、青春の街としての神田、そして仕事場であり生活の場としての神田について語る雑文。本当に雑文のかたまりで、香り高いというようなものではない。しかし本好き、古書店巡りも最近好きになりだした私には、結構オモロイ本ではある。

本の帯に「本の街・神田神保町に暮らす”フラヌール鹿島”の全生活を公開」と書かれてある。「フラヌール」は遊歩、遊歩者と訳されるフランス語。気の向くままに街を歩き、カフェに立ち寄ったりウインドーショッピングをしたりと、ぶらぶら歩きをする、あるいはそういうことをする人という意味らしい。知ったのは、初めてだが、そういう行為は大好きだ。

 著者の名前は、数年前に手にした『成功する読書日記』で知っただけで、詳しいことは知らない。しかし、その本の中で書かれている書評をみると、まあびっくりするくらい雑学の大家だ。

 「日本植民地探訪」(大江志乃夫 新潮選書)
 「丸谷才一と21人のもうすぐ21世紀ジャーナリズム大合評」(都市出版)
 「アンジェラの灰」(フランク・マコート 新潮社)
 「バブルとデフレ」(森永卓郎 講談社現代新書)
 「金融地獄」(岸部四郎 いれぶん出版)
 「おてんばキクちゃん巴里に生きる」(チェルビ菊枝 草思社)
 「パリをあそび尽くせ」(石橋美砂ほか 原書房)
 
などなど。谷岡ヤスジの漫画の本のことまで出てくる。もう負けるわ。

 さて鹿島茂は、書庫に本が収まりきらぬことから職住近接ということで都心は神田・神保町に5年前から居を移した。そして神田村の住民になったのである。そうなるとこれまでの郊外ライフとは、まったく違った生活の断層が見えてきた。クルマも捨ててしまった。ちかくに大型スーパーはない、衣料品や生活雑貨を買うには、地下鉄で二駅離れ日本橋の三越にいくしなかい。銀行も神保町の交差点にあったが消えた。などなど生活面での不便さはあるが、これを補って余りあるものが、都心ライフにあると云う。文化的なアクセスの良さ、美術館めぐりに最適、タクシーでどこでもアクセスかんたん。ランチを探して街をぶらつく楽しみ、そしてもちろん書店のまっただ中にいることで仕事の資料探しにも事欠かない。そんな生活の様子が詳しく描かれている。その他にも「愛しのフランス今昔」や「ロスの格差社会」などなど。


そしてこのオジサン、お洒落にも関心が高いようだ。社交ダンスを習い、香水を好み、”日本にも(中高年向けの)アヴァンギャルドなアパレルメーカー、出現せよ”と叫ぶ。楽しきフラヌールである。鹿島茂という人と、古書店巡りのお好きな方には、楽しい一冊だろう。

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気まぐれ日記/ちょっといい話 世界で一番クリエイティブな仕事

2008-03-28 | 時評
ちょっといい話” 世界でいちばんクリエイティブな仕事”

 朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」も明日で最終回を迎える。大阪の落語の世界のことであり、また鯖で有名な小浜(おばま)も出てきたり。馴染みの深い話なのでほとんど毎日見ていた。今朝は、主人公の喜代美がひぐらし亭のオープン初日の舞台に上がった。思い出の落語「愛宕山」を演じた後、喜代美は”今日はわたしの最後の高座にお付き合いいただきありがとうございました”と挨拶、みんなを驚かせた。どうして落語をやめるのか、と詰め寄るみなに喜代美は、自分のやりたいことを見つけたという。それはいつまでも高座に上がるという主役のことではなく、脇役に徹するということである。

 ”自分がスポットライトを浴びるのではなく、お母ちゃんのように皆の世話をし、まわりを明るくする人生を送りたい” ”お母ちゃんは、太陽のように輝いていた、そんなお母ちゃんにのようになりたい”と云う。数ヶ月後に出産する喜代美は、脇役の大切さに思い至ったのである。

 このドラマを見たあとで私は、20年ほどまえにアメリカで出された "GRAY MATTER"という本の中の言葉を思い出した。今でも存続している大企業であるユナイテッド・ テクノロジー社(United Technologies Corporation)が、ウオール・ストリート・ジャーナル紙に打った企業広告というよりむしろ企業メッセージを集めたものである。内容は、企業について語ったものではなく、人間の人生について、どう生きるかを語ったもので、当時大変な反響を巻き起こしました。
 
その中に「世界でいちばんクリエイティブな仕事は」という一節がある。子供の母親として毎日の世話に追われている多くの女性や家庭を守る妻たちに、この言葉を贈りたい。
 
「世界でもっともクリエイティブな仕事」

 ”The Most Creative job in The World"
  
  It involves taste,fashion,decorating,
   recreation,education,transportation,
   psycology,romance,cuisine,
   designing,literature,medicine,
   handicraft,art,horticulture,
  
   economics,government,community relations,
   pediatrics,geriatrics,entertainment,
   mainntenanc,purchasing,direct mail,
   law,accounting,religion,
   energy and management.
  
   Anyone who can handle all those
   has to be somebody special.
   She is.
  
