読書 『幸福論』(河合隼雄 2014年9月 PHP)を読んで
むつかしい話をしようというのではありません。まず、こんなエピソードをご紹介します。
”「絶望は死に至る病」と言った哲学者がいた。確かに何の望みもないとい
う状況は大変である。心理療法をしていると,「この世に何の望みもない」とい
う人が来られ,答えに窮するときがある。しかし,それにはよい答えがあること
を先日発見した。
「のぞみはもうありません」と面と向かって言われ,私は絶句した。ところが,
その人が言った。
「のぞみはありませんが,光はあります」
なんとすばらしい言葉だと私は感激した。このように言ってくださったのは,も
ちろん,新幹線の切符売場の駅員さんである。
「のぞみはなくとも,ひかりがある」
あまりにもいい言葉なので,私は思わず,言われたとおりのことを大声で繰り返
して言ってしまった。 駅員さんは不思議そうな顔をしていたが,「あっ,『こ
だま』が帰ってきた」と言った。ハイ,オシマイ。”
~~~~~~~~~~~~~~~
あなたは多分お分かりでしょうね。そうです臨床心理学者の河合隼雄さんの言われたことなのです。この方は天下の碩学(せきがく)にもかかわらず、上から目線で偉そうにいわれるような事はありません。河合先生存命中に何度も出会ったことがある友人の話を聞くととても気さくで、人間に対する深くあたたかい思いをお持ちの方だったそうです。その河合さんの新しい著書です。まずこの黄色のカバーがいいですね。私の好きな色です。中をぱらぱら繰ってみると、とても読みやすくまた親しみやすい内容です。一も二もなく買い求めました。
本論に入る前に少し。幸福論に関する本はいくつもあります。有名なのは、アランの『幸福論』、ヒルティの『幸福論』そしてバートランド・ラッセルの『幸福論』があり、三大幸福論と言われています。その中でもアランの本はかなり親しみやすく、また人生を肯定する姿勢が底流にあって、好きな本です。持ち歩いている私の名刺にも、彼の言葉を入れています。
”楽観主義は意思の所産。悲観主義は、人間の自己放棄である”
しかしいずれの書も、やや哲学めいたところがあり、また人生論を語るといった姿勢があって、若い方にはなじみにくいかも知れません。その点、河合隼雄さんの、この本は私たち普通の人間の日常生活レベルまで降りてきて話しをされているので、とても親しみやすいのです。
印象に残ったところをいくつご紹介しましょう。
”いろいろな人にお会いしていると、「幸福というのが、そんなに大切なのだろうか」とさえ思えてくる。ともかく、それは大切であるにしても、幸福を第一と考えて努力するのは、あまりよくないようである。・・・・要は、かけがえのない自分の人生を、いかに精一杯生きたかが問題で、それが幸福かどうかは二の次ではないか。あるいは一般に幸福と言われていることは、たいしたことではなく、自分自身にとって「幸福」と感じられるかどうかが問題なのだ。地位も名誉も金もなくても、心がけ次第で人間は幸福なれる”
~そのとうりだと思う。しかし河合さんは、ちゃんと分かっていらっしゃる。”地位も名誉も金も、あるのは悪くはないのである”と言っている。 いやいや少し見方を変えることによって、幸福が身近になるのです。さらに言えば、健康であるのは、望ましいですね。
前置きはさておいて
(河を渡る)ローラ・インガルス・ワイルダー作の『大草原の小さな家』はアメリカの西部開拓のころのある家族の物語りですが、この物語は「家族」ということを考えなおす機会を与えてくれる、と述べられています。
”この家族は新しい天地を求めて。一家をあげて幌馬車に乗って移動する。その中で、馬車でクリークを渡るところが、なかなか感動的である。クリークといっても日本で言えば大きい河である。父親が御者台に乗り、母親と子どもたちは幌を固くしばった馬車の中で身を寄せあっている。家族の一員といっていいほどの犬は、自力で泳ぎ馬車を追ってくる。ところが、河は思いのほかに深く、馬の足がたたなくなる。
