(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

時評 ソニーとその遺伝子(余滴)

2015-02-17 | 読書
ソニーとその遺伝子(余滴)

 ソニーの経営者の一人、大賀典雄氏のことについて本ブログを読まれた方から少々反応がありましたので、ものづくりの原点という視点も絡めてすこし関連のエピソードを書いてみます。 (写真は、ソニー製の画像イメージセンサーの最新のもの)

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 ソニーの盛田社長の後に第4代社長となったのは、岩間和夫氏(名古屋市出身、東大理学部)でトランジスタに着目し、日本の半導体産業の基板を創った。ところが社長在任中病を得て、急逝した。そのあと井深氏から、是非にと言われされ第5代社長となった大賀典雄氏は取締役を退いた時、16億円の退職金を手にした。税金4億円をとられた残りの12億円を軽井沢町に全額寄付し「大賀ホール」を建てた。若い頃はプロのバリトン歌手だったが、まだ中小企業に過ぎなかったソニーに入社したのは、創業者の井深氏・盛田氏から懇請された。まだ芸大の学生だった頃、ソニーが商品化途上のテープレコーダーにあれこれ意見を言ったのが契機になり、井深・盛田氏は、この男はソニーに必要”と感じた。

 CDという光を使うディスク誕生したが、その容量を決めるのにフィリップスと激論を交わし、40分と決めたのは大賀の先見性によるものだ。のちにアメリカのCBSを買収したの時も大賀が交渉にあたっている。オーディオビジュアルの基盤を作り上げたのである。
 60歳になった時、盛田に懇願してオーケストラの指揮に挑戦した。約束した”一回だけ”にとどまらず、何度も指揮棒をとり、とうとうベルリン・フィルの指揮までするに至った。その関係もあってカラヤンとの親交を結び、病床にあったカラヤンを自宅にたずね、その最後を看取っている。ちなみに大賀ホールは正五角形をしているが、”よい音を聴くには平行壁面があってはいけない”という大賀の提案に沿ったものである。

 (大賀の経営者としての功罪)経済ジャーナリストの水島愛一郎がBuisiness Journalという経済誌に書いた記事がある。「ソニー、エレキ事業の弱体化と人材喪失を招いた、19年前の誤算)それによれば、

 ソニーは世界的なブランドであるVAIO事業を日本産業パートナーズ(投資ファンド)に売却している。その凋落の原因は、皮肉にもVAIO事業をスタートさせて元CEOの出井伸之氏である。出井は1995年6月広報担当常務から14人抜きの抜擢で代表取締役社長に就任した。彼を指名したのは、13年間社長を務めた大賀典雄氏である。その指名の理由を聞かれた大賀はこう答えた。

 ”出井君を後継者に決めたのは、僕と同じように五ケ国語をしゃべり、外国人とも対等 に議論できる国際感覚を持っているからだよ”

 これはしかし建前で、本当に後継にしたかったのはハンディカムの開発で大ヒットを飛ばしたM氏であった。ところがM氏が女性スキャンダルで雑誌に報道され、後継にするのを断念せざるを得なかった。大賀は創業者のひとりである盛田氏より、

 ”君の次の社長はエンジニア出身の人間を選んでくれよ”

と約束させられていた。苦渋の末の選択が出井氏であった。

 出井氏は、VAIOで世界市場を席巻し名経営者ともうたわれた。ところが落とし穴があった。大賀氏が晩年語ったところによれば、

 ”ソフトバンクの孫正義社長の誘いに乗って衛星放送事業やIT事業に過度にはまり、エレクトロニクス事業の技術者を数百人単位でプロバイダー事業のSo-netに転籍させた。 このことがソニーのエレクトロニクス事業の活力を失わせていく原点になっていった”

 大賀氏が懸念したように、ソニーのものづくり力の低下は、やがて2003年の深刻な業績悪化にとなって表面化した。(テレビ事業の大幅赤字、VSIOの衰退など)その後テレビ事業は、95年に出井氏からハワード・ストリンガー氏、さらに平井一夫氏へとCEOが引き継がれたものの、今日までの10年以上も赤字体質から脱却できない泥沼状態に陥り、今回、VAIO事業の売却とともに本社から切り離された。

 ところで昨年二年ぶりに世界販売台数で、世界首位に返り咲いたトヨタもじつは64年前に経営破綻寸前までいっている。そのころから「ものづくり前にひとづくり」というスローガンで立て直し発展して世界ナンバーワンに上り詰めている。トヨタの例もあるが、このブログの前の記事「米沢へ」で触れたアメリカGE社の経営改革の強いスピリットを見習って欲しいものである。大賀は、”盛田さんとの約束である、ものづくりの分かる後継者を指名できなかったことは今日でも悔いている”と言っていた。
 
