(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

音楽 最近聴いた音楽~チェロの調べ

2019-02-24 | 音楽
音楽 最近聴いた音楽~チェロの調べ

 『私のレコードライブラリー』(共同通信社 1975年)という本がある。作家は、志鳥栄八郎。”音楽の楽しさを一人でも多くの人にわかってもらえるために書いた”と語っている。古今のクラシック音楽を取り上げ、それぞれの名曲の解説と推薦盤(当時は、LPレコード)が紹介されたもので、当時の私にとっては音楽の道標のようなものであった。上中下の三巻本であるが、その中にチェロの名曲として取り上げられているものは、わずかに4曲。サン=サーンスのチェロ協奏曲、ハイドンのチェロ協奏曲、ボッケリーニのチェロ協奏曲とベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番イ長調である。チェロが独奏楽器として活躍するようになったのは比較的遅い時期なので、わずかに4曲というのもうなずける。


(ハイドンのチェロ協奏曲)

 このうちの一曲、ハイドンのチェロ協奏曲を作曲したハイドンは、ボッケリーニと同じ世代で、バッハよりも後の時代の人である。したがってバッハの影響もなんらかの形で受けていたかも知れない。私がチェロの曲を好きなことを知った畏友K氏は、最近そのCD(ハイドンチェロ協奏曲第1番、第2番)を焼いて、わざわざ送ってきてくれた。それを手にして、すぐオーディオ装置にかけて聴いてみて、びっくりした。有名な無伴奏チェロ組曲を作曲したバッハよりも後の時代の人でもあるにもかかわらず、聞き慣れたバッハの曲とはまったく違った音色の演奏であった。チェロの弾き手は、鈴木秀美というチェリスト。彼の名前も聞いたこともなかった。モーリス。シャンドロンがチェロを弾き、カザルスがコンセール・ラムルーを指揮した演奏や、フルニエがラファエル・クーベリックフィルハーモニーと共演したディスクは聞き慣れたものであったが、この鈴木秀美のものはまるでバロック音楽かあるいは古楽器の響きかと感じたのである



 (ハイドン チェロ協奏曲第2番 フルニエ)


 それでどういうことなのだろうと、チェロのわが師匠に疑問を投げかけてみた。そしてその様子をK氏にメールで送った。

 ”彼女は、すぐハイドンの協奏曲の1番と2番とを弾いてくれました。それも、古楽器を弾くやりかたと、現代的なやりかたとで。それぞれ違うのですね頂いたディスクの演奏は古楽器を弾くようなやり方かと思いました。まず、弓の持ち方が違います。軽く持っています。また、音の出し方もやや弱音です。それから、ひょっとして・・と云っていましたが、チェロにエンドピンをつけていないのではないかとも。つけていないと、音は柔らかく甘めになります。”

K氏からは、次のような返事が返ってきた。

 ”CDについていた鈴木秀美の解釈文によると・・・「この演奏でのソロの部分では弦楽五重奏のような響きとなり、親密に室内楽的に語りかけるものとなった。解釈の仕方はいろいろあるが、全般的にハイドンのコンチェルトは譜面上のスラー指示がとても少なく、奏者は多くの箇所で細かいボウイングで微妙な表現を強いられる。例えば、二長調の第1楽章に現れる技巧的なパッセージの数々、走り抜ける感のあるハ長調の最終楽章などはにはスラーが殆ど無い。ゆったりとした両緩徐楽章にすら、小節線はおろか拍をこえるスラーさえ一度も与えられていない。楽譜から見えてくるのは、豪快なひきぶりや連綿として続く曲ではなく、軽やかな語り口の親しい会話と透明な響きである。ハイドンに関しては、一般的に私たちが「チェロ協奏曲」に対してもっている後期ロマン派的なイメージとはかなり違ったものと言わざるを得ない」”


     