父親は母親に御者台に乗れと言い、自分は河に飛び込み、泳いでいる馬の鼻づらを取って誘導する。母親もすかさず、子どもたちに静かにしていなさい、と命じて御者台に移動する。息も詰まるほどの緊迫感のうちに、とうとう馬の足が川底につくほどなり、やっとのことで対岸につくことができる。このあいだに、小さい子どもたちは恐怖で泣き叫んだり、騒いだりしたい気持ちを抑え、赤ん坊が怖がらないようにと抱きしめている。河を渡りきった時の喜びも大きかったが、愛犬がいなくなったことを知って、一同は悲しみに中に突き落とされる。それでも彼らは前進を続けねばならない・・
こんなのを読んでいると、大きい困難に直面し、家族が力を合わせてそれと戦っていく姿が浮かんできて、感激してしまう。しかし、ここで現在のわれわれの人生においても「一家をあげて河を渡る」努力をしなくてならぬ時は、同じようにあるのではないか、と思われる。・・・
ここで『大草原に小さな家』を単にノスタルジアとして懐かしんだりするのではなく、現在のことを考えてみる必要があると思う。それは人生において「一家をあげて河を渡る」ときをいかにして認識し、それに対処するかを考えることではなかろうか。
現在における「河を渡る」契機として、結婚や就職をあげたが、実際には、それは「子供が学校に行かなくなる」、「母親が交通事故にあった」。「母親が重い病気になった」などの、いわゆる「不幸」な出来事として現れてくることが多いように思う。そのときに、家族全体が「河を渡る」決意と努力をすることによって、そこから新しい生き方が生まれてくるだろう。河を渡る苦労をせずに新天地が開かれることはないのだ。”
(わたしとはだれか)・・・この本の中の白眉(はくび)とも言える印象に残る一節です。全文を掲載いたします。新書版でたかだか4頁なので・・。日本の学校の教育現場で、こんなに素晴らしい先生がいるのを知ってとても嬉しくなりました。
”京都市教育委員会のカウンセリングの企画で、私もときどき、現場の先生方と直接に話し合う機会があり、嬉しく思っている。最近お聞きした話があまり素晴らしかったので、ここに紹介させていただくことにした。
実は小学校のある国語の教科書に拙文が載っている。「わたしとはだれか」というのだが、小学校六年生には難しいのではなかろうかと危惧しつつも思い切って採用された。現場の先生からは、「あれは教えるのが難しい」と言われるかと思うと、国語の教科書のなかで「あの文は忘れられない」と子どもが言っていました、と母親から報告を受けたり、私としても「大切なことではあるが、小学生にはやはり難しいかな」と思っている文である。
ところで京都市の日野小学校の西寺みどり先生は、「わたしとはだれか」、「自分自身を見つめて」と抽象的な言葉をならべるのではなく、子ども一人ひとりが「わたしとはだれか」というアルバムを作ることを思いつかれた。まず子どもの写真を先生が撮って、それを子どもたちが自分のアルバムに貼っていく。そして「あなたの生まれたとき」という欄には親が子どもの生まれた時の想い出を書くことになっている。
それを読むと、子どもの生れたときの感動がそのまま伝わってくるようなのもある。親が子どもにそのような話をしていないところも案外あるようで、子どもは自分がこの世に生まれてきたときのことを知って、心を打たれているようだ、とのこと。「名前の由来」という欄もあって、どうして子どもにそんな名前をつけたのか、親がその由来を書くところもある。
あるページには、子どもの顔の写真があって、その周囲に、クラスの子どもたちが、その子について、「算数がよくできるわ」とか「下級生に親切だね」とか、思い思いに書き込んでいる。自分を取り巻く同級生の言葉によって、「わたしとはだれか」という問いに対する答えがおのずから浮かんでくる。
ここに「アルバム」という表現をしたが、これは実は画用紙を二つに折り、それに前記のようなことが書かれ、それを貼りあわせてゆくことによって、子どもたちの手で自分の「アルバム」ができるようになっている。そしてそれらを作ってゆく過程で、他とかけがえのない、この世の中の唯一の存在としての「わたし」ということの自覚が生まれてくるのである。
この試みは子どもたちのみならず、両親にも大いに喜ばれ、先生と子どもと親との相互関係が、この一冊のアルバムによって随分とよくなったそうである。これを見ていると、子どもも親も何となく嬉しくなってくるのだ。
