(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書/時評 日本の教育のありかたについて

2017-06-21 | 読書
日本の教育問題について

 教育問題といっても、いろんな問題があります。英語を中心とする語学教育をどうするか?、プログラミングをとりあげるべきか? 文学部など潰してしまへという大学教育についての偏った見方、などなど。ここでは、主に日本の国際競争力を向上させることに関しての教育について考えてみます。なぜ、国際競争力か? それは、国際競争力を向上させ、経済を活性化しないことには、これからの高齢化社会の問題や借金大国日本の財政問題などを解決するすべがなくなるからです。公的年金も破綻するかもしれません。少し大げさにいえば、日本の明るい未来もないからです。

こんなことを考えたのは、最近立て続けに2冊の本を読んだからです。まずはじめは、万巻の書を蔵すると豪語する親しい友人から、”これ面白かった、読んでみたら”とすすめられた『学校と工場~20世紀日本の人的資源』(猪木武徳 ちま学芸文庫 2016年6月)です。著者は大阪大学経済学部長などを経て国際日本文化研究センター所長などを歴任)。日本の経済成長もたらした人的資源の形成と配分を、江戸時代から近代日本のわたってみつめ、学校/会社/軍隊なのど教育・訓練の姿を中心に検証したもので、労作ではあります。しかし、この本の原著の出されたのは、1996年であり、今の時点で手にすると少し違和感を感じました。それは、①ここでいう人材育成とは知識や技術の習得だけを対象としたもので、②今後に、求められているような幅広い視野にたっての柔軟な発想、過去にとらわれぬ考えかたの追求といった観点からの教育ではないと感じたからです。そういう視点からの追求があまりないのは残念の極みであるのです。だからと言って、著者の頭のなかで、まったくこういうところが欠落していたかというと、そうでもありません。あとがきを読むと、次のような記述があります。

 ”近年、学校や企業は、国際競争力の源泉である現場の労働者の技能形成、人材育成に対して、強いマイナス効果を与えるような方向に走ってはいないだろうか。日本が戦後作り上げてきた制度の長所を軽視してはいないか。成果主義だ、能力主義だ、即戦力だ、といった短期的な損得勘定に基づく処理システムには、「人を育てる」「人は成長する」という長期的な視点が欠落しており、経済の根幹をなす人的資源を劣化させ、日本経済を衰退へと追い込むような危険性をはらむ。・・・日本が今後必要とするのは、新しい事態に対処できるシステムを作り出すことである。これが戦後70年、さまざまな困難をくぐり抜けてきた日本社会のこれからの課題であろう。”

そういう問題提起のような姿勢は感じるが、そこからさらに一歩進んでどのような教育を行うべきかという追求はなされていないませんので、物足りなさを感じます。。

 そのような時に『日本の教育政策~OECD教育調査団』(朝日選書 深代惇郎訳 1976年8月)を手にしたのです。これは、1970年11月に日本を訪問し、多くの関係者と会い、討論の機会を持ったOECD調査団(エドウイン・O・ライシャワー教授を含めた5名よりなる)が日本の教育の実態についてまとめ上げ、かつ高等教育を重点に、今後望ましい改革の姿について問題提起をした極めて優れた調査報告書なのです。この英文で書かれた報告書を読んだ深代惇郎氏は、執筆者たちの理想主義的なものをも感じて感動を覚え、自ら翻訳の労をとったのです。当時、深代氏は、朝日新聞の論説委員として教育問題のついて鋭く冴えた筆を振るっていたという。この本を読んでみると、個性を伸ばす教育といった、今日的な意義に溢れた内容が書かれており、今なおその存在意義を失ったいません。その内容を逐一、ここでご紹介することは後回しにして、まずは日本経済の世界での位置づけから国際競力の実態、そして日本の教育の現状について、整理したいと思います。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 『日本の未来を考えよう』という本は、ライフネット生命保険(株)のCEOである出口治明氏の手になるもので、数字・ファクト・ロジックで日本の現状をつぶさに説明しています。そこから引用しつつ問題を整理してゆきます。

 まず、日本の経済規模は世界の第4位です。1968年当時には「世界第2位の経済大国」といわれましたが、90年代後半から失速し、今や中国に抜かれ、名目GDPは第3位です。問題は名目GDPの推移です。ずうっと停滞しています。伸長著しいのはアメリカと中国です。

      


経済規模をより各国の実態に即したGDPの見方としては、購買力平価ベースとのGDPという指標があります。その国の物価水準によってGDPを再計算します。それでみると、トップは中国です。日本はインドにも抜かれて世界第4位です。中国とは3倍の差がついているのです。そしてこの購買力平価ベースのGDPを国民一人あたりで、割ってみると、市民一人一人の経済的な豊かさでは、なんと世界29位です!アジアの中でも、5位にすぎないのです。
      