 要は弾き方が違うのである。多分、楽器も違うのだろう。あとでわかったのだが、鈴木秀美という人は一般的なチェリストから転じてバロックチェリストとして活躍している。バロックチェロの巨匠であるアンナー・ビルスマに師事している。(私の好きなチェリストの一人) それから、エンドピンの問題であるが、鈴木さんの演奏風景をチェックしてみると楽器を膝の間に挟んで演奏している。エンドピンは使っていない。チェロにエンドピンを使うようになったのは少し後の時代であるようだ。ちなみに私の師匠はチタンのエンドピンを使っている。チタンは軽量であるが、純チタンではやわらかすぎるので合金製と云っていた。おそらくTi-6Al-4Vであろう。(チタン ロクアルミ ヨンバナ)さらに、これもごく最近分かったことであるが、古楽器(鈴木さんの使用しているような)では、ガットに羊腸を使っている。最近のチェロでは金属を巻いた弦である。音の違いに影響することは必至だ。


 いやいやすっかり専門的な話になってしまった。一般の方には面白くないのかも知れない。しかし、音楽の演奏家たちが曲の演奏の仕方だけでなく、楽器そのものを替え、弾き方を工夫し、場合によってはエンドピンの有無まで考えて、音楽を聴いている人たちの心に響くように工夫を凝らして演奏していることには、改めてプロ意識の凄さのようなものを感じた次第である。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(世界一音響効果が美しいサントリーホールでのコンサート)

          


 東京は赤坂アークヒルズにあるサントリーホールは、「音の宝石箱」と呼ばれるくらいで、世界一音響効果が美しいとされ、音楽愛好家などから高い評価を受けている。そのホールで、たまたまチェロのコンサートがあると聞いて、いそいそと出かけた次第である。

 チェリスト辻本玲、ピアニスト外山啓介の共演である。オケは東京フィルハーモニー(指揮、円光寺雅彦であった。

     

 
 辻本玲は若手ナンバーワンのチェリスト。エルガーのチェロ協奏曲ホ短調では、彼の弾き方はややおとなしく聞こえた。この曲は、なんといってもジャクリーヌ・デュプレのダイナミックな名演奏が耳に残っているせいか、余計にそう聞こえたのかも知れない。しかし、音色は甘くつややかであった。第一部のアンコールで彼が弾いたパブロ・カザルスの「鳥の歌」では、その実力が遺憾なく発揮され、実に美しい音色の調べが流れた。ちなみに1961年11月13日、この日カザルスはケネディ大統領に招かれホワイトハウスで「鳥の歌」をふくむ歴史的な名演奏を行っている。

「鳥の歌」の演奏 (パブロ・カザルス 1961年11月13日 ホワイトハウスにて)


 プログラムの第2部では外山啓介によるショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調の演奏があった。それも終わり、アンコール曲(ショパンのノクターン)も終わって、オケの団員たちと引き上げたその後。なぜか辻本と外山の二人が再登場してきた。二人は、東京芸術大学の同期生で仲がいいのである。吉本喜劇ばりのトークショーが繰り広げられた。そして本当に最後のアンコール曲として演奏されたのは、ショパンのチェロ・ソナタ第3番の第3楽章のラルゴであった。初めて聴いたが、実に美しい調べである。これを聞くことができたのは幸運としかいいようのない出会いであった。

   ショパンのチェロ・ソナタ3番 ラルゴ(ヤーノシュ・シュタルケルの演奏) (14分12秒から)
   ショパンのチェロ・ソナタ第3番 ラルゴ(ロストロポーヴィッチとマルタ・アルゲリッチの演奏) (20分15秒から)


外山啓介のピアノがチェロに寄り添うがごとく、そしてピアノが主旋律を奏でるときはチェロは音をやや抑え、まことに息の合った演奏であった。残念ながら、その演奏をこの記事の中でお聴きいただくことはできない。代わりにヤーノシュ・シュタルケルが弾いた演奏を動画でごらんください。。第三楽章のラルゴは、はじめから14分12秒辺りから始まる



