(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

音楽 チェロの名曲

2013-03-30 | 時評
音楽 チェロの曲

 チェロという楽器の音色が若い時から大好きです。人の声にちかい、という見方もありますし、またなんとも言えぬ落ち着き、静謐を感じるという見方もあります。私の好きなチェロの曲を二つ三つ挙げてみます。

まずシューベルトのアルペジョーネ・ソナタ

これは珍しいですね。ロストロポーヴィッチのチェロとベンジャミン・ブリテンのピアノ演奏。ブリテンは、作曲家(「戦争レクイエム」など)にして指揮者として知られていますが、ピアニストとは知りませんでした。この二人の演奏は、まことにゆったりとしていて、典雅です。品がいいですね。使っている楽器の響きのいいこと! 上質のコニャックを口に含んでいるような気分になってきます。この音は、PCのサウンドではなく、せめて高品質なイアホンをつかって聴いてください。

次は、エルガーのチェロ協奏曲です。

指揮するは、ダニエル・バレンボイム。激しい情感のこもった、この曲の第一楽章を聴いていると引きずり込まれるようです。なんといってもジャックリーヌ・デュプレのチェロが、まさに入魂の演奏です。あれこれ聴きましたが、この演奏を聞くとほかのは聞けません。詳しいことは、以前にこのブログ(映画「奇跡のシンフォニー」)で書きましたのでそちらをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/rokuai57/s/%A5%A8%A5%EB%A5%AC%A1%BC

3つ目はバッハの無伴奏チェロ組曲です。あまり好きなので、アイポッドに落として寝る前に毎晩のように聴いております。いろんな演奏があります。ヤーノシュ・シュタルケルやミシャ・マイスキーのものなどなど。ボクはマイスキーのチェロの響きが好きです。ここでは、東北大震災のあとヨーヨーマが寄せてくれたメッセージをご紹介し、その演奏の一端を聴いてみたいと思います。

 ”日本の人々が大変な状況にある今、私は一人のアーティストとして、芸術 や文化の在り方-について深く考えさせられています。文化/芸術は、この ような過酷な現実に直面してい-る人々の痛みを少しでも和らげることがで きるのだろうか

 東京在住のある友人は、この疑問にこう応えてくれました。「自分が適切だ と思ったこと-をためらうことなく実行するべき。行動しなければなにも始 まらないのだから。”
 

 このバッハの曲は、もともとチェロの練習曲です。埋もれてたこの曲を世に送り出したのは、あのパブロ・カザルスです。このエピソードも「鳥の歌」と題してブログに書いたことがあります。あわせてご覧ください。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あれこれ書き綴ってきましたが、このようにチェロの音楽に入れ込んでる私としては、いずれは自分でもチェロを演奏してみたいと思っていました。そしてこの春から、とうとうチェロを習うことにしました。楽器もすでに手にいれました。この年末くらいには、エルガーの「愛の挨拶」くらい弾けるようになっているでしょうか?





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読書 『冬の標』(乙川優三郎)~絵を描く女たち

2013-03-24 | 時評
読書 『冬の標』(乙川優三郎 中央公論新社)

 これは自分で読みたいと手にした本ではない。絵の先輩でもある友人から、「これを読んだら。面白いよ」と紹介された本だ。当初は「部厚いし、面倒だな」と思ってしぶしぶ手にした。ところが読み出すと出だしから、がぜん興味が湧いてきた。
 
 時代は、江戸末期。絵を描くことに情熱を燃やしつづけた武士の妻の生涯を描いた時代小説。読み終わって深い感銘を受けた本の一つである。絵を描くことに強い関心を抱いた人間の心理描写にすぐれた一級品。出だしの文章、春のかわべりの道の文章からして惹きつけられる。

  ”・・そこは花が群れ、水辺の匂いがする・・・”

主人公、明世は13歳のときから、町の画塾、有休舎に通って墨絵をならう。花の素描を師にみてもらい、「この絵には線がない」指摘されがく然とする。

  ”絵は、それでいい。描くひとの眼や心を通して、それぞれの
   絵になる。それが見る人の眼を通して、本物に返れば、よい
   絵ということになる”


絵を習い始めて一年、人に見せようとする絵を描くためか、筆は技巧に走り、灰汁ばかりか素材の味まで消えてしまう。表情のない平凡な絵を 師の葦秋はすぐに見抜いて、どうしたのかとたずねた。
  
   ”生気がまるでない。こういう絵は見たくないし、いくら見た
    ところで始まらない”

   ”この絵のままに、その眼に映ったら花なら仕方がない、上手
    以前の問題だろう。しかし、それが画家にとって一番大きな
    問題でもある。物に感じ、本質をとらえる眼がなければ誰が
    描いても同じ絵になる。これはそういう絵のように思う”

