(時評)日本の伝統文化の発信者中田英寿
中田英寿は、みなさんよくご存じのように国際的な知名度を誇る元サッカー選手である。サッカー日本代表として活躍、FIFAワールドカップに三大会連続出場。1988年にはイタリアのペルージャに移籍した。その後の華々しい活躍は周知のとおりである。2006年に引退した。
この中田が、最近富みに日本の伝統文化の発信者としての動きを見せている。今、イタリアンはミラノで行われている2015年国際博覧会のテーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」であり、サブテーマの中に「より良い生活様式のための食」Food for better lifestylesというのがある。ここで、”SAKENOMY”という日本の酒文化を発信するプロジェクトが行われ、6月2日から24日までの期間限定で”日本酒バー”が開店した。これを主導しているのが、中田英寿である。中田は日本国内の酒蔵を200個所以上探訪して回り、これぞという優れた日本酒を発掘してきた。
では中田は日本酒だけに焦点をあてているのだろうか。そうではない。和食や染織また漆塗りなどむしろ日本の伝統文化全般に光をあて、それを海外に向けて発信しようと奮闘しているのである。私の友人や知人また日経紙あるいは中田自身のオフィシャルブログなどの情報ソースを通じて、その動きを知る機会があったので、ここに「心覚え」としてその全貌を記しておくことにした。 なを、途中で私の愛好する日本酒のことや志村ふくみさんの染織のことについては調子に乗って、あちこちと脱線するかもしれない。中田英寿論から離れて。そこは、ご愛嬌とお許しいただきたい。
(サッカーから日本の伝統文化の発信の担い手に)
(”人生は情熱優先”)サッカーに抱いていた以上の情熱を探して、中田は海外をまわり、その結果日本のことや文化について何も知らないことを思い知らされた。そこで2009年頃から日本各地をまわって日本の伝統文化の事を学んだ。とくに日本の食文化/ものづくり/宿/神社仏閣などなど。そうやって日本の文化を再発見し、それを世界に発信することが中田の今の情熱の源泉となっていった。中田自身のオフィシャル・ブログなどである程度は知っていたが、たまたま今年のはじめに日テレの番組<未来シアター>で「中田英寿が選ぶ革新者スペシャル」という番組が放映された。これは失敗を恐れず、世の中を変えようとしている人々、革新者を紹介する番組である。志村ふくみという染織家の活動に強い関心をもっている知人が、その放送を録画していたのでDVDに複製して送ってくれた。志村ふくみさんは草木染めから染織の道を独力で切り拓き、90歳になった今も染織についてチャレンジし続けている。志村ふくみのことは、私自身かなり前から気になっていた。それは1980年代の半ばに戸井田道三氏の『色とつやの日本文化』を読んで、文化の基底にあるものとしての染と織りに興味をもっていたからである。15年まえに静岡の日本平で志村ふくみの個展があり、それを見て以来、ずうっと彼女の事をフォローしていた。つまりこの革新者という番組を見たきっかけは志村ふくみのことであった。
さてこの番組では、中田英寿が三人の革新者を上げた。まず山形県の村山市にある日本酒メーカーの高木酒造である。そこの十四代当主の高木顕統(あきつね)氏は、これまでよりインパクトのあるお酒をつくろうと奮闘した。ブームであった端麗辛口から芳醇旨口に変えたのである。彼の信念は、
”味は革新する”
である。なかでも「十四代」と銘打った日本酒はサケコンペティションの純米大吟醸部門で2年連続第1位に輝いた。放送では「十四代 秘伝玉返し」が出されていたが、これを呑んだ中田英寿は”米の味がしっかりしている。サラリとしてべとつかない。フルーティ。湧き水をのんでいるような感じがする”と評した。旭酒造の「獺祭」、三重・木屋酒造の「而今」、秋田は福禄寿酒造の「一白水成」また福島は廣木酒造の「飛露喜」などなどがある中で、中田は十四代を選んだのである。
この放送を見て、どうしても「十四代」が飲みたくなった私は、あちこち調べてみた。そうするうちに名古屋の小料理屋でこの酒を置いているところがいくつか見つかった。名古屋育ちの私には彼の地に友人が何人かいる。その一人に東山にある<わかばやし>という小料理屋へ案内してもらい、一夜「十四代」を楽しんだ。フルーティで切れ味がいい。しかし「十四代」にもいくつかの種類がある。再訪して味わってみたいものである。そうこうしているうちに山形では「十四代」はとても人気があるので、日本各地に出荷するのは抑え、山形県内で飲んでもらおうという声がでて、今はなかなか飲み屋では手に入らなくなった。幻になりつつある!
