(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

今日の日記/オバマのスピーチを聴いて

2008-01-29 | 時評
 親しい友人のブログ(川本卓史京都活動日記)でアメリカの大統領選挙のことがたびたび報じられている。今日の記事では、サウス・カロライナの予備選のことが書かれていた。とくに予備選で勝利をおさめたバラック・オバマ上院議員のスピーチのことである。

 サウス・カロライナでの選挙に勝利したあとのスピーチは、17分にも及ぶものであったが、演説原稿をみることもなく、変革を求めることを訴えた。とくにワシントンの政治の現状(ステータス・クオ)を変えたいと、熱く語った。ケネディ大統領が、1961年に行った就任演説にも匹敵するような高い理念をもったスピーチには感動を覚えた。((ニューヨーク・タイムズのサイトからスピーチのビデオを見ることができる)

 注)記事の中の、9:04の時刻のところの下の方に、Mr.Obama's Speech というのがある。そこをクリックするとフルテクストが出てくる。

" We are looking for more than just a change of party in the White House.
We're looking to fundamentally change the status quo in Washington. (Cheers, applause.)

老いも若きも、富めるものも貧しきものも、人種の差を乗り越えて変革をと叫んだ
オバマ氏には、熱狂的な拍手が鳴り響いた。

 "We Can chage, Yes We Can!"

聞いていて気分が高揚するのを抑えることができなかった。冬の暗い空もどこかへ
行ってしまったようだ。

このような理念をもった演説。変革を求める情熱溢れる演説は、日本の国会では聞けないものだろうか?
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読書『心の小窓』

2008-01-29 | 時評
読書メモ『『心の小窓』(後藤比奈夫 ふらんす堂 2007年12月)

 ほぼ葉書サイズの小振りな本だ。古いことばでは、袖珍本(しゅうちんぼん)とでも呼ぶのだろう。俳句と詩の本を扱うフランス堂から、つい最近出された。

見開き一頁に後藤比奈夫の俳句とに季節のミニエッセイが並んでいる。地元神戸の歌詠みだけに、関西の風物詩、父後藤夜半のこと、句会の様子などなどが並んでいる。ぱらぱら見ているだけで楽しくなる。

はじめに「小窓のことば」という掌篇がある。

 ”雪を割る辛さは言わず雪割草”
 ”恋しても恋に窶れる(やつるる)猫は嫌”

 「はじめは、心になるべく大きな窓を開けようと思った。その広やかな窓から春も夏も、秋も冬も、自然の恵みは何でも貰いたいと考えた。ところが妻を亡くして喪の新年を迎えた」 そんな中で、

 ”心にもありたる小窓初明り”

という句を詠んだ。

「わが家に小さなのぞき窓のある小部屋があって、家内がその小窓から外の景色見るのが大好きであった・・・とりわけ小さいものに対する期待感は、句作りの大きなになろう」

その小さな心の小窓から見た世界が描かれた本である。掲載された句は、80歳代後半の最近に詠まれた句であろう。しかしとてもそうとは思えぬ、瑞々しい感性、溢れるユーモアのある句に驚かされる。引きつけられる句が、少なくない。エッセイも小洒落ている。関西学院のモダンボーイかと思いきや阪大の物理の出身というのだから仰天だ。
 
(淀川べりの葦焼に)
”魔性の火魔性でなき火葦を焼く”

”酔いにけりボジョレヌーボというだけで”
”風の日は風を味方に鴨の陣”
”眉上げて吉祥天女春の絵馬”
”沙羅咲けば昨日を思ひ明日を思ふ”

(谷崎潤一郎の倚松庵にて)
”山からの風を恃みて部屋涼し”

”たまに鯔人が恋しくなりて跳ね”
”白萩の自在真萩の律儀より”

”きんかんと冬日ひそひそ話かな”
”春は憂し花簪をかざしても”

(竹夫人にちなんで)・・・竹夫人という添い寝用の竹かごがある
”ヒップラインウエストライン竹夫人
”竹夫人には手枕をしてやりぬ”

ちなみに著書の亡父である後藤夜半の句もなかなか味わいがあり、まだ関西
モダンボーイとでもいうような句もあって、惹かれるものがおおい。

”クリスマスカード消印までも読む”
”心消し心灯して冬籠もり”

俳句とエッセイが、うまく溶け合い、響き合った。
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気まぐれ日記/過去のエネルギーを捨てる

2008-01-26 | 時評
気まぐれ日記/過去のエネルギーを捨てる!