この曲の演奏については、いくつか聴き比べてみました。CDで聴いたのはムスチスラフ・ロストロポーヴィッチとマルタ・アルゲリッチの演奏。またアマゾンMusicでは、平野玲音のチェロとぺーター・バルツアー(ピアノ)の演奏も見つけることができましたので聴いてみました。どちらも素敵な演奏でした。 注)アマゾンミュージックについて。アマゾンプライム会員ですと、無料で100万曲、無制限に聞くことができます。スマホでは、AppleStoreからアプリをダウンロードできます。そのうえで曲を検索したら、平野玲音の演奏が出てきました。平野玲音は、東京大学卒業後、ウイーンを拠点に活躍している知性派チェリスト。


 しかし、あの夜のサントリーホールでの辻本玲と外山啓介の演奏は、思い返しても見事なものであった。二人の音が溶け合っていた。そして、二人の協奏にとどまらず、あのホールでの臨場感を感じさせる音響効果が素晴らしいと感じた。たいていのオーディオ装置でこのショパンの曲を聴いても、ハイレゾウオークマンで聴いても、そしてもちろんiPhoneの最新型で聴いても、ひとつ物足りないものがあるとすれば、それは臨場感だ。やはり、ナマの音楽はいい!

 というわけで、サントリーホールの音響について少し調べてみた。サントリーホールのウエブサイトでは、ホールの特性をついて次のように紹介している。

 ”「サントリーホールの設計にあたっては「世界一美しい響き」を基本コンセプトに掲げ、第一線で活躍する指揮者や演奏家はもとより音楽を愛する各界の人々の意見が幅広く取りいれられました。大ホールは、日本では初のヴィンヤード(ぶどう畑)形式。全2006席がぶどうの段々畑状にステージ(太陽)を向いているため、音楽の響きは太陽の光のようにすべての席に降り注ぎます。音響的にも視覚的にも演奏者と聴衆が一体となって互いに臨場感あふれる音楽体験を共有することができる形式です。側壁を三角錐とし、天井は内側に湾曲させ、客席のすみずみに理想的な反射音を伝える構造です。客席はブロック分けされていますが、その側壁も反射壁として有効に活用されています。壁面の内装材にはウイスキーの貯蔵樽に使われるホワイトオーク材を、そして、床や客席の椅子背板にはオーク(楢)材をと、ふんだんに木を使用し、暖かみのある響きを実現。音響的な効果とともに、視覚的にも落ち着いた雰囲気を醸し出しています。」”

 では、このホールのどこの席で聞くのがよいのかということになるが、世の中には、好事家(こうずか)がおられる。”ぶらあぼ”(ブラボーから由来しているようです)というニックネームの音楽好きの方が、そのホールの音響特性をホールのブロック毎に詳しく検討されている。この場合の音響特性というのは、直接音と残響音の比率、音量、またそれぞれの楽器の音の分離などの観点からみた特性のことを指している。

 ”音の特性として、もう一つ注意しておきたいことがある。先ほどの例のように、ステージ上のピアノから出た音は同心半球状に拡がって行く(実際にはピアノの反響板が働くので楽器の正面方向に指向性があるが)。ひとつの方向として捉えるなら、音は直進する。ホールの各席からピアノが見えるなら、直接音は届くことになる。一方、残響音を含む音の集合体は、あらゆる方向から来る音波の混ざったものなので、空間を満たすように拡がる。従って、広い空間なら多くの音で満たされるが、狭い空間には音が物理的に少なくなる。サントリーホールでは、2階の奥の方に行くに従って座席のある床が高くなっていくため天井に近くなり、空間が狭められていく。また2階のLC・RCブロックがバルコニー状にせり出している下の1階席の辺りは天井がかなり低くなっている。”

