(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 男の嗜み(その二)

2017-07-28 | 読書
男の嗜み(その二) (写真は安達太良山)

(旅)

  ”旅は思わぬ出会いやできごとがあるから楽しいのだ。パッケージツアーのように何からなにまで旅程が決まっていたらハプニングの一つも起こらない。そんなのは気の抜けたビールと一緒で刺激がなくて、ちっとも面白くない。”


 たしかにそうなのだ。だから、車のナビを使うのもほどほどにしたい。ひところは地図とにらめっこして走っていた。そうすると、ふと目にはいった農家の大きな柿の木に魅せられて立ち止まったり、渓流にあそぶ子どもたちの姿が面白くて眺めていたりすることがあった。そして、見事な夕焼けが見られたら、車を停めてしばし、眺めていよう。
 一人旅について、”一人旅にしかない楽しみがある”と言っている。たしかに、誰にも気兼ねせずに旅のプランやスケジュールを自由に決められる。そして、”一人旅をして いると、ふとした瞬間に自分のことや人生に思いがむかうことがある”と筆者はいう
 
 滅多に一人旅をしないが、ふと一人で旅をしたいと思うことがある。問題は、一人旅を歓迎してくれる宿があまりないのである。ましてや、女性の一人旅は、”なにかあるのかも”と訝られることもあるようだ。最近、安曇野からさほど遠くない上田の別所温泉に小体な宿で、”一人旅歓迎”とうたった宿をみつけた。長野県最古の温泉地であり、真田家の隠し湯といわれている。上松屋という。いずれ行って連泊してみたいと


 とはいうものの、一人旅の場合、楽しかったことやその地での嬉しかった出会いと言うような思いを共有する相手がいない。せめて手紙を書くのかなあ。

 一人旅かあるいは家族や親しい友人と行くのかはさておき、私が行きたいところは、以前にこのブログ「旅にでかけよう」で書き尽くしてあるので、そちらをご覧願いたい。



 あ! いや思い出した。私の頭の中には、歴史を追い求める旅や、先人の足跡を辿るという旅のプランがある。それを二つほどご紹介させていただく。

 一つ目は、甲斐の国(甲州)への旅。笛吹川流域など、尊敬する俳人飯田龍太の生まれ育った世界がそこにはある。それらを訪ね歩きたいが、最も興味を覚えているのは、塩山市から東北にある雲峰寺へ行ってみたいと思っている。

                             

白洲正子が『行雲抄』の中で取り上げているが、この寺の草創は古く天平時代に遡る。ここは、戦国時代に武田家の祈願所に選ばれており、かの有名な「風林火山」の旗も置いてある。そして、この塩山の地に武田家累代の日の丸の旗などの遺品が蔵されている。これを見た白洲正子は、こう綴っている。

 ”ことに日の丸の旗は実に美しいもので、白地の薄絹に、紅の日の丸が大きく染めてあるのだが、これは天喜四年(1056年)に、後冷泉天皇から源頼義に賜ったものを、新羅三郎義光が受け継ぎ、甲斐源氏の重宝(じゅうほう)なったと伝えている。また武田家の馬標も・・・、このような見事な宝物に接すると、信玄の武勇が、一朝一夕で培われたものではないことに気がつく。私は美しいものに出会って感動しないと、その時代の精神も人間も、とらえることができない性分なのだが、ここ雲峰寺において、武田氏の経てきた歴史と、ひいては甲斐の文化が、おぼろながらつかめてように思うのであった。”



 二つ目は福島県の二本松市である。市の西方には、そのシンボルである安達太良山がある。高村光太郎の『智恵子抄』で、よく知られるところである。

  ”あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川・・・”

しかし私の目指すところは、そこではない。エール大学の教授として活躍、比較法制学の権威である朝河貫一教授の墓所である。この偉大な先人の足跡を辿ってみたいと願っている。

