(お詫び)本来は予告編に書いたように、櫻男笹部新太郎と桜のことを書く予定でありました。それが京都に遊んだ一日がとても楽しく、かつ印象に残ろことがいくつもあったので記録に残しておこうと、急遽アップロードする次第です。いつものわがまま勝手な振る舞いをお許しください。桜のことは、次回に掲載させていただきます。
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フェイスブックでつながっている京都の友人が、”京都御苑の桜が見頃です”と教えてくれた。岡崎での「時あかり~プロジェクション・マッピング」も夜に予定されていることでもあるし、いそいそと出かけた次第である。花だけでなく、人をふくめ様々な出会いを楽むことができたので、ここに記録を残しておくことにした。
JR京都駅で地下鉄烏丸線に乗り継ぎ、丸太町で下りればそこはもう京都御苑である。明治になってから整備されたもので、広さ65ha、周囲やく4キロは東京の新宿御苑と似通っている。しかしここには御所があり、また2005年に日本建築の粋を集めて建てられた迎賓館がある。京都の人々は、誇りに思っていることであろう。
堺町御門から入った。西側を南北に走る路を散策した。白雲神社ではまず可憐なサトザクラが、私たちを出迎えてくれた。連翹の黄も。中央より北に御所があるが、その西は蛤御門である。幕末に薩摩・桑名・会津連合軍が長州藩と激戦を戦ったところで、今もご門に弾痕の跡がある。しかし現在は、のどかな平和な地で穏やかな空気が流れており、戦いがあったとは想像もできない。正に隔世の感がある。少し歩くと,枝を広げた枝垂れ桜があるが、一本だけぽつんと立っていた。
すこし先に歩くと、桃園があった。園丁の方が、”今は桜より桃が見事です”と教えてくれたので、そこでゆっくりした。茜色にも似た紅の色の桃、また白い花と紅色の桃の花が入り混じり、御所の土塀をバックに咲き誇っている姿は、風情があった。また桃の白い花がこんなに清澄で可憐だとはこれまで気が付かなかった! 大判の写真機を持って、構えている人がいた、スウェーデンの名機大判カメラのハッセルブラッドだ。憧れの的である。しばし写真談義花が咲いた。ビューファインダーのぞかせてもらったが、画面の美しいことに驚嘆した!
少し先に行くと木蓮のエリアがある。これがまた見事だ。白木蓮そして紫木蓮も。
ここで、地面に座ってスケッチしている人がいたので、気になりついついのぞき込む。”見事なスケッチですね”と声をかけたところから、会話が始まった。聞いてみると、まずスケッチ用紙に日本画の水肥(すいひ)でバックを塗る。そこに鉛筆でスケッチをし、色鉛筆で色彩をおいてゆく。水は一切使わないとのこと。更に聞くと、これはある人から”この公園のこの木蓮をピンポイントで描いて欲しい”と頼まれたそうだ。もう、これはプロだ、うまい訳だと思った。ここから絵を描きおこし、本画を描く。やはり、プロの日本画の画家だった。名刺を交換し、今後のお付き合いをお願いした。さらに会話は弾んだ。お互いの住まいから、この方は、今は大阪の川西に住んでおられるが、本来は京都の人と分かった。さらに聞くと、白沙村荘(はくさそんそう)、あの橋本関雪が住んだところである。この画家の曽祖父は橋本関雪と聞いて、びっくりした。この敷地の一角の洋館は、今ヨーロピアンレストランとなっている。のぞいてみたいところである。
この一角で紺のロングドレスのようなものを着た若い女性がいた。見慣れぬ衣装なので、声をかけて聞いてみた。もう人畜無害の年頃のせいか、若い女性にも最近はあまり警戒されないのである。台湾からの女子学生で、卒業記念に訪れているとか。いい雰囲気であった。ふたり一緒の写真を撮ってあげた。
中立売から宮内庁京都事務所を過ぎ、近衛邸跡に向かう。もうこの北は同志社大学のエリアになる。この近衛邸あとには、何本もサトザクラ系の枝垂れが植えられている。どれも大きく枝を張って、見応えのある景である。