 ドクターのところで時間待ちをしているときに、何気なしに置かれている小冊子を手にとった。タイトルには、「人生を3秒で変える名言セラピー」(ひすいこたろう)と書かれていた。そのなかの一文。

”減らせば減らすほど豊かになる

 多くの場合、モノはある過去の思い出と結びついている。その過去のエネルギーがあなたを引っ張っている。過去のエネルギーを捨てて、新しいあなたをつくってみませんか”

この言葉には、なにか心の中でぴしりと反応するものがあった。狭いわが家には、いろんなモノが溢れている。写真のアルバム、積み上げた書簡の数かず、まだ着る事ができるが使わなくなった衣類、マニアックなガジェット類、そして廊下といわず部屋の書棚といわず、また枕頭にまで溢れる書籍・雑誌・・・。さらには、何かの時にと切り抜いたり、とってある資料。役にたつモノも、立たないモノも。

それらは、単にスペースを占領するという問題だけと思っていたが、そうではない。そのうえに自分の思考まで、そういうものにしばられているのだ。そう思ったら、思い切って古いものを(本も、やり方も習慣も発想も)捨てさり、新しい自分の道を開いてみようと思った。日野原ドクターも言っている。数年ごとに習慣でやっていたことも見直し、新しいことを取り入れて見るべきだと。

 新しいことへの挑戦といえば、最近親しい友人のブログで、”新しい起業家が着実に生まれている”と、大阪の交野(かたの)にある日本酒の蔵元のことが紹介されていました。英語によるコミュニケーションとブログによる情報発信で、アメリカ市場でビジネスを展開しているそうです。興味をお持ちのかたは、サイトをのぞいて見て下さい。そこから蔵元のサイトへも飛べます。」
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読書/心に残る恋愛小説(最終回)『君に書かずにいられない』『君なら蝶に』

2008-01-23 | 時評
(最終回では、小説ではなくノンフィクションの世界での恋愛を取りあげます)


『君に書かずにはいられない』(中丸美繪、白水社 2006年1月)
 ーひとりの女性に届いた400通の恋文

 昭和5年の夏、一人の大学生が広島に広島の友人宅に立ち寄り、そこで出会った17才の女学生に恋をした。その時から、彼は400通の恋文を彼女におくり、純愛を貫いてふたりは結婚した。そして二人は一生涯、かわらぬ愛を保ちつづけた。その人の名は、篠島秀雄。後に三菱化成(現・三菱化学)の取締役社長となり、また日経連副会長として財界でも活躍した人物である。妻の名は、(奥田)春枝。彼女は篠島が65才で逝ったあとも、彼の事を偲び、二人が交わしたおびただしい数の手紙を今も宝物として手元に置いている。「杉村春子伝」の取材のため、篠島家をおとずれた著者は、そこで篠島が遺した書簡に感動し、。それらをこのまま埋もれさせてはいけないとの思いから、本書に取り組んだ。これは、二人が交換した書簡を通じての愛の軌跡の記録である。

出会ってからしばらくして篠島が春枝に送った手紙にこんな一文がある。

 ”僕は君に書かずにはいられない。書いているうちも、清い美しい君の姿に
 直接呼びかけているつもりです。春枝氏よ、わが輝きの星よ、君の純な笑顔
 を僕に振り向けてください。僕の全人格をうちこんでこの手紙を書いている
 のですから。僕にとっての全生命、全世界は君一人なんです。たったひとり
 なんです”


たまたま三菱化成の人たちとは、かつて仕事を一緒にすることがあり経営者としての篠島氏の話は、聞いていた。いまでこそライフサイエンスという言葉はあたりまえのように使われているが、篠島は、40年近く前に生命科学研究所を創立している。この本が出版されたおりに、彼の謦咳に接したことのある仲間からも、思い出話を聞いて懐かしく思った。先見の明があり、常に正論を吐き、正論を実行した経営者であった。

 篠島が、まだ東京高等学校の2年の時の日記に、”人間界から愛を引き抜いたらなにが残る・・・・”、と記している。なんという素晴らしい愛の人生を送ったことか。こんな純愛を信じない人が沢山いるようだが、私はむしろ深い共感を覚えるのだ。この話を発掘した著者自身、「書かずにはいられない」心境でであったろう。

