旅の日記~郡上八幡という町に
旅に出ると日常のルーティンから解き放される。どんな季節でもいいが、新緑の頃はことのほか心が弾む。そしてあわただしく町から町へと動いてゆくのではなく、一カ所にじっと滞在するような旅が好ましい。芭蕉も、『紀行文 笈の小文』で言っているではないか。
”よしのの花に三日とどまりて、曙、黄昏のけしきにむかい、有明の月の哀れなるさまなど、心にせまり胸にみちて・・・・・”
夏の郡上踊りで知られる郡上八幡は、人口2万人ほどの小さな山あいのまちである。町の中心を長良川の支流である清流吉田川が流れ、数え切れぬほどの水路や湧水があって色どり美しい錦鯉も泳いでいる。ここに数日特段の予定も決めず滞在して奥美濃の小京都の風情を楽しんだ。毎日、なにかしら愉快なこと、心動かされることがあって楽しい旅となった。心覚えとしてその中からいくつかを記しておく。
(宿のこと)
まずお世話になった宿のことを語らねばならない。中嶋屋は町の中心にある新町通に面したごく小さな和風旅館である。明治3年開業、現在は5代目の女将が奮闘している。夏の郡上祭りのときは常連客であふれかえるが、ちょうど桜祭りが終わったときで静かであった。あらかじめ、奥の庭に面した部屋をとってもらった。縁側で日を浴びていると気持ちがいい。小さい旅館ということで、できるだけ客の要望をとりいれようと予約の時に、いろいろ聞いてくる。京都の旅館で、”片泊まり”という朝食のみのステイがあるが、ここでは、夕食はもちろん朝食も、向かいにある喫茶店「チロル」を紹介してくれる(素敵なママが、400円で洒落れた朝食を出してくれる)。 坪庭に面したお風呂もいいし、廊下には小振りな書棚があってあまりほかではお目にかからぬような雑誌や本が置いてある。4月27日のブログ記事でも紹介したが『ないもの、あります』(思うつぼ、無鉄砲、左うちわなどなど)を読んでいると湯上がりのせいか、心まで溶けてくるようだ。余談になるが、和風旅館に泊まるときは籐枕が欲しいなあ。寝転んで本を読むのにいい。今度は、マイ枕を持参で来よう。それにしても気持ちのいい宿ではある。
この町で育った女将は、なんでもまちの事を教えてくれる。古くは郡上一揆のこと、町のグルメスポット、郡上踊りのこと、町のそとの観光スポットそれに第3セクターの長良川鉄道(昔の懐かしい越美南線、北線のこと) ホスピタリティに溢れ楽しい人である。
(郡上おどり)
7月から9月にかけて行われるおどりは、江戸時代に端を発するもので、観光客も地元の人の一緒になって踊る参加型の祭りである。なかでもお盆の8月13から14日のおどりは夜を徹して行われる。おどりには、10種類あり、なかには「春駒」のようにアップテンポのものもある。中嶋屋には、毎年来る常連が多いが、あるグループは毎年浴衣をオーダーし、それに合わせて帯も下駄もつくるとか。
シーズン外であったが町中の郡上八幡博覧館では、説明だけでなく実演もして教えてくれた。この夏の季節になると、こどもたちは吉田川にかかる新橋の上から青い淵にむかって飛び込んで遊んでいる。
(町の風景)
町の東北角に位置する八幡城は、車でも上れる。途中の公園には山内一豊の妻千代の銅像がある。最近の調査では、千代は郡上八幡の生まれとか。このお城から町を見下ろすと、郡上八幡は三方を山に囲まれた土地であることがよく分かる。町を歩いていると子供たちがいる。猫もいる。みそ屋がある、郡上紬の店がある。地元の人のための珈琲屋がある。ここは2キロ四方の中心部は、観光だけでなく地元の生活の場なのである。だから、「人々に注意して運転をお願いします」という看板があるくらいだ。
お寺が沢山あるが、南のはしにある滋恩禅寺は、庭園も美しくなかなか立派なお寺である。その本堂を見て回っていたら、壁に岐阜県青年僧の会による
書跡があって、そこには
”生かされて生きる命の不思議さに
不平あるなし 今日も楽しく”
とあった。なるほどと、二人で顔を見合わせてうなずいた。文句をいうことなく、旅を楽しもうと。
(水のこみち)
至るところに水路があり、清流が流れている。名水百選に選ばれた宗祇水という
連歌の祖飯尾宗祇にちなんだ泉もある。宗祇水を詠み込んだ俳句や連句が飾られていた。
”宗祇水含み踊りの輪に溶ける” (掲額に)