そして

 ”【6】希望の席を確保するために/私が席を選ぶ理由
 このように、サントリーホールの音響の特性について見てきたわけだが、これで多少は席選びの参考になっただろうか。音楽を聴く上で、良い「音」であることが望まれるのは当然のことではあるが、この「良い音」というのもかなり主観的なもののようである。別の言い方をするなら「好みの音」が人によって違うということだ。残響音が長い方が「良い」という人もいれば、長い残響は音を「濁らせる」と言う人もいる。ステージからある程度離れて色々な楽器の音が程良くミックスされている方が良いという人もいれば、私のようにできるだけ近くでナマの音で聴きたがる人もいる。だからこそ、席の位置によって変わる音響特性を把握して、自分の好みの席を探すことになるのだ。最後に、席選びのポイントをまとめておこう(ただしあくまで個人的な見解)。

①音楽は「どの席で聴いても同じ」ではない
 そのコンサートを「聴く」か「聴かない」という選択肢で判断すること、つまり「聴く」のならどこの席でもたいして変わらないという感覚でいては、聴いた音楽の正しい評価はしにくいと思う。クラシック音楽の場合は、そしてサントリーホールの場合はとくに、どの席で聴くかによって、音楽そのものがまったく違った評価をされるほど聞こえ方が変わるのである。もちろん人それぞれの事情があるので、どこの席で聴いても差し支えはないのだが、ある程度はきちんと聞こえる席で聞かなければ正しい評価はできないと思う。

②録音された音楽との比較
 初心者が必ず陥る落とし穴がある。それはコンサートの演奏と録音された音源とを比較してしまうことだ。とくにオーケストラ音楽の場合、レコード・CDや放送用の録音はマルチ・チャンネルをミキシング編集している(ナマ放送であっても)。つまり音源を面で捉えているものを理想のバランスに近づけてステレオ2チャンネルに変換しているのだ。逆の言い方をすれば、これはこの世には存在しない聞こえ方をしているということである。コンサートホールでは、音源が「面」で、響いているのはホール全体の「空間」で、聴いている人は「点」である。私たちがコンサートを聴くということは、ホールのその「点」で「音」を聴くということであって、別の人は別の「点」で聞こえ方の違う「音」を聴いている。それに対して録音は、皆が同じ「音」を聴くということなのである。従って多くの場合、実際のコンサートの方が録音よりもバランスが悪く聞こえるのである。それなのに、録音ばかりを聴いて来た経験の持ち主が、ナマの演奏を聴いて「オーボエの音が小さい」だとか「ティンパニがうるさい」などと知ったかぶって論評するのはナンセンスである。”
 音にはうるさい私であるが、この”ぶらあぼ”さんの言われることには、いちいち同感する。

 もちろんS席がよいのであるが、その中でも位置によって違いがあると云っている。幸い、その夜は同行した友人が確保してくれた席はS席。2階のCブロックの最前列(2列目)の中央。ステージからは、少し遠いがチェロの最弱音がよく響いていて素晴らしい演奏を堪能することができ、音響特性からしても至福の一夜となった。


     ~終わり~





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ダイソンの経営について(続)

2019-02-09 | 時評
ダイソンの経営について(続)

承前

  (エンジニアの平均年は26~27才)2017年末時点で、4450人が在籍するエンジニアの平均年令は26~27才。ちなみに日本の電機メーカーの場合、ソニーのケースでは平均年令は42.3才。パナソニックでは45.6才。ただし、エンジニアのみの平均年齢は非公開なので分からない)

