(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書『邂逅』(つづき)

2008-11-27 | 時評
 ”わかったかわからぬかしかとわからねど読みて愉しき『免疫の意味論』”
 ”絶え間なく「自己」と「非自己」がたたかいつ変身すなり身のうちの「自己」”
                                ー(和子)

多田富雄の『免疫の意味論』(1993年4月 青土社)は、現代免疫学の重要な問題をに触れ、免疫学の観点から生命の本質について深い考察を行ったものである。それを読んだ鶴見は、地球上での人類社会における共生の問題にまで及んで深く考える。

 免疫というのは、あえて単純にいえば生命体(「自己」)が、病原体など(「非自己」)を排除して、その生体機能を維持することである。しかしそれだけではない。

 ”免疫ができたのは脊椎動物からですが、「自己」と「非自己」を厳密に区分し、「非自己」の侵入に対して抗体の合成やリンパ球などの働きを総動員して、複雑な反応の仕方を発明しました。その中には、排除の反応のみならず、「免疫学的寛容」という新しい異物との共生の仕方もふくまれます。「免疫学的寛容」というのは条件によっては異物を「自己」の成分と同じように扱い、排除をやめて共生する戦略です。” ー(多田富雄)

 このことを多田は、さらに分りやすく説明している。(スーパーシステム間の共生)

 ”さて最後の議論、スーパーシステム間で共生は可能かという問題です。変化する環境に対応して絶えず変化しながら、「自己」を護ろうとしているスーパーシステム(*注を参照ください)は、当然他者との関係で自己形成(自己組織化)していきます。そのためスーパーシステム同士は相互依存関係になります。脳と免疫、脳と個体、免疫と個体など、もし矛盾が起これば大変なことになってしまいます。ある種の自己同一性障害や自己免疫疾患は、その矛盾が現われたものです。そういう危険を回避するために、脳も免疫も、いろいろな戦略をを使っているのです。免疫の場合は、「寛容」という戦略です。「非自己」に対する拒絶反応をやめてしまって、「自己」と同じように扱うのです・・・・・・異なるものが相互に依存しながら構築している生物界は、もうひとつ高次のスーパーシステムに他ならない。ここに成立しているルールを大事にするというのが、私の主張です。”

     注)「スーパーシステム」・・・・生物学的にみた「自己」というものの成り立ちを議論した多田は、生命機械論的なメカニズムに支えられながらも、やがて機械を超えて生成してゆく高次のシステムとしての免疫系を、「自己」というものを自ら創り出してゆく「スーパーシステム」とみる立場を強調した。

 まるで今の世界が抱えている異なる主義、主張、宗教などについての対立の問題を指摘しているのかとも思える。これに関して、鶴見は次のような見方を言う。

 ”それでたとえば私がいいと思っているのは(南方熊楠のいう)南方曼陀羅の原理なんです。異なるものが異なるままに生きる。お互いに助け合い補い合って共に生きる関係にある。そのことによって地球の上に人類が生きながらえることができる。・・・ところが現在、世界の中で進行していることは、様々な国がありますが、最も軍事力が強くて最も経済力が強い国の統治者が、自国の文化、自国の価値観が最も優れたものだと信じ込んでいるのですね。そして、それで世界中を覆ってしまおう、それに従わないものはすべて力で消してしまおう、そういう原理があって、寛容の原理と非寛容の原理が、いま世界で対立しているわけです。”ー(鶴見和子)


 多様な原理を認めあうことの重要性を説く、彼女の意見には深い共感を覚える。

以上でこの興味深い本の紹介を終えることにするが、ひとつだけ多田富雄の神経細胞の再生についての見方にコメントを加えておきたい。多田は、”自分の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので、決してもとに戻ることがないくらいのことは、良く理解していました”と序で述べている。しかしこの見方は必ずしも、最先端の医学の世界では、正しいものではなく神経細胞の再生という現象が起こりうるという見方が出ていることを指摘しておきたい。