拾翆亭(しゅうすいてい)は池のほとりに建てられた茶室である。ここの桜は池に向かって大きく枝を張り出しているが、その植え方には綿密な細工が施されている。根のまわりを広く地中掘り下げ、そこに根を張るようにし、さらにその上にアーチ状に石組をおいている。見る人が踏んでも、根そのものには負荷がかからないようになっている。素晴らしい智慧である。なお、ここの茶室は貸し切り可能と聞いた。ここで、一度句会の席を設けたいものだ。九条家の別邸を使っての句会、とは優雅極まりないもの、とその機会を渇望している次第である。
ぐるりと回って外周に出ると、黒い大きな犬がいた。”熊みたい・・”という声も。主人に連れられ、ゆったりと歩いている。聞けば、スタンダード・プードルとか。観光客の目を集め、ポーズまでとる次第。愉快な光景をみた。なを、そこの東西に走る大きな路の東の向こうには、東山がみえるのだが、一箇所木のないようなところがある。大文字だ。ここのベンチに腰をかけ、大文字焼きを楽しんではどうかと思った。ビールでも飲みながら・・・。許されるかな? ここのほか、母と子の森と言うのがあり、小鳥たちの水浴び場もあるので、バードウオッチングにいいだろう、とまたの訪問を願った。
桜や桃、それに木蓮など春の眺めを満喫したあとは、祇園花見小路へ足を運んだ。休日なので、すごい人出である。日本語以外、とくに中国語と思しき言葉を多く聞いた。お目当ては、ドイツのカメラLEICA(ライカ)が、この三月に開いたばかりの京都店である。祇園甲部歌舞練場の前と聞いているのに、なかなか店が見つからない。みつからぬ訳だ。なんの変哲もない町家。青いのれんが下がっている。その下の方に、オレンジ色のライカのマーク。
入ってみると、中は改装され落ち着いた雰囲気である。ライカのシリーズが、ずらり。レンジファインダーのM-システムを触らせてもらったが、ピント合わせに慣れが必要だ。風格を感じさせるカメラだが、お安くはない。手頃なコンデジのライカXバリオのほうがいいかも。2階に上がると、ロバート・キャパなどの写真が並んでいた。白黒の写真に郷愁と魅力を感じた。外にでると、店の前に超シニアが立っている。”いいカメラはありましたか”、と話しかけてくる。そのうちバッグから一台のふるいライカを出してくる。もう80年も前のモデルだ。ほかにもライカが。合計3台を持っているそうだ。写真機を通じての、花見小路の会話を楽しんだ。
くたびれてきたが、そこからぶらぶら歩く。高瀬川沿いを北上。姉小路を西へ。そしていつもの御池通りは高倉上がるの<M長>へ。途中の御池ザクラも満開になっていた。お店の前の御池通りでは、陽光桜もぎっしり花をつけていた。
青ぬたや出汁巻きで、一杯やりつつ次々に出される料理に舌鼓をうった。若女将のこまやかな気配りで、気のおけないいい店だ。大阪に行っている、アマチュア写真家のKさんに電話をかけ、戻ってきてもらうように頼んでくれた。
時間の関係で、本日のもうひとつの目的である岡崎の<時あかり>、いわゆるプロジェクション・マッピングを見にゆく。京都市立美術館の壁面に、予めプログラミングされた映像を投影するもの。東京駅のPMがすごく印象的だった。洗練され、音響効果もしっかりと出来上がった作品であった。
さて今回の京都のそれはもともと昨年秋に予定されていた行事であったが、荒天のため涙を呑んで中止になった。それのリベンジ版。なんとか雨もクリアして行われた。学生さんや若いクリエーターの作品が投影された。いずれもカラフルで楽しい作品があって、人気を呼んでいた。中心役のひとりとして旗振りから関係各所との折衝役など、苦労された”O"さんや、関係者の努力が実って、いささかのご縁があるものとしても嬉しかった。
仕上げは、M長に戻って、大阪から帰ってきたKさんにご挨拶。ハワイから来日している夫妻とも再びの出会いを楽しむことができた。
神戸に戻る快速電車の車中では、児玉清のエッセイ集『すべては今日から』を読みふけった。知らないミステリーなどを教えてくれる。充実した春の一日であった。
~~~~~完~~~~~