余談になるが、お茶の水にあるサッカー・ミュージアムに2006年日本サッカー界の黎明期に活躍した人々の名が掲額された。そのなかに篠島秀雄の名前がある。
1930年東京カレッジリーグで東大が5連覇を果たした時のキャプテンである。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~



『君なら蝶に』(折笠美秋 1986年 立風書房)

 激しいというより、むしろ壮絶な夫婦愛とでもいうべきだろうか? 元東京新聞記者で俳人でもある折笠美秋氏と妻の智津子夫人の話である。以前にも「読書日記(プリント版)で取り上げたことがあるが、心打たれる話なので改めて紹介することにした。

夫妻は、折笠氏が24才の駆け出しの記者、智津子さん18才の時におとぎ話のような出逢いから知り合い、やがて結婚することになる。仲睦まじい結婚生活を送っていたが、折笠氏46才の時異変が起きた。
 
ALSと呼ばれる筋萎縮性側策硬化症(筋ジストロフィー)にかかり、9年間にわたる闘病を続ける。全身不随で、自発呼吸もできず、ベッドに臥して人工呼吸で生命 を維持している。ペンをもつことも、声を出す事もできない。それでも俳人でもある彼は句を詠み、闘病日記を書き続ける。智津子夫人が、夫の目と唇のわずかな動きから、一語一語を読みとって筆記してゆく。それも一日や二日のことではなく、来る日 も来る日も、そして来る年も来る年も、智津子夫人は一日もやすまず病院に通い、夫が読もうとする句や、書こうとする日記を根気良く、筆記しているのである。

折笠氏は、闘病と愛の句集『君なら蝶に』を出した。そして智津子夫人も、時を
同じくして手記「妻のぬくもり蘭の紅」を出した。夫婦はつねに一体感をもって、一刻一刻を命を大事にしながら生き抜いた。夫人は、手記の中で、こう書いている。

 ”この人と、ひとつの人生を歩んできたのだという思い。それはアキの病気
  によって、いっそうしみじみと感じられるようになりました”


二人の夫婦愛を語る句が、いくつもある。

 ”微笑が妻の慟哭 雪しんしん
 ”七生七たび君を娶らん 吹雪くとも
 ”暮れのこる白鳥の白 なお生きよと
    
そして句集『君なら蝶に』の最後は、次の句で締めくくられている。

    ”なお飛ぶは 凍てぬため 愛告げんため”

このように命の極限の中で、夫婦の愛をこれほど濃密に語った物語はあまり知らない。折笠氏は、9年間の闘病生活の後平成2年長逝した。享年55才。


     ~~~~~~~~~~~~~~

だいぶ真面目な紹介文ばかり書いてきましたが、お楽しみいただけたでしょうか?この年になって、と言われそうですが、そこはそれ、幾つになっても、最後の打ち上げ花火をどんーと、いや静かに打ち上げたいという気持ちがあるのではないでしょうか? みなさんにも。
 
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読書/心に残る恋愛小説(Part3)『茜いろの坂』、『風の盆恋歌』

2008-01-22 | 時評
『茜いろの坂』(船山馨 新潮社 1981年8月) 
 脳腫瘍を宣告された老年の男が、「茜いろに輝く空の明るみの中で、夕焼けを見て死にたい」と、それを求めて残る人生を生きて、死を迎える物語。プラトニックな恋愛小説というよりは、魂のふれあいを描いたものかも知れない。

日中戦争従軍中に様々な残虐行為にかかわり、その罪の上に、帰国後貴金属商として会社を発展させた秋山修介は、むかし妊娠中絶をして今も、その罪の意識を担いつづける酒場の女、香西節子と出会う。その聖なる魂、純真な魂にふれて、
心の安住を得た秋山は、最後にスイスへ旅してモンブランの夕焼けを見て、死を迎える。

 ”「香西さん。あなたも日が落ちる前に、夕焼け空が茜色に染まって輝くのを、美しいと思ったことがあるでしょう」
修介は疲れと羞恥の感情で眼を閉じた。
「私のように悪いことの限りを尽くして生きてきた人間には、そんな夕映えのような最後があろうとは思えません。また、あってはならないとも思います。ですが、あなたを見ていると、そんな私にも、もしかしたら茜色の空のような明るみの中で、死んでいけるような気がするのです」・・・”

 そして修助は、残してゆく節子が未来に心を開いて欲しいと、ひそかに期待した ”・・・過去が忘れられないからといって、未来を受けつけないほど、人間の心は容積の狭いものではないだろう”