   She's a homemaker

味覚からファッション、室内装飾、教育、交通、リクリエーション、心理学、ロマンス、コミュニティとの交渉、料理、文学、医薬、工芸、園芸、経済学、小児医学、老人医学、接遇、メンテナンス、購買、法律、会計、宗教そして経営などなど。誰であろうと、これら全部をやってのけられる人はきっと特別な人に違いない、その名は、ホームメーカー。

もう、これは、脇役どころではありませんね。スーパーお母ちゃん万歳。

主婦の立場を支持したこのメッセージには13,756通の手紙が寄せられたとか。
  






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気まぐれ日記/海外の情報をビデオで

2008-03-26 | 時評
 日本の新聞やTVをみているだけでは、なかなか海外の様子が詳しくかつタイムリーに伝わってこない。直接、海外の情報源にアクセスすることが望ましい。欧米のソースとしては、NYタイムスやワシントン・ポストなどをのぞいているが、ヨーロッパの動向については、英国の新聞などのウエブサイトを見る。そのひとつフィナンシャル・タイムズ紙は、なかなかクオリティも高く、情報のソースとして信頼できるものである。最近同紙のサイト(FT.com)をチェックしていて気がついたが、ビデオでの記事が目立つようになった。

Views from Europe
Views from the Market

などである。本日3月26日は、ロシアの新大統領メデヴェーデフとの独占インタビューなどがある。さらに新しく設けられた「view from Europe」では、OECDトップとのインタビュー、原油価格に関するエコノミストの意見、プーチン政権の状況など何本ものビデオが見られる。マーケットのセクションでは、日本の金融マーケットの状況、ウオーレンバフェットについて、世界的な金融危機に関するエコノミストとのインタビューなどなど見逃せないビデオ番組がいくつもある。

 アメリカの新聞は、ビデオの活用という点では、先行しており、とくにワシントン・ポスト紙は、格段にビデオ記事が多い。ニューヨーク・タイムズのような一般紙でも、今日はチベットの状況をリポートするビデオが見られる。

 こういう動きを見ていると、日本の一般紙は大変遅れている。もともとニュースを深く掘り下げ、冷静に分析するという取りあげ方が少ないなど、世界の新聞紙面としては遅れている。(『ニューヨーク・タイムズ物語ー紙面にみる多様性とバランス感覚』(三輪裕範 中公新書1999年11月に詳しい)その上新しいIT技術を活用するという点でも遅れている。ビデオなどで直接の映像を見ることは、格段に情報量をますことにつながるので、是非活用してもらいたい。

余談だが、CNNやESPNなどのスポーツ・ニュースのウエブサイト、そしてもちろんMLBのサイトなど、ビデオの記事をたくさん見ることができる。サンケイスポーツさん、日刊スポーツさん、もっと勉強して頑張ってくださいね。
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読書/『求めない』

2008-03-24 | 時評
読書メモ『求めない』(加島祥造 小学館 2007年11月)

~心がやすらぐことば~

 求めないーすると
 いまじゅうぶんに持っていると気づく

 求めないーすると
 いま持っているものが
 いきいきとしてくる

”求めないーすると”、で始まる短かい詩のような言葉で埋め尽くされた本である。詩人にして、フォークナーなどのアメリカ文学の翻訳も手がけている著者は、80才台半ばにして信州・伊那谷に独居し、詩作と著作をつづけている。あとがきの中で、こう云っている。

”2年ほど前の夏、突然私の胸中に「求めないー」で始まる語群が「次々と湧きだした。それは画室にいる時、林を歩く時、時には飯をつくっている時にも出てきたのです” そして四ヶ月のあいだに、こういう短句が150ほど、と短詞13篇がノートに記された。 それらをまとめたのが、本書である。

 「自分全体」の求めることは とても大切なことだ。
 ところが「頭」だけで求めると、求めすぎる。
 「体」が求めることを「頭」はおしのけて
 別なものを求めるんだ。

 じつは それだけのことなんです、
 ぼくが「求めない」というのは
 求めないですむことは求めないってことなんだ。
 すると
 体の中にある命が動きだす。
 それは喜びにつながっている。
 

さらにいくつかの言葉を見てみよう。

 求めないーすると
 人に気がねしなくなる

 求めないーすると
 自分の好きなことができるようになる

 求めないーすると
 自分の内なる可能性が動き出すよ
 そこがとても楽しいポイントなんだ

     ーーーーーーーーーーー

 ひとはなにも求めないなんてことはありえない。
 ひとはいつも、求めている。
 いつも求めてやまぬ存在だ。・・・・・

 ほんの五分間、いや三分間でいい
 なにも「求めない」でいてごらん
 為すことを無しにして
 全身を 頭の支配から解放してごらん

 できれば野原にあおむけに寝ころぶ。
 できれば海に大の字に浮いてみる。
 目は 浮き雲の動きを映すだけ
 耳は ただ音を受けいれるだけ
 口は 息の出入りにまかせている
 
 すると君は体が 命のままに生きていると知るー
 求めないで放っておいても 
 体はゆったり生きていると知る。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~

たまには、こんな詩を読むのもいいなあ。。なにかのんびりしてくる。心が安らいでくるようだ。いつもあくせくし、あれもこれもと欲望の赴くまま、求めている私たち、現代の人間には、もっと心を平穏にすることが大切なように思う。

