(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

反田恭平、その光と影

2023-02-26 | 料理
「反田恭平ーその光と影」

2021年の10月、反田恭平はショパン国際ピアノコンクールで第二位に入賞した。これは、内田光子さんが1970年のショパン国際ピアノコンクールで第二位に入賞して以来のことである。

 →演奏の動画(ファイナルで反田恭平が弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調) 下記のurlをクリックして下さい。

 反田は、この入賞のために様々な努力と工夫を積み重ねた。三次予選では①三つのマズルカ②ソナタ第2番「葬送」③ラルゴ「神よポーランドをお守りください。④ポロネーズ第6番「英雄」を弾いた。

 ”この中で「神よポーランドを・・・」という副題のついたラルゴは、思い出深い一曲である。このラルゴは、ショパン通でほとんど知られていないマイナーな曲である。審査員のひとりも、”知らない”といっていた。彼らも何日間にわたるショパンの音楽を聴かされていると、どこかで必ず飽きがくる。会場の聴衆にも。”ショパンにもこういう曲があるんだよ”、と知って欲しい。”

"このラルゴは、ショパンが幼い頃に口ずさんで懐かしい聖歌を思い出して作ったのものだ。ポーランド人にとってはとても馴染み深いメロディが書かれている。ポーランドには教会がたくさんあり、毎日のようにミサが行われている。ワルシャワでそういう光景を毎日見てきたから、この曲を弾けば、ポーランド人に「反田恭平というピアニストは、わが国を心から愛してくれているのだ”、というメッセージが伝わる。そういう思いでプログラムにマズルカを加えたのだ。"

 本選ファイナルラウンドでは、

 ”このファイナルは、オーケストラとの共演である。ファイナルで演奏するのはショパンの「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調」この世に存在するすべての曲の中で何よりも大好きな作品だ。この作品を弾ける喜びを10本の指で表現したい。”僕はこの曲を愛しているんです。心から大好きなんです”、という気持ちを強く持つ。あとは、思いきり演奏するだけではないか” 

 ”このコンチェルトは人間の内面や演奏家としての素質が映し出される作品だ。ソリストが暖かい心をもっていなければ、このコンチェルトは弾けない。なぜかというと、第三者が介在するからだ。これまでと違って指揮者もいてオーケストラもいる。ソリストとして、やるべきことは、自分が持っているショパンという概念、このピアノ協奏曲第1番の概念を伝え、ソリスト一人だけの力でオーケストラを変えなければならない。マインドを強く持って、こういう音を弾いて、こういうふうに弾きたいんだと伝えれば、オーケストラの音もそのように変わる。”


 ”実は、2019年11月ににピアノ協奏曲を共に演奏したのは、ショパンコンクールのファイナルと同じワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団である。しかもそのときの指揮者はコンクールファイナルと同じアンドレイ・ボレイコであった。コンクールのファイナルまで行けば、アンドレイ・ボレイコの指揮でワルシャワ国立フィルの演奏でピアノを弾くことになる。アンドレ・ボレイコがどんなマインドの人物か、どんな性格か。立ち居振る舞いからにじみ出るパーソナリティを全部記憶しておこう、と思った。そんな緊張感を以てステージに臨んだ。前年のあのコンサートがあったお陰で、他のピアニストよりも圧倒的な経験値の差を生み出すことができた。”


 反田恭平が第二位を取ることができた理由として、次のようなことを言っている。

 ”割り切れないことにこそ宝はある。モスクワやワルシャワで留学しながら、世界中からやってきた音楽家と濃密な時間を過ごせたのは人生の財産だ。とりわけモスクワ国立音楽院で寮生活を送り、男女問わず多くの友人と交友を結んだのは勉強になった。面白いことに、ピアノでもヴァイオリンでも楽器の練習ばかり長時間やっている人は、演奏の引き出しが少ない。”


 ”音楽に関係がないことに平気で時間を費やし、多趣味な人ほど演奏の引き出しが多いものだ。古今東西の文学作品を乱読し、自ら詩も書く。コンサートホールに足を運んでオーケストラやオペラやバレーを生で鑑賞するだけでなく、美術館や博物館に出かけて十分に刺激を受ける。そうした体験は、すべて音楽家にとって財産になる。”


 反田恭平は、ピアニストとしてだけでなく様々な分野でも積極的に活躍している。彼はピアニストという地位にとどまらない。2018年11月、(株)NEXUSを設立した。反田恭平/務川慧悟/岡本誠司の三人が所属している。反田が掲げるメッセージに賛同する音楽家とスタッフを、この会社を媒介としてつないでいく。

 2019年7月には、イープラスとの共同企画でとして、自身のレーベル「Nova Record」を設立した。自前のレーベルを作ったのは、日本のクラシック音楽界で初めてのことである。

 2021年にはジャパンナショナル・オーケストラ(JNO)を設立、株式会社にして法人化した。20人のアーティストが所属しており、一人ひとりのアーティトにリサイタルを開くように求めている。JNOは奈良で定期演奏会を開くだけでなく。メンバーのリサイタルシリーズを年間50回のベースで開催する。

 クラシック業界初のオンラインコンサートも開いた。2週間足らずでウエブページを作り、チケット購入窓口を準備した。サントリーホールを抑え、当日演奏できるメンバーを募った。そこに、新型コロナの猛威が恐ろしい勢いで進んだため、プログラムを急遽変更した。ピアノ、サクソフォンやクラリネット、オーボエ、ファゴット、フルートの演奏者を集め、8名でオンラインコンサートを開いた。オンラインコンサートと言ってもスタッフが集まれば密になる。このコンサートによって感染者を生み出すことになるのではないか、という批判もあった。プログラムを大きく変更し、一度に多人数が密状態にならないよう配慮した。万全の対策を打ってオンラインコンサートを決行した。平日の水曜日、午後7時スタートという時間設定だったにもかかわらず、2000人を超える人々が配信チケットを買ってくれた。当日使用した会場のキャパの何倍にもあたる人数だ。