あまごやいわな、鯉もたくさん泳いでいる「いがわのこみち」、そしてなんといっても吉田川の石8万個を使用してつくられたミニポケットパーク。民芸館や美術館も点在して風情のあるこみちである。宿からすぐということもあり、早く光線の具合のいい朝携帯椅子を持っていってスケッチを楽しんだ。おもだか民芸館は、幸運なことに会津八一の『南京新唱』の大正13年の初版本が売りにでていた。早速手に入れたことは言うまでもない。こみちの突き当たりにある「遊童館心の森ミュージアム」では、水野政雄の紙人形は、虫たちのモービル、それに森や川や自然に遊ぶ動物たちの心あたたまる絵画が展示され、目を楽しませてくれた。「つれない日は魚になって考えよう」や「手づかみ漁師も現れて」と題する山椒魚の絵などユーモアが溢れてとても楽しい。こういう物語り性のある絵はとかく心を和ませてくれる。この「水のこみち」の周辺には、能面打ちの看板があたったり、また小体な酒亭「花むら」があったりして、ぶらぶら歩いていても楽しい。「花むら」で出た筍の刺身は、まさに春の味であった。
(長良川鉄道の旅)
岐阜の美濃太田から北濃を結ぶ越美南線は、山深いところを走るローカル線であっが、民営化され長良川鉄道となった。宿の女将のおすすめもあり、駅に車をおいて一日電車の旅を楽しんだ。郡上八幡から北上して、白山長滝まで。電車は一両のみ。適当な時間にやってきた。数人が乗り込む。電車は、ほとんど長良川に沿って走る。沿線にはちょうど桜もなにもかもが咲きそろっていた。白い梨の花、ピンクの芝桜、山吹の黄と目を楽しませてくれる。しばらくゆくと、前方にまだ雪をいただいた白山の峰みねが見えつ隠れつする。のどかな田園風景はみているだけで楽しい。一時間ほどで、目的の白山長滝駅に到着した。私たちのほかには、誰もいない。無人駅だ。ここは、もともと美濃馬場とよばれ霊峰白山の南正面の登山口であり、白山信仰の拠点であった。杉の巨木に囲まれた神社を見て回る。白山もよく見える。道の駅も、あいにくお休み。食べるところもなく、すぐに郡上八幡に戻ろうかなとも思ったが、一見ログハウスのような食事処が見つかった。その名は、なんと「みのばんば」 キッチン&珈琲館とある。昔の民家を改装したような天井が高く、ゆたりとした店だ。お昼時でつぎから次と客がくる。ハンバーグやパスタをもらったが、いける。ケーキバイキングまであって、若い奥様方も赤ちゃん連れで襲来する。店の対応もよく好感がもてる。ここは、あたり。鄙にはまれな洋食と珈琲を出す。ワインもなかななかの品揃えだ。のんびり昼食を楽しんだので、スケッチの時間があまりなく、急ぎ働きだ。帰りも車窓の風景を楽しんだ。
(織部焼)
帰る途中東海環状道を通って中央道へ回り、多治見ICで降りて織部焼の町を訪ねた。安土桃山時代の武将古田織部は、千利休の高弟で織部好みと言われる大胆かつ自由な茶の湯を始めた。その織部が指導して美濃の地ではじまった織部焼きは緑の釉薬がかかったものが代表的なものであるが、現在では、さまざまな色合いのものがあり、食材とマッチするよう器がたくさんある。
多治見市役所のすぐそばの「うつわ亭」に立ち寄る。ここは古い民家を巧みに利用した建物が店となっており、日本庭園や2階の座敷もふくめて、さまざまな茶器、什器が並べられている。片口など、いくつかを買い込む。さらにすぐそばの
「オリベストリート」を散策する。ここは明治初期から昭和初期にかけて建てられた商家や蔵の残る町。それらを巧みに取り入れ、陶磁器・骨董・ギャラリーなどなどを取り込んでレトロとモダンが溶け合った。400メートルほどに渡る道をぶらぶら歩けば目移りがしてしょうがない。ここでも「花御堂」で、皿や壺を買う。高いのは手がでないが、リーズナブルなものも多いので、”見てるだけ”ということにはならない。昼食は、このストリートの一角にあるそば処「井ざわ」 平日にもかかわらず、地元の人が詰めかけてくる。やはり古い民家を移築したようで店内は広々として、天井も高い。井戸水でうったそば、器はもちろん多治見の陶器。きびきびしたスタッフが客のリクエストに気持ちよく対応している。天ぷらとざる、それに玉子焼きももらった。酒でも欲しいところだ。メニューをみると、呑み助の喜びそうなものが並んでいる。テーブルの横の壁には、額があり、”秋の山一つ一つに夕かな”という一茶の句が書かれていた。おまけに、その下にはフランス語訳まである凝りようだ。
(オリベストリート)
→http://www.c-5.ne.jp/~tajimi/oribest/honmachi/sth.htm
旅はこれでおわり、満足した気持ちで車を走らせた。