(ミラノ万博では・・・)中田は、引退後世界各地を旅して和食のすごさを感じ取った。そして和食についてこういうことを言っている。
”素材にも素晴らしいものが沢山ある。だが残念ながら市場で正当に評価されず、経済的にきびしい状態に陥っている農家もいる。きちんとしあtブランディングやマーケティングの戦略が実践されれてないからでないか。・・・ちょっとしたノウハウや知恵、ネットワークさえあればこれから有望なビジネスに育つ可能性を秘めた食文化が日本にはたくさんある。
これまで日本人は自らの文化を世界に伝えることにあまり注力してこなかった。でも和食に合わせてワインやシャンパンを飲むように、海外のさまざまな料理にあう日本酒は想像以上にたくさんある。こうした料理との合わせ方がうまく世界に伝われば愛好家は飛躍的に伸びるはずだ。・・・・
そこで食をテーマに開幕したミラノ万博にあわせて、ミラノ市内にバーを臨時開設し、日本各地の日本酒・焼酎33種を集めて販売するイベントを実施してみることにした。・・・少しでも日本の食文化の発展に貢献できたらうれしいこと。”
ここに奥山清行という工業デザイナーが登場する。ポルシェやフェラーリなどの名車をデザイン。日本のものづくり振興にも取り組む。彼は、”和食には洗練された作り手と受け手が高め合い、文化に磨きをかけてきた長い歴史がある。味覚の繊細さ、緻密さは世界最高峰でしょう。でも、だからこそ本当の良さが外国人には正確に理解されにくい。つまり、ものづくりと同じように食文化でも「ガラパゴス現象」が起きている”、と云う。
その奥山は「食」をテーマにしたミラノ万博(5月開幕)で日本館の基本計画策定委員を引き受けた。みずから食文化の活性化に関わることにしたのである。つまるところ、彼は食文化に関するコンセプト・デザインを構築したのである。そのような考え方は官庁の役人には発想できないであろう。ここに民間人のかかわった意義は大きいと思う。
(志村ふくみのこと)
(志村ふくみのこと)
いまさら云うまでもないが、志村ふくみは自ら草木染めに長い間とりくみ独自の色合いをもつ染織の道を切り開いてきた。人間国宝にして現在90歳。その彼女が昨年秋、パリの日本文化会館で娘の志村洋子とともに海外で初めての個展を開き、講演の場も持った。中田はそこで志村ふくみと出会ったのである。上述の「革新者スペシャル」という番組で、その時の様子を報じている。
衣桁にかけられている着物を見て回った中田は、”着物を見てすぐに感じた。現代的な感じだ。着物をつくるなら志村さんにお願いしたい”、と。着物は紅の着物、藍で染められたもの、さまざまな模様と色合いのものをつなぎあわせた小裂の着物などなど。染めるのは植物から、クチナシ/玉ねぎ/紅花/栗/などの自然の染料で染められもの。藍に至っては、月の満ち引きが染に微妙に影響するというので新月に染料をつくり、満月の染めるという。そんな染織の様を見て、中田は強く引きつけられ、「革新者」の一人に選んだ。そして志村に藍の着物と羽織の制作を依頼した。志村ふくみは、その著『一色一生』のなかで藍という色について、こんな事を言っている。
”今から十年ほど前、紺屋はいずれなくなるであろうという危惧と、自分で思うような 藍染めがしたいという二つの理由から、藍を建て始めたが、一の年間は失敗の連続で 何度やめようと思ったか知れなかったが、最近ようやく安定した自分なりの藍染めが できるようになってきた。藍甕の維持がどんなに苦労多いものか身にしみているだけに、この、世界に類を見ないわが国の藍染めの底深い美しさを守ってゆくため、数少ない紺屋こそみなで大事にしてゆきたいと思う。後継者の続くような仕事として国家がこれ を守るべきだと思う。