 音楽業界で初めての挑戦は雇用と大きな利益を生み、パンデミックの渦中でも音楽家が活動していくモデルケースとなった。暗闇の中に身を投じる精神が、パンデミック時代のエンタメの可能性を切り拓いたのだ。


 2020年5月、実験的プロジェクトに挑戦した。「note」にブルグミュラーが 作曲した”25の練習曲”の音源をアップした。「note」は文章に限らず、写真や音楽、動画など作品を何でも手軽に配信できる。無料で見せることもできるし、課金制にしたり、投げ銭(チップ)を受け付ける事もできる。演奏は自宅で収録し、録音も編集も行った。価格はブルグミュラーの生まれたとしにちなみ「1800円」に設定した。このプロジェクトは評判を呼び、僅か1週間で100万円以上の収益をあげた。その後も売れ続け、2022年の今も商品価値をもつロングセラーになった。


「文化芸術後進国・日本の怠慢」として反田恭平は声を挙げた

 ”ショパンコンクールで第2位を受賞した直後、文科省や文化庁から、”反田さんの意見を聞かせて欲しい”、とのことで懇談会に呼ばれた。そこで、”これまで過去半世紀、文科省や文化庁は一体何をやってきたんですか”と、ダメだしをした。文化・芸術振興予算は増やすべきだ。”と言った。隣国である韓国では、「我々は文化・芸術のソフトパワーによって発展していく」と旗幟鮮明にしている。だから、ボン・ジュノ監督の映画「パラサイト」が米国アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞を総なめにし、カンヌ国際映画祭で最高賞に輝いた。映画、演劇、音楽などの文化・芸術を、国家を挙げて応援する。その努力が結果として結実しているのだ。政治家の皆さんに、政策を思い切って方向転換するべきだ、と申し上げたい”

     ~~~~~~~~~~


 反田恭平のことは、このくらいにして、同年のショパン国際コンクールで第一位(優勝)を勝ち取ったカナダのピアニスト、ブルース・リウ氏の語ることに耳を傾けてみたい


 →動画のURL (彼が弾いたのと同じショパンのピアノ協奏曲第一番ホ短調を演奏)



 ”予選3ラウンドではすべての審査員から「イエス(次のラウンドに進ませたい)」を獲得し、本選で演奏したピアノ協奏曲第1番も聴衆を魅了した。演奏技術の高さ、明るく新鮮なショパンは大いに注目を集めた。コンクール優勝を機に日本でも知られるようになり、来日公演のチケットは完売。2022年12月のリサイタルでは、ショパン、ラヴェル、リストの曲から成るプログラムに加え、アンコールで5曲もの演奏を行った。


リスト「ドン・ジョヴァンニの回想」の演奏が終わると、割れんばかりの拍手が送られた。続くアンコールでも、彼が1曲弾き終えるごとにスタンディングオベーションが起こった。最後の曲はリストの難曲「ラ・カンパネラ」。その演奏が始まって3音目、彼が演奏しようとする曲目が何であるのかに気づいた会場がどよめいた。聴衆の驚きと期待がコンサートホールに満ちていくような時間だった。


ピアノを始めたのは8歳。ピアニストを目指すには遅めだが、コンクールに出場するようになって以降、多くの高い評価を受ける。

カナダのモントリオール大学では、アジア人として初めてショパンコンクールで優勝したダン・タイ・ソンに師事し、個性を伸ばしながらショパンを学んだという。「ピアノはたくさんある選択肢の1つ」と語る25歳のピアニストは、今何を考えているのか。

音楽を弾く喜びやエネルギーを失わない
―ショパンコンクール優勝から1年と少し経ちました。優勝後、身の回りに変化はありましたか。演奏活動の中で感じていることは?

 ”一番の違いは時間の使い方ですね。”

”コンクール前は「次に何をしようかな」と余裕を持って計画を立てていたのですが、優勝後は「次に休憩を取れるのはいつか」を考えなければならないくらい、緻密なスケジュールが必要になった。さらに、短期だけでなく、長期的な計画も要る。3年後に自分が何を弾くのかまで考えなければいけない。


 このようにブルース・リウは、演奏を長期的な視点で考えているようだ。本格的なピアニストとして、さらなる高みを目指すならば、演奏をそして練習を長い時間続けなければならないだろう。その点、色んな事業を展開する反田恭平とは違う道を歩んでいくような気がする。

 ことのついでに、1970年のショパンピアノ国際コンクールで2位に入賞した内田光子さんのことに触れておきたい。デビューは果たしたものの、1970年代はかなり不遇の時代を過ごした。1980年代に入ると、様変わりして称賛の嵐となった。これは、1980年以降に行ったモーツアルトの演奏が英国の批評家に絶賛され一躍時代の寵児となったからだ。名実ともに国際的な主要オーケストラの定期演奏会や、その後世界的な音楽祭の常連となり、今や世界の巨匠になりつつある。


→内田光子のショパン(?)の演奏(動画)・・・動画が見つかり次第、アップします。


 反田恭平が、内田光子のような巨匠への道を歩むことになるのかどうか、現時点では見通せない。

 反田は、単なるピアニストとしての範疇にとどまらず、指揮者として、また音楽配信などのビジネスにも取り組んでいる。それに留まらず、日本の文化行政について文科省に意見を具申している。将来は、さらに他の分野でも活躍するのではないだろうか。いずれは、政治の世界でも前向きな発言をして、より良き日本を築き上げるために活躍してくれるかも知れない。そんな期待をも抱かせてくれる。まさに有為の人材である。


 くれぐれも体調に気をつけて、今後も新風を巻き起こして欲しい! 祈るや切!

