読書『私の人生手帖』(上田三四二 春秋社 1993年10月)
歌人の上田三四二の最晩年のエッセイ。上田三四二には、『短歌一生』(講談社学術文庫 2005年第21冊)いう著書がある。その冒頭に「底荷」という小文がある。
”短歌を日本語の底荷だと思っている。そういうつもりで歌を作っている。俳句も日本語の底荷だと思う。短歌、俳句、そういった伝統的な詩歌の現代において持つ意味は、この底荷としての意味を措いてほかにないと思っている。・・・・
短歌は、帆となって現代の日本語という言葉の船を推し進める力をもたない。けれども、短歌は現代の日本語というこの活気はあるがきわめて猥雑な船を、転覆から救う目に見えない力となっているのではないか。・・・・私は、短歌・俳句の言葉は日本語の中でもとくに格調の正しい、磨かれた言葉であると思っている。適格に物を捉え、思いを述べるのに情操のかぎりをつくし、正確に、真実に、核心をつく言葉を選ぶのが短歌であり、俳句である。”
そのように日本語を大切に考えている著者が、大患から奇跡的に生還を果たし、自宅で療養につとめながら日々をみつめ、「その思いを珠玉のような文章で綴った。いずれも短いものであるが、命や人生を凝視して、しみじみと胸に響いてくる。二三、印象に残ったものをご紹介したい。
(祝祭的な夕暮れ)
”心の屈するのは今日とかぎったことではないが、そういうとき「心を起こさふと思はばまず身を起こせ」という藤村やアランの知恵にならって、机のまえから身を起こすことにしている。・・・12月下旬の日曜の朝、この日も速達を出しにゆくと、ひだに雪をたたんだ秩父の連山がかつてないほど鮮明に見え、新道へと心が急かれた。富士はまぶしい白雪をいただいて堂々と立ち、上空に重力をもたない夢幻的なかげ深い雲の塊がうかんでいた。雪にかわった風雨のあとで、気が澄み、世界はいま生まれたばかりのようだった。その時も私は幸福を感じた。
立春が過ぎたとはいえ、寒い夕べの風に吹かれながら道ばたに立って西の空を眺めるおかしな男の傍らを、犬をひく女の人が通りかかる。誰もそこから富士の見えるのを知らない。知っても振り向かない。
「奥さん」、と私は心のうちに呼びかけた。「祝祭的な夕暮れじゃありませんか。富士山がみえますよ」 けれどもその人は私の呼びかけに耳をかそうともしないで、なにか屈託したさまに、うつむいて通り過ぎた。”
ー祝祭的な夕暮れ、祝祭的な時雨虹・・。美しい情景は、いくらでもある。辻邦生の生きて愛するために」という随筆の一節を思い出す。「実は、この世にいるだけで、われわれは美しいもの、香しいものに恵まれているのだ。何ひとつそこに付け加えるものはない。すべては満たされている・・」 上田三四二も、おなじことを思ったのだろう。
(愛語)
”言葉は、手に似ていると思うことがある。手は、固めて人を突くことも、広げて人を抱くこともできる。そのように言葉にも、突き刺す言葉と抱き寄せる言葉とがある。言葉は、発生のはじめから、敵に対する威嚇よりは仲間に対する呼びかけを主としている。言葉の働きは、抱き寄せることにある。
良寛は、愛語のひとで『正法眼蔵』から「愛語」の項を抜き書きして自戒していた。自戒には、愛語の力は無限であるゆえに身命の存するあいだ好んで愛語すべしと言い、また向かって愛語をきくときは面をよろこばしめ、向かわずして愛語をきくときは肝に銘じ魂にに銘じるものだと言ってある。”
(言葉とともに)著者には『徒然草を読む」という著書がある。「徒然草」にはよほど関心が深いようである。
「されば人死を憎まば、生を愛すべし。
存命の喜び、日々に楽しまざらんや」 (徒然草 第93段)
”生の時間は切迫している。死の覚えずして至ること。沖合はるか干潟がつづいていると見る間に潮をはや後ろから足許に迫っているのと同断である。むしろ明日死ぬと思へと兼好は言う。思うだけではない。真実、明日なき無常の身が人間だと兼好は重ねていう。・・・・
「存命」とはただ生きて在ることではない。死すべき身が死を目の前にしながらいのち存らえる(ながらえる)のである。存らえるべきはずもない身に賜わる何ものかによる恩寵としてのいのちの自覚が存命の真意であり、それへの感謝が「存命の喜び」である。兼好は「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」というが、この「楽」は享楽を意味せず、もちろん放埒(ほうらつ)とは何の関係もない。存命の喜びは、生への愛着そのもののうちにある。生の時間への徹底した凝視が『徒然草』最大の主題である。”
(えごの花)石田波郷の句にちなんだ掌文も、さわやかで印象に残った。
”えごの木は北多摩地区のこのあたりにとくに多いようで、雑木林はなら、くぬぎ、栗などにまじって、えごの木が目立つ。それが5月の末いっせいに花をつける。白色の小さな五弁花で、たくさんの花が枝ごとにびっしりとついて、木全体が白くなる。葉裏に、鈴なりにーその形容どおり、小さな鈴をいちめんい吊したように咲くのは見事というほかなない。そして散りぎわがまたまことに目覚ましい。咲いたかと思うともう散り始め、それはぼとぼとと落ちる感じで、樹下はたちまちに花を敷いて白くなる。”
ーこのえごの花をみて著者は、北多摩の清瀬の療養所に入っていた石田波郷の句を思い出す。(著者の上田は、ここの東京病院に勤務をしていた)
”朝森はえご匂ふかも療養所” (波郷)
そして、”武蔵野の夏は、このえごの花からはじまるのである”、と結ぶ。
私自身も、このえごの花が好きなのである。写真は、わが町にある小磯記念美術館の中庭で撮ったもの。今年もこの花の咲く五月が待ち遠しい。