 中里の『時雨の記』とはひと味違う、しみじみとした作品だ。著者が、主治医から、あと半年の命と、宣告された状況下で書き続けた作品だけに、死へと向かい合うものの心理描写が優れている。もう、この作品を知る人も少ないだろうが、私の記憶には明瞭に残っている。


『風の盆恋歌』ほか(高橋治)

 さて、私の好きな作家である高橋治は、松竹の映画監督をしていただけあっ映像感覚でシーンを捉える。蕪村の俳句を評した『蕪村春秋』もそうだ。四季の風物詩に古今の俳句を散らした彼のエッセイは、天下一品と惚れ込んでいる。その高橋治の小説はいくつもあるが、恋愛小説に優れた作品がおおい。胸の中に、熱い情熱を秘めているようだ。年次順にいくつかならべてみる。


  『紺青の鈴』(高橋治 角川文庫1984年)
  『風の盆恋歌」(高橋治 新潮文庫 1985年)
  『別れてのちの恋歌」(高橋治 新潮文庫 1988年

この中でも、 『風の盆恋歌』は、ひときわ出色である。

  ”添うたからには 死ぬときもふたり
   そんなことさえ オワラ ままならぬ”

 越中八尾(やつお)は、水の音の町である。そして9月1日から三日間、風の盆と呼びならわされる年に一度の行事がある。そのまちに、東京で新聞社の外報部長をしている都築は、家を買った。毎年、風の盆の季節がくるとその家を訪れる。4年目に来た時、玄関脇に一輪の八重の酔芙蓉が咲いていた。それは、学生の頃に思いを寄せあったえり子が植えさせたものであった。やがて風の盆の時期に二人は八尾で出逢い、風の盆の踊りのように、静かな調べの中にも激しい火が燃え上がった。

  ”「いや、君の顔を見たときに、いろんなことが分かっただけだ。これがなんのための家なのか、どうして『君がこの家に、あの花を植えたかったのか」
「私は散る前にせめて一度は酔いたかったのよ」

  ”夕されば 酔いて散りゆく 芙蓉花に わが行く末を 重ねてぞみる”
  ”あけそめぬ 秋のひと夜に 乱れたる 己が姿を 夢に追ふ間に”

自作と思われる短歌まで書き添えた文章は、流れるような情景描写があって魅了される。好きな作品だ。

この本の中で、白山山麓の白峰村を尋ねるシーンがある。そこで描かれる牛首紬は、知る人ぞ知る逸品である。その紬で、えり子は、喪服をつくる。それも最後のシーンの伏線となっている。ストーリーテリングがうまいなあ。その牛首紬の記念館を訪れたら、『紺青の鈴』の一節が、高橋治の直筆で書かれた額がかかっていた。古久谷という陶芸の世界での恋を描いたこの作品も忘れがたい。
    
     ~~~~~~~~~~~~~~

 さて恋愛小説はすべてフィクションであるが、本当にあった話でそれに近い、
いやフィクションにまさる物語も忘れがたい。それを二つほどご紹介する。
次回(最終回)をお楽しみに!
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読書『堂島物語』

2008-01-19 | 時評
読書メモ『堂島物語』(富樫倫太郎 毎日新聞社 2008年1月)

 久しぶりに骨太の、そして爽快な時代小説に巡り会った。「こいつあ春から縁起がええわえ・・・・ 」  時は江戸時代享保の頃商人の町大坂は堂島で商家の丁稚から、その持ち前の才覚と度胸と忍耐強さで己の運命を次第に切り開いてゆく男、吉左(きちざ)の活躍を描いた長編物語である。半生記のビルドゥングス・ロマンともいえる。

 じつは、この本は米の先物取引にからんだ話である。しかし専門的な話ではなく、しかも読み進めてゆけば、よく理解できるので心配はご無用。先物取引とは、わかりやすく言えば、将来の商品の売買をする価格を、あらかじめ約束することである。 この取引により、商品の価格が安定し、生産者も消費者もメリットを受けることになる。

 その先物取引の公設の市場(米市場)が、大坂の町に世界で初めて開かれた。享保年間、1730年のことである。如何に当時の大坂商人が先見の明をもっていたか。いまでこそ金融デリバティブなどというが、あの封建社会でそういう新しい取引のコンセプトを生み出したことは、驚嘆に値する。当時、日本全体の米の生産量は、およそ2700万石、自家消費をのぞいて500万石が市場に出回っていた。大坂淀屋橋にあった米市場では、その4割にあたる200万石が流通していたのである。しかも当時は、金本位制と銀本位制が混在しており、金・銀の交換レートはここ大坂で実質的に決められていたことから為替市場としても機能していた。