2018年に発売された新製品のヘアアイロン「エアラップ」の開発チームを率いたのは20代後半の女性であった。日本で行われた記者発表会でプレゼンテーションを行ったのが、アドバンスドエンジニアのヴェロニカ・アラニスさん。彼女は、スコットランドのエディンバラ工科大学でデザイン関連の修士号をとり、2回目の転職で2016年にダイソンの入社した。「エアラップ」の開発には当初から関わり、開発中にシンガポールの研究開発拠点に赴任した。最終エンジニアリングデザインにも関わった。彼女は、”ダイソンでは挑戦させてもらえるので・・・”、と余裕の表情だ。彼女は、ダイソンのエンジニアで特異な存在ではない。サム・バロース氏は、2014年に入社、現在20歳代後半だが2016年に発売されたドライヤーの中心開発メンバーとして活躍した。

またシンガポールの開発拠点で、エアラップ開発の一環として毛髪科学の研究をしている男性エンジニアは新卒で入社して10ヶ月目という若さだ。若手エンジニアが、このように活躍している背景にはジェームズ・ダイソン氏のつよいこだわりがある。ダイソン氏いわく、

  ”人間は若いほど創造性が豊かだ。たとえば、学生たちと接していると、「なるほど」と唸るような斬新な発想がでてくる。だから、ダイソンはあえて(大学院卒や中途採用ではなく)新卒の学生を中心に採用している。私は専門家は嫌いだ。何かをインプットすると、まったく新しいアイデアを考えるという柔軟性がない”

もちろん、若手エンジニアがいくら斬新な発想をしても、それが上司やセールスサイドの意見で角がとれたり、ボツになれば元も子もない。だが同社副社長のジョン・チャーチル氏は「エンジニアの間に年齢や立場による上下関係は存在しない」と断言する。開発の過程での失敗はむしろ推奨される。失敗は、変化を起こすために必要なことと考えている。

 若手の発想を武器にするダイソン氏にとって、何よりも重要なのは、優秀な若手エンジニアが育つことである。イギリスではエンジニア職の人気が低く、イギリス企業は年間7000人近いエンジニアの不足分を海外での求人で補っている。


 そこでダイソン氏は、本社の敷地内に4年制大学を作ることにした。自身の財団とダイソンから約32億円の出資をもとに。「Daison Institute of Engineering Technorogy」この大学の最大の特徴は、初年度約220万円の給与を受け取りながら、教育を受けることができることにある。1~2年生はエンジニアリングの基礎を、3~4年生は電機、機械工学を中心にとしたカリキュラムを履修する。卒業すると学士号を得ることができる。それと並行して、授業期間中は週3日、学期外は週5日、エンジニアとして実際の業務に従事することになる。

このプログラムは一挙に話題になり、2017年9月からの第一期生では、25人の定員に対し850人が殺到した。中にはケンブリッジ大学など一流大学を蹴って入学したものもいる。下積み期間を設けず、フレッシュな感覚や仕事への貪欲さを、イノベーションの源泉として活用する風土である。この重要性を理解したとしても、実行に移せる日本の大手企業は少ないであろう。

     
                                       2018年に入学した学生たち。女子学生が40%を占める。

ちなみに2018年、日本電産の永守会長が大学経営に乗り出すと発表した。卒業後、即戦力として活躍できる人材を育てるのが狙いで、2018年3月に理事長に就任した京都学園の京都学園大学に、2020年にモーターの研究に特化した工学部を新設し、電気自動車やドローンなど新しい分野に対応したモーターの技術者を育成する。



ジェームスダイソンは本気で教育問題に取り組んでいる。”私が、今正しく機能させたいものは「教育」”と云っている。彼は、大学にいた頃から”デザインとエンジニアリングが別々に存在するのは間違っていると考えていた。ダイソンは、世界最高のエンジニアリング大学を作ろうと考えている。今後、何十年にもわたって未来のエンジニアを育てために貢献するだろう。現在、ダイソン本社で唯一の日本人のデザインエンジニアである菅原祥平は、”デザインとエンジニアリングの融合という、自分がまさにやりたいことをやっている会社だと、衝撃を受けている。