 これは畏友川口三郎兄(京都大学医学部名誉教授 高次脳科学講座・認知行動脳科学分野)が、長年追求してきたテーマである。根気強く研究と実験を繰り返した結果、、哺乳動物の中枢神経系伝導路で顕著な再生が起こることを突き止めている。『人体再生』(立花隆 中公文庫 2003年1月)に著者と川口教授の対談があり、詳しく解説されているので、そちらを参照いただきたい。なお、この『邂逅』という本も、じつは川口兄より紹介されてものである。良書のご紹介に改めてあつく御礼申し上げたい。

          ~~~~~~~~~~~~~~

 堅いばかりの話題になってしまいました。ひとつ多田富雄に関するエピソードをご紹介して、本稿を閉じることにします。

それは免疫学の大先達である石坂公生さんが、「私の履歴書」で書いていることです。1960年代の終わり頃、デンバーにある小児喘息研究所時代のこと。

 ”デンバーの自宅ではよく研究室の仲間を集めてパーティをした。クリスマスとニュウーイヤーズ・イブのパーティは恒例であった。この時は多田富雄君手づくりの看板がかかった地下のバーが大活躍した。看板に書かれた "Bar Tada" には「全部ただ(無料)」という意味もあった。多田君は、パーティでバーテンダーをしたが、帰国して抗体の産生を制御するサプレッサーT細胞に関して素晴らしい研究をして文化功労者となった。”

 ついでのことであるが、イタリアに恋をした多田富雄には、『イタリアの旅からー科学者による美術紀行』と題する魅力的な紀行文がある。
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気まぐれ日記/オバマ次期大統領の目指すところ

2008-11-26 | 時評
<CHANGE・GOV と題されたオバマ次期大統領のウエブサイト

("Today we begin in earanest the work of making sure that the the world wel eave our children is just a little better than the one we inhabit today"

(私たちは、わたしたちの子供たちに、今住んでいるところよりもすこしでもより良い世界を遺すことができるよう真剣に取り組むことを今始める)


 バラク・オバマ次期大統領は、最近(大統領選の直後に)ウエブサイトを立ち上げた。これは政権移行期間(トランジション・ピリオド)を対象としたものである。その内容の充実振りには驚かされる。単なる”ご挨拶や当選御礼”というようなものではまったくない。ニュース・レリースの紹介から、陣営の人々に関連するブログ、トランジションまでの活動の説明、それには様々な政策にかんする考え方も含まれる。その中でもひときわ目をひくのが、"American Moment" とのタイトルのついたセクションである。ここでは、あなたのビジョン、あなたが政権にもとめること、あなたの考え方などみんなの意見を求めている。付随的に書かれているのではなく、むしろサイトの重要な位置をしめている印象をもった。

 このような政治的な意味合いをもったもので、しかも最大最強のアメリカの政治家が、大統領の座に座ろうとする人間を中心にもったチームが、このようなウエブサイトを今まで持ったことがあったであろうか。内容の濃さというよりも、ネットを通じてこのように考え方を発信し、草の根の力を結集しようという、言い方をかえればこれまでのホワイトハウス中心の政治の仕組みを一新しようととの意気込みを感じるのである。

 ジャーナリスとのバイブルとも言える『世論』(W・リップマン Public Opinion  1922 岩波文庫)という名著がある。リップマンは、第一次大戦の混乱の背景を究明し、大衆心理が如何に形成されるかについて深い考察を行った。それはきわめて優れた考察ではあるが、民主主義の基本的な統治原理ーひとびとの意見の合理的形成という前提に強く疑問を呈したものであった。分りやすく言えば、世論は絶対ではない、世論を形成する大きな要因は、個人の固定観念だとの主張である。その上にたってのリベラル・デモクラシーのあり方を論議する。一種の知的エリートの意義を説くようにも見えるところがある。・・・(だからと言って、この本の価値をおとしめるものではないので、念のため)

 ところで『「みんの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー 角川書店 2006年1月) という興味深い本がある。このブログの開始当初の2006年12月にもかんたんにこの著を紹介した。この本の面白いところは、は、集団の知恵(集合知)が優れていることを、いくつもの具体的なケースから実証していることである。上述の『世論』のいうところとは、違っている。むしろ反対方向である。

 ”正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。・・・・!