結びのことばが、心に響いてくる。

 ”人間とは、何かを求めずにはいられない存在です。この前提は否定しないのですが、同時に人間は求めすぎることを抑える時、自分の中のものが出てくるーということも生じるのです”


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気まぐれ日記/世界規模での石炭需給の悪化をどう見るか

2008-03-22 | 時評
気まぐれ日記/世界は、石炭を食い尽くす

3月20日のワシントンポスト紙(電子版)は、次のようなタイトルで石炭の消費に関する長文の記事を報じた。(同サイトにアクセスし、上の方にあるSEARCH欄に、”coal can't" という文字を入れて検索すると、記事が出てきます)

 ”Coal Can't Fill World's Burning Appetite”


長い間、安価で信頼できるエネルギーー源としてみられていた石炭が突如供給不足となり、需要も世界的に高まっていると報じている。資源インフレの問題は、2年近く前から指摘されだしている。2006年6月15日のの「資源ウオーズ」と題する日経新聞の記事、同年8月に出版された『資源インフレ』(柴田明夫丸紅経済研究所長,日本経済新聞社)、などでも天然資源をめぐる争いが過熱していると指摘している。中東・アフリカ・中央アジアでの地政学的なリスクも報じられている。しかしこれらは、資源価格の上昇とどのように資源を確保するかという視点で述べられている。今回のワシントンポストの記事を読んでいると、この石炭資源の問題はもっと深刻なような気がする。要はぼう大な石炭需要と石炭価格の上昇、温暖化問題がグローバルに絡み合って、単なる資源の取り合いというレベルの話を越えている。世界的な視点での経済成長と温暖化問題を考える必要がある。難問である。

        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(東京)/上海)/ベルリン/南ア・ヨハネスブルグ/ロンドン/インド・ニューデリーからの特派員のレポートが報ずるところでは)この5ヶ月で石炭価格は50%上昇した。悪天候、拙劣なエネルギー政策、備蓄不足、アジア地域の猛烈な需要などが主な原因としている。

オーストラリアの石炭積出港では、豪雨による影響で45隻の船舶が船積み待ち。中国とベトナムは、突如石炭の輸出を禁止、インドでは石炭の輸入量が増大。中国では、石炭不足のため、工場の稼働時間が低下、南アとインド、インドネシア・ジャヴァでは停電が頻発している。鉱山会社は、たなぼたの利益をあげている。日本では,古い石炭鉱山の採掘を再開した。ヨーロッパと日本のバイヤーは、高い価格での長期契約に走っている。そのおかげで、鉄鋼とコンクリートの価格は上昇し、インフレに火を注いでいる。世界の石炭消費量は過去6年で30%増えた。アメリカでは、発電の半分は石炭によっているが、その発電コストは上がらざるを得ない。そのうえ、CO2発生の問題もある。

中国の石炭消費は、世界最大、そのうえ毎年10%も消費量が増えている。石炭の埋蔵量は膨大であるが、いずれも内陸にあり、輸送が問題。そのため2007年は輸入量が輸出量を超えた。また南の方の地域では、石炭不足のため、発電制限がおきている。停電もひんぱんである。しかも政府は石炭と石油の価格を凍結しているので、このプライス・ポリシーでは、エネルギーの効率使用というようなことにはつながらない。

インドは、年率8~9%の経済成長で電力需要は増えるばかり。しかし石炭鉱山の大半は政府の管理下にあって、石炭価格は国際レベルの40%に抑えられている。石炭埋蔵量は多いが、深い地下にあり、それを掘削するインフラに欠ける。したがって2012年までは、むしろ5100万トンを輸入する予定だ。2022年までには1億3600万トンを輸入することになろう。


英国でも石炭消費量が増えている。2005年から2006年で石炭消費は9%アップ。今や、ロシア・豪州・コロンビア・南アそしてインドネシアから石炭を輸入している。

豪州は、前述したように天候不良に悩まされ、いまだに排水と汚泥の掻き出しに苦労している。おかげで、原料炭(コークス用炭)のスポット価格は3倍アップとなり、98$(トンあたり)と急騰した。南アも豪雨などで、石炭の燃焼にも問題があり、出炭できない。ベトナムも国内需要を優先し、輸出を絞っている。2015年までには、輸出禁止も検討されている。

そういう状況が、日本や韓国の鉄鋼メーカーに大きな影響を与えている。日鉄とJFE、ポスコ(韓国)は、先月ブラジルの鉱山会社ヴェイルと石炭価格の65%アップで合意した。($47.81→$78.90) 鉄鋼メーカーは、製品の価格に転嫁しようとしつつあり、日鉄は10~20%アップに予定しているい。そのため鉄鋼を多量に使用するメーカも、価格引き上げを考えている、カタピラー三菱やコベルコなどの建設機械メーカーもすでに製品価格を引き上げた。

 このよなうな石炭クライシス(危機)により、日本では石炭の生産量を増やしたり、アメリカでも増産の動きが出ている。中国では、石炭液化や石炭から化学原料をつくる動きが出始めている。その結果、石炭の価格が、石油や天然ガスの価格にリンクするということにもつながって行くかも知れない。そういう事が、石炭価格上昇につながれば、アメリカだけでなく世界経済のスタグフレーションにもつながることになりかねない。