 (英国離脱について)ダイソンはごく最近本社を英国からシンガポールへ数ヶ月以内に移転する方針を決めた。その英国からの離脱に国内では衝撃が広がっている。急成長をするアジア市場に拠点を移すのが狙い、と説明しているが、なぜEV大手のように世界最大のEV市場である中国を工場建設用地に選ばなかったのか。ロイター通信の報ずるところでは、高スキルの技術者や科学者の人材が豊富であることに加え、シンガポール政府は手厚い支援策を講じている。税制優遇措置に加え、ビジネス改善に向けたプロジェクト費用の3割をカバーする政府補助金が含まれる。シンガポール政府は、同国経済生産の4分の1に満たない製造業の生産性を押し上げようと、ハイエンドなメーカーや、自動化した生産ラインを採用する企業の誘致に力を入れている。

シンガポールには世界有数の取扱量を誇る港があり、完成後1週間以内にEV中国や韓国あるいは日本などに出荷することができる。また、これまでにシンガポールに一定に足場を築いているのも要因の一つである。1100人の従業員を抱え、年間2100万個の電気モーターを製造している。橋でつながっているマレーシアにも製造拠点がある。知的財産保護の観点も考慮にいれているだろう。シンガポールでは、知的財産は厳格に守られているが、中国にいけばそれほど安心していられないだろうとの見方もある。



 日本企業では、こうしたドラスティックな意思決定はなかなかできないだろう。傘下の地元企業との関わりや、社員の家族の生活や子女の教育などなど。言葉の問題で言えば、シンガポールでは英語が公用語の一つであり、また子女の中国語教育の場としてはうってつけである。クオンタムファンドで知られたアメリカの投資家ジム・ロジャーズは2007年にシンガポールに家族で移住した。

 ”1807年にロンドンに移住するのは、すばらしいことだった。1907年にニューヨークに移住するのは、すばらしいことだった。そして、2007年にはアジアに移住することが次のすばらしい戦略となるだろう。娘たちには将来を見越して、華僑圏で中国語を学ばせている

 ジム・ロジャーズについては、10年以上も前にこのブログで取り上げた。あの時(首相は朱熔基)から、ジムは中国の発展を見越していた。その時から中国株に資金を投じていたら、今頃は左うちわであったであろう。(知ることと行動とは別だと反省している))


 さてこのようにダイソンのことを書いてきたが、諸兄姉は何を読み取るあるいは感じるであろうか。まず、感ずるのは、日本では残念ながらダイソンのように若い力を積極的に活用する場は、極めて少ない。企業だけではない、政府や行政の場でも。出る杭は打たれるのが当たり前。せっかく新しい発想で提案しても、あーだこーだと批判される。これでは国は発展しない。近頃、高齢化で70才定年とか75才定年とかの声もちらほら聞くが、こういう年寄りが組織の上にいては、だめだ。退いて、違う場で若者をサポートする方に回ってほしい。政治家も、65才、せめて70才でで選挙にでるのは打ち止めにしてはどうかと思う。


 余談になるが、大学教育では、エンジニアあっても、つまり工学部や理学部の学生であっても、視野を広げるという意味で、哲学を学ぶようにして欲しい。いわゆる技術バカであっては、ならない。大阪大学総長(2014年当時)の鷲田清一さんの『哲学の使い方』という本を読んでいると、次のような記述が目に留まった。

 ”そういう科学基礎論として、哲学はとりあえずアカデミックな活動の基礎にあるものといえる。だからといって象牙の塔に籠もっているわけではない。地味ではあるが、現代では、たとえば生命科学・技術や先進医療の問題にもコミットするし、情報倫理や工学倫理、企業倫理にも、さらには研究倫理そのものにもコミットする。・・・哲学は、人がひととして生きてゆく上で、あるいはひとが他の人たちとともに社会生活を営む上で外すことのできない、本当に大事なものは何かを問うものであり、ひとが人として絶対に逸してはならない、踏み越えてはならないことがなんであるかを問ただすものである。”