余談)先物取引は、英語で、フューチャー・エクスチェンジという。20年以上も前に、海外の街を歩いていて初めて、その看板を見た時はフォーチュン・テリングと勘違いして、易者の看板と思った。


 話は、その少し前の享保7年(1725年)から始まる。大坂郊外の埜登村の貧農の子、吉左(きちざ)は運命の巡り合わせもあって大坂の堂島にある米問屋に奉公にあがる。様々な辛酸をなめるが、寺で修業をしているときに学んだ読み書きと算盤という基礎学力のある吉左は、すこしづつ米問屋の実態を学んでゆく。ある日、堂島の仲買人が群れている様子を目のあたりにした彼は、決心する。

 ”ああ、ここがわしの生きる世界や。ようやく見付けたで。わしは、ここで生きていくんや”
ー注)なんや、漱石はんの言葉のようでんなあ。

吉左は、いつも見聞きしたことを、反故をとじてつくった帳面に書き留め、次第に米商人としての心得を学んでゆく。

 ”こういうやり方で、吉左は米商人としての心得をひとつづつ学んでいった。誰に教わった訳でもない。疑問に感じたことを安易に他人に尋ねたりはしなかった。悩みながら試行錯誤を繰り返し、自分の力で答えを見つけ出すことが、長い目で見れば、自分の血となり肉となるということを本能的に悟っていたからであった”

 奉公してから2年経ち、「つめかえし」と呼ばれる架空取引、今でいう先物取引に少額をつぎ込み、差金決済ですこしづつ実績をあげる。。相場勘をもつようになったが、彼の姿勢はいつも慎重であった。じっくりと腰を据え、一度に大きな儲けをだそうとしてあわてることなく、小さな儲けをこつこと積み重ねてゆくというやり方であった。また見通しを誤った時は、それを即座にみとめて取引を手じまいするだけの冷静さがあり、損失を限定して儲けを確保した。そういう姿勢と実績、さらにその人柄が認められ、取引関係の人たちに可愛がられるようになる。

 その頃、幕府は米の価格の下落に悩み、延べ取引や帳合米取引(先物取引)などを認めて価格の安定化を図りたいと考えるようになっていた。吉左は、その機運に乗じて、独立し、多くの人の支持・応援を得て米の仲買株を手にいれるところまで漕ぎ着けた。これで吉左は、米市場で正式に取引ができるのである。

以上が、この物語のたて糸である。よこ糸として、好きなこいさんとの恋が描かれている。古今集の和歌までちりばめて。そうして、吉左は、米問屋能登屋吉左右衛門となった。

もう6年ほどまえに乙川優三郎の『冬の標』(絵を描くことをに生き甲斐をみつけた女の生き様を描く、中央公論社)に出会った時も、新しい時代小説の担い手を知って嬉しくなった。この著書にも、今後の活躍を大いに期待したい。

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気まぐれ日記/草思社のこと

2008-01-15 | 時評
気まぐれ日記/草思社のこと

 昨年の夏に『昭和二十年』(全14巻)という著書の事についてふれた。それを出版しているのは、東京にある草思社という中堅の会社である。そこがこの1月に負債22億円を抱えて民事再生法の適用を申請した。従業員30名強の会社で、こんなに大きな負債を抱えては、経営も大変だろう。

 人文・社会系統に特化して、なかなかユニークな本を出していた。たとえばポール・ケネディの『大国の興亡』、徳大寺有常の『間違いだらけのクルマ選び』シリーズ、最近ではフランスの地政学者が書いた『地図でよむ世界情勢』などなど。またウエブマガジン「WEB草思」もユニークなサイトであった。

冒頭にふれたのは、鳥居民の畢生の大作。終戦の年、昭和二十年に焦点を合わせ、太平洋戦争の経緯・日本国内外の動きを、一年間時系列的に追った記録文学である。第一部の全14巻のうち、現在は第第11巻(6月初旬『昭和二十年』)までがカバーされている。著者も80才になんなんとする高齢なので、どこまで書き続けられるか気にかかっていた。なんとしても終戦の日までは追って完成して欲しいと願っていた。
ところが、それよりまえに出版社の方が、倒産してしまった。いいスポンサーをみつけて再建して欲しいものである。