旅に出ると日常のルーティンから解き放される。どんな季節でもいいが、新緑の頃はことのほか心が弾む。そしてあわただしく町から町へと動いてゆくのではなく、一カ所にじっと滞在するような旅が好ましい。芭蕉も、『紀行文 笈の小文』で言っているではないか。
”よしのの花に三日とどまりて、曙、黄昏のけしきにむかい、有明の月の哀れなるさまなど、心にせまり胸にみちて・・・・・”
夏の郡上踊りで知られる郡上八幡は、人口2万人ほどの小さな山あいのまちである。町の中心を長良川の支流である清流吉田川が流れ、数え切れぬほどの水路や湧水があって色どり美しい錦鯉も泳いでいる。ここに数日特段の予定も決めず滞在して奥美濃の小京都の風情を楽しんだ。毎日、なにかしら愉快なこと、心動かされることがあって楽しい旅となった。心覚えとしてその中からいくつかを記しておく。
(宿のこと)
まずお世話になった宿のことを語らねばならない。中嶋屋は町の中心にある新町通に面したごく小さな和風旅館である。明治3年開業、現在は5代目の女将が奮闘している。夏の郡上祭りのときは常連客であふれかえるが、ちょうど桜祭りが終わったときで静かであった。あらかじめ、奥の庭に面した部屋をとってもらった。縁側で日を浴びていると気持ちがいい。小さい旅館ということで、できるだけ客の要望をとりいれようと予約の時に、いろいろ聞いてくる。京都の旅館で、”片泊まり”という朝食のみのステイがあるが、ここでは、夕食はもちろん朝食も、向かいにある喫茶店「チロル」を紹介してくれる(素敵なママが、400円で洒落れた朝食を出してくれる)。 坪庭に面したお風呂もいいし、廊下には小振りな書棚があってあまりほかではお目にかからぬような雑誌や本が置いてある。4月27日のブログ記事でも紹介したが『ないもの、あります』(思うつぼ、無鉄砲、左うちわなどなど)を読んでいると湯上がりのせいか、心まで溶けてくるようだ。余談になるが、和風旅館に泊まるときは籐枕が欲しいなあ。寝転んで本を読むのにいい。今度は、マイ枕を持参で来よう。それにしても気持ちのいい宿ではある。
この町で育った女将は、なんでもまちの事を教えてくれる。古くは郡上一揆のこと、町のグルメスポット、郡上踊りのこと、町のそとの観光スポットそれに第3セクターの長良川鉄道(昔の懐かしい越美南線、北線のこと) ホスピタリティに溢れ楽しい人である。
(郡上おどり)
7月から9月にかけて行われるおどりは、江戸時代に端を発するもので、観光客も地元の人の一緒になって踊る参加型の祭りである。なかでもお盆の8月13から14日のおどりは夜を徹して行われる。おどりには、10種類あり、なかには「春駒」のようにアップテンポのものもある。中嶋屋には、毎年来る常連が多いが、あるグループは毎年浴衣をオーダーし、それに合わせて帯も下駄もつくるとか。
シーズン外であったが町中の郡上八幡博覧館では、説明だけでなく実演もして教えてくれた。この夏の季節になると、こどもたちは吉田川にかかる新橋の上から青い淵にむかって飛び込んで遊んでいる。
(町の風景)
町の東北角に位置する八幡城は、車でも上れる。途中の公園には山内一豊の妻千代の銅像がある。最近の調査では、千代は郡上八幡の生まれとか。このお城から町を見下ろすと、郡上八幡は三方を山に囲まれた土地であることがよく分かる。町を歩いていると子供たちがいる。猫もいる。みそ屋がある、郡上紬の店がある。地元の人のための珈琲屋がある。ここは2キロ四方の中心部は、観光だけでなく地元の生活の場なのである。だから、「人々に注意して運転をお願いします」という看板があるくらいだ。
お寺が沢山あるが、南のはしにある滋恩禅寺は、庭園も美しくなかなか立派なお寺である。その本堂を見て回っていたら、壁に岐阜県青年僧の会による
書跡があって、そこには
”生かされて生きる命の不思議さに
不平あるなし 今日も楽しく”
とあった。なるほどと、二人で顔を見合わせてうなずいた。文句をいうことなく、旅を楽しもうと。
(水のこみち)
至るところに水路があり、清流が流れている。名水百選に選ばれた宗祇水という
連歌の祖飯尾宗祇にちなんだ泉もある。宗祇水を詠み込んだ俳句や連句が飾られていた。
”宗祇水含み踊りの輪に溶ける” (掲額に)