さらに気候温暖化問題もある。ドイツでは原子力発電を廃止しようとして、電力業界は24基もの石炭火力発電計画を申請してきたが、それをどうするかというクリティカルな状況にきている。石炭火力を止めて、どうするのか、ということである。

発展途上国では、(経済)発展は至上の課題であり、石炭を使わないと言うことにはならない。中国やインドでは、(いまのところ)人口一人あたり温室ガスの発生量はまだ少ない。したがって多少の大気汚染は許すのか、それとも経済発展を抑えて貧困のままでおれ、というのかという難しい選択肢の問題になる。


        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、私はこう考える。ある意味、日本にとってはこういうピンチはチャンスでもある。石炭の採掘・搬送・燃焼では、効率的で省エネルギーの優れた技術がある。CO2を膜で分離できる回収・貯留技術(CCS)がある。代替エネルギー技術開発でも進んでいる。これらをさらに推し進め、海外に提供して外交面でも有利な立場に立つこともできる。原子力発電でも、海外が取りやめているときに、営々絵と技術を磨き、経験を蓄積し、世界のトップレベルにある。

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読書『いろんな色のインクで』

2008-03-18 | 時評
『いろんな色のインクで』(丸谷才一 マガジンハウス 2005年9月)

 稀代の読書家、丸谷才一が書評のありかたについて語る。これがなかなかユニークだ。それから古今東西の本の書評をする。知らない本の名前が次々に出てきて、嬉しくなる。和田誠の装幀も洒落ていて、眺めているだけで、ページを繰りたくなる。

 フランス文学の鹿島茂は、その著『成功する読書日記』で読書日記の書き方ーつまりは書評の書き方について言っていた。①まずは引用(百の批評より、一の引用、引用に勝るものはない) ②次は引用からなるレジュメ(要約)、これはかなり難度が高い ③このレジュメに習熟したら自分の言葉で要約するーフランスの教育では、「コント・ランデュ」と呼ぶ。④これらができて初めて、「批評」という行為に入る。この鹿島茂の語ることが、書評のメソドロジーとすれば、丸谷の語るのは、「何のために」という目的論のようなものである。イギリスの書評を読んで、面白い思った丸谷が、そのイギリスの書評文化について詳しく語る。なるほど、と唸らされる。


(芸のない書評は、書評じゃない)
 「イギリスの書評がなぜあんなにいいのかというと、書評はなんのためにあるかというのと同じだけれども、①要するに本を選ぶ、本を買う、その実際の役に立つわけです。それから②その中に書いてあることの一応の要約、紹介、そういうものがある。③第三として、書評を書く人間の芸とか趣向とか語り口とか、そういうものを面白がるということがありますね。これが一番高度な段階なわけです。この三つがあって、この三つが渾然一体となったときにいい書評ができるわけです。」

 そしてイギリスの書評(オブザーヴァーとかサンデー・タイムズなどの)には、語り口にすごい芸があるという。さらにイギリスの書評の大きな特色は、枚数が多いという。オブザーヴァーという週刊新聞で、原稿用紙6枚程度、タイムズの文芸付録で20~30枚だという。

 「もう一つ大事なことがあります。ある一冊の本を取りあげてそれを論じる。あるいは推薦するということは、単にこれがいい本だからお読みなさいよ、面白いですよとうだけではない。これはこの手の本の中でどういう位置をしめている本であって、それだから推薦できますという見通しが推薦者の心の中にはなきゃならない・・」

 「別ないいかたをするとイギリスの書評は実際的なんですね。本という証拠物件があって、それについて読書と批評家が対話をする。その会話の一つとして書評があるんでしょうね。さらにそれがひろがって、本格的な文藝評論にもなる。・・」


 「書評というのは、ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙みたいなものです。それじゃあ素人同士だって同じじゃないかと言われるかもしれませんが、その場合には、友達なんだからて手紙以前に友好関係が成立しているわけです。好みも分かるし、気質も分かる。何よりも相手を信用している。ところが、書評というものはたんに文章だけで友好関係、つまり信頼感を確率しなきゃならない。それは大変なことなんですよ。その親しくて信頼できる関係、それをただ文章だけでつくる能力があるのが書評の専門家です。その書評家の文章を初めて読むのであっても、おや、この人はいい文章を書く、考え方がしっかりしている、洒落たことをいう、こういう人のすすめる本なら一つ読んでみようかという気にさせる。それがほんものの書評家なんですね」

 
(74の書評)
 さてさて、かく蘊蓄を傾けた丸谷氏の書評は、如何に?この章だけでも東西の74冊を紹介している。ダンテの神曲とならぶイタリア文学の傑作「いいなづけ」(マンゾーニ)は、平川祐弘の新訳に感じ入り、わざわ書評を書き直す力のいれようだ。そしてジョン・バージャー(美術評論)、イワン・ブーニン、A.S.バイアット(マティス・ストーリーズ)、トマス・カヒル、ヘイデン・カルース(アメリカの詩人)、F.M.コンフォード、永六輔、深津睦彦(続後拾遺和歌集)、ジャック・ヒギンズ(スパイ小説まででてくる)、ルキアノス、うれしいことにイワン・マキューアン、ホメロス、森嶋通夫(なぜ日本は没落するか)、、薄田泣菫話)、大岡信(捧げる歌)、ヴェルナー・ゾンバルト(ユダヤ人と経済生活)、鳥居民(横浜富貴楼 お倉)などなど。名前もあまり聞いたことのない作家の本が出てくる。作家の名前は聞いていても、知らない本が。その書評が、なるほど”うまい”ので、かたはしから手にとって読みたくなってしまう。せっかくなので、一つだけそんな例を書き出してみよう。