 ”集団の知恵と呼ぶこの知力は、いろいろの装いでこの世に現われる。それはインターネットの検索エンジンであるグーグルが何十億というウエブページをスキャンして探している情報が載っているページをピンポイントで発見できる理由でもある”
 ”もっとも重要なのは意志決定の人数を少なくすればするほど、最終的に正しい可能性に達する可能性が減るということだ。しかも政治的な意志決定はあらかじめ決まっていることをどうやって実行するかという方法を決めるだけの話ではない。だいたいはまず何をすべきかという目標をきめなければならず、自分たちが住んでいる社会のあるべき姿や価値観の問題などが絡んでくる。こうして問題に関して、一般人よりも専門家の方が優れた判断を下せると考える理由はない。・・・”

ただし、この集団の知恵を活用するためには、集団を構成するメンバーの多様性、独立性、それに分散化が備わった集団に加えて、集団のメンバーを一つに集約する仕組みもなければならない。

訳者の小高尚子さんという人が書いた後書きの言葉が印象に残っている。

 ”私たちが現実の政治でみる民主主義は完璧とは程遠い仕組みではあるけれど、多様な考えが見られる集団に意志決定を託すことによって、一義的に決められる独善的な“正義”を排除しようとするのは、やはり集団の知恵、叡智なんだと思う”

 オバマ自身が言っているように、今後の道筋は容易ではないだろう。しかしが彼の取り組もうとしている新しい政治のあり方には注目してゆきたい。日本のジャーナリズムも、オバマ政権に知日派がいるのかどうかといったことではなく、むしろこのような新らしいリベラルデモクラシーの動きに注目し、報道して欲しい。



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読書『邂逅』

2008-11-23 | 時評
読書『邂逅』(多田富雄・鶴見和子 藤原書店 2003年6月)

 免疫学者でとして有名な多田富雄と社会学者の鶴見和子、この二人の手になる往復書簡による対話は、二人がそれぞれ脳梗塞と脳出血で倒れた後に行われたものである。当初は二人の対談という形をとることになっていたが、多田富雄が右半身の不随と声を失いさらには嚥下障害という問題を抱え、一方鶴見和子は運動神経が壊滅的状態となり半身麻痺、車椅子でリハビリを迫られるという状況になって、止むを得ず書簡の交換ということになった。しかしそのお陰で時間をゆっくりかけて、二人の巨人が対話をすることになり、大変に内容の濃い対話となった。鶴見和子は、この3年後に世を去っている。

 ”絶え間なく変身しつつアイデンティティ保つかぎりは生きている「自己」”
 ”我がうちの埋蔵資源発掘し新しき象(かたち)創りてゆかむ”
                                       ー(和子)

二人の思索の跡を手紙の中から辿ってみたい。

 ”1997年は、私にとって回生ー本当の意味の回生元年になりました。それ以前とそれ以後の違いを考えてみると、人間は倒れてのちに始まりがある。決して倒れてそのまま熄む(やむ)のではない、ということを今しきりに考えています。それは何かというと、人間にとって「歩く」ということは、生きることの基本的な力になる、したがってもしその潜在能力が少しでも残っているならば、とうしても「歩く」ことが生きるために必要になります” (鶴見)

 ーこれに対し多田も「歩くという行為が人間の条件の一つ」と共感する。

鶴見は倒れたけれど、幸い言語能力と認識能力は完全に残った。そして倒れてから一時も意識を失うことがなく、その晩から言葉が短歌かたちで湧きだしてきた(幼少より佐々木信綱門下で短歌に親しんできた)。そして監視付ではあるが杖をついて、歩くようになると「活性化」がおこり、全身に血が巡る。酸素がゆきわたる。そういう感じが身体の中に漲ってくることによって、頭もはっきりしていた、と語る。そして片脚麻痺は回復しない重度障害者と告げられても、「後へ戻れないならば前へ進むよりしょうがない、つまり新しい人生を切り開く」と覚悟を決めた。