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「終止符のない人生」

2023-02-15 | 料理
ブログ 「終止符のない人生」

 今回の記事は、反田恭平が書いた『終止符のない人生』に綴られている内容を紹介したものである。それに入る前に、一言、その本を読んでの感想を述べておきたい。

 ”反田は、単なるピアニストとしての範疇にとどまらず、指揮者としてまた、音楽配信などのビジネスにも取り組んでいる。それに留まらず、日本の文化行政について文科省に意見を具申している。将来は、さらに他の分野でも活躍するのではないだろうか。いずれは、政治の世界でも前向きな発言をして、より良き日本を築き上げるために活躍してくれるかもしれない。そんな期待を抱かせてくれる。まさに有為の人材である。


(1)人生を変えるショパンコンクール
 
海外のピアノコンクールにはどのようなものがあるだろうか。
 ①ショパン国際コンクール(1927年設立、200年近い歴史を誇る)
 ②エリザベート王妃国際音楽コンクール
 ③チャイコフスキー国際コンクール

 最も権威のあるピアノコンクールは、この三つ。ちなみに、かの有名なピアニストであるスタニスラフ・ブーニンは1985年の第11回のショパン国際ピアノコンクールで優勝している。

 反田恭平は、2021年のショパンピアノ国際コンクールで第二位に輝いた 。この時、反田は本選でショパンのピアノ協奏曲第一番ホ短調を弾いた。
 ”全身全霊で弾ききった”、と反田は言っている。恭平は第二位であったが 、聴衆は熱狂的に拍手し、その拍手の時間は、他のピアニストに比べ最も長 いものであった。


  →演奏の動画を挿入する(ファイナルで反田恭平が弾いたショパンのピアノ協奏曲 第一番ホ短調)
 →以下をクリックしてください。広告の後、音楽が流れます。


 ちなみに、優勝したのはカナダのブルース・リウ。使用したピアノはイタリアの名器ファツイオリ、反田恭平はスタインウエイであった。

 ショパンコンクールでは、ショパンの命日(10月17日)を休みとし、その前後にスケージュールが組まれる。今回のコンクールには、58カ国から502人のピアノストがエントリーした。新型コロナのせいで、一年延期された結果、コンクールにエントリーしてからファイナルまで2年間もの時間があった。DVDによる審査を経て、ワルシャワで予選が開かれた(2021年7月)これを無事突破し、87名が予備選を勝ち抜いた。

 コンクールの日程は過酷なものだ。3週間弱の戦いが始まった。

  ①一次予選 10月3日~7日
  ②二次予選 10月9日~12日
  ③三次予選 10月14日~16日
  ④ファイナル10月18日~20日
 
 注)一次予選と二次予選 については、文章が冗長になるので、ブログ記事の最後に再掲することにしました。

 第三次予選

  ①三つのマズルカ
  ②ソナタ第2番「葬送」 変ロ短調
  ③ラルゴ「神よポーランドをお守りください」変ホ長調
  ④ポロネーズ第6番「英雄」 変イ長調

 三次予選では、打って変わって大人の雰囲気のが漂うプログラムで構成した。「三つのマズルカ」は、ショパン晩年の作品であり、ソナタ第2番は中期の作品だ。ラルゴ「神よポーランドを・・・」はショパンの遺作だ。そしてポロネーズ第6番「英雄」は後期の作品だ。二次予選では、ショパンの音楽家人生の中で、初期から中期の作品を採り上げた。後期、晩年の作品も表現できなければショパニスととは言えない。第三次予選では、人生の総仕上げにあたる作品に選曲を特化した。いわば、「大人のショパン」に焦点を当てた。

①の「三つのマズルカ」たくさんあるマズルカの中で最も難しいと言われる。ポーランドで生活される方々に捧げる思いで、演奏した。審査員の方々にも高く評価されたのは、演奏家として光栄だった。
 
マズルカに続くソナタ第2番「葬送」はショパンが死を意識していた時期に書かれたもので曲調が非常に暗い。先の見えないコロナ禍が延々と続く2021年の世相に、「葬送」はマッチすると思った。「神よポーランドを・・・」という副題のついたラルゴは、思い出深い一曲である。このラルゴは、ショパン通でほとんど知られていないマイナーな曲である。審査員のひとりも、”知らない”といっていた。彼らも何日間にわたるショパンの音楽を聴かされていると、どこかで必ず飽きがくる。会場の聴衆にも。”ショパンにもこういう曲があるんだよ”、と知って欲しい。

このラルゴは、ショパンが幼い頃に口ずさんで懐かしい聖歌を思い出して作ったのものだ。ポーランド人にとってはとても馴染み深いメロディが書かれている。ポーランドには教会がたくさんあり、、毎日のようにミサが行われている。ワルシャワでそういう光景を毎日見てきたから、この曲を弾けば、ポーランド人に「反田恭平というピアニストは、わが国を心から愛してくれているのだ”、というメッセージが伝わる。そういう思いでプログラムにマズルカを加えたのだ。

 20年間、祖国に帰ることができなかったショパンは、39歳の若さにしてパリで息を引き取った。夭折したショパンの心臓は今も故郷に保存されている。

 ソナタ「葬送」は、暗く絶望的なまでに、どんよりとした曲調だ。その暗い和声も「ラルゴ」の明るい和音との連なり合いによって彩りがます。ポロネーズ「英雄」には復活という意味合いがある。”ポーランドの人々よ、懐かしいいラルゴを口ずさみながら初心に帰り、英雄ぽローズを聴きながら、もう一度立ち上がろうではないか”ポーランドで暮らす国民みなに、死へ向かう道から復活しようと希望をいだいて欲しい。そんな思いを込めて練り上げたのが、三次予選のプログラムだ。