     

そして直近5年の日本の経済成長率は3.1%、主要国(G7)では低成長です。

 今度は国際競争力について見てみましょう。今後、労働人口が減少してゆく日本が世界経済の中で活躍してゆくためには生産性の向上、すなはち国際競争力がの強化が欠かせません。スイスのIMD(国際経営開発研究所)から毎年発表される「世界競争力年鑑」のランキング(通称、IMDランキング)

では、2014年は世界で21位でした。1980年から1990年代の初頭にかけては、ランクはずっと第1位でした。それが今では、トップ20にすら入っていない状況です。(全体の順位は、アメリカ/スイス/シンガポール/スウエーデン/ドイツ・・・。)順位を大きく下げている要因としては、国際貿易/価格/財政/財政政策など。とくに日本の不健全財政状況が足を引っ張っています。別の指標として、ダボス会議で有名な世界経済フォーラムによる「国際競争力レポート」では、スイス/シンガポール/アメリカなどについで、第6位です。IMDでは、企業の活動のしやすさを見るのに対し、ここでは国の生産性をみています。それから日本の労働生産性(生産量GDP÷(就業者数×労働時間))でみると、日本はG7のなかで最下位の22位。OECDの平均も下回っています。要は、日本人の働き方が非効率なのです。

        

それからコーポレート・ガバナンスも遅れています。もっとも、これがうまく言っても、雇用される学生が保守的で安定志向をしており、人気就職ランキングでトップ10は銀行と保険会社が独占しています。そういう機運をつくってきたのは、私たち大人の責任です。ベンチャーマインドは低く、ベンチャーの文化が根づいていません。優秀な人材が、ローリスク・ローリターンの大企業に集まっているのです。」

          


 このくらいにして、今度は日本の教育の現状を見ることにします。
まず、日本の学校の先生は、世界で最も長時間働いています。中学の教師の勤務時間は週換算で53.9時間。世界平均の38.3時間の1.4倍です。そのうち実際の授業に使っているのは17.7時間で世界平均以下。部活などの課外授業をふくめ、授業のこと以外に7割も費やしていますまた主要国の政府支出にしめる教育関連の支出はOECD平均を下回り、最下位に近い状況です。日本は子どもの教育のために十分なお金を使っていないということになります。なお子どもたちの学力はOECD諸国でもかなり水準にあります。ただし、数学リテラシ、読解力、科学リタラシイーでは、上海・香港・シンガポールがより上位にあります。

 では、英語力はどうか? 世界共通の英語試験であるTOEFL のスコアをを見ると、アジアで日本は30カ国中26位という散々な結果です。韓国人の英語力がなぜ高いか? それは端的にいえば、韓国では社会が国際競争力の重要性を十分に理解しているからです。現実的なインセンティブとして、英語力のスコアが低いと希望する企業に就職できないという事情があります。英語の授業も小学校3年生から始めるそうです。

また最近の日本では、海外で学ぶ留学生が大きく減少しています。グローバル化が加速する中で日本では年々海外留学性が減少しており、本当に大きな問題点になっています。たとえばアメリカの大学で学んでいる外国人学生数の推移をみると、インド/中国/韓国からの学生数が上昇傾向にあるなかで、日本だけが減少しています。この10年で、日本では海外留学生が4割も減っているのです。

      


話は変わりますが、世界の大学のランキングを見てみます。(QS World University Rankingi) MITやケンブリッジ、それにハーヴァードなどが上位ですが、日本の大学では東京大学が31位、京都大学が36位。トップ50位入りは、この2校のみです。アジアに限定したランキングでは、東大はぎりぎりとトップ10入りというレベルです。

次に、最近の新聞記事から教育問題に関するトピックスを二、三ご紹介します。池上彰氏の大岡山通信で、英科学誌ネイチャーの特集を掲載していましま。それによると、日本の科学研究はこの10年で失速しているというのです。これは日本の科学者が発表する論文が世界の主要な科学誌にしめる比率が低下していることによります。これまで日本が強かった材料科学や工学分野でも2015年の発表論文数は2005年に比べて10%以上も低下しています。その原因の一つとして、日本の研究開発投資は、世界各国が増やす中で、2001年以降日本の投資額は横ばいになっています。また国立大学への交付金を減らしたため、研究職や教授職に任期が限定されたポストが増えたため、若い研究者が安心して研究できる環境でなくなったことが指摘されています。また、日本の人口あたりの論文数は、以前の15~6位から2013年には37位に転落し、台湾や韓国だけでなく、クロアチアなど東欧諸国にも抜かれるありさまなのです。これは財務省の誤った政策のためです。国立大学の基礎体力が蝕まれているのです。高齢化に伴う医療費や社会保障関係費などなど・・・端的にいえば高齢者にお金をかけすぎです。また、国立大学だけでなく、学生数で7割以上を占める私立大学への公的支出を増やさねばなりません。