実際日本人から藍染めの色を奪ってしまったら、どんなに寂しいことか。日本の女性の一番美しく見えるのは藍染めの着物を着たときだと言っても過言ではない。今の時代に なを、紺屋を継続している人々は、本当に藍を知り、藍の美しさに打ち込んでいるから だと思う。・・・”
志村は若い人たちい染織のことを伝えたいと京都は嵯峨に工房を開いた。その名を”都機工房”と名づけた。この”都機”は道元禅師の『正法眼蔵』の都機の巻からきている。”あらゆる存在の一々の働きは、完全無欠の真理、仏心、衆生心、自体の現成であり、あたかも諸々の月の円満無欠の光のようである。・・・まるく完成している月は、過去のあらゆる時、また未来のあらゆる時を超越している。”
このような志村ふくみも凄いが、彼女の作品や生き方にに着目した中田の目も鋭敏である。中田は、まだ30歳代。こういう若い人が日本の伝統文化の保存・発展のために貢献してくれるのは嬉しいことである。お金を出すだけではない。自分で各地の工房や現場を歩きまわり、どのようにすればいいのか考えてそして実行に移す。言うは安く、行い難し。
中田は、そのために今後どのようなことにかかわってゆくのか。漆塗りの塗師をミラノに招いたり、日本の酒蔵とイタリア高級ホテルとのコラボを企画したり・・。先々がとても楽しみである。
~~~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~~
中田英寿は、みなさんよくご存じのように国際的な知名度を誇る元サッカー選手である。サッカー日本代表として活躍、FIFAワールドカップに三大会連続出場。1988年にはイタリアのペルージャに移籍した。その後の華々しい活躍は周知のとおりである。2006年に引退した。
この中田が、最近富みに日本の伝統文化の発信者としての動きを見せている。今、イタリアンはミラノで行われている2015年国際博覧会のテーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」であり、サブテーマの中に「より良い生活様式のための食」Food for better lifestylesというのがある。ここで、”SAKENOMY”という日本の酒文化を発信するプロジェクトが行われ、6月2日から24日までの期間限定で”日本酒バー”が開店した。これを主導しているのが、中田英寿である。中田は日本国内の酒蔵を200個所以上探訪して回り、これぞという優れた日本酒を発掘してきた。
では中田は日本酒だけに焦点をあてているのだろうか。そうではない。和食や染織また漆塗りなどむしろ日本の伝統文化全般に光をあて、それを海外に向けて発信しようと奮闘しているのである。私の友人や知人また日経紙あるいは中田自身のオフィシャルブログなどの情報ソースを通じて、その動きを知る機会があったので、ここに「心覚え」としてその全貌を記しておくことにした。 なを、途中で私の愛好する日本酒のことや志村ふくみさんの染織のことについては調子に乗って、あちこちと脱線するかもしれない。中田英寿論から離れて。そこは、ご愛嬌とお許しいただきたい。
(サッカーから日本の伝統文化の発信の担い手に)
(”人生は情熱優先”)サッカーに抱いていた以上の情熱を探して、中田は海外をまわり、その結果日本のことや文化について何も知らないことを思い知らされた。そこで2009年頃から日本各地をまわって日本の伝統文化の事を学んだ。とくに日本の食文化/ものづくり/宿/神社仏閣などなど。そうやって日本の文化を再発見し、それを世界に発信することが中田の今の情熱の源泉となっていった。中田自身のオフィシャル・ブログなどである程度は知っていたが、たまたま今年のはじめに日テレの番組<未来シアター>で「中田英寿が選ぶ革新者スペシャル」という番組が放映された。