そんな訳で書店から『昭和二十年』全11巻の在庫が消えてしまうかも知れない。戦争を多少なりとも知る世代の一人として、この著作の概要と書評は、逐次ご紹介してゆきたい。

 
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読書『親会社の天下り人事が子会社をダメにする』

2008-01-14 | 時評
読書メモ『親会社天下り人事が子会社をダメにする』
     (佐伯弘文・柴田昌治 日本経済新聞社 2008年1月)

 滅多に、このブログでは取り上げることのない経営書。たまたま、この本の著者の一人と会う機会があり、直接その思いを伺って深く印象に残ったので、あえてここに紹介することにした。

 2000年6月某大手鉄鋼メーカーの経営幹部から、畑違いの子会社に天下りした著者(佐伯弘文氏)は、長年に渡って無配をつづけ、赤字垂れ流しの惨憺たる会社を自らのリーダーシップと社員の活性化により、増収・増益の優良企業に変革した。そして、親会社の天下り人事は、不可としてプロパーの社員を後任のトップに選んだ。

その体験に基づいて親会社からの天下り人事が、いかに日本企業をダメにしてきたか、その日本型システムの弊害について思いを語り、いかにすべきかを直言した。「百言百話」における谷沢永一のごとく痛快、爽快な語り口には魅了されるものがある。

      ~~~~~~~~~~~~~~~

(天下りは、人材流動性に名を借りた旧制度の残滓)
 本人の適格性を考慮することなく、親会社の最終ポジションに基づいて論功行賞的に振り分けられる天下りにより、様々な問題・障害が発生する。

・小会社の業種になじみのない親会社の人材が配置されても、なにから手をつけてよいかわからず、トップダウンもリーダーシップも発揮できない。

 ・子会社の従業員もやる気を失っており、前向きに物事に取り組む姿勢がない。これでは企業は衰退してゆくしかない。子会社にも意欲的な人材がいるが、親会社の偏見から十分に活用されていない。

 ・天下りは、国内の問題にとどまらず中国など海外に進出している企業でも現地の優秀な人材の活用に目が向かずトラブルが発生しやすいし、優れた人材は日本企業を避けるようになっている。

 ・子会社のトップ自身も、業績のよしあしより、親会社の役員人事事情によりトコロテン式に押し出されるので、全力投球するより、適当に流しておく、ということになりやすい。

 この他にも長期戦略をたてようとしない、事なかれ主義と問題先送りなどの問題もある。

(子会社の社員の思いと悲劇)この点についても率直に語っている

 ・子会社が10社あれば、そのうちの8,9社は不満の塊でしょう。だとしたら日本経済全体にとって計り知れないマイナスです。子会社にきて、むやみに威 張り散らしたり常識はずれの態度をとる幹部がいると、どう対応してよいか分かず、ぐっと我慢する、不満が爆発しないように、自分で押さえつけているとあきらめ人種になってしまう。人間は物を深く考えなくてすむ状態が続くと、考えることをやめてしまう。そうした集団症状を「組織性思考障害」と名付けている。もっと深刻なのは、投げやりな空気が広がっていくことです。会社に対するロヤルティ(忠誠心)がなくなり退廃的な空気が広がる。

 ・破壊されるモラル:親会社を向いて仕事をするので、良好な決算結果を示そうと部下に粉飾決算まがいの行為を強要する年配の天下り幹部がいる。

  注)幹部には、社長にかぎらず、親会社が押しつけてくる余剰人員やもてあまし要員も含まれる

 ”私が社長に就任した頃、我が社には膨大な不良債務や不良在庫がありました。にも関わらず決算が赤字になるのを避けるため、モデルチェンジで使えなくなった古い部品をいつまでも、不良ではなく優良資産と見なして適正に処理していませんでした”

 こういう話を某大手電機メーカーグループの人に話したところ、”うちのひどさは、貴社グループの比ではありません。あの子会社群をなんとかしなければ、グループの活性化はありえない”と言われたとか。