今日、朝河貫一という名前を耳にしても、ほとんどの方がご存じないだろう。福島県二本松市に生まれた朝河は、早稲田大学卒業後渡米し、以来アメリカの地で活躍した。エール大学では、日本の外交史、文明史さらにはヨーロッパの中世史などを教えた。世界的な歴史学者でもある。日露戦争が終結した1905年から4年経った1909年(明治42年)、朝河は『日本の禍機』という著書を著し、日本軍の東北三省の占領がやがて日米間の破局に至ることになると警鐘を鳴らした。また、日米開戦の直前も、日米関係の破局を回避しようと、アメリカ大統領の親書を天皇宛に送るという企てにかかわることもあった。彼が、昭和23年(1948年8月)、74歳の生涯を終えた時、通信社APとUPIは、”現代日本がもつ最も高名で世界的学者として、その訃報を報道した。またアメリカ機関紙スター&ストライプスは弔慰の記事を掲載し、横浜基地では半旗が掲げられた。

 近く来る8月10日は朝河貫一教授の忌日である。


(おしゃれ)・・・香水と男の日傘

 あまりお洒落をする方ではないが、身ぎれいで清潔にして。こざっぱりとはしていたい 。若い頃は、気取って蝶ネクタイをしたりしていたが、それは自己満足にすぎないのであって、周囲から見れば噴飯物であったかもしれない。

 著者は、”もう年だから”といって関心なくすのはナンセンスと云っている。まったく同感である。男性も女性もお洒落に関心は持ってほしい。ちょっとしたお出かけのときは、女性は紅でもさして欲しい。場合によっては香水を一滴耳朶につけてくれると洒落ているなあと思うが、ないものねだりか?

  ”香水を買ひし心を夫知らず” (野見山タミ女)


 いや脱線しました。万年筆のこと。”大事な場面で心を届けるには、手になじんだいい万年筆があるといい”と筆者は云っている。そういう万年筆があると、しばらく会って いない友人に、つい手紙の一つも書きたくなるという。この頃はメールあるいはスマホ でのメッセージの交換がほとんどだが、やはい手書きの葉書や手紙はもらって嬉しいも のである。私は、このブログ記事の冒頭の写真にあるペリカンの万年筆を愛用している 。それまではご多分にもれず、モンブランのマイスターシュテュックを愛用していたが、インクの色に凝りだしてからはペリカンにしてる。そして毎日の日記は、これで書いている。問題は、生来の悪筆に加え、文字を書く速度が早くなってきているので、自分では読めてても他人様には通用しないようだ。習字の師匠からは、ゆっくり書くようにと 言われている。そんなこともあって、手紙を万年筆で書いて出すのに躊躇している。せっかく頂いたお手紙にも、メールで返事する始末だ。この頃、目の前にあるカレンダーに「手紙の日」と書いたポストイットを貼ってある。早めに残暑お見舞いを出さなくてはと思っている。

 今度は「男の日傘」。筆者が、ふとみかけた中年男性の日傘姿が意外といい感じみ見え たので、百貨店に入り、男の日傘をあれこれ見てみたという。 そして売れ筋の折りた たみし式の一本を買い求め、早速照りつける太陽の下を歩いてみた。想像以上に涼しかったという。この猛暑で、私も一本欲しくなった。できれば、もう少しカラフルにしたいのだが・・・。

 和傘ということなら京都であろうと、色々調べてみた。あります。ちゃんと。日本最古のという「辻倉」とか「日吉屋」など。カラフルな日傘がある。ただし男性用とは銘打 ていないので、実際手にとってみないと分からない。二分割して小さくもできるらし い。ただ、妙齢の女性がさすのはいいかもしれないは、年を重ねた男がたったら、どう 見られるか。あまり自信はないが、トライしてみたい。実は、某日四条河原町にあるその店を覗いて見た。傘の軸は真ん中あたりで、ねじ込みになっていて持ち運びが便利 になっている。新作が9月に入るとのことなので、今から楽しみにしている。。

                                        

(生き方)

 自分と向き合い、だめな自分を認めることのできる人間は、逆境を糧(かて)にする、と筆者は云う。

 ”人生も一緒である。土砂降りの雨に降られ、泥んこになり七転八倒するからこそ、顔のシワ一つひとつに深く刻まれた、その人だけの物語が生まれるのだ。晴れの日ばかりでは、そんな味のある顔はできはしない。”