 コンクールに続いてガラ・コンサートが終わったあと、ある審査員から三次予選のプログラミングをすごく褒められた。何よりも嬉しかったのは会場の拍手の長さだ。ステージを抜けた後も2~3分ほど拍手が続いた。審査員も拍手をしてくれた。

 自分がファイナリストに選ばれたことがわかった翌日、歴代の覇者から、祝福のメッセージが届いた。ポーランドのクリスチャン・ツイメルマン、同じくポーランドのラファウ・ブレハッチ・・・。ツインマーマンは、次のように絶賛してくれた。”君の英雄ポロネーズは本当に素晴らしかった。自分の信じる音楽をやりなさい。君のポロネーズは全参加者の中で一番のポロネーズだったよ”、と。

スタニスラフ・ブーニンからもドイツ語でメッセージが届いた。”あなたの演奏は単に素晴らしかっただけでなく、音楽的にもとても素晴らしかった。あなたの演奏を聞いて、私はリヒターを思い出した”

 ファイナルは楽しみでしかない!一度きりのショパンコンクールを思いっきり、楽しもう。期待で胸がはち切れるほど高鳴った。

 
 (本選 ファイナルラウンド)

 このファイナルは、オーケストラとの共演である。ファイナルで演奏するのはショパンの「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調」この世に存在するすべての曲の中で何よりも大好きな作品だ。この作品を弾ける喜びを10本の指で表現したい。”僕はこの曲を愛しているんです。心から大好きなんです”、という気持ちを強く持つ。あとは、思いきり演奏するだけではないか” 

このコンチェルトは人間の内面や演奏家としての素質が映し出される作品だ。ソリストが暖かい心をもっていなければ、このコンチェルトは弾けない。なぜかというと、第三者が介在するからだ。これまでと違って指揮者もいてオーケストラもいる。ソリストとして、やるべきことは、自分が持っているショパンという概念、このピアノ協奏曲第1番の概念を伝え、ソリスト一人だけの力でオーケストラを変えなければならない。マインドを強く持って、こういう音を弾いて、こういうふうに弾きたいんだと伝えれば、オーケストラの音もそのように変わ。

実は、2019年11月ににピアノ協奏曲を共に演奏したのは、ショパンコンクールのファイナルと同じワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団である。しかもそのときの指揮者はコンクールファイナルと同じアンドレイ・ボレイコであった。コンクールのファイナルまで行けば、アンドレイ・ボレイコの指揮でワルシャワ国立フィルの演奏でピアノを弾くことになる。アンドレ・ボレイコがどんなマインドの人物か、どんな性格か。立ち居振る舞いからにじみ出るパーソナリティを全部記憶しておこう、と思った。そんな緊張感を以てステージに臨んだ。前年のあのコンサートがあったお陰で、他のピアニストよりも圧倒的な経験値の差を生み出すことができた。

 一音目が鳴り出す瞬間、これまでの予選と違って、このコンクールで最もありのままの自分でいられた。そして演奏中は、僕の一番好きなショパンコンクールファイナルという場所で純粋に楽しむことができた。オーケストラと聴衆が共鳴し、ショパンと溶け合う夢のような40分間を過ごし、僕のショパンコンクールは幕を閉じた。

 (世界第2位に輝いた瞬間)

 ファイナルの結果発表。予定よりも、何時間も遅れた。そして、とうとう結果発表の時がやってきた。12人のファイナリスト中で8人の受賞者がいると聞いた。第6位から結果発表が始まる。4位の小林愛実さんの名前が呼ばれた。そしてファイナルまでこれたことを素直によろこぶ感情と恐怖の感情が交錯した。そして、次の瞬間、

 ”kyohei Sorita”、と名前が呼ばれた第8会大会(1970年)の内田光子さん以来実に15年ぶりに日本人としてショパンコンクールの2位に入賞した。今まで孤独の苛まれ、虚無感に襲われる日が何度あったろうか。そして、とうとう僕は栄冠を勝ち取ったのだ!会場にいた師匠ピオトレ・パレチニ先生の姿を探した。先生が満面の笑みで僕のほうを向いてくれた瞬間、涙が溢れだした。

 ”よくやったね。なんで泣いているんだい。君は立派な二位じゃないか。僕がショパンコンクールに出た時は3位だったんだよ。素晴らしい結果だ。自信を持って笑いなさい。君を教えてきたことを誇りに思うよ。ショパンを弾いてくれてありがとう。”

僕の人生で最初で最後のショパンコンクールは、こうして幕を閉じた。

(世界第2位に輝いた瞬間)
 
ファイナルの結果発表。予定よりも、何時間も遅れた。そして、とうとうっ結果発表の時がやってきた。12名のファイナリストの中で8名の受賞者がいると聞いた。第6位から結果発表が始まる。4位の小林愛実さんの名前が呼ばれた。そしてファイナルからこれまで素直に喜ぶ感情と恐怖が交錯した。そして、次の瞬間、”kyohei Sorita”と名前が呼ばれた。第8回以来、実に15年振りに日本人としてショパンコンクールに2位に入賞した。今まで孤独に苛まれ、虚無感に襲われる日が何度あったろうか。そして、とうとう僕は栄冠を勝ち取ったのだ。師匠ピオトレ・パレチニ先生の姿を探した。先生が満面の笑みで僕の方を向いてくれた瞬間、涙が溢れた。