 二人の話題は、多田の書いた能の世界のことに移る。ご存じのように多田富雄は能に造詣が深く、新作能の脚本もいくつか書いている。

 ”あれ(新作能『無明の井』)をNYにもってらしてニューヨーク・タイムズ紙に素晴らしい評が出ました。伝統芸能としての能が、現代の先端医学の問題である臓器移植の問題を、実に深く描き出している。古いものと新しいものとのつながりの美しさ、それに感動しました。その次の『望恨歌(マンハンガ)』。強制連行された韓国・朝鮮人と、その残された妻の物語ですね。戦争責任をあのようなかたちで美しく、しかも鎮魂歌として描かれた。これには驚きました。・・・・このように非常に新しい問題と古い伝統文化との、まことに見事なつながりを実作していらっしゃる。そのことが『生命の意味論』という難しい本の中にもちゃんと出てくるのが驚きでした”

これに対する多田のコメントも興味深い。

 ”私は新作能など作る気はなかったのですが、『無明の井』を書いたとき、能という演劇が強い同時代性を持っていることに驚きました。伝統文化といいいますが、長いあいだ伝えられるその時々に、いつも優れた同時代性を発揮しなければ、到底時代の動きに打ち勝って生き延びることはできなかったと思います。そういう適応力と破壊力に裏打ちされた創造性を感じたのです。


          ~~~~~~~~~~~~~~

 興味深い対話がつづきますが、長くなりますので、つづきは次回に。その前に今は落葉の季節ですので、それにちなんで<アポトーシス>(細胞死)のことについてかんたんに触れておきます。

 ”(『生命の意味論』を読んで)人間は3兆個の細胞によってなりたっているけれども、その中の3千億個くらいは毎日死んでいるとお書きになっています。アポトーシス(細胞死)というものがいつでも起こって、それが新しい細胞が生成されるのに役だっている。その死骸は他の細胞が食べてしまう場合もあるし、そのまま断片が身体の中に残っていることもある。そうすると死んだ細胞の断片が、新しい細胞とくっついてまた新しい細胞をつくる。面白いなあと思ったのは、文化の中でも、もう死んでしまった、過去のものだと思っているものが、いつか発掘されて、新しい文明なり思想なりを形成する時に役立つ。生死の循環構造というものが、人間の体の中にでも、生命現象の中にでも現われている。そういうことが、言えるのかと思って
・・・・”ー(鶴見和子)


 アポトーシスという言葉は、ギリシャ語のアポ(下に、後に)とプトーシス(垂れる、落ちる)の合成語で、もともとはは医学の祖といわれるヒポクラテスが用いたとされいる。アポトーシスはもとは、秋とともに始まる落ち葉という現象をさしたものと言われている。落ち葉は風のような外力によって引き起こされるものではなくて、季節のめぐりとともに植物の葉の付け根の細胞におこる生理的細胞死の結果生ずるものである・・・・”ー『生命の意味論』(多田富雄 新潮社 1997年)より


                                (つづく)









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予告編/読書『邂逅』

2008-11-19 | 時評
(多田富雄さんと鶴見和子さん(故人)の往復書簡による対話です。すこし前の本ですが、改めて読み進むと衝撃的に響いてくるものがありました。しばし時間を頂戴し、週末の登場になります)
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読書『ホメロスの丘』

2008-11-17 | 時評
読書『ホメロスの丘』(白柳美彦 朝日新聞社 1973年3月)

 この400頁余の大著は、トロヤ遺跡を発掘したハインリヒ・シュリーマンの伝記である。
 
 ”テレマコスが流浪して行くへ知れずになっている父の消息を求めよう船出をすると「眼光輝くアテネは一行のために順風を起こし、激しい西風が、葡萄酒色の海の面を、音を立てて吹く渡る」”