(大弓の弦は燕の声に似た声を立てて『オデュッセイア』(ホメロス、松平千訳)

 叙事詩『オデュッセイア』は西欧文学の源流であって、ホメロスという存在さへさだかでない作者は、西方の文学者の代表である。その主人公である、知謀に満ちているくせに勇敢、信心深くて女好きで冒険家で運がつよくて膂力衆に優れて言葉の才に恵まれている男は、その複雑さと人柄の魅力ゆえに、ヨーロッパ的人間の原型となった。・・・・・・・・松平千秋の訳は違う。歯切れがよく、口調がいい。文章がもたついていない。イメージが鮮明で、話の筋もいちいち頭によく入る、・・・この読みやすさは、改訳にあたり行分けを廃したため、いっそう増したような気がする。しかしそうかといって、吟遊詩人の歌う古雅な趣が失せたわけではない。訳者は、旧訳(講談社 世界文学全集)のあとがきで、先輩たちの訳業のうちでは土井晩翠訳に負うところが最も多かったと記したが、この謝辞が素直に納得がゆくほど、文章に活気があって、言葉は入念に選ばれている。

テレマコスが父の消息を求めるために乗船すると、「眼光輝くアテネは一行のために順風をおこし、激しい西風が、葡萄酒色の海の面を、音を立てて吹き渡る」そして何人も弦をはることのできない大弓も、オデュッセウスにかかれば、「さながら竪琴と歌に堪能な男が、よく綯いあわせた羊の腸線(ガット)を両方に引き延ばし、新しい糸巻き(ペッグ)に苦もなく弦を張るごとく、オデュッセウスは事もなげに大弓を張り、右手で弾いて弦を試みると、弦はその指の下で燕の声にもにた響きを立てて、美しくなる」。


    ~~~~~~~~~~~~~~~~

鹿島茂のそれとは異なり、丸谷の書評は視点が明確である。また須賀敦子などのほとんどエッセイと渾然一体となっているような書評とも違う。このスタイルには、惹きつけられる。


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気まぐれ日記/交野(かたの)の春

2008-03-15 | 時評
気まぐれ日記/交野(かたの)の春

  ”またや見む 交野の御野(みの)の桜がり 花の雪散る春の曙”

 蘭春の一日、親しい友人夫妻に誘われ、大阪の北東部にある交野(かたの)に遊んだ。冒頭の歌は、藤原俊成が詠んだもので、新古今和歌集に出ている。枕草子にも趣のある野として挙げられている。しかし、その程度の茫洋としたイメージしかない私たちが訪れたのは、なに、単純な理由からだ。大門酒造という古い酒造メーカーがその地にあり、そこの酒蔵の建物を利用した場所で「旬の料理と酒を楽しむ会」が週末限定で開かれているからに他ならない。”めしと酒”という文字に弱い私、すぐ誘いに乗ってしまった。

 神戸からJR東西線で、ほとんど直通で2時間弱であるが、駅を離れるととてもひなびた田園地帯の中にある。春の日差しの中、田圃を抜け、古い民家のあいだの小路をぶらり散策。小高い丘陵には、白い梅が明かりをつけたように咲いていた。どんどん道は狭くなり、突然古い家の門が現れた。「酒屋半左衛門」とある。そこの酒蔵を改装した建物の2階にあがる。予約でどんどん席が埋まってしまう。

その日のメニューは次のようなものである。

 (三品盛りオードブル)スペアリブ/鶏手羽先の山椒焼き/スナックエンドウ、明太マヨネーズ。いずれも酒のあてにいける。
(琉球すぎのサラダ盛)養殖物でなく、わざわざ沖縄よりの取り寄せ。かんぱち、に似て脂ののった白身に、コチュジャンだれをつけて。
(海鮮鍋)海鮮つみれ/たけのこ/ターサイ/たまねぎ/きくらげ/あさり/中華そば
( 季節のご飯) ちりめん山椒ご飯、香の物
(デザート)吟醸酒粕の和風仕立ての寒天

大吟醸「利休梅」に陶然となりながらの食事は、話も食欲も弾んで楽しかった!素材を厳選しているのがよくわかる。この食事会は、週末の三日間しか開かれていないが、季節ごとに、「万葉の歌と月見酒の会」、あるいはピアノコンサートなど趣向を凝らした会をひらていて、なかなかの人気を集めている。
 
 大門酒造のオーナーは、単騎アメリカに乗り込んで自家の銘酒のセールスに努め、とうとうニューヨークなどの高級フレンチレストランにおいて貰うなど、先取の精神で営業の拡大につとめている。またそのネットワークをつくるのに、英語のブログを活用している。詳しいことは、同社のサイトをご覧いただきたい。また同社ブログを取りあげた親しい友人のサイトも合わせてご覧いただければ幸いである。英語とインターネット・ブログを徹底的に活用して海外までコミュニケーションを広げるというのがビジネス・ベンチャーの成功のポイントの一つであろう。