 大賀は”ユーザーの琴線に触れる製品でなければだめだ”とも言っている。大賀はソニーブランドの確立に精魂を傾け偉大な経営者のひとりとしての評価が高いが、一方で影の面もある。


  1988年にCBSレコード、1989年コロムビア映画(現SPE)を買収し、これで1兆円近い有利子負債を抱え込んだ。そのSPE経営陣に任されたのはハリウッドのプロデューサー、ジョン・ピーターズ、ピーター・グーパーであった。二人は、仕事をせず、私的に会社を食い物にし、投資額は60億ドルまで膨れ上った。。その二人を選んだのが、ソニー米国CEOであるマイケル・シュホフ。シュホフは、彼らを解任するどころか巨額な資金を映画制作につぎ込み愚作を連発した。この巨額の投資がソニーの屋台骨を揺るがしたのである。そして、そのシュホフ氏は大賀氏のお気に入り。ソニー本社の役員たちもシュホフの暴走に苦言を呈することもなかったとか。大賀は、社長13年、会長5年、取締役会議議長3年、名誉会長3年、相談役5年と29年間にわたりソニー経営に関わり、権力を維持してきた。この間、有能な人材は去り、文系が役員の大半を占めたのである。

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 さてさて過去のことではなく、未来を語ろう。今後のソニーはどこを目指すのか? また輝きを取り戻すことができるであろうか? 2013年のアニュアル・レポートを見ながら、チェックしてみることにする。

          

 現在のトップ平井代表取締役社長は2012年6月に就任、トップを2年間つとめてきた。彼はICU(国際キリスト教大学)の出身である。技術屋ではない。しかし開発現場にひんぱんに赴き、現場の声をよく聞くとのことである。アニュアルレポートには平井一夫社長の考え方がよく示されており、改革への強い決意も伝わってきて、好感がもてる。彼はグループの基本方針として、次の三つを挙げている。

 (1)エレクトロニクス事業の強化

  ・3つのコア事業(モバイル、イメージング関連、ゲーム)の変革を加速
  ・テレビ事業の黒字化
  ・グループの総合力を生かした新興国での成長戦略を加速
  ・持続的な成長のための新規ビジネス(メディカル、セキュリティなど)の強化
  ・事業ポートフォリオのさらなる見直し

 (2)エンターテインメント・金融事業の一層の収益力の強化
 (3)継続的な財務体質の強化


 そして経営目標としては売上は8兆5000億円、ROEは10%を目標としている。意気軒昂ではある。(実態は、まだROEはマイナスに沈んでいるが・・・)新しい芽としては、世界首位の画像イメージセンサーに期待できるし、またそれを利用しての自動運転技術への展開などもある。ソニー本来の遺伝子が受け継がれており、ものづくりのスピリットと風土がよみがえってくるかぎり、ソニーは復活を遂げるであろう。個人的な目でいえば、最近のソニーのデジタルカメラもいい商品であるし、またハイレゾ音楽機器も先鞭をつけている。音楽配信でもベルリン・フィルとの連携など注目すべき点が少なくない。

 さてあなたはソニー株に希望を持ち、貴重なサムマネーを投じますか?






















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時評 ソニーとその遺伝子

2015-02-12 | 時評
時評 ソニーとその遺伝子

 あこがれであったソニー。どうしてこんなになってしまったのか? しかしいろいろのところで新しい芽もでてきている。長年のソニーファンのつぶやきです。

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 戦後まもない1946年、井深大(いぶかまさる)と盛田昭夫によって東京通信工業という会社が設立された。その年の1月に起草された設立趣意書の前文に、

 ”自由闊達にして愉快な理想工場の建設”

という一文が見られる。この趣意書そのものも今読んでも感動的で井深たちの燃えるような情熱が伝わってくる。1950年に日本で初めてテープレコーダーを開発し、さらに1955年にはトランジスタラジオを発売した。これが今あるソニーの前身である。ラジオの組み立てに夢中になり、またテープレコーダーも電気屋を回って中古の部品を買い集めて自作したりしていた。そんな私にとってソニーは東通工の時代から憧れの会社であった。1979年にはウオークマン、その後携帯用CDプレーヤーや光磁気ディスクMOなどなど。1990年代にはVAIOブランドのパソコンも売りだされ。そのころ東京にいた私は早速秋葉原へ飛んで行き、ノートパソコンを後生大事に抱えて帰ってきた。ソニーとうだけで胸がときめいたものである。