 そして誰も張ることのできない大弓も

 ”さながら竪琴と歌に堪能な男が、、よくにないあわせた羊の腸線(ガット)を両方に引き延ばし新しい糸巻(ペッグ)に苦もなく絃を張る如く、オデュッセウスは事もなげに、大弓を張り、右手で弾いて絃を試みると、絃はその指の下で燕の声にも似た響きをたて、美しく鳴る。”ー松平千秋訳 「オデュッセイア」(岩波文庫)

 こんな美しい詩文で彩られた叙事詩を読んで、だれがこの前世紀の古代文学の物語りを、実際にあった話に基づくものと思うだろうか。燃えさかる古代の巨大な城を背景に、いましも一人の武士が年老いた父と幼い息子の手を引いて城門を落ちて行く。それは落城するトロヤの城塞を描いた「子どものための世界史」の一枚の挿絵であった。これを見た、まだ8才のハインリヒ・シュリーマンは、作者のイエーラーが実際に見たものと思い、幼なじみのミンナの手をと取って、”一緒にトロヤを掘るんじゃないか”と誓ったのである。

   注)このトロヤは、現在のトルコ共和国の西北端に位置している。

この本は、シュリーマンの波瀾万丈の人生とその後貿易などのビジネスで成功をおさめ、その財でトロヤ遺跡を発掘する過程をつぶさに描いている。語学に天賦の才を発揮した前半生のことについてはブログ・メイトである柳居子兄の名文があるので省かせていただく。すこし加えるとすれば、その活躍の舞台がロシア・ドイツ・オランダ・アメリカなど広い範囲に渡り、かつ各地で当時の有力者、たとえばアメリカではフィルモア大統領とも通じていたことである。余談になるが、維新動乱中の日本も訪れている。

 財をなしたシュリーマンは考古学の知識も得て1868年の春パリーを立ち、オデュッセウスの島に渡った。これからトロヤ遺跡の発掘にとりかかるのである。著書は、ここからのシュリーマンの活躍と苦闘の歴史に、大著の4分の3を費やしている。トルコ政府との交渉、地元での病との戦い、歴史学者・考古学界の無理解と妨害、それらを乗り越えて、1872年の夏、とうとうトロヤの城壁を発見した。

 ”トロヤの城壁だ!、とハインリヒは思った。そして、遙かスカマンドロスの河口に近い北の海を望みながらホメロスの一節を思い浮かべた。神々のたわむれと人間の運命を描いた詩聖をしのびならが、ハインリヒはガリポリ半島が夕陽に赤く染まるのを見、自分がその素晴らしいトロヤの地に立っている喜びに酔った。”


この成功にいたる過程と努力について述べるのは控えるが、幼い頃からの夢を追った、この男について一言だけ述べておきたい。それは堅い意志をもち、決してぶれないということである。これこそがビジネスなどにも通じる成功への鍵である。京都大学医学部長であり、のちに総長を務められた平澤興先生にに「愚かさは力」という掌文がある。その中にこんな文がある。

 ”もとより自らの才を自覚した上での努力は、すばらしかろう。しかし自らの愚を自覚した上での不屈の努力もまた恐ろしく、それはそれなりに将来を約束する素晴らしい力である、”

 シュリーマンは、ビジネスの世界では成功をおさめたが、考古学については専門家ではなかった。しかし自ら信ずるところに拠って努力を傾け、とうとう夢を達成したのである。このところが本書を読み終わって、最も印象に残ったことである。

最後になったが、この本をご紹介いただき、あまつさえ貴重な書を恵送いただいた柳居子さんに厚くお礼申しあげる次第。この本との出合いを作っていただき、ありがとうございました!