科学力低下の一例を挙げましょう。最近、よく話題に上るAI(人口知能)のことです。
2005年以降、世界の主要国で出願された人口知能(AI)関連の特許は60万件を超え、なおかつ急速に伸びています。その中で、中国の伸び率はダントツです。もちろん、
量的には、まだアメリカが圧倒的に多いのですが・・。日本はどうか? 図の示す通り、横ばいというていたらくです。車の自動運転にしろ、工場のIOTにしろ、特許面で縛られたらどうにもなりません。銀行業界のあり方を一変せしめるフィンテックについても遅れています。AIというのは、ほんの一例です。

ちなみにAI関係の論文について、どの国の機関や個人とと共著を行ったのかを見てみますと、(これを国際共著率という数字で表します)、2011年から2015年にかけて執筆された米国の論文のうち、中国との共著は121.7%。中国の論文についての共著のトップはアメリカです。意外なところに、米中の蜜月ぶりが伺えます。日本は共著相手国としては、ほとんど相手にされていません。

 



(『日本の教育政策』~OECD教育調査団報告)

 ここで冒頭に紹介したOECDの教育調査団の報告書について触れてみます。調査団が来日して活動を行ったのは、1970年1月のことである。50年近い前のことですが、その活動と提言は今もその価値を失っていません。注目すべきいくつかの事例をを挙げてみます。


 ・教育の目標は、自分自身の力で物事を判断できる自律的な人間をつくることにある。
 ・現在日本で検討されている様々な(大学)改革案の背後に潜む目標を考えるならば、高等教育の構造が適切さを欠いていることは明らかである。これらの改革案から共通点をいくつか抜き出して見る時、日本が理想として求めている高等教育の制  度はほぼ次のようなものである。

  ①実用的、職業的な高等教育を求める社会の要請を満たすこと。
        注)ここに重点がおかれているような気がする。

  ②新しい知識の発見と、そのいっそうの発展を助長すること。


 世界参加のための教育という章では、早い時期(小学校から)の外国語教育の導入。さらに外国留学や世界的な役割を果たす人材の養成にふれている。

 ・教育における自主性と柔軟性という章の中に、「個性を伸ばす教育」という事項があり、調査団のあるメンバーは、”将来を考える時の日本人が、きわめて柔軟性に富んでいることはよく知られている。しかし、他国とおなじように、日本の社会  構造の中にも硬直し、変化を受け入れまいとする部分がある”、と指摘している。

 また「教育改革の過程と目標」という章では天城文部次官と出席者(団の)のやり取りの中で、興味深いことがあった。それは、天城氏が、「素朴な質問だが」と前置きして、教育の進歩という場合、それを測る基準はなんであるか、という問を出したとき、出席者の回答のなかにいくつか傾聴すべきものがあった。
 
 ①単に商業主義的な、メシのタネ的な資格取得を学校から締め出すことである。
 ②10年ないし20年後の社会の要請を予測し、これに教育を適応させること。言い換  えれば、今の社会で許される限り「社会を先どり」すること。
 ③「絶え間なくすすむ改革」を妨げるような政策に頑迷に固執しないこと。


全体的な視点から、いくつかの提言がなされているが、その中で教育費の配分の仕方については次のように要約される。

 ピラミッドを基底において支えているのは教育費の配分の仕方である。日本の高等教育費は、その総額自体がすでに、他の先進諸国にくらべて乏しいだけでなく、ピラミッドの頂点をしめる一握りの(国立)大学に重点的に投入され、また資金の源泉も政府と個人の二つに限定されている。そうした現状を打開するためには、教育費の総額を増やすと同時に、投資をピラミッドの頂点を拡大し、また頂点と底辺の格差を縮める方向に向け、とくに国立と私立の格差是正のために私学助成を強化し、さらに税制の改革などによって新しい資金源の開発をはかる・・・。