もちろん、よいことばかりではない。写真を撮ろうとすると、そっぽを向く子もいる。「子どもの生れたとき」のことをどの親も書いてくれるだろうか、という先生の心配もある。母親と別れて暮らしている子もある。そんな家庭の父親の文に、先生も涙がでるほどの感激を味わったり、アルバム作りに反発していた子が、クラスメートの書いてくれた文を見て、ぐっと心を惹かれて熱心なってくる話など。いろいろな苦労話を聞いていると、大変だなあと思いつつも、やはり素晴らしい仕事だと感嘆させられる。
このような仕事を通じて、子どもは子どもなりに「わたし」という人間を発見してゆくし、先生の方もクラスの子どもたちをひとまとめに見るのではなく、一人ひとりの個性を感じ取ってゆくことができる。子どもは自分に向けられた先生や親のまなざしを感じ、そこに期待や温かさを感じ取って自分を大切にしようと思う。
西寺先生のこのような試みにヒントを得て、小学一年生を担当している他の先生方がもちろん「わたしとはだれか」などと難しいことを言わずに、一年生としての思い出をアルバムに残してゆくこと~これは一年生なので親の協力もだいぶ必要だが~をされると、これもやはり親にも子どもにも喜ばれ、家庭の中に楽しい話題を提供することになったとのことである。他の先生のまねをそのままするのではなく、それをヒントとして、自分なりの工夫をこらしてゆかれるところがいい。このような先生方がおられる限り、日本の教育も信頼できる、とつくづく思った。”
(共鳴するたましい)
東大の佐藤教授の『学び その死と再生』を読んで、多くの示唆を与えられたとして、その中に話を紹介されている。
”S君は幼少のときから移動癖があり、わけもなく教室の中をうろつきまわる。・・・高校に進学したが、友人はなく先生には反抗を繰り返した。とうとう授業にも出なくなて・・・。その上、赤面、吃音、言葉が出てこないなどの神経症的な症状にも悩まされ、高校を中退しようと思い・・・。音楽室でぶらぶらして過ごしている時、音楽教師が、バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第二番の「シャコンヌ」をレコードで一緒に聴かないかと声をかけてくれた。「その衝撃的な音の体験は、魂の昇華あるいは解脱としか言い表しようのないものだった。この偉大な作曲家の作品は、畏れとも悟りとも呼べる圧倒的な感動で私の偏狭な心の密室を内側から砕き、宇宙的な広がりの中で溶解させていた」と、S少年は当時を振り返って述べている。
レコードを聞き終えると、Y先生はS君に音楽家になってはどうか、と言った。S君が授業には出ないが、音楽には関心をもっているのを知ってのことであった。それに対してS君は先生の気持ちに感謝しながらも、「突如として何の脈絡もなく、ゆくゆくは教育の仕事に携わりたいと決意したのだ」と述べている。
S君はその後、最下位の成績から発奮して勉強をはじめ、希望通り「教育の仕事」につくことになった。そして、このS君とは実は先に紹介した書物の著者、佐藤学さん。東大教育学部教授として、授業の研究に実にユニークな仕事をしている人である。”
さらに河合さんは、この話の後日譚を紹介されている。佐藤さんはY教官の退任されるおり、夢中でその折の思い出を書いて感謝の手紙をだした。それに対してY先生から来た返事には「あの頃は自分自身も、音楽を教育することの意味を失うという根源的な問題に悩んでいて、教職生活を中断する誘惑にかられながら祈る思いで生徒と音楽を共有する道を模索していた・・」と書かれていた。 河合さんは、このエピソードを知って、こう書いている。
”Y先生はS君という生徒をよくするために音楽を聴かせたのではなかった。自分自身のため「祈る思い」でレコードをかけたのだ。佐藤さんは「先生と私は、くしくもシャコンヌを仲立ちとする深い沈黙の中で、象徴的な体験を交換しあっていたのである。偶然といえば偶然とも言えないではないが、なるほど、象徴的体験は祈りを共有する人と人の出会いにおいて準備されるものなのである」と述べている。”
