旅/エッセイ クルーズ・トレイン<ななつぼしin九州>~沈壽官のこと
これまで、どこへ行くのでも車を駆って旅をしてきたが、このところ列車の旅に気持ちが傾いている。何といっても運転することに気を使わなくてもいいし、疲れない、乗っている間本を読んだり、車窓を流れる風景を楽しんだり、これから行くところの地図を広げたり、はたまたコップ酒を飲みながら駅弁を味わうという楽しみがある。こういったことは、車の旅ではできない。
という訳で、あれこれ列車の旅を模索していた時、JR九州が「ななつぼしin九州」というクルーズ.トレインを走らせることを計画していると聞き、早速説明会に行ってきた。大阪のリッツ・カールトン・ホテルの会場は予約制であったが、満員。夫婦連れ、家族連れ、若いカップルの姿も見受けられた。そのプレゼンテーションを聞いて、そのコンセプトに魅了された。まだ列車そのものは、まだ日立で製作中であり、実際に走るのは先のことであるが、しかしその素晴らしさを、まずはご紹介したい。
豪華列車といえば、大阪から日本海側に沿って札幌まで走るトワイライト.
エクスプレスやカシオペア、北斗星といった人気の列車がある。しかし、インダストリアル.デザイナーの水戸岡鋭治は、そんなことは先刻承知。ヨーロッパを走る豪華列車オリエント.エクスプレスをも凌駕する列車を開発しようとしようと考えた。ちなみにこの人は、長年車両のデザインをてがけてきた名うてのデザイナーである。その作品には、奇想天外なデザインで話題となった883系電車『ソニック』、2000年にはオール革張りシートにフローリング床の組合せで登場した在来線特急の885系電車『かもめ』、2004年には西陣織のシート、簾、い草、さらには金箔と言った和のテイストを持ち込んだ九州新幹線800系電車『つばめ』などがある。
(車両について)
7両編成の列車は、ラウンジカー、ダイニングカー、客室車両が5両。スイート12部屋、DXスイート2部屋の合計わずかに14のゲストルームという贅沢さだ。昼は休息の場となり、夜はバーがオープンする。床から天井までを窓にしたラウンジカーで流れる風景を楽しむこともできる。明るいダイニングカーでは、絵のような景色が流れる中ゆったりと食事を楽しめる。夕食は、行く先々の地元の人気レストランかでの食事も楽しめる。
車両は今年に7月末に完成、試運転を経て10月に本格運行運びとなる。
(日程とプログラム)
コンセプトは、新たな人生に巡りあう旅。
3泊4日のコースと1泊2日のコースがあるが、前者の方が、旅の醍醐味を味わえると思うので、そちらについてご紹介する。このコースは、週に1回の運行。年50回しか走らない。
(一日目)お昼ごろ博多を出た列車は、由布院まで本当にゆるゆる走る。由布院の町を散策したあとの夕食は、地元ゆふいん料理研究会が協力する料理がだされる。由布院といえば、あの伝説の宿「亀の井別荘」「玉の湯」「山荘 無量塔(むらた)が知られているが、どうもこの三旅館が協力するようで楽しみだ。ないものねだりになるかも知れないが、「亀の井」のバー<山猫>など開放してくれないかなあ。「無量塔」のTan's Bar も素晴らしい。古民家を移築、再生したラウンジでは1930年代の劇場用スピーカーWE16Aホーンが重低音を響かせる。頼めば、クラシックの音源も探さして、かけてくれる。クルーズトレインの客には、残念ながら行けないようだ。でもいつか再訪してみたい。
(二日目)夜中にしずしずと走り、朝宮崎駅に到着する。宮崎神宮などの観光も選べる。都城から鹿児島の隼人駅へ。そこから霧島へ。霧島連山の眺めを楽しむことができる。宿泊は、「天空の森」や「妙見石原荘」などから選ぶことができる。
(三日目)プライベート.リゾート「天空の森」で散策のあと、隼人駅から鹿児島に向かう。薩摩焼で有名な「沈壽官窯」を訪れ15代目の話を聞き、絵付け体験を楽しむ。夕食は、島津家別邸の「仙巌園」で。列車泊。なお、どこかのタイミングで鹿児島の芋焼酎の名品、森伊蔵の逸品を味あう機会が、あるやに聞いている。