 私自身、長い人生で色んなことがあった。早くに父なくし、いじめを受けたこともある。学生時代、向学心に燃えて勉学に励んだが、しばらくするうちに、あまりにもレベルの低い、ただ黒板に書かれたことを書き写すだけの授業に飽きてしまい、学校に行かない日々もあった。勉強しないから、成績もよくない。志望した学科には行けなかった。よく卒業できたものだ。会社に入ってからは、猛烈に勉強したが・・・。それからも色いろなできごとがあった。精神的にバランスを崩したこともあった。

 70年代後半から、80年代にかけて、先人の経験に学ぼうと、その種の本を読み漁った。いわく、『逆境を愛する男たち』(小島直記)、『左遷の哲学』(伊藤肇(はじめ))などなど。

 『逆境を愛する男たち』の中に、フローベル原作の『ボヴァリー夫人』という小説にまつわるエピソードがある。本を読むことによって自分の人間をつくりあげた、という実例である。不倫小説であるが、写実主義の傑作と評された。以下に、そのエピソードを紹介しておこう。(少し長くなりますが、ご容赦ください)

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ”(読書による自己形成)という章で宝塚歌劇12期生の高浪喜代子という生徒のことがでてくる。当時宝塚歌劇団の世話をしていた丸尾長顕の回想によると、次のようなエピソードがある。(須磨郁代と同期生である)

 ”高浪喜代子という生徒がいた。可愛いい子であったが、背は高くなく、おきゃんなところがあるかと思うと、また静かなところもある、というタイプだったらしい。その生徒から、「わたしはスターになりたいけれども、いっこうにスターになれない。しかし、スターになる方法があったら教えて欲しい」という相談をうけた著者は机上の本をさして、「この『ボヴァリー夫人』を読んだら、きっとすたーになる」と、とっさに言った。
フローベル原作のこの小説の当時の訳本は、訳が下手で読みづらいものだった。しかし、彼女がより知的になったら、その時にチャンスをつかむ女だと思って、あえてすすめたのだ。

          


 「そんなら読んできます」といって、彼女はその本をもって帰った。いっぺん読んできた。が、スターにならない。二度読んだ、まだスターにならない。著者の目には、まだ輝きが感じられなかった。三度読んできた。それでも、まだダメ。しかしながら、なんとなく知的な面が感じられるようになった。

 「三度読んだけれども、スターにならないじゃないの」という。「じゃ、もう一度だけ読んできてください。もう一度読めば、必ずスターになる。ならなかったら、私が切腹してみせる」 彼女はそういわれて、真剣になって、四度読んできた。そして、四度読んできた時にいったのである。

 「スターになろうと思って、四度も読んだ。だけれども、もう私はスターならなくてよろしい。この本を四度読んで感じたことは、人間の感情というものが、こんなにデリケートである、ということを知った。だから、丸尾さんにダマされてもいい。もうスターにならなくてもいい。この本を四度読んで、そういうことを理解しただけで、私は満足することにする。あなたにダマされたけれども、得はとった」 

 ところが、スターにならなくてもいい、と言った途端に、彼女はスターになったのである。なぜか? 「それはそうである。彼女はもう以前の高浪喜代子ではなかった。知的に輝きを増した目をしていた。それを作者は捨て置くはずはない。すぐ役がついた。目も輝いてきた。肩の力も抜けてきた。こうして高浪喜代子は、大スターにのしあがった」”
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ついでのことであるが、人間形成について探ろうとするとき、何も難しい心理学などの本を読む必要はないと。それよりも、山本周五郎の時代小説を読むことである。それも目で読み、心で読み、体で読むことである。彼の作品には、様々な人間の表の姿や隠された姿が、いきいきと書かれており、辛く困難な人生を歩んできたものにとっては救いともなる。

 話は変わるが、著者は、英語力より学歴より大事なのは生き抜く力だといっている。これから、いや今でもグローバルな世界での活躍が求められるが、英語力イコール仕事力と考えると大きな間違いである。