 ところで食事の最中、みんなからずっと疑問が出ていた。どうして、こんな所に一軒だけ酒屋があるのかな・・・・。灘や伏見といった酒どころとは、かなりちがう。人の往来もあまりないし・・・・。また遙か昔、京の大宮人も狩りにきていたらしいが、などなど。好奇心から、そんな疑問をもって、交野についてすこし調べてみた。

酒蔵のあるところから北の方をみると、ずっと京都西部の山麓まで淀川を越えて平野が広がっている。この地は鳥獣も多く、また長岡京・平安京からもほど近いため、桓武天皇を初め平安貴族たちが鷹狩などに頻繁にに訪れていたという。鷹がりで、ウサギや鴨を狩っていたらしい。また、また、清少納言は枕草子で趣のある野として交野を挙げている。(第162段) 風光にも優れた交野は、和歌の題材として多くの歌に詠まれた。惟喬親王(これたかしんのう)の別荘である渚院の桜を見て在原業平は、

  ”世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし”

と詠んだ。このようにして交野は、桜の名所として、その名を知られるようになった。現在、市内には百済寺跡公園・牧野公園や船橋川の堤といった桜見物の場所がいくつもある。この百済寺跡という言葉からわかるように、この地と百済の人々との縁は深いものがある。。百済が滅亡した時(663)の最期の国王・義慈王(ぎじおう)の直系(敬福)が、日本に亡命して百済王氏という姓を賜っている。そしてこの地に、七堂伽藍をゆうする立派な寺院を建立した。そこを本拠とする百済王氏は、奈良時代末期から平安時代にかけて繁栄を続けた。特に、百済の武寧王の子孫である高野新笠(たかののにいがさ)を母とする桓武天皇は、敬福の娘や孫にあたる百済王氏の女性を四人も妃にしている。またしばしば交野に行幸し、山野で狩りを楽んだという。天皇家と百済王家との結びつきは、かくも深いものである。

 さて、その後平安時代から次第に水田栽培が行われるようになってきた。天の川流域の肥沃な土地と、ミネラル分を豊富に含んだ生駒山からの伏流水を利用して酒造りも江戸時代の早くから行われた。天の川経由淀川を利用しての水運も盛んだったようだ。最盛期には、この地に数十軒の酒造家があったと聞く。

 こんな機会にあれこれ歴史を辿るのも一興である。しめに、拙い句を一句献上。

  ”独活和えや交野の酒のものがたり” (ゆらぎ)

 ご静聴ありがとうございました。
 
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気まぐれ日記/飛鳥に遊ぶ

2008-03-11 | 時評
 早春の一日、明日香路に遊んだ。お目当ては、万葉文化館。奈良県が2001年に万葉文化の総合研究拠点として設立したものである。まさに飛鳥文化の中心である明日香村の小高い丘にある。近くには、飛鳥寺、石舞台、飛鳥京跡などなど史跡がたくさんある。すこし離れたところにある甘樫丘の展望台からは、大和三山や飛鳥川、飛鳥の里のひろがりがみられる。

 この万葉文化館の敷地自体が古い飛鳥時代の遺跡の上にあり、中庭には昔の
古代銭(富本銭)などを造った造幣工場の跡がある。「天皇」という字の書かれた古代の木簡や、様々な出土品なども展示されており、古代の人々の暮らしがうかがえる。ミュージアムには、万葉集の歌にちなんだ日本画を数多く所蔵している。

 ちょうど「新春の万葉日本画展」が催されており、田所浩や三輪敦子など現代を代表する日本画歌が、万葉集の歌にちなんで描いた絵が展示されていた。

 ”わが背子を 大和へ遣ると 小夜深けて
  暁露に わが立ち濡れし”・・・・・・・・・・・・(大伯皇女)三輪敦子

 ”わが情(こころ) 焼くもわれなり
  愛(は)しきやし  君に恋うるもわが心から ”・・(情焼く)木村圭吾

相聞の歌がおおい。昔は心を隠すことなく、相手に伝えたようだ。美しい絵をみながら歌を口ずさんでいると、親しみが湧いてくる。

 同時に写真家入江泰吉の「万葉花さんぽ」と題した写真展を見た。万葉集に詠まれた植物にスポットを当て、四季折々の花々や大和路を撮影したもので、中西進の文が解説として伏されていた。「大和し美し・・」という言葉が実感として胸に迫ってくる。

 ”春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ”
     (山上憶良)

その昔聖徳太子もこういう景色を見、花を愛でて育ったのかと感慨無量であった。
館の回りをとりまく万葉庭園の木々は、まだ緑も花もつけていなかった。ただマンサクの黄の花が彩りを添えていた。晩春、初夏の頃にまた来てみたい。比較的こじんまりとしたエリアなので、ここが古代律令国家誕生の地であり、数万の人口をもった飛鳥の都があったとは想像をしにくい。今は、とてものどやかな田園地帯とでも言ったところである。

館所蔵の万葉の日本画展は、作品をいれかえてほとんど常時開催されているし、
また「キトラ古墳」などの企画展もある。いつ来ても楽しめるところである。近くを散策し、飛鳥・斑鳩の頃を偲ぶのも一興であろう。