 ところが近年、その経営はだんだん可怪しくなってきた。テレビ事業は10年赤字をたれながし、株価は2007年の7500円台から3000円台に低迷している。スマホも不振。最近利益がでる見通しも言われているが、2015年3月期の当期利益はマイナス、配当することもできていない。すこし個人的なことをいえば、昨今ソニーの電器製品は、そのウエブサイト上での説明をみてもわかるが、製品の色とかアクセサリーとか周辺的なことばかりに目が入っており、たとえばアップルのように、”こういうことができますよ”ということを打ち出して、手に入れたくなるような仕組みにはなっていない。まことに残念なことである。

 一体どうなってしまったのか? ソニーよ、奮起せよと言いたいのである。それはともかく現在のソニーは昔のようなエレクトロニクスの会社ではなくなっている。直近の有価証券報告書をみてみよう。そこには、次のような事業分野が並んでいる。

 ①モバイル・プロダクツ&コミュニケーション
 ②ゲーム・イメージングプロダクツ&ソリューション
 ③ホームエンターテイメント&サウンド
 ④デバイス(半導体など)
 ⑤映画
 ⑥音楽
 ⑦金融その他の事業(生保、損保、銀行および介護関連など)


このうち金融事業はソニー生命やソニー銀行を擁し、極めて高い収益性と成長性を誇っている。ソニーグループの連結売上高は前年比でマイナスに沈んでいるが、金融事業では8%以上の増収。2013年の売上高は約1兆円。営業利益で1486億円を叩きだして、群を抜いている。ここでも個人的なことをいうと、自動車保険はソニー損保にお世話になっている。また外貨運用では、ソニー銀行を使い続けている。大手銀行などと比べて圧倒的にコストが安い。FX運用(外国為替証拠金取引)もできる。通貨は米ドル、ユーロ、スイスフラン、人民元など12通貨を取り扱っていて、24時間取引ができる。とても使いやすい。代表取締役社長の石井茂のメッセージを眺めていると、明らかに顧客重視の姿勢が伝わってくる。”自立した個人のための資産運用銀行” とか ”for the customer”など。この石井茂という人は、経営破綻した山一證券からソニーにきた人であるが、その読書歴を垣間見るとなかなかの人物と感じる。山田方谷のことを描いた『炎の陽明学』、『私記・一軍人の哀歓六十年』(今村均)、はたまた田辺聖子が清少納言のことを書いた『むかし・あした』などなど。山田方谷は、幕末のころ財政破綻をしかけていた備中松山藩を救ったひとであり、清廉潔白。今村均(陸軍大将)はラバウルで戦犯になり、巣鴨刑務所送りとなったが現地の部下のことを思い、ヌマスに行くことを志願してそこで刑期までを送った部下思いの人間である。



 余談はともかく、ソニーの新しい事業のことを語ろう。

(ソニーはなぜ不動産業を始めたのか)2012年、ソニーは不動産業に乗り出すこと決め、ソニー不動産を設立した。

           

(ソニーはなぜ不動産業を始めたのか)
 ソニーは最終損ベースで巨額の赤字を計上した2013年、ニューヨークはマンハッタンにあるソニーアメリカ本社のビルを売却した(1048億円)、また東京は大崎にあったソニーシティビルも売却(1111億円)し、不動産売却が本業かと陰口を叩かれた。それが今なぜ不動産ビジネスに参入するのか? そしてメーカーがなぜ不動産業に?ソニーが考えているのは不動産業界の再編をまったく新しい考え方で仕掛けることである。ソニー不動産の西山和良社長は40才とまだ若い。彼は本社の企画部門にいたが、ある日平井社長に呼ばれ、”感動を与えるような事業を考えよ”と命じられた。新規事業の創出である。

 これまで個人的に不動産の売買にかかわり、その過程で日本の不動産業界に不信感を抱いていた西山は自らその分野に乗り出すことを考えた。日本の住宅産業は新築依存からストック中心型への過渡期にあり、中古住宅を扱うリノベーション・ビジネスも急成長しつつあった。市場の規制緩和も期待された。アメリカでは年間の住宅流通量のうち90%が中古住宅である。日本のそれはわずかに14%。この中古市場の活性化が必要不可欠と考えられた。中古住宅を買ってリノベーションするというユーザーニーズもある。さらに中古住宅購入とリノベーションをパッケージにした住宅ローンも登場してきた。