 ”本当の意味での国際人は、自分の国に根っこがあり、歴史や文化に精通し、それらを教養として身につけている。それを互いに尊重できなければ、国際ビジネスの現場では信頼は得られない。問われるのは教養であり、人間力だ。英語は単なる道具にすぎない。笑い話になるが、帰国子女には日本語も外国語も歴史や文化などの教養面は、どれも中途半端というケースが少なくない。天気予報で「寒気団」を「サムケダン」と読んだ帰国子女のアナウンサーがいたそうである。

 いやいや堅苦しい話になってしまった。埋め草的に心楽しい話をご紹介しておこう。
『課長島耕作」のシリーズで、団塊世代の圧倒的な人気を集めた弘兼憲史は、文庫本『男子の作法』という本を書いている。その中で『黄昏流星群』というコミックを書いた時の取材で聞いた話を紹介している。

 ”末期がんの患者たちが、死ぬ前に何かしようではないかと話し合い、ヨーロッパアルプスの最高峰モンブランに登頂するというとんでもない企画を立てた。モンブランはフランスとイタリアの国境にある4800mほどの山だ。
 
            

 末期がんの人たちは目標を持って嬉々とした毎日を送り、富士山で雪上訓練などをした後、最終的に5~6人がモンブランの登頂に成功して帰ってきた。その10年後もほぼ全員が生きていて、ガンが消えたという人もいたという。ところが、一緒 に登った現地のシェルパのほうが、数人先になくなっていたというのである。これは、生きがいを持って目標に向かって楽しく生きた人間が、ガンに打ち勝ったということになる。実際に笑って楽しく過ごして、免疫をつくって長生きをするという 「ホリスティック医学」というものも存在する。楽しいことをすると、体のリンパ液の中にあるNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化してガン細胞を退治するという、免疫力を高める医学である。”


  楽しく生きたもん勝ちだ!また感動をするようなことがなくなると、一挙に脳は老化を始めるらし。いくつになっても、好きなものは好きでいい。感動を追い求める気持ちを失わないようにしたい




 大分予定のページ数を過ぎて、長くなってしましました。このあたりで、打ち止めといたします。まことに長文におつきあいいただき、ありがとうございました。



(余滴)川北義則さんのこと。この人は、東京スポーツ(略して東スポ)の文化部長などを歴任した人である。東スポや大スポなどの夕刊紙は、最終面などに裸の女の写真などがあって自宅には持ち帰りにくい。だから、駅や電車の中で読んで、あとは捨てて帰る。この人が、ある年『男の品格』という本を出した。手にとってみると、教養に溢れ、歴史/文化/音楽などの話題も豊富で読み応えがあった。彼の書く本は、真面目で固くもあり、また下世話にも通じており、柔らかい一面もたっぷりある。














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エッセイ 男の嗜み(たしなみ)(その一)

2017-07-27 | 読書
エッセイ 男の嗜み(たしなみ)

 「嗜み」というような言葉はあまり使われることもないようだ。古語例解辞典(小学館1987年))を開いてみると、はじめに”芸能・教養を日頃から練習・稽古して、ある水準の達していること。それから、日頃から心がけておくこと。心構え、心がけ、とある。これから分かるように若い人にはあてはまらず。むしろ今でいう中高年の人にあてはまる表現である。また、嗜むという動詞では、愛好するという意味もある。

 ”若い時分はさして面白いとも思わなかったある作家の魅力に気づき、大ファンになったのは不惑の頃であったし、ジャズやクラシックが心の奥のほうで心地よく響くようになったのは50歳を超えてからだ。いい地酒がしみじみうまいと思えるようになったのも、この10年ほどである。”(『男の嗜み』(川北義則 2013年12月 PHP)より)
  注)記事の最後に「余滴」として、川北さんのことを紹介しておいた。

 で、「嗜み」という言葉を、もし外国の人に説明しようとしたら、どう表現したらいいか、考え込んでしまった。日本人には、以心伝心でわかり得ても外国の人には、なかなかわかりにくい言葉である。それやこれやで、川北さんの本を引きつつ、男の嗜みというものを考えてみた。一言で表現するとすれば、齢を重ね、いろいろ経験を積むことで、初めて分かる良さや味わいというのがあり、これが「老いて(成熟して)旨し(うまし)ということになるだろう。趣味をたしなみ、味あうには、やはり人間的な成熟がかかせないようだ。ちなみに、「嗜」という字を分解すると、「老いの口に旨い」と読める。