こういう所を訪ねたのをきっかけに、日本の古代史を勉強するのも面白い。この飛鳥の地は、日本で最初に水田で米を作ったとこころで、米の生産から国力がついて次第に発展していったとか。
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気まぐれ日記/アメリカで最も尊敬される会社

2008-03-08 | 時評
気まぐれ日記/アメリカで最も称讃される企業

経済雑誌Fortuneの最新号に、アメリカで最も称讃される企業という記事が載って
いた。経済界のひとたちに、業種の如何を問わず、「最も称讃に値する企業はどこですか?」と聞いて、投票してもらった結果である。詳しい選定基準は分からないが、財務の健全性・成長性・経営の質などなどは、とうぜん選定にあたっての基準に含まれているであろう。

Apple: The New No. 1
Which companies have the best reputations? Apple tops the list, Google and Berkshire Hathaway move up, and Costco cracks the top 20 this year

1. Apple 6. Starbucks
2. Berkshire Hathaway    7. FedEx
3. GE 8. Procter & Gamble
4. Google 9. Johnson & Johnson
5. Toyota 10. Goldman Sachs


トップ20の1位は、アップル。最近のアップルは、携帯音楽プレーヤーのみならず、パーソナル・コンピューターでも復権めざましい。復帰したスティーブ・ジョブスの指導力のせいか。日本企業では、トヨタが第5位にランクされている。(2007年は第3位) GE,グーグル、スターバックス、フェデックス、P&Gなどの名前が上位に並んでいる。私が注目したのは、第2位のバークシャー・ハサウエイである。ウオーレン・バフェット率いる投資持株会社である。コカ・コーラやアメックスの筆頭株主としても知られている。

バフェットは、ベンジャミン・グレアムの古典的な名著「The Intelligent Investor」(バリュー株投資のバイブルともいわれている)に感銘をうけ、コロンビア大学を卒業後はグレアムの会社(投資運用)に参加している。グレアム引退後は、自らのパートナーシップを設立し、資産運用にあたった。さらに自ら経営権を取得したバークシャー・ハサウエイを基盤にして、保険会社や新聞社などの株式を取得、資産運用を通じて全米一の資産を築いた。その投資哲学は、”株式を保有することは紙片の束を手にすることではなく、その発行体である企業を保有することだ”という明解なものである。最近では、マイクロソフトのビルゲイツ財団に350億ドルの寄付をしたことで世間の注目をあつめた。15年近く前に出された”The Warren Buffett Way"は、今も手元において読み返すことがある。

ちなみにバークシャー・ハサウエイ社のアニュアル・レポートや株主へのバフェットのレターなどは、ただ見るだけでも興味深い。

 →http://www.berkshirehathaway.com/

バフェットは、長期投資に徹しているが、同時に数多くの企業に分散投資することはない。株主のための経営を実行している企業、収益力のある企業に投資するのを原理原則としている。その彼が永久に売らない銘柄が三つある。そのうちの一つがワシントン・ポストであるが、今回のフォーチュンのトップ20には、入っていないが、ジャンル別では新聞・雑誌の部門で第1位にランクされている。

そのほか長い間を生き抜いて来た企業の一つに3Mがある。ポストイットで、有名な会社と言えばお分かりになるだろうが、実は製造業における大変な多角経営の企業である。今から40年近く前に、多角経営の手法を学ぼうと、ミネソタの本社を訪れたことを思い出した。

なお10位以下は、下記の通りである。

11 Target
12 Southwest Airlines
13 American Express
14* BMW
14* Costco Wholesale
16 Microsoft
17 United Parcel Service
18 Cisco Systems
19 3M
20 Nordstrom

この他にもフォーチュン誌は、世界の売上高トップ500を毎年発表している。
時折そういう記事を眺めて、企業の栄枯盛衰をみるのも興味深いものがある。
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読書『方丈記私記』

2008-03-07 | 時評
『方丈記私記』(堀田善衛 ちくま文庫 1999年9月第5刷)


「定家名月記私抄」の前に書かれた、著者はじめての長編エッセイ。鴨長明の方丈記に題材を採り、終戦前後の状況と中世乱世の間を自在に往来して、鋭い社会観察と世相批判を投げかけている。原著は、1971年刊行のものであるが、今の世相にも通用するところがあって古さを感じさせない。

 終戦の年の3月の東京大空襲の体験から話がはじまる。そして方丈記に書かれている安元元年の京都の大火災の描写とオーバーラップしてゆく。さらに 平安末期の乱世の様子を高級官僚である右大臣藤原兼実の日記『玉葉』、また『増鏡』、『明月記』などを引用しつつ描写している。

 しかし、ただの引用ではない。日本中世の乱世ぶりは、戦乱はいうにおよばず、群盗横行、飢饉悪疫、地震洪水、大火、僧兵の狼藉、御所炎上、寺社滅尽などなどすさまじいものであった。これに関して云う。

 ”増鏡の老婆ならずとも「これより日本国は衰えにけり」と言いたくも なる筈であり・・・・・兼実が「言語の及ぶところにあらず、日本国の有無ただ今春にあるか」というのもまた無理はない。しかし私は、兼実の言う「日本国」といううものが、兼実の心持ちとしては 彼らの貴族エスタブリッシュメントに限られたものであったろうと註しておきたい。一般人民のことなどは彼らの「日本国」には入りはしない・・”