これは失敗を恐れず、世の中を変えようとしている人々、革新者を紹介する番組である。志村ふくみという染織家の活動に強い関心をもっている知人が、その放送を録画していたのでDVDに複製して送ってくれた。志村ふくみさんは草木染めから染織の道を独力で切り拓き、90歳になった今も染織についてチャレンジし続けている。志村ふくみのことは、私自身かなり前から気になっていた。それは1980年代の半ばに戸井田道三氏の『色とつやの日本文化』を読んで、文化の基底にあるものとしての染と織りに興味をもっていたからである。15年まえに静岡の日本平で志村ふくみの個展があり、それを見て以来、ずうっと彼女の事をフォローしていた。つまりこの革新者という番組を見たきっかけは志村ふくみのことであった。
さてこの番組では、中田英寿が三人の革新者を上げた。まず山形県の村山市にある日本酒メーカーの高木酒造である。そこの十四代当主の高木顕統(あきつね)氏は、これまでよりインパクトのあるお酒をつくろうと奮闘した。ブームであった端麗辛口から芳醇旨口に変えたのである。彼の信念は、
”味は革新する”
である。なかでも「十四代」と銘打った日本酒はサケコンペティションの純米大吟醸部門で2年連続第1位に輝いた。放送では「十四代 秘伝玉返し」が出されていたが、これを呑んだ中田英寿は”米の味がしっかりしている。サラリとしてべとつかない。フルーティ。湧き水をのんでいるような感じがする”と評した。旭酒造の「獺祭」、三重・木屋酒造の「而今」、秋田は福禄寿酒造の「一白水成」また福島は廣木酒造の「飛露喜」などなどがある中で、中田は十四代を選んだのである。
この放送を見て、どうしても「十四代」が飲みたくなった私は、あちこち調べてみた。そうするうちに名古屋の小料理屋でこの酒を置いているところがいくつか見つかった。名古屋育ちの私には彼の地に友人が何人かいる。その一人に東山にある<わかばやし>という小料理屋へ案内してもらい、一夜「十四代」を楽しんだ。フルーティで切れ味がいい。しかし「十四代」にもいくつかの種類がある。再訪して味わってみたいものである。そうこうしているうちに山形では「十四代」はとても人気があるので、日本各地に出荷するのは抑え、山形県内で飲んでもらおうという声がでて、今はなかなか飲み屋では手に入らなくなった。幻になりつつある!
(ミラノ万博では・・・)中田は、引退後世界各地を旅して和食のすごさを感じ取った。そして和食についてこういうことを言っている。
”素材にも素晴らしいものが沢山ある。だが残念ながら市場で正当に評価されず、経済的にきびしい状態に陥っている農家もいる。きちんとしあtブランディングやマーケティングの戦略が実践されれてないからでないか。・・・ちょっとしたノウハウや知恵、ネットワークさえあればこれから有望なビジネスに育つ可能性を秘めた食文化が日本にはたくさんある。
これまで日本人は自らの文化を世界に伝えることにあまり注力してこなかった。でも和食に合わせてワインやシャンパンを飲むように、海外のさまざまな料理にあう日本酒は想像以上にたくさんある。こうした料理との合わせ方がうまく世界に伝われば愛好家は飛躍的に伸びるはずだ。・・・・
そこで食をテーマに開幕したミラノ万博にあわせて、ミラノ市内にバーを臨時開設し、日本各地の日本酒・焼酎33種を集めて販売するイベントを実施してみることにした。・・・少しでも日本の食文化の発展に貢献できたらうれしいこと。”
ここに奥山清行という工業デザイナーが登場する。ポルシェやフェラーリなどの名車をデザイン。日本のものづくり振興にも取り組む。彼は、”和食には洗練された作り手と受け手が高め合い、文化に磨きをかけてきた長い歴史がある。味覚の繊細さ、緻密さは世界最高峰でしょう。でも、だからこそ本当の良さが外国人には正確に理解されにくい。つまり、ものづくりと同じように食文化でも「ガラパゴス現象」が起きている”、と云う。