”これは教育における一番大切なことを教えてくれるエピソードではないだろうか。自分の心の癒やしのために、だれか生徒が体験を共有してほしいという祈りがそこにあった。そこへもっとも癒やしを必要とする生徒が現れ、二人は魂の響きが共鳴するのを感じたのである。これこそ教育ではないだろうか。”
~いやあ、いい話です。魂の共鳴。仏教学者の紀野一義師(故人)がよく言われているクロスエンカウンターですね。それから、このバッハの無伴奏バイオリンのためのパルティータとソナタですが魂を揺さぶられるような響きがあります。その2番の曲の第五楽章がシャコンヌです。イギリスのレイチェル・ポッジャーの素晴らしい演奏があります。
紹介文を書いているうちに止まらなくなってきました。あと二つ小文を書いて、しめることに致します。
(幸福の条件)
”人間が幸福であると感じるための条件としてはいろいろあるだろうが、私は最近、▽将来に対して希望がもてる。 ▽自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができるーという二点が実に重要であると思うようになった”
~第二の條件については、いわゆる超越者などとむつかしく考える事はありません。自分の回りの人達とのつながりでもいいと思います。
最後は、詩人の新川和江さんの詩で締めくくることにします。
(私を束ねないで)
”わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
・・・・・・・・・”
この詩はながながとつづくのですが、要は人間は他人を「束ね」たり、十把一絡げで何かの名前によって束ねることがあると言っているのです。詩は「わたしを名付けないで/娘という名 妻という名/重々しい母という名でしつらえた座/に座りきりにさせないでください・・・」と続きます。
”新川さんの「束ねないで」という訴えは、あくまで自由に羽ばたこうとする自分が、何とか自分を束ねてしまおうとする自分に向かって叫んでいるように思えてくる。一番恐ろしいのは、他人ではなく自分が自分を「束ねる」ことなのである。"
~これは、それぞれの女性が個性をもって縛られることなく羽ばたこうとする。自由への賛歌ですね!
~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~
長々続きました。ご清聴ありがとうございました。
余談ながら、「幸福論」というタイトルがついていなくても、そういう内容を何気なく語っている小説がいくつもあります。山本周五郎の小説や海外のものではロバート・B_・パーカーのスペンサシリーズなどは、そのようなことが言わず語らずで書かれています。時間があったら手にとって見られることをおすすめします。
(余滴)新川さんの詩の最後が素晴らしいので、下記に記しておきあます。
「わたしを名付けないで」
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や .(ピリオド) いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
(余滴その2)
すこしお固い話になりました。そこで、おまけとして、ゆらぎの幸福論私見をほんの少しだけ書きます。
むつかしく考えずにいえば、幸福であるためには、まず健康でんな! それもできたら家族や友人の分もふくめて。それからサムマネーは要るでしょう。三つ目は好奇心でしょう。これらのことを語り出したら多分止まりへんで。やめておきます。 ただ一つ、これらの條件が欠けることもあるし、またそういう人もおられるでしょう。それでも、幸福にはなれると思います。なろうとする意思さへあれば・・・。
それから他の人々を幸福にするにはどうしたらいいでしょう? 古い雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)という経典に「無財の七施」(むざいのひちせ)という言葉があります。その中の一つが、「和顔悦色施」(わげんえつじきせ)という言葉です。人ににこやかな笑顔で接する。ただそれだけです。でもそうそうはできませんよ。絶えず心がけておかないと・・・。
みなさんの幸福論をお聞かせください!
むつかしい話をしようというのではありません。まず、こんなエピソードをご紹介します。
”「絶望は死に至る病」と言った哲学者がいた。確かに何の望みもないとい
う状況は大変である。心理療法をしていると,「この世に何の望みもない」とい
う人が来られ,答えに窮するときがある。しかし,それにはよい答えがあること
を先日発見した。
「のぞみはもうありません」と面と向かって言われ,私は絶句した。ところが,
その人が言った。
「のぞみはありませんが,光はあります」
なんとすばらしい言葉だと私は感激した。このように言ってくださったのは,も
ちろん,新幹線の切符売場の駅員さんである。
「のぞみはなくとも,ひかりがある」
あまりにもいい言葉なので,私は思わず,言われたとおりのことを大声で繰り返
して言ってしまった。 駅員さんは不思議そうな顔をしていたが,「あっ,『こ
だま』が帰ってきた」と言った。ハイ,オシマイ。”
~~~~~~~~~~~~~~~
あなたは多分お分かりでしょうね。そうです臨床心理学者の河合隼雄さんの言われたことなのです。この方は天下の碩学(せきがく)にもかかわらず、上から目線で偉そうにいわれるような事はありません。河合先生存命中に何度も出会ったことがある友人の話を聞くととても気さくで、人間に対する深くあたたかい思いをお持ちの方だったそうです。その河合さんの新しい著書です。まずこの黄色のカバーがいいですね。私の好きな色です。中をぱらぱら繰ってみると、とても読みやすくまた親しみやすい内容です。一も二もなく買い求めました。
本論に入る前に少し。幸福論に関する本はいくつもあります。有名なのは、アランの『幸福論』、ヒルティの『幸福論』そしてバートランド・ラッセルの『幸福論』があり、三大幸福論と言われています。その中でもアランの本はかなり親しみやすく、また人生を肯定する姿勢が底流にあって、好きな本です。持ち歩いている私の名刺にも、彼の言葉を入れています。
”楽観主義は意思の所産。悲観主義は、人間の自己放棄である”
しかしいずれの書も、やや哲学めいたところがあり、また人生論を語るといった姿勢があって、若い方にはなじみにくいかも知れません。その点、河合隼雄さんの、この本は私たち普通の人間の日常生活レベルまで降りてきて話しをされているので、とても親しみやすいのです。
印象に残ったところをいくつご紹介しましょう。
”いろいろな人にお会いしていると、「幸福というのが、そんなに大切なのだろうか」とさえ思えてくる。ともかく、それは大切であるにしても、幸福を第一と考えて努力するのは、あまりよくないようである。・・・・要は、かけがえのない自分の人生を、いかに精一杯生きたかが問題で、それが幸福かどうかは二の次ではないか。あるいは一般に幸福と言われていることは、たいしたことではなく、自分自身にとって「幸福」と感じられるかどうかが問題なのだ。地位も名誉も金もなくても、心がけ次第で人間は幸福なれる”
~そのとうりだと思う。しかし河合さんは、ちゃんと分かっていらっしゃる。”地位も名誉も金も、あるのは悪くはないのである”と言っている。 いやいや少し見方を変えることによって、幸福が身近になるのです。さらに言えば、健康であるのは、望ましいですね。
前置きはさておいて
(河を渡る)ローラ・インガルス・ワイルダー作の『大草原の小さな家』はアメリカの西部開拓のころのある家族の物語りですが、この物語は「家族」ということを考えなおす機会を与えてくれる、と述べられています。
”この家族は新しい天地を求めて。一家をあげて幌馬車に乗って移動する。その中で、馬車でクリークを渡るところが、なかなか感動的である。クリークといっても日本で言えば大きい河である。父親が御者台に乗り、母親と子どもたちは幌を固くしばった馬車の中で身を寄せあっている。家族の一員といっていいほどの犬は、自力で泳ぎ馬車を追ってくる。ところが、河は思いのほかに深く、馬の足がたたなくなる。