(子会社を復活させる天下りに成功するには)・・・自らの体験で語るアドバイス

 ・改革は前任者の否定から始まる。もしも前任者と自分とのあいだに特別な関係がなければ、少なくとも入り口部分では躊躇せずに社内改革にこぎ出せる。

 ・占領軍を連れてくるな
 ・親会社からの理不尽な要求を突きつけられたら堂々と対峙せよ
 ・子会社に合ったアイデアを基にしたトップダウン
 ・脱親会社
 ・グループ会社の内規を吹き飛ばせー役職定年の慣例を破るなど
 ・そして天下りは、自分で最後とした。

 最後の言葉には深い共感を覚える。

 ”私は経営力とは、人間学に長けていることと実行力だと思っています”

 また後書きに書かれている言葉も、印象に残った。

 ”日本全国における子会社の社員の恨みは、なかなか表に出ませんが、予想以上のものであると思って間違いありません。その意味で天下り幹部は、常に中心軸を子会社側の社員の立場に置くべきである・・・”

 ”天下った人たちの行動や行為を批判するのは簡単ですが、なぜそのような行為に走るのかを、人間心理学の面からも考察し、それに立脚した新しい経営マネジメントシステムでもって、これを防ぐことが重要です。天下る人間も普通の人間であり、聖人君子に求める様な高邁な行動を求めても、非現実的で無意味です。送りだす親会社も、このことをよく理解しておく必要があります”
  
          ~~~~~~~~~~~~~~~


 最後になるが、この著書の本当の狙いは日本型経営システムの問題点を衝いたところにある。これを見直すことによって、日本の企業の国際的な競争力をトータルとして高めることこそ、著者の問題提起したところである。サブプライム・ローン問題などで世界の株価は、下落したが、その中での日本株の下落は著しい。金融市場の改革などの問題もあるが、日本企業の成長性そのものに、海外は疑いの目を向けている。経営システムの刷新が望まれるところである。

  注)世界的な株の下落と書いた。日欧米ではそうだが、ロシア・中国・インドなどを含め新興諸国は、むしろ株価は伸張している。
 
 みなが感じていても、具体的に問題提起にまで至らなかったたことを、的確に指摘したことで貴重な一石である。また著書の人間を見る目も深く、その洞察に基づいた提言には迫力がある。規模の大小はともかく著書と同じような悩みを味わった人間の一人として、企業の方々とく若手の方々にに一読をおすすめする。

 余談になるが、ここに述べられていることは、地方自治体などにおける主官庁と外郭団体との関係にも共通することであろう。
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読書『きのこ 森の妖精』

2008-01-09 | 時評
読書メモ『きのこ 森の妖精』(藤沢寿&谷川俊太郎 新潮社 2004・10)

 ” 「誰か僕に気づいてよ」 そんな声が聞こえた気がしました。それは殺風景な暗い森をいろどるようにとびきり明るい衣装をまとったきのこに出会った時のことです”ー(藤沢 寿)
    

 きのこの多様で、美しい姿に魅せられてしまったアマチュア写真家によって撮影
された写真に、谷川俊太郎が詩をつけた。見ていて、楽しいコラボレーション。
100頁に満たない本ですが、楽しい夢をみさせてくれました。


 ”私は聞いたことがある 月夜にきのこたちが歌うのを
  見た事がある 一本足でゆらゆら踊るのを
  きのこの胞子は夢の砂
  私に美しい幻を見せてくれる”

 ”設計図なんか描かなかった 即興で創ったのだ
  一つの旋律をいくつにも変奏するように
  色を変え姿を変えるのを楽しみながら
  一瞬で創ったのだ
  神は”

谷川俊太郎は、以前に『声で楽しむ 美しい日本の詩』という本のあとがきで、「つい百年ほど前までは詩は声に出して読む、つま吟ずるのが当たり前でした。からだがむずむずして自然に声に出したくなるのが、他の言葉とは違う詩というものの魅力だったと言ってもいいでしょう” ”、と書いています。

 それにならって声にだして、これらの詩を読んで楽しみました。そんな時に流す音楽、ドビュッシーの前奏曲集から「月の照るテラス」。いえいえ、ガブリエル・フォーレの夜想曲がいいでしょうか。聴いているうちに、胞子は傘から煙のように飛び散ってどこかへ姿を消してしまいました。

                    (終わり)


注)写真は本書より。駒ヶ根高原にて藤澤寿氏撮影。
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気まぐれ日記/来し方行く末~日本の国力ー経済の停滞

2008-01-06 | 時評
気まぐれ日記/来し方行く末~日本の国力ー経済の停滞

 年末年始は絵を描いたり、俳句を詠んだり。またシャンパンを空けてはTVで「のだめカンタービレ」のドラマを見るなどこのところ遊び呆けております。暢気にこんなことをしていていいのでしょうか? 