あまごやいわな、鯉もたくさん泳いでいる「いがわのこみち」、そしてなんといっても吉田川の石8万個を使用してつくられたミニポケットパーク。民芸館や美術館も点在して風情のあるこみちである。宿からすぐということもあり、早く光線の具合のいい朝携帯椅子を持っていってスケッチを楽しんだ。おもだか民芸館は、幸運なことに会津八一の『南京新唱』の大正13年の初版本が売りにでていた。早速手に入れたことは言うまでもない。こみちの突き当たりにある「遊童館心の森ミュージアム」では、水野政雄の紙人形は、虫たちのモービル、それに森や川や自然に遊ぶ動物たちの心あたたまる絵画が展示され、目を楽しませてくれた。「つれない日は魚になって考えよう」や「手づかみ漁師も現れて」と題する山椒魚の絵などユーモアが溢れてとても楽しい。こういう物語り性のある絵はとかく心を和ませてくれる。この「水のこみち」の周辺には、能面打ちの看板があたったり、また小体な酒亭「花むら」があったりして、ぶらぶら歩いていても楽しい。「花むら」で出た筍の刺身は、まさに春の味であった。
(長良川鉄道の旅)
岐阜の美濃太田から北濃を結ぶ越美南線は、山深いところを走るローカル線であっが、民営化され長良川鉄道となった。宿の女将のおすすめもあり、駅に車をおいて一日電車の旅を楽しんだ。郡上八幡から北上して、白山長滝まで。電車は一両のみ。適当な時間にやってきた。数人が乗り込む。電車は、ほとんど長良川に沿って走る。沿線にはちょうど桜もなにもかもが咲きそろっていた。白い梨の花、ピンクの芝桜、山吹の黄と目を楽しませてくれる。しばらくゆくと、前方にまだ雪をいただいた白山の峰みねが見えつ隠れつする。のどかな田園風景はみているだけで楽しい。一時間ほどで、目的の白山長滝駅に到着した。私たちのほかには、誰もいない。無人駅だ。ここは、もともと美濃馬場とよばれ霊峰白山の南正面の登山口であり、白山信仰の拠点であった。杉の巨木に囲まれた神社を見て回る。白山もよく見える。道の駅も、あいにくお休み。食べるところもなく、すぐに郡上八幡に戻ろうかなとも思ったが、一見ログハウスのような食事処が見つかった。その名は、なんと「みのばんば」 キッチン&珈琲館とある。昔の民家を改装したような天井が高く、ゆたりとした店だ。お昼時でつぎから次と客がくる。ハンバーグやパスタをもらったが、いける。ケーキバイキングまであって、若い奥様方も赤ちゃん連れで襲来する。店の対応もよく好感がもてる。ここは、あたり。鄙にはまれな洋食と珈琲を出す。ワインもなかななかの品揃えだ。のんびり昼食を楽しんだので、スケッチの時間があまりなく、急ぎ働きだ。帰りも車窓の風景を楽しんだ。
(織部焼)
帰る途中東海環状道を通って中央道へ回り、多治見ICで降りて織部焼の町を訪ねた。安土桃山時代の武将古田織部は、千利休の高弟で織部好みと言われる大胆かつ自由な茶の湯を始めた。その織部が指導して美濃の地ではじまった織部焼きは緑の釉薬がかかったものが代表的なものであるが、現在では、さまざまな色合いのものがあり、食材とマッチするよう器がたくさんある。
多治見市役所のすぐそばの「うつわ亭」に立ち寄る。ここは古い民家を巧みに利用した建物が店となっており、日本庭園や2階の座敷もふくめて、さまざまな茶器、什器が並べられている。片口など、いくつかを買い込む。さらにすぐそばの
「オリベストリート」を散策する。ここは明治初期から昭和初期にかけて建てられた商家や蔵の残る町。それらを巧みに取り入れ、陶磁器・骨董・ギャラリーなどなどを取り込んでレトロとモダンが溶け合った。400メートルほどに渡る道をぶらぶら歩けば目移りがしてしょうがない。ここでも「花御堂」で、皿や壺を買う。高いのは手がでないが、リーズナブルなものも多いので、”見てるだけ”ということにはならない。昼食は、このストリートの一角にあるそば処「井ざわ」 平日にもかかわらず、地元の人が詰めかけてくる。やはり古い民家を移築したようで店内は広々として、天井も高い。井戸水でうったそば、器はもちろん多治見の陶器。きびきびしたスタッフが客のリクエストに気持ちよく対応している。天ぷらとざる、それに玉子焼きももらった。酒でも欲しいところだ。メニューをみると、呑み助の喜びそうなものが並んでいる。テーブルの横の壁には、額があり、”秋の山一つ一つに夕かな”という一茶の句が書かれていた。おまけに、その下にはフランス語訳まである凝りようだ。
(オリベストリート)
→http://www.c-5.ne.jp/~tajimi/oribest/honmachi/sth.htm
旅はこれでおわり、満足した気持ちで車を走らせた。