すこし本論からそれるが、ここで「沈壽官」のことに触れておきたい。鹿児島旧氏族の沈壽官家は370年前に、秀吉軍により朝鮮南原城で捕らえられ、拉致され、ついにはこの薩摩に連れてこられて帰化せしめられた。この時代、薩摩には陶器や磁器に技術はなかった。韓人たちは活発に作陶活動をした。薩摩には、朝鮮ほど良質な磁器の土がなかったが、韓人はできるだけ白磁に近づけるべく努力し、世にいう白薩摩の世界をつくりだした。李朝のそうな素朴さはもたぬにせよ、これほど高雅で気品にみちたやきものをかつて世間は目にしたことがなかった。幕末、薩摩藩は大規模な白磁工場をつくり、十二代沈壽官を主任として、この時期においてすでにコーヒー茶碗、洋食器の製造を命じ、さらにこれらを長崎経由で輸出して巨利を得た。結果的にのちの倒幕のための財源となっている。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』は、このあたりの事情を詳説している。そして物語は、さらにつづく。司馬は、14代目の沈壽官氏に会いにいった。沈壽官氏は、ある年氏の半生のなかでもっとも長い旅をした。ソウル、釜山、高麗の三大学の美術、美術史関係の研究者に招かれて、渡韓したのである。ある日、ソウル大学で講演した。
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以下は、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』からの引用である。
”沈氏は講演の末尾に、「これは申し上げていいかどうか」と前置きして、私には韓国の学生諸君への希望がある。韓国にきてさまざまな人に会ったが、若い人のだれもが口をそろえて三十六年の日本の圧政について語った。もっともであり、そのとおりっではあるが、それを言いすぎることは若い韓国にとってどうであろう、言うことはよくても言いすぎるとなると、そのときの心情はすでに後ろ向きである。新しい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう。
そのように言った。このおなじ言葉が、他の日本人によって語られるとすれば、聴衆はだまっていないかも知れなかった。しかし大講堂いっぱいの学生たちは、演壇の上のシム.スーガン氏が何者であるかをすでに知っていた。本来、薩摩人らしく感情の豊かすぎる沈壽官氏はときどき涙のために絶句した。絶句すると、それに照れてすぐ陽気な冗談をいった。最後に、
「あなた方が三十六年をいうなら」といった。
「私は三百七十年をいわねばならなあない」
そう結んだとき、聴衆は拍手をしなかった。しかしながら、沈氏のいう言葉は、自分たちの本意に一致しているという合図を演壇上の沈氏におくるために歌声を湧きあがらせた。(黄色いシャツを着た無口な男)・・・・沈氏は大合唱が終わるまで壇上に身をふるわせて立ち尽くしていた。”
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という訳で、私自身としては、この沈壽官氏(いまは15代目だが)に会うためにだけでも、この旅に参加したいと思った。
(四日目)夜走った列車は朝阿蘇駅に着く。駅には、この旅の参加者用の特別な空間が用意され、そこで朝食を味わう。列車は大分へ向かい、阿蘇観光プランを選べば、黒川温泉に寄ることになる。列車内でお別れイベントがあり、夕刻には博多駅に帰着となる。
なんと優雅なそして九州の良さを満喫できる旅ではありませんか。海ばかり眺めている客船の旅より魅力を感じます。早速出かけたいところですが、まだ走っていません。今年の秋よりの運行となりますが、第1期、また2014年早春の第2期は、すでに予約でいっぱいです。
次は2014年4月からの第3期の旅の抽選にあたることに望みをかけます。またこれが引き金になって日本の他の列車の旅が充実し、さらに洗練されてゆくことを切に願っています。近鉄特急の「しまかぜ」も人気を呼んでいるようです。
これまで、どこへ行くのでも車を駆って旅をしてきたが、このところ列車の旅に気持ちが傾いている。何といっても運転することに気を使わなくてもいいし、疲れない、乗っている間本を読んだり、車窓を流れる風景を楽しんだり、これから行くところの地図を広げたり、はたまたコップ酒を飲みながら駅弁を味わうという楽しみがある。こういったことは、車の旅ではできない。
という訳で、あれこれ列車の旅を模索していた時、JR九州が「ななつぼしin九州」というクルーズ.トレインを走らせることを計画していると聞き、早速説明会に行ってきた。大阪のリッツ・カールトン・ホテルの会場は予約制であったが、満員。夫婦連れ、家族連れ、若いカップルの姿も見受けられた。そのプレゼンテーションを聞いて、そのコンセプトに魅了された。まだ列車そのものは、まだ日立で製作中であり、実際に走るのは先のことであるが、しかしその素晴らしさを、まずはご紹介したい。
豪華列車といえば、大阪から日本海側に沿って札幌まで走るトワイライト.