父親は母親に御者台に乗れと言い、自分は河に飛び込み、泳いでいる馬の鼻づらを取って誘導する。母親もすかさず、子どもたちに静かにしていなさい、と命じて御者台に移動する。息も詰まるほどの緊迫感のうちに、とうとう馬の足が川底につくほどなり、やっとのことで対岸につくことができる。このあいだに、小さい子どもたちは恐怖で泣き叫んだり、騒いだりしたい気持ちを抑え、赤ん坊が怖がらないようにと抱きしめている。河を渡りきった時の喜びも大きかったが、愛犬がいなくなったことを知って、一同は悲しみに中に突き落とされる。それでも彼らは前進を続けねばならない・・
こんなのを読んでいると、大きい困難に直面し、家族が力を合わせてそれと戦っていく姿が浮かんできて、感激してしまう。しかし、ここで現在のわれわれの人生においても「一家をあげて河を渡る」努力をしなくてならぬ時は、同じようにあるのではないか、と思われる。・・・
ここで『大草原に小さな家』を単にノスタルジアとして懐かしんだりするのではなく、現在のことを考えてみる必要があると思う。それは人生において「一家をあげて河を渡る」ときをいかにして認識し、それに対処するかを考えることではなかろうか。
現在における「河を渡る」契機として、結婚や就職をあげたが、実際には、それは「子供が学校に行かなくなる」、「母親が交通事故にあった」。「母親が重い病気になった」などの、いわゆる「不幸」な出来事として現れてくることが多いように思う。そのときに、家族全体が「河を渡る」決意と努力をすることによって、そこから新しい生き方が生まれてくるだろう。河を渡る苦労をせずに新天地が開かれることはないのだ。”
(わたしとはだれか)・・・この本の中の白眉(はくび)とも言える印象に残る一節です。全文を掲載いたします。新書版でたかだか4頁なので・・。日本の学校の教育現場で、こんなに素晴らしい先生がいるのを知ってとても嬉しくなりました。
”京都市教育委員会のカウンセリングの企画で、私もときどき、現場の先生方と直接に話し合う機会があり、嬉しく思っている。最近お聞きした話があまり素晴らしかったので、ここに紹介させていただくことにした。
実は小学校のある国語の教科書に拙文が載っている。「わたしとはだれか」というのだが、小学校六年生には難しいのではなかろうかと危惧しつつも思い切って採用された。現場の先生からは、「あれは教えるのが難しい」と言われるかと思うと、国語の教科書のなかで「あの文は忘れられない」と子どもが言っていました、と母親から報告を受けたり、私としても「大切なことではあるが、小学生にはやはり難しいかな」と思っている文である。
ところで京都市の日野小学校の西寺みどり先生は、「わたしとはだれか」、「自分自身を見つめて」と抽象的な言葉をならべるのではなく、子ども一人ひとりが「わたしとはだれか」というアルバムを作ることを思いつかれた。まず子どもの写真を先生が撮って、それを子どもたちが自分のアルバムに貼っていく。そして「あなたの生まれたとき」という欄には親が子どもの生まれた時の想い出を書くことになっている。
それを読むと、子どもの生れたときの感動がそのまま伝わってくるようなのもある。親が子どもにそのような話をしていないところも案外あるようで、子どもは自分がこの世に生まれてきたときのことを知って、心を打たれているようだ、とのこと。「名前の由来」という欄もあって、どうして子どもにそんな名前をつけたのか、親がその由来を書くところもある。
あるページには、子どもの顔の写真があって、その周囲に、クラスの子どもたちが、その子について、「算数がよくできるわ」とか「下級生に親切だね」とか、思い思いに書き込んでいる。自分を取り巻く同級生の言葉によって、「わたしとはだれか」という問いに対する答えがおのずから浮かんでくる。
ここに「アルバム」という表現をしたが、これは実は画用紙を二つに折り、それに前記のようなことが書かれ、それを貼りあわせてゆくことによって、子どもたちの手で自分の「アルバム」ができるようになっている。そしてそれらを作ってゆく過程で、他とかけがえのない、この世の中の唯一の存在としての「わたし」ということの自覚が生まれてくるのである。
この試みは子どもたちのみならず、両親にも大いに喜ばれ、先生と子どもと親との相互関係が、この一冊のアルバムによって随分とよくなったそうである。これを見ていると、子どもも親も何となく嬉しくなってくるのだ。