     ~~~~~~~~~~~~~~

 余談になるが、ホメロスの詩に相当するのは、日本ではヤマトタケルの物語りであろうか。佐藤一英の「大和し美わし」を思い浮かべる。

 大和は国のまほろばたたなづく
 青垣山隠れる大和し美し
                        (倭建命)


その足跡を追ってみたいものだ。





 

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絵画<田村能里子展>(余滴)

2008-11-14 | 時評
 会場の初めの方は、これまで制作してきた油彩27点が展示されている。それを辿ってゆき、ふすま絵に移った時、”あっ”と思った。このような朱色で埋め尽くされた寺院のふすま絵は見たことがない。女性洋画家の作品というのも初めてであろうが、こんなに色遣いに、制作を依頼した宝厳院の田原師も一瞬は驚いたのではないか。ローラーで下地を描いた時の下地はみていても、最終のイメージは見ていなかったのである。私自身は見て、まったく違和感はなかった。しかし、それは芸術作品の展示としてみたもので、寺院の内部のふすま絵としてではない。京都の人々や寺院関係者の受け止め方は、どうなのであろうか。


(写真は、「青い糸」)

 しかし思えば京都という町は、伝統をかたく守りつつも、一方で新しいのもを創り出す。明治の頃、びわ湖疎水による日本初の水力発電所を作りあげたし、現代になって島津製作、ローム・京セラ・ワコール・日本電産などなど時代に先駆けた企業を輩出してきた。そんな町からきっと歓迎されるよう気がする。

 さて画面一杯に広がる朱とその独特の絵肌(マチエール)は、まったく田村の独特の世界である。インドに4年滞在し、人物研究のとりことなってインド群像シリーズを出した。1987年には中国・西安のホテル「唐華賓館」のために壁画を制作する。これがきっかけで、壁画の道にも踏み込んだ。そしてこの「二都花炎図」をみた田原師が、今回の宝厳院のふすま絵の制作を依頼するきっかけとなったのである。

 数年以上も前のことであるが、毎年田村は、10数名の関係者を自宅に招いて
手作りのカレーパーティでもてなしていたそうである。田村の絵とパーソナリティに惹かれた人々の集まりである。


(写真は、「紗のロンド」)

 余談になるが、10代の頃田村は、日本でも珍しい美術家課程があった愛知県立旭が丘高校に学んでいる。残念ながら、彼女の入ってくる直前に、私は卒業してしまった。
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絵画<田村能里子展>

2008-11-09 | 時評
絵画<田村能里子展>

深秋の一日京都に遊び、高島屋で行われていた「田村能里子」展をみる機会を得た。”田村レッド”で知られる田村能里子が、天龍寺塔頭の宝厳院のふすま絵に挑んだ。田村は、この60メートル・58枚にもおよぶふすま絵の制作のため、仮設スタジオをアトリエとして、およそ一年半を費やした。禅寺では、女性はじめての襖絵である。”風河燦々 三三自在”と題されたふすま絵は、すべて絵の具で言えばカドミウム・スカーレットのような鮮やかなな朱、、日本の色で言えば鎌倉朱かいや真朱(まそほ)とでもいうような色で埋め尽くされていた。もちろん色は千変万化する。黄系統のかんぞう色のような黄赤系一色の絵には、白い蝶が舞っていた。

 ”真金吹く丹生の真朱(まそほ)の色に出て 言はなくのみそ
        吾(あ)が恋ふらくは” (万葉集)

 この歌のように表立って出すのではなく、内に秘めた恋の色であろうか。その描くところは中央アジアの砂漠であり、そこに佇つ女あり、ひとり風の声を聞く女、悠然と横たわる老人あり、いやこどもまでいる。そこに描かれた三十三体の像は、まるで人間の輪廻転生を物語っているのであろうか。東山魁偉が描くような静謐で沈潜したような絵とはまったく違う。シルクロードに生きている女性が中心にあるが、単なる女性像ではないようだ。田村に、このふすま絵の制作を依頼した宝厳院住職の田原義宣氏は、”まさしくこの襖絵の中に登場します三十三人老若男女は観音菩薩の化身・・”という。そんな気がしてくる。来年の初めには、宝厳院におさめられてしまう。公開されても、すべてが見られる訳ではない。最後の機会に、原画に触れ得たことは幸いであった。作者の熱気と思いが伝わってきた。