 ”「日本国の有無ただ今春にあるか」などど、かくなったことについて自ら歴史に責任のある、京都貴族代表としての兼実自身が、ぬけぬけと無責任なことを言い出す始末である・・・”

 そして終戦一年前の1944年に公爵近衛文麿から天皇にだされた上奏文に言及して 、「一般国民というものの無視、あるいは敵視」を感じ取っている。貴族や朝廷の視点から庶民のことが抜け落ちていることについて、きびしい批判の目で見ている。

 ”近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争終結を急いだ。そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほかならぬちょ思われる。・・・国体、国体とお題目のようにかつぎまわる右翼も、近衛氏によれば「国体の衣をつけた共産主義」なのである。この上奏文全体を何度読んでみても、99パーセントの国民の苦難など痛快な程に無視されている。”

注)この辺の事情は、『昭和二十年』(鳥居民)に詳しい。国民の各階層、軍需工場で劣悪な条件下で働かされる女学生、意味のない松根油堀にかり出される農民、無差別な大空襲で焼かれ溺れ死ぬ一般市民などなど、そんなものは、近衛の回想にはこれっぽちも出てこない。

 方丈記が、現代にもつ意義に関して、堀田はこう受け止めている。

 ”3月10日の東京大空襲から、同月24日の上海への出発までの短い期間を、私はほとんど集中的に方丈記を読んで過ごしたものであった。しかし、方丈記の何が私をしてそんなに何度も読み返させたものであったか。それは、やはり戦争そのものであり、また戦火に遭遇してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方のついての考察に、なにか根源的に資してくれるものがここにはある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。また現実の戦禍にあってみて、ここに方丈記に記述されてある、台風、火災、飢え、地震などの災禍の描写が、じつに読み方として凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深く打たれたからであった。またさらにもう一つ、この戦禍の先の方にあるはずのもの、新たなる日本についての期待の感およびそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望の感、そのようないわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからであった。

 ”古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は皆浮き雲の思いをなせり。”(方丈記より)

 ところでこの時代の和歌には素晴らしいものがあるが、それについて現実の世界にはなんの関わりも関係もないと、年来感じていることを冷たい眼で述べている。

  ”というのは、この和歌なるもの、たとえば千載和歌集などから以後のとりわけて新古今集などになると、歌集の全体としては、よくもまあ、あの動乱、権力闘争、朝廷一家の底の浅い陰謀、腐敗、堕落、関東武士の野蛮、残虐、ほんお少数の例外を除いての僧侶たちの厚顔、狼藉暴行、それに全体的飢餓、火事、地震、悪疫、戦乱と窮乏などのことを越えて、あるいは全く無視して、よくもあれだけのことをなしえたものだとつくづくと、ほとんど呆れるほどの心持でもって感銘するのではあるが、しかし、その歌一つ一つについて子細に考えてゆくという作業をはじめると、これはもう途端に、と言いたいくらいに、ほんの短時間で飽きてしまうのである。凝りに凝ったことばの技巧のほどなども、所詮は技巧であってそれ以上のものではない、という気がしてきてしまう・・・・”

 結びの日野の方丈での生活に関連して、方丈記は「それ三界は、ただ心一つ なり」という華厳経の一節を記している。堀田はそれについて、このように云っている。注)私には、この言葉が鴨長明の「やせ我慢」のように映るのであるが・・。

 ”この宣言にも、私はおおいにこだわった。三界は決して個人の内的な「心ひとつ」に懸かっていたり、実朝のいう「中道観」、大乗の教えにいう三観のうちの、有に偏せず、空にも偏しない中道観、「観」などという鏡などに依拠しうるものではない。しかしこれが、巨大な暴力が降りかかってきたときの、われわれの唯一の逃げ口、退路であることもまた事実でなけれなならないであろう。それを果たして、われわれは戦後の「自由」の概念によって克服しえたか”

 ”歴史と社会、本歌取り主義の伝統、仏教までが、全否定をされたときに、彼にははじめて「歴史」がみえてきた。皇族貴族集団、朝廷一家のやらかしていることと災難にあえぐ人民のこととが等価のものとして、双方がくっきり見えてきた。そこに方丈記がある。すなはち彼自身が歴史と化したのである”

 どうしたらこんなに深い読み方ができるのかと感嘆を覚える。ただ読み流すのでなく、背景を考え、広い視野で受け止め、今日的な意義にも思いをいたして読まねば、こん読み方はできない。天皇制と結びつけての記述など大いに刺激をうけた。


 なお巻末に堀田と五木寛之との対談が載っている。鴨長明の人となり、政治の反映としての『方丈記』の読み、長明の遁世と現代風市井の隠者の比較論などに触れて、興味深い。 

 最近辻邦生・大岡信そしてこの堀田善衛の著作を再三手にとることが多いが、いずれも知的興奮を覚える事が少なからずある。ちなみに堀田善衛の著書にふれるようになったきっかけは、畏友川本卓史氏に「名月記私抄」をご紹介頂いてからである。その縁なかりぜば、とあらためて感謝する次第である。



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