2014年8月に営業開始したソニー不動産は、不動産仲介手数料に関する従来の商習慣を打破するサービスを始めた。仲介手数料は通常、成約価格に対する一定の率で決められており、各社ほとんど横並びの価格だった。そこでソニーはサービス内容に応じて変動する料金体系を採用。これならば不動産価格が高いほど、手数料が割安になる可能性がある。このビジネスモデルが成功するかはまだわからないが、業界内にいる人では発想できないサービスである、と見られている。

 ソニー不動産の売却コンサルティング担当の風戸氏と国際ジャーナリストの蟹瀬氏との対談の中で、風戸氏はいう。

 ”私たちソニー不動産は自社を不動産仲介業者ではなく、コンサルティングをするエージェント集団だと考えています。たとえば、売却のエージェントは、お客様がお持ちの物件をより高く、希望通りのスケジュールで売るためのシナリオを作ります。可能性を徹底的に追求し、できる限りの広告展開を行います。また物件のことを一番よく知っているお客様(売り主)の意見も取り入れた“お客様参加型の売却活動”を展開します。


 また購入時より1500万円も高く売却できたケースもある。

 ”蟹瀬 購入時より1,500万円以上高く売れたわけですね。いったい、どんな売り方をしたのですか。

 ”風戸 まず、人気の高い大規模マンションなので、とにかく広く認知されるようにこの物件に適した広告展開を徹底しました。さらに、物件のことを一番よく知っているお客様(売り主)から、同じマンションの方からも問い合わせが期待できるという情報を受け、近隣の仲介業者へ資料の配布を行ったりしました。買い主が手に取る販売図面にもこだわりを持っています(画面)。物件の魅力を最大限引き出すよう、専任のデザイナーが一つ一つ丁寧に作成します。実際に住んでいるお客様でないと気付かない物件のメリットはどんどん言っていただき、販売広告図面に盛り込みます。”

 一例をあげたが、、ソニー不動産の事業は売却コンサルティングだけでなく、購入コンサルティング、プロパティマネジメント(PM)コンサルティング、リフォーム・リノベーション事業の4本柱で成り立っている。不動産を売ったり、買ったりしたいという顧客の立場に立ち、不動産のプロとして顧客が満足できる売買をサポートする。PM事業では不動産を所有するオーナーの立場にたち、そのキャッシュ・フローを最大化するようサポートする。こういうことはソニーがものづくりの企業という立場にたてば異質と思えるかもしれない。しかし消費者向けに何らかの価値を提供する企業という見方にたてば、不動産事業に違和感はない。

 中古マンションを買ってリフォームやリノベーションをし、PMで安定した管理をしてもらい、キャッシュ価値を最大化してくれるとなれば、ソニー不動産にお世話になろううかなという気もする。ただ残念ながら現状では関西まで事業が展開されていない。2018年の株式上場を目指すというから、その時はサムマネーを投じてみたいと思っている。


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 詳しいことはここでは避ける。興味のある方は上記の本をお読みいただきたい。要は、感動価値の提供ということがソニーのDNA(遺伝子)の一つなのである。上記の金融業以外にも色んな新しい芽が出つつある。たとえば非接触IC技術「フェリカ」。フェリカは通信速度が速く、高度な暗号技術が使われており、電子マネーなどに使える、インドネシアの鉄道会社でIC乗車券としての採用が決まった。また画像センサー技術を活用した肌解析システムの提供を始めた。美容分野関連市場への進出である。音楽配信ではベルリン・フィルと組んでデジタルコンサートへ参加している。これは会員制になるがベルリン・フィルの最新のライブ映像と高品質な音楽を居ながらにして楽しむことができる。私自身も聴くことしばしばであるが、最近ティーレマンの指揮によるブラームスのドイツ・レクイエムの熱演には深い感銘を覚えた。


 書き連ねてきたことを改めて振り返ってみると、ソニーという会社には、顧客オリエンテッドな姿勢や自由闊達にしきたりや慣習にとらわれずに物事に取り組む姿勢、そしてもちろん人がやらないことや世に先駆けて開発に取り組む、などなどの遺伝子がある。

 この遺伝子こそが、新しいソニーを形づくってゆくであろう。ソニーファンのひとりとして声援をおくるとともに、期待をするものである。そしてソニーの原点であるエレクトロニクスで頑張って欲しいと思う。













コメント (2)
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