 このふすま絵の外にも、壁画制作50作を記念して、これまでに描いた油彩画も数多く展示されていたが、「青い糸」や「風に佇つ」、「壁の吐息」などなどいずれも独特の魅力で人を惹きつけるものがある。人物の素描も、シンプルにして柔らかく流れるような線描は味わい深い。

 宝厳院住職の、

 ”古来より寺院は心の癒しの場所であり、自己を取り戻す場所であって、その本来の姿に立ち返り、人々が気楽に集えるお寺とすることにしたい”

という言葉が、なぜか印象に残った。静かな感動を覚えた一日。たまたま会場に田村能里子さんが姿を現わしたので、一言ご挨拶させていただいた。好感のもてる素敵な人である。

      ~~~~~~~~~~~~~~

(旅にでる間際の急ぎばたらきのような記事で恐縮です。週末にもどりましたら、あらためてそのほかの絵もご紹介し、また画家田村能里子のことをもうすこし語ってみたいと思います)

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予告編/絵画<田村能里子展>

2008-11-07 | 時評
(あの田村レッドの世界についてご紹介します。しばらくご猶予ください)
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気まぐれ日記/年を重ねても

2008-11-05 | 時評
 徒然草の第112段に、こんな一文がある。

 ”日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生(しょう)すでに蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。・・・・”

長い人生を生きてきたが、様々なつまづきもあって、思うようには運ばなかった。もうそうろそろ、思っているような執着を捨て去る時ではないだろうか・・・、というような、いわば諦観の境地である。老境にある兼好が、心身の安静に生きる意義 を見出したものと受け止めることができる。

 60才で世を去った兼好の年齢をはるかに超えた今、このような受け身の考えに安住するような気持ちには、まだならない。現代長歌のもっとも優れた作家である窪田空穂(うつぼ)をさして、大岡信は、その著書『みち草』の中で次のように紹介している。

 ”若い新人もいいが、老いた新人はいっそういい。肉体とともに衰えることを拒絶する精神の、みずみずしい若さを通じて、人生が生きるに値することを告げている。ゴーギャンも税関吏ルソーも、そういう新人だった。新人とは、精神力の持続のことだ。

  かりそめの感と思はず今日を在る
                我が命の頂点なるを

九十に近く、歌人はこう詠った。そして、

  わがためは絶対なりと今を得し
                一つの感を力こめて詠む

とも。”

 ”長いあいだたゆみなく文芸の世界を開拓してきた根気と活力の生涯が、肉体の衰えさえも精神の糧として自己を深化していった結果到達した悠々たる境地をしめしている。単なる枯淡の境地などというものではなかった。”

          ~~~~~~~~~~~~~~
 
こんな人間もいるのだなあ、と感嘆し、明日への活力をもらったような気分になってきた。
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読書『P&G式世界が欲しがる人材の育て方』

2008-11-01 | 時評
読書メモ『P&G式世界が欲しがる人材の育てかた』(和田浩子 ダイヤモンド社 2008年10月 第4刷)

パンパースやウイスパーやパンテーンなどいうの商品名はおなじみでしょう。しかしそれらを世界中80カ国で販売しているP&Gという会社の事はどれくらいご存じでしょうか?正式名称は、創業社二人の名前をとったプロクター&ギャンブル。、世界80カ国に展開し売上高9兆円を越える大きな企業です。 3月8日の本ブログ記事「アメリカで最も尊敬される企業」の中で、P&Gはトップテンの第8位にランクされています。「従業員能力」が業種を超えた世界第1位にランクされ、また性別や国籍などの多様性ーダイバーシティを早くから重視した企業として知られています。