 ”よくやったね。なんで泣いているんだい。君は立派な二位じゃないか。私がショパンコンクールのデた時は三位だったんだよ。素晴らしい結果だ。自信を持って笑いなさい。君を教えてきたことを誇りに思うよ。ショパンを弾いてくれてありがとう。”

僕の人生で最初で最後のショパンコンクールは、こうして幕を閉じた。
 
 (僕が世界で二位を取れた理由)いろいろ、書かれているが次の文章に心を惹かれた。

 ”割り切れないことにこそ宝はある。モスクワやワルシャワで留学しながら、世界中からやってきた音楽家と濃密な時間を過ごせたのは人生の財産だ。
とりわけモスクワ国立音楽院で寮生活を送り、男女問わず多くの友人と交友を結んだのは勉強になった。面白いことに、ピアノでもヴァイオリンでも楽器の練習ばかり長時間やっている人は、演奏の引き出しが少ない。音楽に関係がないことに平気で時間を費やし、多趣味な人ほど演奏の引き出しが多いものだ。古今東西の文学作品を乱読し、自ら詩も書く。コンサートホールに足を運んでオーケストラやオペラやバレーを生で鑑賞するだけでなく、美術館や博物館に出かけて十分に刺激を受ける。そうした体験は、すべて音楽家にとって財産になる。

 ”この調味料をひと匙加えるだけで、びっくりするほど味が変わるんだよ”、そういって喜んで説明しながら手料理を振る舞ってくれるイタリア人の友達の演奏は飛び抜けて明るく愉快だった。”


 (音楽で食べていく方法)

 経営者としてのモーツアルトとベートーヴェン。~これからのところが、ピアニストとしての地位にとどまらない反田恭平という男の真骨頂だと思う。


 ピアニストでありながら、経営者としての顔をもつ人は日本では少ないと思う。経営者としての仕事にかまけていたら、練習時間と自分の、落ち時間を奪われてしまう。しかし、音楽家が演奏のことだけを考え、演奏だけに専念できる時代なんて、歴史を振り返れば決して長くはない。モーツアルトやベートーヴェンは自分でピアノを弾いて作曲活動をするんだけではなく、オケの指揮者を努め、演奏会を企画してパトロンへの挨拶まわりまでやっていた。どんなに素晴らしいプレーヤーだとしても、演奏の素晴らしさを宣伝し、ファンを呼びこむマーケティングが欠けていれば客席はうまらない。

 僕は2015年に21歳で日本コロムビアからメジャーデビュさせてもらった。翌2016年1月にはサントリーホールで独奏会リサイタルを開き、2000席のチケットすべたが完売した。
 日本コロムビアで過ごした期間は3年間だった。契約を延長し、大手レコード会社の庇護のもとで活動を続けるか、あるいはモーツアルトやベートーヴェンのように、独自にマネジメントを進めて活動の幅を広げるべきか・・・僕は後者を選んだ。

 僕をすくい上げてくれた日本コロムビアのプロデューサーは、「なんでもやってみなければわからない」という一本気な人だ。若造が独立したいと言い出しても、”わかった、頑張ってみなさい”、と言って快く晴れやかに送り出してくださった。

 2018年11月、株式会社NEXUSを設立した。NEXUSとは、英語で「つながる」「絆」「集合体」という意味だ。NEXUSには、現在、僕と務川慧悟さん、岡本誠司さん(ヴァイオリニスト)の三人が所属している。
 2021年5月、務川さんはエリザベート王妃国際音楽コンクールで第三位に輝いた。岡本さんは2021年9月、ミュンヘン国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝した。そして2021年10月、僕がショパンコンクールで第二位。NEXUSに所属する三人のアーティストが、おのおのの最後となる国際コンクールに挑戦し、全員が素晴らしい成績を残した。                                   
 

 (日本クラシック音楽界初のレーベル誕生)

 2019年7月に。イープラスとの共企画として、自身のレーベル「NOVA
Recordを設立した。
自前のレーベルを作ったのは、日本のクラシック音楽界で僕が初めてだ。ロックをやっているインディーズバンドの世界では、自分でレーベルを立てることは珍しくない。他のジャンルのアーティストに聞くと、大手レーベルから「次のCDにはこの曲を収録してください」などと言われることが結構多いようだ。そもそもCDがなかなか売れない時代なのに、自分の本意ではないCDを作品として発表したくはない。アーティストに寄り添い、本人が録りたい曲を残していくのがベストだと思う。CDの売り方をまったく新しい形でと考えていくなか、コンサートのチケットと紐つけていくというアイデアをイープラスと実現。その結果、NEXUSとイープラスの共同事業としてNOVARecordの設立につながったのだ。


 (ジャパンナショナル・オーケストラ(JNO)を株式会社に)
 
 コロナ禍の2021年、幾多の変遷を経て経てジャパンナショルオーケストラを設立した。株式会社にして法人化した。この設立に資本協力し、後押ししてくださったのは工作機械メーカーDMG森精機の森雅彦社長。その会社の拠点が奈良にあることから、ジャパンナショルオーケストラは奈良に拠点を構えた。そしてDMG森精機の役員である川島昭彦さんに、わが社の会長に就いて頂いている。ジャパンナショルオーケストラには、20人のアーティストが所属している。このオーケストラに所属する条件として、一人ひとりのアーティストにリサイタルを開くよう求めている。スケジュールが許す限り、僕がピアノを弾いて応援する。矛川慧悟さんにも、コンサートに参加してもらうこともある。JNOは奈良で定期演奏会を開くだけでなく。メンバーのリサイタルシリーズを年間50回のベースで開催する。若い音楽家が全国津津浦浦を回りながら、今までクラシックを聴く機会がなかった聴衆を掘り起こし、クラシックブーム牽引してほしいと期待している。
                   