その奥山は「食」をテーマにしたミラノ万博(5月開幕)で日本館の基本計画策定委員を引き受けた。みずから食文化の活性化に関わることにしたのである。つまるところ、彼は食文化に関するコンセプト・デザインを構築したのである。そのような考え方は官庁の役人には発想できないであろう。ここに民間人のかかわった意義は大きいと思う。
(志村ふくみのこと)
(志村ふくみのこと)
いまさら云うまでもないが、志村ふくみは自ら草木染めに長い間とりくみ独自の色合いをもつ染織の道を切り開いてきた。人間国宝にして現在90歳。その彼女が昨年秋、パリの日本文化会館で娘の志村洋子とともに海外で初めての個展を開き、講演の場も持った。中田はそこで志村ふくみと出会ったのである。上述の「革新者スペシャル」という番組で、その時の様子を報じている。
衣桁にかけられている着物を見て回った中田は、”着物を見てすぐに感じた。現代的な感じだ。着物をつくるなら志村さんにお願いしたい”、と。着物は紅の着物、藍で染められたもの、さまざまな模様と色合いのものをつなぎあわせた小裂の着物などなど。染めるのは植物から、クチナシ/玉ねぎ/紅花/栗/などの自然の染料で染められもの。藍に至っては、月の満ち引きが染に微妙に影響するというので新月に染料をつくり、満月の染めるという。そんな染織の様を見て、中田は強く引きつけられ、「革新者」の一人に選んだ。そして志村に藍の着物と羽織の制作を依頼した。志村ふくみは、その著『一色一生』のなかで藍という色について、こんな事を言っている。
”今から十年ほど前、紺屋はいずれなくなるであろうという危惧と、自分で思うような 藍染めがしたいという二つの理由から、藍を建て始めたが、一の年間は失敗の連続で 何度やめようと思ったか知れなかったが、最近ようやく安定した自分なりの藍染めが できるようになってきた。藍甕の維持がどんなに苦労多いものか身にしみているだけに、この、世界に類を見ないわが国の藍染めの底深い美しさを守ってゆくため、数少ない紺屋こそみなで大事にしてゆきたいと思う。後継者の続くような仕事として国家がこれ を守るべきだと思う。
実際日本人から藍染めの色を奪ってしまったら、どんなに寂しいことか。日本の女性の一番美しく見えるのは藍染めの着物を着たときだと言っても過言ではない。今の時代に なを、紺屋を継続している人々は、本当に藍を知り、藍の美しさに打ち込んでいるから だと思う。・・・”
志村は若い人たちい染織のことを伝えたいと京都は嵯峨に工房を開いた。その名を”都機工房”と名づけた。この”都機”は道元禅師の『正法眼蔵』の都機の巻からきている。”あらゆる存在の一々の働きは、完全無欠の真理、仏心、衆生心、自体の現成であり、あたかも諸々の月の円満無欠の光のようである。・・・まるく完成している月は、過去のあらゆる時、また未来のあらゆる時を超越している。”
このような志村ふくみも凄いが、彼女の作品や生き方にに着目した中田の目も鋭敏である。中田は、まだ30歳代。こういう若い人が日本の伝統文化の保存・発展のために貢献してくれるのは嬉しいことである。お金を出すだけではない。自分で各地の工房や現場を歩きまわり、どのようにすればいいのか考えてそして実行に移す。言うは安く、行い難し。
中田は、そのために今後どのようなことにかかわってゆくのか。漆塗りの塗師をミラノに招いたり、日本の酒蔵とイタリア高級ホテルとのコラボを企画したり・・。先々がとても楽しみである。
~~~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~~