 まず趣味について。と、云ってもピアノを習う、絵画を描く、オフロードをバイクで走るといったことからは逸れて、日常の細々とした些末なことを疎かにせず、それ自体に物事の妙味や味わいを見出して、幸福を感じることである。

 ”人生を幸福にするには、日常の瑣事(さじ)を愛さねばならぬ。雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔・・・あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ”
                      ~『侏儒の言葉』(芥川龍之介)より

また『散歩学のすすめ』の著者である評論家の松永伍一さんは、散歩についてこう言っている。

 ”散歩とは自分と出会う最上の方法ですから、私はあえて散歩学とか路上哲学と云っています。鳥の声や風の音を聴き、雲を仰いでいると、生かされている喜びを感じる。”

天気のいい日には、私も住んでいる”島”のなかにある周囲5~6キロほどの散歩道を歩いている。今は半夏生の葉が白くなり、また百日紅が咲き出した。ユリノキの新緑は日の光を通してさわやかに輝いている。時にはベンチに寝ころんで青い空に浮かぶ雲を眺めることがある。ふっと口をついて出る句はメモをとる。歩くコースは、必ずしも決まったコースではなく、気分でまわり道をする。海辺では、白いすじの入った小鳥を見かけることもある。ハクセキレイだ。こんな散歩をするのは、やはりある程度年を重ねてからだ。これも、嗜みのひとつかもしれない。

 ”コンサートには自転車で行く”という一節がある。筆者がクラシック好きの友人からこんな質問を受けた。「コンサートの余韻を楽しむために何かしていますか?」、と。
演奏の感動をいかに長持ちさせるかということである。街の雑踏を歩いて駅に向かうと、人混みと喧騒、派手なネオンが待っている。その友人はあれこれ考えたすえ、コンサートには自転車で行く。好きなルートで好きなように帰れる。感動の余韻をそっくりそのまま家に持って帰ることができると云うわけである。私の場合は、、独りで行くことは滅多にない。音楽を愛好する友人などといく。コンサートがはねたら、洒落たカフェやバーの席に座って、音楽談義を交わす。終わったら、すぐ電車で帰るというのでは、余韻はない。

 好奇心! いつまでもボケないためには好奇心が大事だと思う。作家の城山三郎さんに、「生涯一書生」という言葉がある。

 ”生涯現役という言葉は好きじゃない。そういって悪く居座る人もいるからね。そうで はなくて、「生涯一書生」。何でも勉強すれば、また新しいエリアが広がる。次から 次へ勉強してゆけば、新し自分が発見できるし、可能性も広がっていくでしょう。”

それにはテレビを見る、新聞を読む、人と話す。今なら、インターネットで色んな情報がとれる。常に好奇心を持って五感を働かせ、好きな旅や食や音楽、ファッションなどの情報を集めるようにしたい。すると面白いもので、何気なく見ていた雑誌の小さいコラムなどに、今まで知らなかった秘境の温泉宿を見つけたりする。興味を持って好奇心のアンテナを張っていると、そこに情報は寄ってくるのだ。好奇心があれば、人間いくつになっても学べるし、遊べるのである。卑近な例をご紹介しよう。トイレの壁に下げてある、小さなカレンダーをみていたら、この七月のところに、実に美しい青い海とそこを走る大橋があった。山口県下関市と対岸を結ぶ角島大橋である。8月に入ったら新車のSUVが来るので、その車で走って行こうと思っている。そうして、角島の人たちと話をしたら、海や空や自然の美しさを語ってくれるだろうと、今から楽しみにしている。後期高齢者が運転したら、危険だ・・・? いやいや、だから万全の衝突防止装置を搭載した車にしたのである。あはは・・・

          


 今は梅雨時である。いやだ、不快だと言う人も少なくない。しかし、梅雨あればこそ、水をたっぷりと湛えた川や湖があり、美しい樹林があるのだ。そう思えば、梅雨時にもちょとした楽しみを見つけることはできる。ホタルが飛び交い、紫陽花が色鮮やかに染まる。浴衣にベランダで、打ち水をしてみる。日が落ちたら、風鈴の音を聴きながら、線香花火で遊んでみる。それだけで心に涼が得られて、リフレッシュできる。

 最後に歌舞伎の話を。外国暮らしを経験した日本人がかならずといっていいほど、口にする言葉。「日本人は自国の文化を知らない。もっと日本のことを知らないといけない・・・」 歌舞伎は、日本の伝統文化の中でも、その最たるものだ。歌舞伎は音楽、舞台芸術、着物、台詞まわし、物語など、日本の文化が凝縮された最高のエンターテインメントである。ある程度、事前に勉強しておいて、幸四郎や染五郎など好きな役者の舞台を見に行きたい。昨年の夏に、京都の花街の一つである上七軒で遊んだおりに、初めて隈取をつけてみたが、顔にカラフルな線を描く「隈取」は、歌舞伎の象徴であり、実際につけてみると面白い。また、歌舞伎座で買って、おみやげにすると、きっと喜ばれるだろう。



 この著者の本の中には、なぜか読書のことが出てこない。これは、あんまりだと言うわけで、一章を設けて語ることにした。

読書の楽しみを語るとなれば、まずはギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』を取り上げなければならない。この人は、イングランドのデヴォンシャー州の片田舎に隠棲して、四季の移り変わりを楽しみ、ひたすら読書にふけるのを無上の楽しみにしている。その文章のなかに、こんな一節がある。

 ”文章の一節を朗読したくなる時、誰かそばにいてそれを聞いてくれたら、どんなに楽しいだろうと思うことが時々ある。まったく、切実にそう思うのだが、さて、しかし琴線のふれあうような理解をどんな場合にも期待できる人間が、果たしてひとりでもこの世にあるだろうか。いや、おおよそのところでいい。鑑賞の点で私とほぼ意見の一致する人があるであろうか。理解力のこのような一致はまことに稀有なことだと思う。全生涯を通じてわれわれはそれに憧れている。”

 もしこいうことがあったら、それは人間として成熟し、老いてうまし(嗜み)の心境に達したと言えるのではないか。

しかし、私は、なかなか、このような隠栖の境地には至らない。むしろ、読書を通じて、新たな好奇心に掻き立てられる。たとえば、『自立へ向かうアジア』(世界の歴史 27中公文庫)を読むと、戦前の日本が中国の自尊心を踏みにじり、傷つけるようなことをしてきたのかがよく分かる。このことを踏まえておかないと、対中国外交は戦略的になりたたない。『世界史を創ったビジネスモデル』(野口悠紀雄 新潮社)では、ローマ帝国の盛衰の歴史に学ぶことが、現状の日本では欠かせないことがあると痛感する。シーザーのあとをついだアウグストゥスはローマ帝国の制度的な基礎を築いたのだが、その根源は異国に対する寛容な政策であり、また巨大な官僚制度のない自由な経済体制であった。今の日本は移民に対して不寛容であり、また統制経済である。
 
最近、NewsPicks といネット上の情報源にアクセスしている。これは広い意味での経済情報(政治をふくむ)に特化したニュース共有サイトである。有料ではあるが、一つ一つの情報に専門家がコメントを書き込んでおり、読むに値する。最近の記事のひとつに中国IT企業の現状について知る手がかりを書いた記事があった。それによると、『最強の未公開企業 ファーウエイ』という著者の紹介があった。中国のIT企業は、今やアメリカの後追いやモノマネではなく、積極的な開発投資で独自の発展を遂げつつある。ファーウエイはスマホの巨大メーカーとして知られるが、本来は先端技術開発に積極的な通信機器メーカーである。2015年の国際特許出願件数で世界の首位を走っている。日本にいると、このような動きを知る手がかりがなかなかまい。やはり英語の原書を読まねばならない。

 話はかわる。ごく最近手にしたミステリーの本、『検事の本懐』(柚月裕子 宝島社)について。これは、己の信義をつらぬく若手検事の活躍を描く人間ドラマである。その中で、「罪を押す」という一節がある。万引き犯を送検するかどかで、上層部ともめる検事。彼は取り調べの原点に立ち返り、真相を探る。時計店で時計を万引きした男に、なにか違和感を感じた検事は、犯人と目される男の内面をも読み取り、真相を明らかにする。その結果、不起訴、釈放となった。上司の筒井は、取り調べを担当した検事の左方について、こう感じた。

 ”人間性に年齢は関係ない。その人間が持つ懐の深さは、生きてきた時間の長さではなく、その中で培われた価値観や倫理観によるものだと思う。若くても懐が深く、底がみえないやつもいれば、年をくっていても、底が透けて見えるやつもいる。”
          


このミステリーを読んでいた、この箇所に来たときは、静かな感動を覚えた。まだ若い(と思われる)新進の女性作家が、よくここまでの人間ドラマを書きあげたなあ、と。
そして、このようなことに感動を覚える私自身にも、若い頃には味わえない「嗜み」ができてきたのだとを感じたのである。そう、この場合は、齢を重ね、いろいろ経験を積むことで初めてわかる良さ、味わいを表現して「嗜み」というのであろう。

あれこれ読書について、書いてきたが、何もむずかしい本を読むだけがいいとは思わない。たまには、長田弘や石垣りんや茨木のり子などの詩集をひもとくのも悪くない。

 辻邦生の本を味あうようになったのは、50歳代に入ってからのことだ。それに、堀田善衞の著作もそうだ。なかなか若いときには、味わえなかったのが年を重ねてから、その説くところや思想に共鳴を覚えるようになった。


 遊びの章では、いろいろ書いてあるが、うっかり引用すると誤解を招きかねないので一一言記すのみにする。

 ”年を重ねるごとにカッコよくなる男というのは、たいてい若いときから遊び上手で趣味も豊かだ。仕事は男の中身をつくるが、遊びは男の器を大きくする。仕事だけで遊びや趣味を知らない男は、教科書と同じで、正しいけれど堅苦しくて面白みに欠ける”

 この本のタイトルは、『男の嗜み』なので、女性の立場は、どうのこうととは書いていない。男だけの勝手な放言のような気もする。


(食と酒)

 品のよい酒飲みという一文がある。

 ”私は、洋食系のときはシャンパンやワインも飲むが、そう酒に強い方ではない。不思議と、なぜかシェリー酒には強い。和食の場合は日本酒が中心となるが、せいぜい  一、二合くらいだ。このように自分の酔い加減を知ったうえで、①自分がそう見られて いるかを常に意識する。②聞き上手になる。③必要以上に相手に踏み込まない。”

 さて、私自身ははどうかと振り返ってみる。余り酒に強い方ではない、雰囲気を楽しむという方である。回りとの関係でいうと、しずかにしみじみと飲みたい。だから放歌高吟は、好きではない。男とか女に限らずであるが、状況もわきまえず、自分のことばかり 話をする人間がいる。そういうひとは、幸せな人生を送ることにならないのではないか 、と同情してしまう。それから、やたらプラーベートなことに踏み込んでくるひともい る。ほっといてくれと、いいたくなる。だから、こちらからも踏み込まない。

 寿司屋の作法について。居酒屋ではないので、つまみと酒はほどほどにして、早めに握 ってもらう。鮨がでたら、酒はそこまでにしてお茶をもらう。寿司はすぐ食べる。乾か さない。ぐだぐだ長話もルールに反する。これらの作法は、天ぷらを食べに行くときも そうだと思う。親方が、丁寧に準備してネタをあげてくれたら、すぐ食べることだ。
 天ぷらやの作法について、作家の池波正太郎さんが、こういう名言を残している。

  ”天ぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでもあったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、天ぷら屋のおやじは喜ばないんだよ   
  ”

 ここで少し脱線をすることにする。お許しいただきたい。筆者も、たまには一見の客と なって、未知の酒場にくりだすのも悪くない・・・”、と云う。「あまから手帖」などの雑誌をみていると、太田和彦さんという人が書いている居酒屋探訪の記事を目にすることがある。文章に味があり、品もある。この人は資生堂の宣伝室 デザイナーを経て、デザイン事務所を設立した。東北芸術工科大学の先生もしていた。 その本業のかたわら日本各地の居酒屋を訪ねあるいている。著作もすくなくない。読んでいるうちに、すっかりファンになってしまった。