 さらに調査団報告書によれば、これまでの日本の高等教育政策の権力的で統制的な側面を鋭く批判し、制度の弾力化と多様化を構想した。これに対し、政府すなわち文部省は依然として統制と指導のもとに改革を進めようとしている。たとえば、政府は最も重要な資源である資金について、「私学振興財団」を通じて配分権を握っており、また「私学学校法」の一部改正や「高等教育懇談会報告書」にみられるように、文部大臣の権限強化を図り、私立大学の新増設や定員増のきびしい規制をはかっている。大学の自発的・主体的な改革の動きについても、そにいずれを助成や投資の対象としていくかは、最終的には文部省の選択にかかっている。

      ~~~~~~~~~~~~~~~~~


(今後の取組方について
)以上述べてきたことを踏まえ、私自身が、”かくあるべし”と感じていることを、以下にまとめてみた。

OECD教育調査団の指摘のように、教育投資の額を大幅に引き上げなければならない。その財源はどうするか? 高齢者医療費や社会保障費などの予算を減らし、次世代のこどもたちのための投資に使うべきである。

次いで、教育の中身の問題であるが、今の大学生はあまり勉強をしていないのではないか?出口治明氏の『本物の教養』(幻冬舎新書)に述べられているところによれば、アメリカの大学生は在学中に平均400冊の読んでいる(授業のリーディングアサインメントが、多いことにもよる)、それに対し日本の大学生はその四分の一の100冊。勉強量に圧倒的な差がある。

さらに学生に求めたい。最近のアンケート調査で、海外勤務を希望するものがほとんどいなかったとか。こんなことは、会社が”わが社では、三ヶ所以上の海外勤務の経験がないと役員にはなれない”と言えばば状況は一変する。英語力についても、企業が学生の採用基準を上げればすむことである。たとえば、”TOEFLは90~100点以上”と経団連が言い、それをとれないような学生には面接に応じないと宣言すればいいのである。みんな、必死で勉強するであろう。

さらに「考える力」を身につける教育が必要であろう。鎌倉幕府成立は、(1192)つくろう”などと単なる記憶力を試すようなことをやっている場合ではない。デービッド・アトキンソン氏は『日本再生はは、生産性向上しかない』の中で、日本は論理的思考を求められていると指摘している。日本のこれまでの教育では、こういうことを追求してこなかったのである。データ、情報を集め、そして分析する能力がなければ、論理的思考は成り立たない。


 それらのことに加え、いやそれよりも何よりも、もっと大切なことは、幅広い視野にたっての発想を行う能力、また過去にとらわれぬ考え方の追求、そういった観点からの教育を行うことが不可欠である。それには色んな教え方があろうが、中学生の頃からの追求が望ましい。

さらに豊かな個性を育てるという観点からの教育も不可欠である。これは、小学校や、ときには幼稚園レベルからの教育にあたっても大事なことである。今の先生や教師の多くは、子どもたちを型にはめがちである。今から、10年ほ前のことであるが、歌手のさだまさしの話を聞いた事がある。それは「先生の金メダル」という、ある小学校の代理教員のエピソードであります。

 「その先生は、絵を教えに行った時、子どもに校庭の木を描かせるということがあったのです。その子どもたちの中に、校庭に立つ大きな木を紫色に染めた絵を描いた子がいました。えーっ、と思って、その子に聞いてみると、その子は、”いいんだ。ぼくは紫が一番好きな色なんだ。ぼくは、この木が一番好きなんだ。だから、一番好きな紫色を、一番好きな木にあげたんだ、と答えたそうだ。ところが、今の教育では、木を紫色に塗る子に最高点をあげることはできない。しかし、その感受性が素晴らしいと、先生は自分で紙の金メダルをつくり、その子に上げたのです。その子は、今画家になろうと、美大で絵を勉強しているそうである。」

 日本の政治家には、いつも”前例がない”、とか、”(この場に)なじまない”などと言って、変化を嫌うあるいは変化を拒絶するやからが少なからずいる。今、国会で問題になっている岩盤規制もそうである。もっと、柔軟に問題に対処する発想が欲しい。国会の議論といえば、最近は森友問題とか、加計学園の獣医学部新設にかかわる問題など、わたしに言わせれば矮小な問題ばかり取り上げているが、今回の「日本の教育のあり方」などのように、わが国の将来にかかわるような本質的な問題を取り上げて、熱のこもった議論を戦わせて欲しい。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 今回も長文にお目通しをいただき、ありがとうございました。









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(予告編)読書/時評 日本の教育のありかたについて

2017-06-19 | 読書
 最近、立てつづけに日本の教育問題についての本を手にしました。今の教育は、いろんな問題を抱えています。とくに目立つのは、世界的にくらべての日本の教育の遅れです。それらの著書を紹介しつつ。今後のあり方について思いを巡らせてみました。大変ながらくお待たせしましたが、ようやく考え方もまとまってきました。週の半ばにアップする予定です。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする