(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書 『幸福論』(河合隼雄)を読んで・・・

2014-12-24 | 読書
読書 『幸福論』(河合隼雄 2014年9月 PHP)を読んで

 むつかしい話をしようというのではありません。まず、こんなエピソードをご紹介します。

 ”「絶望は死に至る病」と言った哲学者がいた。確かに何の望みもないとい
う状況は大変である。心理療法をしていると,「この世に何の望みもない」とい
う人が来られ,答えに窮するときがある。しかし,それにはよい答えがあること
を先日発見した。
 
「のぞみはもうありません」と面と向かって言われ,私は絶句した。ところが,
その人が言った。
「のぞみはありませんが,光はあります」
なんとすばらしい言葉だと私は感激した。このように言ってくださったのは,も
ちろん,新幹線の切符売場の駅員さんである。

「のぞみはなくとも,ひかりがある」
あまりにもいい言葉なので,私は思わず,言われたとおりのことを大声で繰り返
して言ってしまった。 駅員さんは不思議そうな顔をしていたが,「あっ,『こ
だま』が帰ってきた」と言った。ハイ,オシマイ。”

     ~~~~~~~~~~~~~~~

 あなたは多分お分かりでしょうね。そうです臨床心理学者の河合隼雄さんの言われたことなのです。この方は天下の碩学(せきがく)にもかかわらず、上から目線で偉そうにいわれるような事はありません。河合先生存命中に何度も出会ったことがある友人の話を聞くととても気さくで、人間に対する深くあたたかい思いをお持ちの方だったそうです。その河合さんの新しい著書です。まずこの黄色のカバーがいいですね。私の好きな色です。中をぱらぱら繰ってみると、とても読みやすくまた親しみやすい内容です。一も二もなく買い求めました。

 本論に入る前に少し。幸福論に関する本はいくつもあります。有名なのは、アランの『幸福論』、ヒルティの『幸福論』そしてバートランド・ラッセルの『幸福論』があり、三大幸福論と言われています。その中でもアランの本はかなり親しみやすく、また人生を肯定する姿勢が底流にあって、好きな本です。持ち歩いている私の名刺にも、彼の言葉を入れています。

  ”楽観主義は意思の所産。悲観主義は、人間の自己放棄である”

 しかしいずれの書も、やや哲学めいたところがあり、また人生論を語るといった姿勢があって、若い方にはなじみにくいかも知れません。その点、河合隼雄さんの、この本は私たち普通の人間の日常生活レベルまで降りてきて話しをされているので、とても親しみやすいのです。

 印象に残ったところをいくつご紹介しましょう。


 ”いろいろな人にお会いしていると、「幸福というのが、そんなに大切なのだろうか」とさえ思えてくる。ともかく、それは大切であるにしても、幸福を第一と考えて努力するのは、あまりよくないようである。・・・・要は、かけがえのない自分の人生を、いかに精一杯生きたかが問題で、それが幸福かどうかは二の次ではないか。あるいは一般に幸福と言われていることは、たいしたことではなく、自分自身にとって「幸福」と感じられるかどうかが問題なのだ。地位も名誉も金もなくても、心がけ次第で人間は幸福なれる”

 ~そのとうりだと思う。しかし河合さんは、ちゃんと分かっていらっしゃる。”地位も名誉も金も、あるのは悪くはないのである”と言っている。 いやいや少し見方を変えることによって、幸福が身近になるのです。さらに言えば、健康であるのは、望ましいですね。

 前置きはさておいて

(河を渡る)
ローラ・インガルス・ワイルダー作の『大草原の小さな家』はアメリカの西部開拓のころのある家族の物語りですが、この物語は「家族」ということを考えなおす機会を与えてくれる、と述べられています。

 ”この家族は新しい天地を求めて。一家をあげて幌馬車に乗って移動する。その中で、馬車でクリークを渡るところが、なかなか感動的である。クリークといっても日本で言えば大きい河である。父親が御者台に乗り、母親と子どもたちは幌を固くしばった馬車の中で身を寄せあっている。家族の一員といっていいほどの犬は、自力で泳ぎ馬車を追ってくる。ところが、河は思いのほかに深く、馬の足がたたなくなる。

 父親は母親に御者台に乗れと言い、自分は河に飛び込み、泳いでいる馬の鼻づらを取って誘導する。母親もすかさず、子どもたちに静かにしていなさい、と命じて御者台に移動する。息も詰まるほどの緊迫感のうちに、とうとう馬の足が川底につくほどなり、やっとのことで対岸につくことができる。このあいだに、小さい子どもたちは恐怖で泣き叫んだり、騒いだりしたい気持ちを抑え、赤ん坊が怖がらないようにと抱きしめている。河を渡りきった時の喜びも大きかったが、愛犬がいなくなったことを知って、一同は悲しみに中に突き落とされる。それでも彼らは前進を続けねばならない・・

 こんなのを読んでいると、大きい困難に直面し、家族が力を合わせてそれと戦っていく姿が浮かんできて、感激してしまう。しかし、ここで現在のわれわれの人生においても「一家をあげて河を渡る」努力をしなくてならぬ時は、同じようにあるのではないか、と思われる。・・・

 ここで『大草原に小さな家』を単にノスタルジアとして懐かしんだりするのではなく、現在のことを考えてみる必要があると思う。それは人生において「一家をあげて河を渡る」ときをいかにして認識し、それに対処するかを考えることではなかろうか。

 現在における「河を渡る」契機として、結婚や就職をあげたが、実際には、それは「子供が学校に行かなくなる」、「母親が交通事故にあった」。「母親が重い病気になった」などの、いわゆる「不幸」な出来事として現れてくることが多いように思う。そのときに、家族全体が「河を渡る」決意と努力をすることによって、そこから新しい生き方が生まれてくるだろう。河を渡る苦労をせずに新天地が開かれることはないのだ。”



(わたしとはだれか)・・・この本の中の白眉(はくび)とも言える印象に残る一節です。全文を掲載いたします。新書版でたかだか4頁なので・・。日本の学校の教育現場で、こんなに素晴らしい先生がいるのを知ってとても嬉しくなりました。

 ”京都市教育委員会のカウンセリングの企画で、私もときどき、現場の先生方と直接に話し合う機会があり、嬉しく思っている。最近お聞きした話があまり素晴らしかったので、ここに紹介させていただくことにした。

 実は小学校のある国語の教科書に拙文が載っている。「わたしとはだれか」というのだが、小学校六年生には難しいのではなかろうかと危惧しつつも思い切って採用された。現場の先生からは、「あれは教えるのが難しい」と言われるかと思うと、国語の教科書のなかで「あの文は忘れられない」と子どもが言っていました、と母親から報告を受けたり、私としても「大切なことではあるが、小学生にはやはり難しいかな」と思っている文である。

 ところで京都市の日野小学校の西寺みどり先生は、「わたしとはだれか」、「自分自身を見つめて」と抽象的な言葉をならべるのではなく、子ども一人ひとりが「わたしとはだれか」というアルバムを作ることを思いつかれた。まず子どもの写真を先生が撮って、それを子どもたちが自分のアルバムに貼っていく。そして「あなたの生まれたとき」という欄には親が子どもの生まれた時の想い出を書くことになっている。

 それを読むと、子どもの生れたときの感動がそのまま伝わってくるようなのもある。親が子どもにそのような話をしていないところも案外あるようで、子どもは自分がこの世に生まれてきたときのことを知って、心を打たれているようだ、とのこと。「名前の由来」という欄もあって、どうして子どもにそんな名前をつけたのか、親がその由来を書くところもある。
 あるページには、子どもの顔の写真があって、その周囲に、クラスの子どもたちが、その子について、「算数がよくできるわ」とか「下級生に親切だね」とか、思い思いに書き込んでいる。自分を取り巻く同級生の言葉によって、「わたしとはだれか」という問いに対する答えがおのずから浮かんでくる。

 ここに「アルバム」という表現をしたが、これは実は画用紙を二つに折り、それに前記のようなことが書かれ、それを貼りあわせてゆくことによって、子どもたちの手で自分の「アルバム」ができるようになっている。そしてそれらを作ってゆく過程で、他とかけがえのない、この世の中の唯一の存在としての「わたし」ということの自覚が生まれてくるのである。

 この試みは子どもたちのみならず、両親にも大いに喜ばれ、先生と子どもと親との相互関係が、この一冊のアルバムによって随分とよくなったそうである。これを見ていると、子どもも親も何となく嬉しくなってくるのだ。

 もちろん、よいことばかりではない。写真を撮ろうとすると、そっぽを向く子もいる。「子どもの生れたとき」のことをどの親も書いてくれるだろうか、という先生の心配もある。母親と別れて暮らしている子もある。そんな家庭の父親の文に、先生も涙がでるほどの感激を味わったり、アルバム作りに反発していた子が、クラスメートの書いてくれた文を見て、ぐっと心を惹かれて熱心なってくる話など。いろいろな苦労話を聞いていると、大変だなあと思いつつも、やはり素晴らしい仕事だと感嘆させられる。
 
 このような仕事を通じて、子どもは子どもなりに「わたし」という人間を発見してゆくし、先生の方もクラスの子どもたちをひとまとめに見るのではなく、一人ひとりの個性を感じ取ってゆくことができる。子どもは自分に向けられた先生や親のまなざしを感じ、そこに期待や温かさを感じ取って自分を大切にしようと思う。

 西寺先生のこのような試みにヒントを得て、小学一年生を担当している他の先生方がもちろん「わたしとはだれか」などと難しいことを言わずに、一年生としての思い出をアルバムに残してゆくこと~これは一年生なので親の協力もだいぶ必要だが~をされると、これもやはり親にも子どもにも喜ばれ、家庭の中に楽しい話題を提供することになったとのことである。他の先生のまねをそのままするのではなく、それをヒントとして、自分なりの工夫をこらしてゆかれるところがいい。このような先生方がおられる限り、日本の教育も信頼できる、とつくづく思った。”



(共鳴するたましい)

 東大の佐藤教授の『学び その死と再生』を読んで、多くの示唆を与えられたとして、その中に話を紹介されている。

 ”S君は幼少のときから移動癖があり、わけもなく教室の中をうろつきまわる。・・・高校に進学したが、友人はなく先生には反抗を繰り返した。とうとう授業にも出なくなて・・・。その上、赤面、吃音、言葉が出てこないなどの神経症的な症状にも悩まされ、高校を中退しようと思い・・・。音楽室でぶらぶらして過ごしている時、音楽教師が、バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第二番の「シャコンヌ」をレコードで一緒に聴かないかと声をかけてくれた。「その衝撃的な音の体験は、魂の昇華あるいは解脱としか言い表しようのないものだった。この偉大な作曲家の作品は、畏れとも悟りとも呼べる圧倒的な感動で私の偏狭な心の密室を内側から砕き、宇宙的な広がりの中で溶解させていた」と、S少年は当時を振り返って述べている。

 レコードを聞き終えると、Y先生はS君に音楽家になってはどうか、と言った。S君が授業には出ないが、音楽には関心をもっているのを知ってのことであった。それに対してS君は先生の気持ちに感謝しながらも、「突如として何の脈絡もなく、ゆくゆくは教育の仕事に携わりたいと決意したのだ」と述べている。

 S君はその後、最下位の成績から発奮して勉強をはじめ、希望通り「教育の仕事」につくことになった。そして、このS君とは実は先に紹介した書物の著者、佐藤学さん。東大教育学部教授として、授業の研究に実にユニークな仕事をしている人である。”

 さらに河合さんは、この話の後日譚を紹介されている。佐藤さんはY教官の退任されるおり、夢中でその折の思い出を書いて感謝の手紙をだした。それに対してY先生から来た返事には「あの頃は自分自身も、音楽を教育することの意味を失うという根源的な問題に悩んでいて、教職生活を中断する誘惑にかられながら祈る思いで生徒と音楽を共有する道を模索していた・・」と書かれていた。 河合さんは、このエピソードを知って、こう書いている。

 ”Y先生はS君という生徒をよくするために音楽を聴かせたのではなかった。自分自身のため「祈る思い」でレコードをかけたのだ。佐藤さんは「先生と私は、くしくもシャコンヌを仲立ちとする深い沈黙の中で、象徴的な体験を交換しあっていたのである。偶然といえば偶然とも言えないではないが、なるほど、象徴的体験は祈りを共有する人と人の出会いにおいて準備されるものなのである」と述べている。”

 ”これは教育における一番大切なことを教えてくれるエピソードではないだろうか。自分の心の癒やしのために、だれか生徒が体験を共有してほしいという祈りがそこにあった。そこへもっとも癒やしを必要とする生徒が現れ、二人は魂の響きが共鳴するのを感じたのである。これこそ教育ではないだろうか。”



 ~いやあ、いい話です。魂の共鳴。仏教学者の紀野一義師(故人)がよく言われているクロスエンカウンターですね。それから、このバッハの無伴奏バイオリンのためのパルティータとソナタですが魂を揺さぶられるような響きがあります。その2番の曲の第五楽章がシャコンヌです。イギリスのレイチェル・ポッジャーの素晴らしい演奏があります。

 

 紹介文を書いているうちに止まらなくなってきました。あと二つ小文を書いて、しめることに致します。


(幸福の条件)
 ”人間が幸福であると感じるための条件としてはいろいろあるだろうが、私は最近、▽将来に対して希望がもてる。 ▽自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができるーという二点が実に重要であると思うようになった”


~第二の條件については、いわゆる超越者などとむつかしく考える事はありません。自分の回りの人達とのつながりでもいいと思います。


最後は、詩人の新川和江さんの詩で締めくくることにします。
(私を束ねないで)

 ”わたしを束ねないで
  あらせいとうの花のように
  白い葱のように
  
  束ねないでください 私は稲穂
  秋 大地が胸を焦がす
  見渡すかぎりの金色の稲穂

  ・・・・・・・・・”

 この詩はながながとつづくのですが、要は人間は他人を「束ね」たり、十把一絡げで何かの名前によって束ねることがあると言っているのです。詩は「わたしを名付けないで/娘という名 妻という名/重々しい母という名でしつらえた座/に座りきりにさせないでください・・・」と続きます。

 ”新川さんの「束ねないで」という訴えは、あくまで自由に羽ばたこうとする自分が、何とか自分を束ねてしまおうとする自分に向かって叫んでいるように思えてくる。一番恐ろしいのは、他人ではなく自分が自分を「束ねる」ことなのである。"


 ~これは、それぞれの女性が個性をもって縛られることなく羽ばたこうとする。自由への賛歌ですね!



     ~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~

 
 長々続きました。ご清聴ありがとうございました。


 余談ながら、「幸福論」というタイトルがついていなくても、そういう内容を何気なく語っている小説がいくつもあります。山本周五郎の小説や海外のものではロバート・B_・パーカーのスペンサシリーズなどは、そのようなことが言わず語らずで書かれています。時間があったら手にとって見られることをおすすめします。


(余滴)新川さんの詩の最後が素晴らしいので、下記に記しておきあます。


 「わたしを名付けないで」

娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風


わたしを区切らないで
,(コンマ)や .(ピリオド)  いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩



(余滴その2)
 すこしお固い話になりました。そこで、おまけとして、ゆらぎの幸福論私見をほんの少しだけ書きます。

 むつかしく考えずにいえば、幸福であるためには、まず健康でんな! それもできたら家族や友人の分もふくめて。それからサムマネーは要るでしょう。三つ目は好奇心でしょう。これらのことを語り出したら多分止まりへんで。やめておきます。 ただ一つ、これらの條件が欠けることもあるし、またそういう人もおられるでしょう。それでも、幸福にはなれると思います。なろうとする意思さへあれば・・・。

 それから他の人々を幸福にするにはどうしたらいいでしょう? 古い雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)という経典に「無財の七施」(むざいのひちせ)という言葉があります。その中の一つが、「和顔悦色施」(わげんえつじきせ)という言葉です。人ににこやかな笑顔で接する。ただそれだけです。でもそうそうはできませんよ。絶えず心がけておかないと・・・。

 みなさんの幸福論をお聞かせください! 












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音楽/詩歌 合唱はお好きですか~女性合唱団「はづき」記念コンサート

2014-12-19 | 読書
(予定しておりました『文車日記』の記事は少し先送りさせていただきます。臨時のトピックスを一二取り上げます。気侭な振る舞い、お許しください)

音楽/詩歌 合唱はお好きですか~女性合唱団「はづき}記念コンサート

 過ぐる日曜日、大阪へでかけ女声合唱団の演奏を聞いてきました。そのことをすぐフェイスブックにアップしました。次のような記事です。

 ”大阪にクラシック音楽専用のホールがあります。いずみホール。東京のお茶の水に<カザルスホール>という室内楽専用のホールがありましたが、このいずみホールはパイプオルガンも備え、さらに素晴らしいホールです。ここで女性合唱団「はづき」が20周年記念コンサートを開きました。美しいハーモニーを誇る「はづき」の演奏の掉尾を飾ったのが、立原道造の詩6編に作曲家木下牧子が曲をつけた《光はここに》 素晴らしいレクイエムとなりました。男声合唱団「なにわコラリアーズ」が部厚いコーラスで加わり、パイプオルガンが咆哮する。そして闇から光へと向かう祈りが空の高みに上っていくような感動するエンディングでした。また歌いたくなりました! 合唱っていいなあ!”

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 じつは、2007年にこの同じ場所で<なにコラ・はづき きまぐれコンサート>というのが行われ、案内を頂いたので聞きに行った次第です。そのときは、男声合唱団「なにわコラリアーズ」とのジョイントでした。心の底からといってもいいほど感動しましたので、すぐにこのブログにアップしました。リンクの箇所をご覧ください。

     

 今回の演奏は、20周年記念コンサートというので、すこし力の入ったプログラムでした。なるほど美しいハーモニーを聞かせてくれました。ナンシー・テルファーの《マニフィカート》、また信長富貴作曲の《世界中の女たちよ》さらには村野四郎や立原道造、池澤夏樹などの詩に木下牧子が曲をつけたものなどなど。すこし退屈しました。(一生懸命歌っておられたみなさんには、ごめんなさい) ですが、先に書いたように最後のステージでの演奏に至って深い感動を覚えたのです。

 というような次第で、その作品《光はここに》の詩と立原道造のことなど音楽となった詩のことなどについて、詳しく紹介したくなりました。

 その前に作曲家の木下牧子さんですが、数多くの室内楽やピアノのための作品を書いていますが、声楽系作品はとくに人気があり、合唱曲・歌曲など数数の作品を世に送り出しています。その彼女が、親しい人を失ったことからレクイエムを書きたいと思い、またそのテキストには日本語の文学詩を取り上げたいと思ったそうです。しかしレクイエムといえば、モーツアルト・ヴェルディ・フォーレの作品のように大曲ばかりです。。木下は6編の詩からなる構成を意図したが、それに耐えうるような詩がすぐには見当たらなかった。そこで木下は立原道造のさまざまな詩を選び、レクイエムにあうように構成したのであります

 立原道造は昭和10年代に活躍した抒情詩人です。24歳8ヶ月という若さで病を得てこの世を去ってしまいた。しかし残した作品は多く、彼の詩集をひも解けばリリシズム溢れる詩が流れでて、人々の目を惹きつけるのです。私の好きな詩人の一人であります。

          


 ”音楽がよくきこえる
  だれも聞いていないのに
  ちいさなフーガが 花のあいだを
  草の葉のあひだを 染めてながれる

  窓をひらいて 窓にもたれればいい
  土の上に影があるのを 眺めればいい
  ああ 何もかも美しい! 私の身体の
  外に 私を囲んで暖かく香りよくにほふ人
  
  私は ささやく おまえにまた一度
  ーはかなさよ ああ このひとときもともにとどまれ
  うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ・・・・・”

                 (「優しき歌より 薄明かり)

 その彼が死の一年前に出会い結婚を約束した水戸部アサイとの交際の時期に、この《光はここに》のほとんどの詩が創られたのです。組曲は、全体を予感させる「序の歌」から、のびやかな明るい情景、それにつづく不気味な暗闇を経て、やがて溢れるばかりの光が輝く世界に至るのです。全6編のうち、その一部を掲載します。


 (序の歌)
  しづかな歌よ ゆるやかに
  おまへは どこから 来て
  どこへ 私を過ぎて
  消えて 行く?

  夕映えが一日を終わらせよう
  と するときにー
  星が 力なく 空にみち
  かすかに囁きはじめるときに

  そして 高まって むせび泣く
  弦のように おまへ 優しい歌よ
  私のうちの どこに 住む?

  それをどうして おまへのうちに
  私は かへそう 夜ふかく
  明るい闇の みちるときに

 (鳥啼くときに)
  ある日 小鳥をきいたとき
  私の胸は ときめいた
  耳を浸した沈黙(しじま)のなかに
  なんと優しい笑ひ声だ!

  にほひのままの 花のいろ
  飛びゆく雲の ながれかた
  指さし 目で追ひー心なく
  草のあいだに 憩(やす)んでいた
  
  思ひきりうっとりとして 羽虫の
  うなりに耳傾けた 小さい弓を描いて
  その歌もやっぱりあの空に消えて行く・・・

 (ひとり林に・・・)
  だれも 見ていないのに
  咲いている 花と花
  だれも きいていないのに
  啼いている 鳥と鳥

  通りおくれた雲が 梢の
  空たかく ながされて行く
  青い青いあそこには 風が
  ささやき すぎるのだろう

  草の葉には 草の葉のかげ
  うごかないそれの ふかみには
  てんとうむしが ねむっている
  
  うたうような沈黙(しじま)に ひたり
  私の胸は 溢れる泉! かたく
  脈打つひびきが時を すすめる

 (この闇のなかで)
  この闇のなかで わたしに
  うたへ と呼びかけるもの 
  この闇のなかで だれかが
  うたへ と呼びかけるのか

  時はしづかだ 私らの
  ちいさいささやきに耐えぬほど
  時はみちている 私らの
  ひとつの声で 溢れでるほど

  とほい涯のように闇が
  私らを拒んでいる つめたく
  身体は 彫像のようだ

  しかし すでに この闇の底に
  信じられない光が 信じられる
  私らの声を それは 待っている!


 (アダジオ)
  光あれと ねがふとき
  光はここにあった!
  鳥はすべてふたたび私の空へかへり
  花はふたたび野にみちる
  私はなおこの気層にとどまることを好む
  空は澄み 雲は白く 風は聖(きよ)らかだ


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~  

 この立原道造の詩も素晴らしいのですが、木下牧子の曲も素晴らしい! もう一度聴いてみたい思っていたところ、何と「光はここに」の全曲演奏がYouTubeにアップされていたのを見つけました。

  《光はここに》→  https://www.youtube.com/playlist?list=PLmNqDpe8uB2J4jGNIXDMykVLbegOOCT8D

                 注)なぜか、うまくこのブログにはアップでません。このURLをエディターかワードにコピー&ペーストしてお聞ききください。

 ぜひ聴いてみてください。とくに第5曲の(この闇のなかで)の最後のパート(最後の3行)からフィナーレの(アダジオ)。聴き入っていると、コンサートの時もそうでしたが胸に迫るものがあり、熱くなり目が潤んできてしまいました。

 いやあ、音楽っていいですね。そしてぜひライブに出かけましょう!


      ~~~~~~~~~~~~~~~~~


(余滴)
 多くの詩が歌となった例としたは、阪田寛夫の詩があります。<夜のうた>
 昭和30年代に合唱の演奏会のクロージングソングとして人気がありました。とてもい い歌です。ひところ一世を風靡した「遥かな友に」にとってかわろうというくらいでし た。佐々木伸尚の曲が素晴らしい!


 詩のみご紹介します。演奏はいずれ・・。同志社グリーの演奏が心に染みてきます。

  ”暗い地球に あかりがともる
   光の輪のなかに ほほえみがある
   さびしいけれど ひとりぼっちぢゃない夜
   おやすみ今日の日 おやすみ仲間 ”







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絵画/日記 アートな一日

2014-12-02 | 絵画
絵画/日記 アートな一日

 いくら高級なオーディオ装置でも、また最近はやりのハイレゾでも実際の生演奏にはかなわない。臨場感や突き抜けるような高音も、また腹に響く超低音も生でならたっぷり味わえるのだ。ましてやジャズ演奏は、やはりライブに限る。同じように、絵画もいくら豪華な美術本でも実物にはかなわない。ましてや画家と話をしながら鑑賞できるとなると絵画展に足を運ばねばならない。

 小春日和の日曜日、友人の絵がかけられている絵画展を巡ってきた。それらを先日フェイスブックではかんたんに紹介した(神戸ゆかりの美術館)での<昇外義>展とあわせてリポートする。

(光彩会展)神戸~BBプラザ美術館

 絵を描くことが好きな職場の仲間達、15~6名ほどが集まり、それが自然発生的に年二回の絵画展につながっていった。水彩画から油絵、日本画、アクリル/パステルなどなど。もう27回を数えるに至り、次第に腕もあがっていった。その中から印象に残るものを数点ご紹介したい。

        

 まずは畏友九分九厘さんの銅版画「竜宮城だより」。四つ切サイズでそれほど大きくない。しかし見に来たお客ささまの耳目を集めていた。”これ、どうやって描くの・・・?”私自身も興味津々なので、会場で聴き、また帰ってからさらに詳しく聞いてみた。四角のパン(容器)にうすめたふのりを入れ、そこへ松脂などの防ぼう腐剤をスプーンで垂らす。すると水に墨を落とした時のように広がる。割り箸などで少しかき回すと、様々な模様が現れる。その上に2ミリ厚くらいの銅版を漬けて、持ち上げる。するとふのり、防腐液が持ち上がる。表に向ける。水で洗うと、ふのりは溶けて流れ、防腐剤が残る。これを腐食液に浸すと松脂は残り、その他の部分が腐食する。模様のついた銅版ができるのである。その中に色々の形や図柄が現れるので、そこに彫刻刀で色んな形や人物像などイメージを埋め込むように描いてゆく。そこへ油性インクを詰め、ヘラで削ると凹凸の凹のほうにインクが詰まる。残ったインクは紙でとる。この銅版の上に少し湿らした紙をおいてローラープレスにかける。そうすると黒白の絵ができるので、そこへ水彩で着色する。

 そういった過程を辿るので作品は一発勝負になる。おそらく作者は、彫刻刀で彫り込む段階では、例えば葛飾北斎の素描集のように色んな図柄・文様が頭に入っていて、自由自在に彫刻刀を走らせるのであろう。

 ながながした説明をしたのは、このブログ記事の最後に別な作者の銅版画をご覧頂きたいがためである。雰囲気のよく似た作品がでてくる。(冒頭の写真が、それである)

 さてこの作品鑑賞であるが、黒を背景に色々な青を主体とした模様や線描がなされている。柔らかな女体もある。精緻にして自由奔放ともいうべき、筆(彫刻刀)の走る様が見ていて快感すら覚えるのである。魚も遊んでいる。まさに竜宮城の一シーンかもしれない。とても興味を覚える。


     

 次は、龍峰さんの油彩。F15。「豊穣のトスカーナ」とある。イタリアはコルトナに遊んだ時のスケッチである。我らが水彩画の師匠である丹下幸男師のおすすめのスポットである。イタリア半島の北部に位置し、タスカニー地方の一角にあり、フローレンスやシエナなどもある。コルトナは山岳丘陵地帯に挟まれた小さな町。広々と広がった平原の様子が近景から次第に遠くの山並みへと続いて行く、のんびりした様がよく書き表されていて気持ちのいい絵になっている。作者は、初めの頃は網走あたりの暗い海を描いていたが、次第に明るい絵を描くようになっていった。そのせいか顔の表情もなんとも言えぬ穏やかさに溢れている。いい顔をしてますね。

 次の「和」と題する油絵は、高いレベルの表現能力がよく現れている。まさに、手練の絵である。いろんな絵画展でもよく入賞している。私の好きな絵の一つである。田部純史作。

     

 最後の一枚は「漂うリボン」と題された版画。本格的な日本画のみならず、様々なジャンルに挑戦し、その絵は見るものをして楽しませてくれる。惜しいことに昨年夭折し、今回はその遺作展でもあった。この絵は木版画である。星空に光が揺らめいているようだ。こんなロマンチックな絵を描いているのだとは思いもしなかった。惜しいなあ! 故・田中俊行氏作。

     

 
  ついでなので最後に毛色の変わった絵を一枚。パステル画である。いつもこの人(村田祐治氏)の描く絵は華やかである。性格も明るく、とても気持ちのよい人物だ。彼の絵は、何故かとても人気を集める。この光彩会では絵を売るということはしない。しかし、彼の絵はすぐお嫁に行って消滅してしまう。もちろん有料ではなく額縁代の実費のみのようだ。神戸は三宮のバーのママたちに人気があるらしい。どうも飲み代が安くなるとか。本人の言によれば、”心に浮かんだイメージを描きました。4~5メートル離れてご覧いただくといいのかも・・”。この狭い家で、そんなに離れて見ることができるか? 