 この本は、1970年代後半まだ海のものとも山のものとも分らなかったP&Gに入社し、その後26年間にわたってマーケティング畑で働き、1998年には本社のヴァイスプレジデント(コーポレート・ニューアドヴェンチャ・アジア担当)に上り詰めた和田浩子さんという人が書いたものです。中身は、人材育成に焦点をあてながらご本人の歩んできた道を辿ったものです。読み終わって、とてもさわやかなものを感じましたし、すでに遙かシニアとなり現役を退いた私にも、勇気とやる気をを与えてくれたように思いました。一つの企業の中における人材育成について書いた本ですが、広く人間の可能性を引き出し、伸ばすという意味においても興味深いものがあります。あえてご紹介する次第です。

では、どんなところに惹かれたのでしょう。著者のいうところを引用してみます

 ”P&Gの強みは人材育成です。優れたマーケターを育成できるので強いブランドが生まれ育っていくのです。マーケティング部だけでなく、研究所や人事、営業、ファイナンス、プロダクトサプライ等すべての部でも同じように非常に高い能力をもった社員が次々に作りだされています。またGEなどの有名な世界企業経営者にはP&G出身者が数多くいます。P&Gが「世界の人材工場」や「ヘッドハンターの人材バンク」と言われる所以す。”

 そして優れた人材を育てつづけるためには、戦略的な人材育成が不可欠と考えられています。この点について、著者はほかの企業とP&Gで違う点があると言うのです。

 ”一つは社員に求めるスキルがすべて明文化され、世界中の社員の共通基準として定められていることです。 もう一つは、それらのスキルに対応した研修が用意されていることです・”

 ここで言われる”スキル”とは、いわゆる技能というようなものでなく、その中身を見て行くととても高度な経営能力とでも呼べるようなものです。これには驚きました。たとえば、分析力・戦略的思考・実行力・リーダーシップ・コミュニケーション力・ファイナンシャル知識・多国籍チームとの強調など。
 
 ”世界中にある人材のストックをとぎれさせないよう、常に優秀な人材を育成しつづけることが、今日のP&Gを支えており、そのための仕組みがあるのです”
 
 ”P&Gではマネージャー全員がトレーナーでありコーチです。人材育成のトレーニングに関して真剣にプランをたて、確実に実行し、教育を下の人や外部の会社に丸投げしません”

 日本の一般の企業では、とくに大企業であれば、研修センタのようなものをつくり、そこに人を集めて研修させるというのが、大方のように思います。仕事と研修・育成とが切り離されているように思います。自分で経験してみて、ほとんど役にたちませんでした。モチベーションも感じませんでした。

 同社がが人材育成に本気で取り組んでいると感じたのは、特に次の点です。

 ”ブランドマネージャーになると、ブランドの運営以外にも大きな責任が求められます。それが部下の育成です。P&Gでは、マネジャー職以上の評価において、部下のトレーニングとビジネスの結果が同じ割合で評価されます。つまり、担当ブランドがどんなに伸びて売利上げをもたらしていても、自分の部下がまったく成長していなければ50%分の評価しか与えられないのです。・・・”

 こんなことをやっている企業が、日本にあるでしょうか。社員に求めるスキルも明文化し、それを育成することを上司の人事評価に結びつける。聞いたことがない。P&Gがここまで人材育成に比重をおくことこそが、P&GのP&Gたるゆえんと、著者は言っています。いやあ、恐れ入りました。

 読み進めてゆくと、ほかにも興味深い点がいくつも出てきます。社員の男女比は50:50を目指すこと、戦略的思考において「まだ誰も実行していないことが戦略に入っていないといけない」ということ、周りの人を巻き込むためのヴィジョンの共有、失敗したことの要因を分析し、やってはいけないノウハウとして共有化すること、女性を活性化する(ジェンダー・ダイバーシティ)のためのワークショップなどなど。とても読みやすい本なので、ご一読をおすすめします。

 日本全体で人材の育成にもっと関心を払い、全体のポテンシャルを高めてゆけば、この国の将来はとても明るいものになるような気がします。 楽しくなってきました。














コメント (2)
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