 ”哲学は日常生活から離れ、時代の困難からも隔たった場所でなされる知の営みではない。むしろ時代の問題こそ、哲学的な相貌をとるようになっている。環境危機、生命操作、先進国における人口減少、介護や年金問題、食品の安全、グローバル経済、教育崩壊、家族とコミュニティの空洞化、性差別、マイノリティの権利、民族対立、宗教的狂信、公共性の再構築・・・。これらの現状社会が抱え込んだ諸問題は、もはやかつてのように政治や経済レベルだけでは対応できる事柄ではない。また特定の地域や国家に限定して処理しうる問題でもない。小手先の制度改革で解決できるものではなく、環境/生命/病/老い/食/教育/家族/民族などなどについての私たちのこれまでの考え方そのもの(philosophy)根本から洗い直すことを迫るものである。”


      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。次回は、柔らかいトピックスということで音楽についてお話することにしております。


追記)
この記事を作成するにあたっては、下記の文献を参照させていただきました。
→(週)東洋経済1月20日号、東洋経済ONLINE2月10日、及びFobesJAPAN
1月29日号。









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ダイソンの経営について~その真髄

2019-02-04 | 時評
ダイソンの経営について~その真髄

 ダイソンという会社のことをご存知だろうか? 世界で初めてのサイクロン掃除機
やロボット型掃除機、空気清浄機ファンヒーターなどの製品をお使いの方もおられるかも知れない。私自身、新車を買ったときにおまけでダイソンのファンヒーターをもらったが、そのリモコンの小さなことシンプルなことには驚かされた。

ダイソンは、本社と研究開発の拠点を英国はマーズベリーに置くが、基幹部品のひとつであるデジタルモーターはシンガポールで生産されている。このシンガポールにダイソンはEV(電気自動車)の専用工場を建設中である。(2120年完成予定) トヨタ自動車やBMWなどのドイツの自動車メーカーと手を組むことなく、単独でEVの生産に乗り出す。

 一体、このダイソンはどういう会社なのであろうか? 疑問に思って、そのことを調べていくうちに、実に驚くべき人材の活用仕方が見えてきた。


     



このグラフを見るとわかるように、ここ3年ほどは売上高およびEBITDA(税引前利益に支払利息、減価償却費を加えて算出される利益。国際的な企業の収益力を比較・分析する際に用いられることが多い)が高い伸び率を示している。製品は掃除機/空調家電/美容家電である。美容家電という言葉は、聞き慣れないかも知れないが、ドライヤーはスタイラーと呼ばれる女性用の髪の巻き付け器である。これらの製品群のコアとあんる技術は、まずデジタルモーターである。これはPC(直流)モータの技術で、独自のアルゴリズムでコイルの電流を電子制御する。エネルギー効率がよく、機器の小型化・計量化につながる。ダイソンは2003年に初代のデジタルモーターを開発して以来、累計で500億円近い研究開発費を投じてきた。

 二つ目のコア技術は流体力学である。2018年10月にダイソンは2種類目の美容家電として発表したのが、スタイリング用アイロン。女性が髪をカールさせるときに用いる。一般的な製品では、自分の髪の毛をアイロンの周りに巻き付けて使うが、ダイソン製品はまったく違う仕組みを用いている。デジタルモーターから送り出された高速・高圧の空気が、アイロンのヘッドに空けた隙間から流れることで、髪が勝手にアイロンに巻き付く。これにより、高温の熱に髪を押し当てることなくスタイリングができると言うわけだ。発表後、SNSのインスタグラム上では、自らの髪を巻く様子を投稿する女性が相次いで、評判になった。このアイロンに髪が巻き付くのは「コアンダ効果」と呼ばれる流体力学の知見を応用したもの。もともと、羽根のない扇風機の用いられた技術をヘアスタイリングの応用したものである。

     