     



(松風の会)夙川~ギャラリーSHIMA


 阪急の芦屋川の次にある夙川(しゅくがわ)は山から流れる川の堤に桜並木が続き中々の眺めである。こもギャラリーはこじんまりしたものであるが、なかなか良質の企画展を開いている。今回は、京都で活躍する若手が属する創画会のメンバーのうち、兵庫県ゆかりの人たち五名のグループ展が開かれていた。そのうちの一人、小田賢(まさる)さんとは今年の春、京都御苑でスケッチをされていた時にお声をかけ、何故か以来お付き合いするようになった。不思議なご縁である。もちろんプロの日本画家である。

 →http://blog.goo.ne.jp/rokuai57/s/%B5%FE%C5%D4%B8%E6%B1%F1


 今回は「姫林檎」ほか4点を出されていたが、そのうちの一つ「泰山木」について話が弾んだ。それはこう言うことである。まずこの絵では、泰山木の花が上から見て描かれている。泰山木の花は、ふつう高いところにあるので山の急斜面でないかぎり、この絵のようには見えないはずである。さらにこの花びらが透明感があり、清澄というか青みすら感じられる。私は、「これは画家の心の中のイメージ像」かと思った。で、画家の小田さんに訊ねてみると、”実は中国に一時住んでいたことがありました”という。天津と聞いたようだが、いずれにしろアパートの一室に住んでいて、その中庭にある泰山木を上からみて描いたとう。さらの花びらの色合いも違うが、と聞くと、中国の泰山木は日本のものと違い、花びらがうすく、色も日本のものが黄みを帯びているのとちがって、純白のように見えるとのことであった。一枚の絵について、これだけの会話が楽しめたのである。画廊で絵を直接みて、作家と話を交わせる。こんな楽しいことはない。光彩会展でもそうであった。

     


(昇外義(のぼりがいぎ))展)神戸ゆかりの美術館

 わが町には小磯記念美術館とならんで<神戸ゆかりの美術館>という小洒落た美術館がある。今ここで昇外義(のぼりがいぎ)という聞きなれない名前の画家の日本画が展示されている。~”線をつむぎ、生命を宿した日本画の世界” 富山出身にして京都市立芸大を卒業、神戸を中心に活躍した。徹底した写生をもとに精密な線描を繰り返し、そこへ幽玄の世界にあるかの如き淡彩をおく。草花の描写も多いが、堀文子のものとは違い、微かな色彩の違いを際立たせる。今まで知らなかったことが恥ずかしい。水彩から銅版画の道へと一歩踏み出した画友に誘われ、また京都で活躍する気鋭の日本画家小田さんののおすすめもあり見る機会を得た。感激しっぱなし!”この展覧会を機に、昇作品の評価が高まることを切に願っております”とは京都市立芸術大学教授の日本画家西田真人さんの言。12月14日までの開催。

 (芙蓉)

 (霜月のころ)

 (牡丹図)

このような一見、水墨画のような雰囲気もある絵を描くかと思えば、(氷見海岸より立山をのぞむ)のように落ち着いた色彩豊かな絵画もあって、これにも心を惹かれるのである。

  

(「雪迎え」の絵のこと)

(雪迎え)という美しい日本語をごく最近知った。東北地方などで晩秋から初冬のかけて見られる現象である。子蜘蛛(くも)が木に上り、腹から細い糸を出すと空中に高く伸びる。上昇気流で、糸は蜘蛛の子をつけたまま高く上って流れ、日の光をうけて五彩にきらめくのである。初雪の降る頃にみられるとか。その様をイメージして、日本版画界の第一人者である中林忠良さん(東京芸大名誉教授)が写真のように表現した。実は写真ではなくエッチングの技法による。本ブログの冒頭の記事で鑑賞対象に取り上げた「竜宮城便り」同じような技法によるものと推測される。ただし、この「雪迎え」の作品は、初めに雪迎えのイメージありきで、作品化されており計画的に作られたものである。白い球状のものが、蜘蛛の糸か、黒っぽい大きな塊は雪の粒であろうか? 作者に伺って見なければわからぬが、何故か心が惹きつけられるのである。絵画とは不思議な魅力をもつものである。


     


         ~~~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~~


 いやあ、絵を見るって楽しいですね! また描きたくなってきました。






コメント (8)
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