 (クラッシック業界初のオンラインコンサート)
 新型コロナ禍でパンデミックは凄まじい猛威を振るい、コンサートやイベントは軒並み中止されていった。このままでは音楽家やスタッフの収入はゼロとなり、コンサートが二度と開けなくなってしまうかもしれない。その中でも。どうにかして演奏し、雇用とお金を生み出せる方法はないものか。僕は動いた。イープラスの橋本会長に、”こんどこそオンデマンドの有料配信コンサートを開くべきではないですか”、と迫った。色々な反対意見もあったが、橋本会長は、最終的に僕の意気込みに賛同してくださった。
        
 そこから僅か2週間足らずでウエブページを作り、チケット購入窓口を準備した。サントリーホールを抑え、当日演奏できるメンバーを募った。そこに、新型コロナの猛威が恐ろしい勢いで進んだため、プログラムを急遽変更した。ピアノ、サクソフォンやクラリネット、オーボエ、ファゴット、フルートの演奏者を集め、8名でオンラインコンサートを開いた。オンラインコンサートと言ってもスタッフが集まれば密になる。このコンサートによって感染者を生み出すことになるのではないか、という批判もあった。プログラムを大きく変更し、一度に多人数が密状態にならないよう配慮した。万全の対策を打ってオンラインコンサートを決行した。平日の水曜日、午後7時スタートという時間設定だったにもかかわらず、2000人を超える人々が配信チケットを買ってくれた。当日使用した会場のキャパの何倍にもあたる人数だ。

 音楽業界で初めての挑戦は雇用と大きな利益を生み、パンデミックの渦中でも音楽家が活動していくモデルケースとなった。暗闇の中に身を投じる精神が、パンデミック時代のエンタメの可能性を切り拓いたのだ。


 (「note」で100万円を稼ぐ)
                                     2020年5月、実験的プロジェクトに挑戦した。「note」にブルグミュラーが 作曲した”25の練習曲”の音源をアップした。「note」は文章に限らず、写真や音楽、動画など作品を何でも手軽に配信できる。無料で見せることもできるし、課金制にしたり、投げ銭(チップ)を受け付ける事もできる。演奏は自宅で収録し、録音も編集も行った。価格はブルグミュラーの生まれたとしにちなみ「1800円」に設定した。このプロジェクトは評判を呼び、僅か1週間で100万円以上の収益をあげた。その後も売れ続け、2022年の今も商品価値をもつロングセラーになった。
 注)この話を聞いて、今「note」の勉強をしているところだ。

 名門大学を卒業したからと言って、その音楽家が1000人、2000人 のコンサートホールが満席にできるとは限らない。だからと言って、甘ったれた言い訳をして逃げを打つべきではない。ネットを使った有料配信だって、可能だし、「note」のように誰でも今日から参加できる使いやすいプラットフォームだってある。そこで作品を発表してみればいい。音楽を発表する場がない、という言い草は単なるい言い訳だ。イープラスの有料配信やnoeでの音源発表を成功させた私に続いて、後輩の若い音楽家たちもどんどん挑戦して欲しい!

 (エンタメ飽和時代に音楽が生き残る道)

 以前から、僕は旧態依然たるクラシック音楽界に不満を抱いてきた。ビジネスチャンスがいくらでも転がっているのに、クラシック業界は現状に甘んじて新規顧客の開拓を怠ってきた。都市部から離れた地方の町や村、山間部で暮らす人々はN響のようなオケの演奏を生で鑑賞する機会が少ない。そういう人たちのために、有料のオンライン配信で音楽を届けるのは、パンデミック前の時代からできたはずだ。コンサートホールに出かけて生演奏を聴くのが基本だ。配信などという邪道に手を染めるべきではない。そういう見方もある。しかし、そうやって現状にあぐらをかいていたら、Netflixやアマゾンプライムビデオといった膨大なコンテンツを手軽に受け取れる時代の中で、若い人たちはどんどんコンサートホールから離れていってしまう。

 1000円や1500円を払い、PCやスマホで素晴らしコンサートを楽しむ。するとその人たちは、”配信でもこれだけ感動するのだ、コンサートホールの現場で生の音を聴いたら、さぞかし満足度は高いだろうな、次はホールにでかけてみよう”、と思うに違いない。


 (大衆に染み込むクラシック音楽をつくる) 

 我々クラシック音楽の世界は、「ちらし」だけに頼りすぎているのではなかろうか。コンサートが始まる前まで時間にチラシをぱらぱら眺め、、気になるコンサートのチラシを2~3枚抜き取って、残りのチラシは捨ててしまう人が大半ではないだろうか。もちろん何らかの形で宣伝しなければ、ピアニストやヴァイオリニストなど音楽業界に係わるすべての人たちは生活していけない。でも宣伝広告の方法が「紙」だけである必要はまったくない。他にもやり方はあるはずだ。

 僕はこれから、クラッシック音楽に特化したスマートフォンアプリを開発しようと計画している。そのアプリをスマホで開くと。今週どこの都市でどんなコンサートがひらかれるのか、見どころはどこなのか一斉に表示される。
”明日の会食の予定が急にキャンセルになってしまった。今からでも買えるチケットはあるかな”、と思ったら、その場で検索してチケットを予約し、QR子どをかざせばチケットレスで会場に入れる。そんなアプリがあれば、音楽家とクラシック音楽ファンをつなぐコミュニティになるのだ。
 
 ”コンサートホールはお洒落をしてこなくてもいい。ジーンズやラフな格好で大歓迎、普段着のままリラックスして来てください”、・・・”今日のプログラムの第2部は、第1楽章から4楽章まであります。最後にはスタンディングオベーション大歓迎です”、などといえばコンサートホールへの敷居はグンと低くなる。