もちろん、よいことばかりではない。写真を撮ろうとすると、そっぽを向く子もいる。「子どもの生れたとき」のことをどの親も書いてくれるだろうか、という先生の心配もある。母親と別れて暮らしている子もある。そんな家庭の父親の文に、先生も涙がでるほどの感激を味わったり、アルバム作りに反発していた子が、クラスメートの書いてくれた文を見て、ぐっと心を惹かれて熱心なってくる話など。いろいろな苦労話を聞いていると、大変だなあと思いつつも、やはり素晴らしい仕事だと感嘆させられる。
このような仕事を通じて、子どもは子どもなりに「わたし」という人間を発見してゆくし、先生の方もクラスの子どもたちをひとまとめに見るのではなく、一人ひとりの個性を感じ取ってゆくことができる。子どもは自分に向けられた先生や親のまなざしを感じ、そこに期待や温かさを感じ取って自分を大切にしようと思う。
西寺先生のこのような試みにヒントを得て、小学一年生を担当している他の先生方がもちろん「わたしとはだれか」などと難しいことを言わずに、一年生としての思い出をアルバムに残してゆくこと~これは一年生なので親の協力もだいぶ必要だが~をされると、これもやはり親にも子どもにも喜ばれ、家庭の中に楽しい話題を提供することになったとのことである。他の先生のまねをそのままするのではなく、それをヒントとして、自分なりの工夫をこらしてゆかれるところがいい。このような先生方がおられる限り、日本の教育も信頼できる、とつくづく思った。”
(共鳴するたましい)
東大の佐藤教授の『学び その死と再生』を読んで、多くの示唆を与えられたとして、その中に話を紹介されている。
”S君は幼少のときから移動癖があり、わけもなく教室の中をうろつきまわる。・・・高校に進学したが、友人はなく先生には反抗を繰り返した。とうとう授業にも出なくなて・・・。その上、赤面、吃音、言葉が出てこないなどの神経症的な症状にも悩まされ、高校を中退しようと思い・・・。音楽室でぶらぶらして過ごしている時、音楽教師が、バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第二番の「シャコンヌ」をレコードで一緒に聴かないかと声をかけてくれた。「その衝撃的な音の体験は、魂の昇華あるいは解脱としか言い表しようのないものだった。この偉大な作曲家の作品は、畏れとも悟りとも呼べる圧倒的な感動で私の偏狭な心の密室を内側から砕き、宇宙的な広がりの中で溶解させていた」と、S少年は当時を振り返って述べている。
レコードを聞き終えると、Y先生はS君に音楽家になってはどうか、と言った。S君が授業には出ないが、音楽には関心をもっているのを知ってのことであった。それに対してS君は先生の気持ちに感謝しながらも、「突如として何の脈絡もなく、ゆくゆくは教育の仕事に携わりたいと決意したのだ」と述べている。
S君はその後、最下位の成績から発奮して勉強をはじめ、希望通り「教育の仕事」につくことになった。そして、このS君とは実は先に紹介した書物の著者、佐藤学さん。東大教育学部教授として、授業の研究に実にユニークな仕事をしている人である。”
さらに河合さんは、この話の後日譚を紹介されている。佐藤さんはY教官の退任されるおり、夢中でその折の思い出を書いて感謝の手紙をだした。それに対してY先生から来た返事には「あの頃は自分自身も、音楽を教育することの意味を失うという根源的な問題に悩んでいて、教職生活を中断する誘惑にかられながら祈る思いで生徒と音楽を共有する道を模索していた・・」と書かれていた。 河合さんは、このエピソードを知って、こう書いている。
”Y先生はS君という生徒をよくするために音楽を聴かせたのではなかった。自分自身のため「祈る思い」でレコードをかけたのだ。佐藤さんは「先生と私は、くしくもシャコンヌを仲立ちとする深い沈黙の中で、象徴的な体験を交換しあっていたのである。偶然といえば偶然とも言えないではないが、なるほど、象徴的体験は祈りを共有する人と人の出会いにおいて準備されるものなのである」と述べている。”