エクスプレスやカシオペア、北斗星といった人気の列車がある。しかし、インダストリアル.デザイナーの水戸岡鋭治は、そんなことは先刻承知。ヨーロッパを走る豪華列車オリエント.エクスプレスをも凌駕する列車を開発しようとしようと考えた。ちなみにこの人は、長年車両のデザインをてがけてきた名うてのデザイナーである。その作品には、奇想天外なデザインで話題となった883系電車『ソニック』、2000年にはオール革張りシートにフローリング床の組合せで登場した在来線特急の885系電車『かもめ』、2004年には西陣織のシート、簾、い草、さらには金箔と言った和のテイストを持ち込んだ九州新幹線800系電車『つばめ』などがある。
(車両について)
7両編成の列車は、ラウンジカー、ダイニングカー、客室車両が5両。スイート12部屋、DXスイート2部屋の合計わずかに14のゲストルームという贅沢さだ。昼は休息の場となり、夜はバーがオープンする。床から天井までを窓にしたラウンジカーで流れる風景を楽しむこともできる。明るいダイニングカーでは、絵のような景色が流れる中ゆったりと食事を楽しめる。夕食は、行く先々の地元の人気レストランかでの食事も楽しめる。
車両は今年に7月末に完成、試運転を経て10月に本格運行運びとなる。
(日程とプログラム)
コンセプトは、新たな人生に巡りあう旅。
3泊4日のコースと1泊2日のコースがあるが、前者の方が、旅の醍醐味を味わえると思うので、そちらについてご紹介する。このコースは、週に1回の運行。年50回しか走らない。
(一日目)お昼ごろ博多を出た列車は、由布院まで本当にゆるゆる走る。由布院の町を散策したあとの夕食は、地元ゆふいん料理研究会が協力する料理がだされる。由布院といえば、あの伝説の宿「亀の井別荘」「玉の湯」「山荘 無量塔(むらた)が知られているが、どうもこの三旅館が協力するようで楽しみだ。ないものねだりになるかも知れないが、「亀の井」のバー<山猫>など開放してくれないかなあ。「無量塔」のTan's Bar も素晴らしい。古民家を移築、再生したラウンジでは1930年代の劇場用スピーカーWE16Aホーンが重低音を響かせる。頼めば、クラシックの音源も探さして、かけてくれる。クルーズトレインの客には、残念ながら行けないようだ。でもいつか再訪してみたい。
(二日目)夜中にしずしずと走り、朝宮崎駅に到着する。宮崎神宮などの観光も選べる。都城から鹿児島の隼人駅へ。そこから霧島へ。霧島連山の眺めを楽しむことができる。宿泊は、「天空の森」や「妙見石原荘」などから選ぶことができる。
(三日目)プライベート.リゾート「天空の森」で散策のあと、隼人駅から鹿児島に向かう。薩摩焼で有名な「沈壽官窯」を訪れ15代目の話を聞き、絵付け体験を楽しむ。夕食は、島津家別邸の「仙巌園」で。列車泊。なお、どこかのタイミングで鹿児島の芋焼酎の名品、森伊蔵の逸品を味あう機会が、あるやに聞いている。
すこし本論からそれるが、ここで「沈壽官」のことに触れておきたい。鹿児島旧氏族の沈壽官家は370年前に、秀吉軍により朝鮮南原城で捕らえられ、拉致され、ついにはこの薩摩に連れてこられて帰化せしめられた。この時代、薩摩には陶器や磁器に技術はなかった。韓人たちは活発に作陶活動をした。薩摩には、朝鮮ほど良質な磁器の土がなかったが、韓人はできるだけ白磁に近づけるべく努力し、世にいう白薩摩の世界をつくりだした。李朝のそうな素朴さはもたぬにせよ、これほど高雅で気品にみちたやきものをかつて世間は目にしたことがなかった。