ところが、どっこい。応用するといってもそんな生易しいものではない。髪の量や硬さは人種や個人によって千差万別。シンガポールのモーター工場の研究開発拠点では、どんな髪質の人でも使える交換ヘッドを作るのに一苦労した。アフリカ系からアジア系まで、あらゆる種類の髪の毛を採集し、トータルで1800キロメートル分もテストした。


 三つ目のコア技術が電池である。ほとんどの家電メーカーはサムスン電子やパナソニックから調達している。ダイソンは自社で材料からの開発を行っている。2015年には、次世代電池の「全個体電池」ベンチャーである米国サクティ・スリーを買収し、EVへの搭載も目指して開発を進めている模様だ。

 これらのコア技術を活用して、羽根のない扇風機、穴の開いたドライヤーなど何十年も技術の発展がないような日用家電の分野でイノベーションを起こしてきた。


 (生産体制)はどうか。シンガポールの中心部から車で30分ほどのところに複数の企業が入る巨大な建物があり、その一角にダイソンが400億円を投じて2013年に立ち上げた工場がある。ここは、デジタルモーターの設計製造を行う拠点であり、掃除機用と小型美容家電用モーターを年間2000万個製造している。ラインは、ほとんど自動化されている。

本社のある英国では、慢性的なエンジニア不足に陥っているのに対し、シンガポールには国立工科大学を初め、工学系の大学が複数あり、優秀なエンジニアを輩出している。
2018年に発売されたコードレス掃除機「V10」では前モデルより回転数を1割向上させ電池のもちも40分から60分に伸ばした。しかも前モデルの6割の重量に抑えた。
ダイソンは社員数の約半分にあたる4450人がエンジニアという技術者中心の企業である。その平均年齢も若い(詳しくは後述する)そして長期的な視野で投資を続け、忍耐強く技術を育むことを考えている。短期的な利益を求める株主の意向を気にする必要のない家族経営の企業である。


 (電気自動車分野への進出)ダイソンがEVの開発を始めて、約2年。20億ポンド(2800億円)を投じ、他社とは根本的に異なるEVを出すという計画が進んでいる。実際のEV製造を担う工場はシンガポールに建設中である(2020年完成予定)

     


シンガポールは製造業が未発達で地価や人件費も高い。とくに人件費は、一般工の月額平均賃金で、テスラが工場建設を進めている中国上海の3倍にも及ぶ。それでもダイソンがこの地を選んだ理由は、家電用モーター工場と研究開発拠点がすでにあるからだ。加えてシンガポール政府が税制優遇措置などの支援をしたらしい。(詳しくは後述する)

家電と自動車では、モーターに求められる馬力やサイズが大きく違うが、ダイソンでは、”これまでに蓄積した技術の延長線上にあることは確かだ”、と自信を見せる。車体以前にも不安要素はある。それは電池だ。全個体電池開発ではトヨタ自動車/パナソニック/サムソン電子や中国CATLなどがしのぎを削っているが、まだ実用化には至っていない。1921年に出るEVにはリチウムイオン電池を採用するのが現実的だとの見方もある。今回のEV開発による自動車分野への参入は、ダイソンにとって大勝負である。


(エンジニアの平均年は26~27才)ダイソンが手がけてきた製品は、何年間も技術革新がおきていない日用品である。市場は成熟している。ここに、市場平均よりも何倍も高価格の製品を投入している。2016年発売のドライヤーは平均価格の10倍ちかい5万円。それでも消費者がダイソン製品を選ぶのは、その機能やデザインに革新性を見出すからである。

 では何故、ダイソンは革新的な製品を出し続けることができるのか? コア技術という観点以外に、開発の最前線に立つエンジニアの年令が若いことである。


(続く)

      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ここまでは序論です。ダイソンが、どんな会社なのかをご説明したにすぎません。次の本論ではダイソンの人材活用と、教育にかける思いをご紹介します。二三日中にアップいたします。







 
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