”これは教育における一番大切なことを教えてくれるエピソードではないだろうか。自分の心の癒やしのために、だれか生徒が体験を共有してほしいという祈りがそこにあった。そこへもっとも癒やしを必要とする生徒が現れ、二人は魂の響きが共鳴するのを感じたのである。これこそ教育ではないだろうか。”
~いやあ、いい話です。魂の共鳴。仏教学者の紀野一義師(故人)がよく言われているクロスエンカウンターですね。それから、このバッハの無伴奏バイオリンのためのパルティータとソナタですが魂を揺さぶられるような響きがあります。その2番の曲の第五楽章がシャコンヌです。イギリスのレイチェル・ポッジャーの素晴らしい演奏があります。
紹介文を書いているうちに止まらなくなってきました。あと二つ小文を書いて、しめることに致します。
(幸福の条件)
”人間が幸福であると感じるための条件としてはいろいろあるだろうが、私は最近、▽将来に対して希望がもてる。 ▽自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができるーという二点が実に重要であると思うようになった”
~第二の條件については、いわゆる超越者などとむつかしく考える事はありません。自分の回りの人達とのつながりでもいいと思います。
最後は、詩人の新川和江さんの詩で締めくくることにします。
(私を束ねないで)
”わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
・・・・・・・・・”
この詩はながながとつづくのですが、要は人間は他人を「束ね」たり、十把一絡げで何かの名前によって束ねることがあると言っているのです。詩は「わたしを名付けないで/娘という名 妻という名/重々しい母という名でしつらえた座/に座りきりにさせないでください・・・」と続きます。
”新川さんの「束ねないで」という訴えは、あくまで自由に羽ばたこうとする自分が、何とか自分を束ねてしまおうとする自分に向かって叫んでいるように思えてくる。一番恐ろしいのは、他人ではなく自分が自分を「束ねる」ことなのである。"
~これは、それぞれの女性が個性をもって縛られることなく羽ばたこうとする。自由への賛歌ですね!
~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~
長々続きました。ご清聴ありがとうございました。
余談ながら、「幸福論」というタイトルがついていなくても、そういう内容を何気なく語っている小説がいくつもあります。山本周五郎の小説や海外のものではロバート・B_・パーカーのスペンサシリーズなどは、そのようなことが言わず語らずで書かれています。時間があったら手にとって見られることをおすすめします。
(余滴)新川さんの詩の最後が素晴らしいので、下記に記しておきあます。
「わたしを名付けないで」
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や .(ピリオド) いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
(余滴その2)
すこしお固い話になりました。そこで、おまけとして、ゆらぎの幸福論私見をほんの少しだけ書きます。
むつかしく考えずにいえば、幸福であるためには、まず健康でんな! それもできたら家族や友人の分もふくめて。それからサムマネーは要るでしょう。三つ目は好奇心でしょう。これらのことを語り出したら多分止まりへんで。やめておきます。 ただ一つ、これらの條件が欠けることもあるし、またそういう人もおられるでしょう。それでも、幸福にはなれると思います。なろうとする意思さへあれば・・・。
それから他の人々を幸福にするにはどうしたらいいでしょう? 古い雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)という経典に「無財の七施」(むざいのひちせ)という言葉があります。その中の一つが、「和顔悦色施」(わげんえつじきせ)という言葉です。人ににこやかな笑顔で接する。ただそれだけです。でもそうそうはできませんよ。絶えず心がけておかないと・・・。
みなさんの幸福論をお聞かせください!