 さる年、東北大震災の跡地をドライブして回った時も、終着地の気仙沼で<福よし>という居酒屋を訪ねた。主人の村上健一さんは、翌2012年の8月、先頭をきって、店を再建し港地区にに初めての灯りを灯した男である。魚介のうまかったこと、地元の酒「男山純米大吟醸」のうまかったこと、おやじのきっぷの良さに魅せられことは、今も忘れれられない。ここは、太田さんのおすすめであった。


                    
     
           (下はキチジの焼き魚)

 その太田和彦さんが、こういうことを思いついた。

  ”東京に住み、そこで働き、生活してきた。とくに不満はないが、ある年齢になった ころから別の場所に住んでみたきなった。・・・東京とは違う文化を感じるのは関西と 沖縄だ。そこに住んで、異なる言葉、人情、味に浸りたい。しかし一生住む程ではない 。その土地の人になりたいのではなく、しばらく住んでみたいのである。一、二年でい い・・・とは云うもののその一、二年はなかなか実現できない。と、云うわけでせめて 一週間、仕事も家庭も捨て、単身でひとつの町に住んでみようと考えた。スケールは小 さいがのが情けないが、まず実行。一週間、好きなところに引っ越して毎夜酒を飲もう 。ささやかな夢の実現だ。行く先は京都に決めた”

 その結果は『ひとり飲む京都』という本になって、結実した。夏と冬の二つの季節ごと に一週間、京都に滞在してレポートにまとめた。いやいや、これはなかな か読み応え があり、味わい深い。 今、じつは私も同様のことを考えているのだ。多分、秋になると思 うが、京都に連泊して、飲み歩き、エッセイに仕立てようかと思っている。何のため? それは、好奇心があるからとしか言いようがない。まあ、アホに近いかも。何時という ことは、ここでは明示しない。もし、いついつよ書いたら、飲み友だちから、すぐお誘 いがかかっってきて、ゆっくり酒食をたのしむということにならないからだ。

 と云うようなことを書いていて、なんだかつまらなくなってきた。小さいなあ。それか ら、読書の楽しみっていっても、ギッシングが書いた「ヘンリーライクロフトの私記」 にあるように片田舎に隠棲して古典を読みふける・・・それは自己満足に過ぎないなあ と 。坊主が、庵にこもって自己修養につとめ、修行しても、それは社会のためには何 の役にも立たないように。

 それに本をたくさん読んでいれば、教養が身につき、思索する力が得られると思うよう だが、そうではない。 ただ本を読んでいればいい、というわけではない。読んだ上 で自分なりの思索を巡らしてみることが大事だ。だから、ヘンリー・ライクロフトや孤独を好んだアメリカの作家・・・メイ・サートンのような生活・人生は私には似合わない。ただ、彼女のいう、”「今が人生で最良のときです。年をとることはすばらしい」(『70才の日記』)には共感を覚えるが・・・。

 えっ? 急にどうしたのかって? それは、この文を書きながら、ちょっと休憩をと、ネット上の記事を読んだからなのである。それは「フェイスブック」の創始者にしてCEOのマーク・ザッカーバーグ氏が、この5月にハーバード大学の卒業式で行ったスピーチである。弱冠33才の若者が「目的」を持って取り組むことの重要性を説いたのである。篠突く雨の中、大勢の聴衆を前にして、”誰もが目的感を人生の中で持てる世界を創り出すこと。目的こそが本当の幸福をつくる、と。そして今の世代の課題として格差の問題/気候変動の問題/病気についてのヘルスデータと遺伝子のデータを集めること/オンラインで投票できる民主主義・・・。視聴していて胸が熱くなってきた。この熱く語る姿勢には共感を覚える。読書の世界に閉じこもっている場合ではない・・・と! ぜひ一度聞いて欲しい。

          


         


(続く)(その二)では、旅について、お洒落について、そして生き方について語ります。アップは一両日中です。。









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(予告編)エッセイ 男の嗜み(たしなみ)

2017-07-26 | 読書
長らく、お待たせしました。明日、アップいたします。








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