幕末、薩摩藩は大規模な白磁工場をつくり、十二代沈壽官を主任として、この時期においてすでにコーヒー茶碗、洋食器の製造を命じ、さらにこれらを長崎経由で輸出して巨利を得た。結果的にのちの倒幕のための財源となっている。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』は、このあたりの事情を詳説している。そして物語は、さらにつづく。司馬は、14代目の沈壽官氏に会いにいった。沈壽官氏は、ある年氏の半生のなかでもっとも長い旅をした。ソウル、釜山、高麗の三大学の美術、美術史関係の研究者に招かれて、渡韓したのである。ある日、ソウル大学で講演した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以下は、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』からの引用である。
”沈氏は講演の末尾に、「これは申し上げていいかどうか」と前置きして、私には韓国の学生諸君への希望がある。韓国にきてさまざまな人に会ったが、若い人のだれもが口をそろえて三十六年の日本の圧政について語った。もっともであり、そのとおりっではあるが、それを言いすぎることは若い韓国にとってどうであろう、言うことはよくても言いすぎるとなると、そのときの心情はすでに後ろ向きである。新しい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう。
そのように言った。このおなじ言葉が、他の日本人によって語られるとすれば、聴衆はだまっていないかも知れなかった。しかし大講堂いっぱいの学生たちは、演壇の上のシム.スーガン氏が何者であるかをすでに知っていた。本来、薩摩人らしく感情の豊かすぎる沈壽官氏はときどき涙のために絶句した。絶句すると、それに照れてすぐ陽気な冗談をいった。最後に、
「あなた方が三十六年をいうなら」といった。
「私は三百七十年をいわねばならなあない」
そう結んだとき、聴衆は拍手をしなかった。しかしながら、沈氏のいう言葉は、自分たちの本意に一致しているという合図を演壇上の沈氏におくるために歌声を湧きあがらせた。(黄色いシャツを着た無口な男)・・・・沈氏は大合唱が終わるまで壇上に身をふるわせて立ち尽くしていた。”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という訳で、私自身としては、この沈壽官氏(いまは15代目だが)に会うためにだけでも、この旅に参加したいと思った。
(四日目)夜走った列車は朝阿蘇駅に着く。駅には、この旅の参加者用の特別な空間が用意され、そこで朝食を味わう。列車は大分へ向かい、阿蘇観光プランを選べば、黒川温泉に寄ることになる。列車内でお別れイベントがあり、夕刻には博多駅に帰着となる。
なんと優雅なそして九州の良さを満喫できる旅ではありませんか。海ばかり眺めている客船の旅より魅力を感じます。早速出かけたいところですが、まだ走っていません。今年の秋よりの運行となりますが、第1期、また2014年早春の第2期は、すでに予約でいっぱいです。
次は2014年4月からの第3期の旅の抽選にあたることに望みをかけます。またこれが引き金になって日本の他の列車の旅が充実し、さらに洗練されてゆくことを切に願っています。近鉄特急の「しまかぜ」も人気を呼んでいるようです。