 (クラシック音楽界は乃木坂46と武井壮に学べ) 

 乃木坂46から学ぶことは沢山ある。東京ドームのコンサートを観に行ったことがある。リアルな握手会にしても、配信イベントにしても、彼女たちの痒いところに手が届きくようなファンサービスは、ファン心理をよく理解している。・・・こビジネスモデルはクラシック業界にも応用できるかも知れない、と好奇心が刺激される。

 僕より21才年上の武井壮さんは、兄貴分としてぶっとんだアイデアを語ってくれる。”音楽という垣根を超えて、たった一音だけで人を感動させる能力が君にはある。もし、俺がピアノを弾いていたら10億は稼げるよ”


 武井さんは、真顔で、”物事は地球規模で考えなきゃ駄目だよ”、と言う。
ずいぶん前から武井さんはこう言っていた。”俺だったら、グランドキャニオンにピアノを持っていくよ。そこで君がピアノを弾いて、ドローンを飛ばしてミュージックビデオを作る。「反田恭平と行くグランドキャニオンの旅」をオンラインで企画するんだよ。コロッセウムの前にピアノを置いて、イタリアの音楽家の作品を弾いたっていい。”、と。


 クラシック業界だけに身を置いてくすぶっていたら、こういうアイデアを思いつくことすらなく、保守的な姿勢に甘んじて腐敗していってしまう。ただでさえ化石のように遅れているクラシック音楽の業界に新風を巻き起こしたい。武井さんが思い描くぶっ飛んだアイデアは、今すぐにでも実行可能だ。                                   

 (音楽の未来)

 コロナ禍の2021年、オンラインサロン「ソリステアーデ」を立ち上げた。クラシック音楽業界には、もともと、音楽家がじかに集うサロンが各国に存在していた。今の時代にあわせて、自分も音楽家やクラッシックファンが集うオンラインサロンを運営してみようと考えた。まずは無料でサロンを立ち上げる。たちまち3万人を超える会員が集まった。年会費5、000円のレギュラー会員、年会費3万円のプレミアム会員の枠を設けたところ。有料会員は次第に増えていった。
 しかし残念なことにコンサートチケットを入手しずらい状況が続いている。そこで有料会員を対象に、先行販売の枠を設けた。未公開映像をや音源、メッセージをオンライン上で配信したり、会員とリアルに『触れ合えるファンミーティングも企画している。


 僕のサロンでは最前線で活躍するプロの演奏家のレッスンをオンライン上で受けられる。、ジャパンナショナル・オーケストラが拠点をおく奈良へ足を運ばなくても、地方にいながらレッスンを受講することが可能だ。自分が演奏した動画をプロの演奏家に送り、その動画を見てもらってアドバイスをしてもらう。

 (バーチャル・リアリテとメタバースの未来・・・省略)

 (クラッシク音楽業界にDX革命を起こす)

 新聞や雑誌などの紙媒体の経営は大変だと思う。どうにかして新聞や雑誌などを存続させなければいけない。オンラインサロンの有料会員は、まとまった年会費を支払ってでも、反田恭平や「ジャパン・ナショナル・オーケストラのコンサートをどうしても見たいのだ。そこまで熱心な応援団がいることは最大の強みだ。まずは核となる有料会員を大切にしながら、オンラインサロンを充実させていく。オンラインサロンの有料会員を大切にしながら、オンラインサロンを充実させていく。反田恭平のピアノとジャパンナショナル・オーケストラの魅力、クラシックの豊穣な世界観を伝えながら、オンラインサロンの有料会員を少しづづ増やしていく。環境の面からも「紙のチラシ」は、スマホのアプリに集約すべきだ。すアホアプリでダウンロードしたQRコードをピットやれば、コンサートホールの入り口でもぎりをやる必要はなくなる。

 クラッシク音楽界にもDX革命をおこすべきだ。
クラッシクに、J-POP、K-POP、ロックに演劇、能や歌舞伎に到るまで、様々なコンサートを観てくれる観客層が、600万人いるとしよう。まずはアプリを100万人にダウンロードしてもらい、ゆくゆくはリアルな観客層600万人がダウンロードしてくれれば凄い時代が訪れる。

 TBSの「情熱大陸」では、2016年の放送に続いて2020年にも「反田恭平」を取り上げて頂いた。そしてさらに、ディレクターがショパンコンクールへの挑戦に密着し、2021年には三度目の「情熱大陸」放送が実現した。それらが絶大な効果を発揮して、僕のコンサートはものすごく注目された。2022年の日本で、まさかショパンとクラッシックがこんなに注目されるとは思わなかった。一部のクラッシック好きしか聴いてくれなかったジャンルが、大衆に届きつつある。


 (ピアニストから指揮者へ)

 指揮者になることは小さい頃からの目標だった。そして70才。80才になっても円熟の指揮者として人々に感動を与える人生を歩みたい。
 譜面を読む読譜能力と世界で通用するピアノの技術はショパンコンクールの結果で公正に認められ、自信につながった。次は指揮者としての技術を着実に身につけ、経験と場数を踏む必要がある。ジャパン・ナショナル・オーケストのメンバーと切磋琢磨しながら、ともに腕を磨いて向上していきたい。

 指揮者の中に、話が下手な人は一人もいない。音が出せない分、自身の音をオーケストラに伝えること、「言葉」が大切になってくる。小説や詩集を読んでいるときに見つけた、幻想的できれいな一節を抜き出すのもいい。文学や哲学、宗教そして歴史、すべては指揮者にとって必要な知識だ。音楽と知識を頭の中に豊富に蓄え、これから指揮者としての哲学を育んでいきたい。


 (文化芸術後進国・日本の怠慢)・・・これも反田恭平の哲学の一つの現れだ。ショパンコンクールで日本人ピアニストが第二位に入賞したのは、1970年の内田光子さん以来、51年ぶりだ。韓国でも中国でもベトナムでもショパンコンクール第一位のピアニストは、とっくに誕生してる。日本は世界の経済大国であるにもかかわらず、未だに出遅れて世界第一位を輩出できていない。ひとえに音楽家本人の実力が至らなかったということはあるけれども、その上で敢えて苦言を呈したい。』日本政府は、文化・芸術の支援に力をいれるどころか、個々の努力に任せて放置している現状には耐えられない。
 日本の国家予算に占める文化予算の割合はフランスの8分の1、韓国の9分の1。10倍近い体制で国を挙げて音楽家を支援しているのだから、日本がフランスや韓国に負けるのは当然だ。


 ショパンコンクールで第2位を受賞した直後、文科省や文化庁から、”反田さんの意見を聞かせて欲しい”、とのことで懇談会に呼ばれた。そこで、”これまで過去半世紀、文科省や文化庁は一体何をやってきたんですか”、ダメだしをした。文化・芸術振興予算は増やすべきだ。”と言った。隣国である韓国では、「我々は文化・芸術のソフトパワーによって発展していく」と旗幟鮮明にしている。だから、ボン・ジュノ監督の映画「パラサイト」が米国アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞を総なめにし、カンヌ国際映画祭で最高賞に輝いた。映画、演劇、音楽などの文化・芸術を、国家を挙げて応援する。その努力が結果として結実しているのだ。政治家の皆さんに、政策を思い切って方向転換するべきだ、と申し上げたい。~クラシックは人の心を豊かにする!


 (奈良を日本のワルシャワへ)
 
 ジャパンナショナルオーケストラは、奈良を拠点にしている。1600年前、奈良には平城京という首都があった。中国大陸や朝鮮半島から最先端の文化・芸術が注ぎ込まれたお陰で、日本は見違えるように様変わりしていった。奈良には当時の仏教文化の遺産が数多く残されている。この文化遺産を何百年も何千年も大切にしていこうという謙虚な姿勢が奈良には満ち溢れている
 
 ポーランド人の国家に対する思い、祖国に抱く愛情が強烈であり、どこまでも深い。このことは奈良にも共通する。奈良で暮らしていると、ワルシャワ二共通するものをいつも感じるのだ。

 いずれ全国、全世界から音楽家が奈良を目指す流れを創りたい。
2022年4月、僕は奈良県の文化政策顧問に就任した。奈良はもちろんのこと、ジャパン・ナショナ・ルオーケストラと奈良市も連携協定を結んでいる。奈良県内や近隣の自治体から小中学生や高校生が音楽を聞きに来る。・・・
音楽の街・奈良で、子供も若者も高齢者も、誰もが音楽を楽しめるフェスティバルを、いずれ立ち上げる。・・・僕がワルシャワのショパンコンクールを目指したように、世界中の音楽家が奈良に思いを馳せ、コンクールで芸術的完成の高みへ至る。世界中の人々を魅了する音楽家が、このコンクールから次々と誕生すれば素晴らしいではないか!

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 この後、「僕を支えた天才たち」として、幼なじみの小林愛実、もうひとりの天才である矛川慧悟について、友情に溢れる思いを語っているが、このブログでは割愛することにした。いずれ改めて語る日もあろう。


 最後に反田が語った言葉をあげて、終わりとする。

 ”人生とは終わりのない音楽なのだ”

ご清聴ありがとうございました。

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(一次予選ならびに二次予選)については、 記事が冗長になるので、ブログの記事では、割愛しましたがご興味のある諸兄姉のために、以下に再掲致します。

 一次予選で反田が選んだのは、ノクターン第17番/エチュード集第1番/同第10番/スケルツオ第2番を選んで弾いた。最後にワルシャワの聴衆のために、このスケルツオ第2番を選んだ、なお前半の三曲は審査員にターゲットを絞って弾いた。 (注 上記並びに以下の文章は、反田が自ら語った言葉である)

 第2次予選

  ①ワルツ第4番 へ長調(猫のワルツ)
  ②マズルカ風のロンド へ長調
  ③バラード第2番 へ長調
  ④アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調

 第二次予選では、自分の演奏スタイルを大きく変えようとシミュレーションシていた。5年に一度開かれるショパンコンクールの審査員は入れ替わる。
その年によって、時代の流れによって、コンクールの傾向と審査員の好みは変化する。2015年、2010年のコンクールを分析し、今回のコンクールは2010年のスタイル(代表的キャラクターを強く打ち出すショパンの曲が多かった)に近いと考えた。 (注、なぜそうなるか理由はうまく明かされていない。)

 二次予選では、自分の個性を大事に。ポーランドに渡って学んだ。王道のリズム感や抑揚をだす、というプランを考えた。存在感に訴えかえる演奏方法でピアノを弾く必要があった。二次予選では、自分の個性を大事にストーリー性を生み出すことにした。同じ調性(へ長調)の作品を三曲も並べるのは。かなりリスクが大きい。下手したら審査員に飽きられてしまう。同じ曲でも趣向を考えて工夫すればよい。審査員の立場に立って選曲を慎重に考えた。コンサートは40分、あるいは一時間半(休憩を挟んだ2セット分)、審査員は聴くことになる。それも何十人というピアニストが参加する訳だから、同じ曲を10回も20回も聴かなければならない。そんな審査員の気持ちになってプログラムを細部まで考えた。”おっ、このピアニストは他の人と一味も二味も違うぞ、こいつは本物かも知れない”、とはっとさせたかった。だからへ長調の曲をあえて三曲連続で並べ各々のストーリー性を生み出そうと考えた。












                                  






























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