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 このところ国会をみているとすこし前は食品の偽装問題、年金問題記録漏れ、防衛省の汚職などなどいささか矮小の問題が世情を騒がせている。TVのモーニングショーなどでも余りとりあげられないが、日本はこのところ大きく国力、とくに経済力が低下しているのだ。国力が低下すればさまざまな国民へのサービスも出来ない。学校教育の充実もできない、年金システムも崩壊する、国と地方の借金も返せない(プライマリー・バランスなんて、その年度だけの問題だ。全体の借金は減少しない)、安全保障のための防衛力も強化・保持できない、医療システムも崩壊する。少子化対策のための財源も確保できない。どこかの政党のように、大企業を敵視していて、それを弱体化させてどうなる・・・。金持ち優遇とか言って株式取引の課税を強化してどうする。 もっと証券投資を活性化しなければならないのに。

 最近発表された2006年の日本のGDP(国内総生産、名目)は、4兆3755億ドルで前年比4%減で2年連続のマイナス。。といってもぴんとこないだろうが、世界の名目総生産に占める割合は、9.1%と24年ぶりに10%の大台を割り込んだ。円安や経済成長率の伸び悩みが背景にある。日本がデフレ脱却にもたつくあいだに、中国・ロシアなどの新興国は名目で12%、05~06年でも8%近い高成長だ。日本の低下ペースが目立っている。OECD加盟30カ国の中で18位である。とくに国民一人あたりのGDPという経済の質や力が落ちているのは深刻だ。

 構造改革への取り組みはいろいろな点で後退している。証券税制もそうだ。証券市場を育てる気が、いまの政府にはない。また東京証券取引所から、外国企業は逃げ出している。企業も取り組みが本気ではない。米国グーグルの時価総額は、昨年10月末には、日本のすべての企業を抜きさった。しかも成長している企業はグーグルだけではない。
米ナスダック指数は、この一年で約12%上昇している。資本輸入を促進して、日本の企業を国際競争にさらして従来型のモデルを変革すべきだ。日本から、外資は逃げている。海外投資家にとって日本は、安心して投資できる状況にない。

 やるべき事ははっきりしている。農業などの生産性の低い分野での新規参入の促進、税制改革、外国からの直接投資の受け入れ、法人税率の低減(アジアでは20%台があたりまえ)、抜本的な医療制度改革、などなどいくらでもやることがある。金融、流通、運輸、教育、医療などの分野での抜本的な制度・慣行の見直しも必要だ。

与党がさきほどの12月に決定した2008年度の税制改正大綱は、問題先送りで失望した。根本的な税率構造の見直しが不可欠だ。
最近米国の有名な経済学者であるポール・サミュエルソまでもが、”富める国へ積極行動の時”と、日経新聞紙に寄稿しているくらいだ。フィンランド、アイルランドなど北欧の小国で成功をおさめているところの戦略に学ぶべき、と言っている。

 一方で米国も、ドルの信認が揺らいでいるし、政治的にも混乱を極めている。しかし最近の大統領選挙に向けての前哨戦などをみていると、アメリカ国民が、改革を求め真剣に指導者を選ぼうとしている熱気のようなものが感じられる。草の根民主主義からアメリカの活力が再生してくるかも知れない。
余談になるが、昨年秋に『ブッシュが壊したアメリカ』(原題:SECOND CHANCE 、ブレジンスキー)を手にした。彼は、この中で、”アメリカは2008年以降に訪れるチャンスを、第一のチャンス以上にうまく生かさなければならない。・・・・・次期アメリカ大統領が「理想に仕えるのをやめた大国は、その力を失うのである」という言葉の意味を理解し、政治意識に目覚めた人類の渇望と、アメリカ合衆国の力との一体感を作りだすことができれば、まだアメリカにも可能性は残っている”と書いている。民主党大統領の誕生に期待をかけているようだ。その彼の名前がオバマ陣営にある。

     注)ズビグニューー・ブレジンスキーは、カーター政権下の安全問題担当の大統領補佐官にして地政学の大家。

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さてさて日本は、どう動いてゆくのでしょうか? 日本の指導者たちに理想を追求するスピリットを期待したいところです。
以上時事雑感でした。お読み頂きありがとうございます。





 





 
コメント (2)
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