 至るところに絵を描く人間の心理、進歩しようと悩む心の動きが巧みに描写されているのに感じ入る。ちょうど絵を習い始めた私にとっては興味津々である。著者が、絵を描かれるかどうかは知らないが、どうやってこのように微に入りさいをうがつ表現が可能なのだろうか。ちなみに著者の親しい友人に女性画家がいるようではある。
    

 明世は、蒔絵師の息子、武家の次男と三人の仲間とともに絵を学んでゆく。そして結婚、夫・姑の無理解、夫の死去など生活は変わっても師の暖かい指導に助けられて、絵の勉強を続け、最後は息子も独り立ちをしたので、より高いレベルの絵を求めて江戸に向かう。ある意味では、[絵]に主題をかりた「女の一生」の物語ともいえる。


 雪の中 江戸に向かう川を走る舟の上でで、明世は思った。

   ”自分には墨と筆があればいい。見かけの幸福が何になる、と
    気色ばんだ。ひとりがなんだろう。憂鬱な日は憂鬱を描き、
    心の弾む日は弾むように描く。そうして残りの一生を墨とともに
    生きてゆくだけであった”


 実在の女性画家では、死に直面しながら絵を描き続けた三橋節子のことを思い出す。右鎖骨腫瘍で右腕切断という事態になりながらも、左手一本で制作をつづけ、新制作展など出品、死の間際には「湖の伝説 余呉の天女」を完成させている。

 想像もできないような過酷な運命のもとで、迫りくる死と戦いながらなぜ彼女は絵を描き続けることができたか。梅原猛は、元京大総長の平沢興氏に、「三橋節子さんの話は、病気に苦しむものばかりか、多くの人に、人間のすばらしさを教え、人間に生きる勇気を与えるものです。あなたが、その人生と芸術に感激したとすれば、それを人に伝えねばなりません。その仕事はあなたが、今考えているよりずっとおおきな仕事なのです」といわれ筆をとった。その作品「湖の伝説ー画家三橋節子の愛と死」(新潮社 1977年)は感動的なノンフィクションである。

 もう一人、視力をほとんど失いながら絵を描き続けることに執念を燃やした画家がいる。曽宮一念、二科会会員で、三井銀行会長だった小山五郎の絵の師である。
        注)1893-1994年 二科会会員、戦後国画会会員になるが、
          緑内障のため退会。夕映えの画家と賞される風景画家。
          随筆をよくし、山に関する随筆としては、串田孫一、
          尾崎喜八と並んで名前が見いだされる。


 人物評論家の伊藤肇が小山五郎から聞いた話によれば、

 「曽宮の絵は油絵の具という素材を使いながら油絵からぬけだし、風景から入って、しかも、そこから抜け出した南画風の深みのある絵で、好事家の間は垂涎おくあたわざるものだが、売り絵を描くことが嫌いなために寡作で、めったにお目にかかれない」しかし絵もさることながら、小山は、何よりも師の人間性に傾倒している。

 「先生は、すでに一眼を失明、もう一つの視力もきわめてかすかな状態で、”もう盲目同然ですよ”と語られる・・・・・摘出した眼球を泥鰌のわた、としゃれのめしておられる・・・」

 その曽宮一念が、ある日ふらりと小山の許にあらわれ、”まだ一度も海外に行ったことがないので、今度いってこようと思う。君の知っている船会社の貨物船にのせてもらえないだろうか」と頼まれた。たいていの絵描きなら、ジェットでフランスへ行きたいが、その旅費を、とねだるところだが、曽宮は金のことはいっさいいわない。多分、所蔵していた自分の絵を売ったり、なけなしの品を整理してつくった金をはたいての、最初にして最後の外国旅行なのだ。
 さまざまな思いの小山に先生がいった。

   ”パリなんか、どうせよく見えない眼だから興味はない。しかし船で
    いってインド洋の日の出と夕陽、それに輝く波くらいは、まだ僕に
    見えるから。そいつを描いてみたい・・・”

小山の配慮で客船の方が手配できた。それから三ヶ月くらいして、忘れるともなしに忘れていた小山のもとに曽宮が現れ、一枚の絵をおいていった。ケープタウンを通過するときに描いたものらしく、『濤』と題されていた。そこにはできるだけ省略した太くたくましいコンテの線に雲煙万里、暗黒大陸の怒濤が躍っていた。


それにしても人は、なぜ絵を描くことに興味を持って、絵を描きたがるのだろう。別の機会に追求してみたいテーマである。

 


 
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音楽 私の好きな歌

2013-03-22 | 時評
音楽 私の好きな歌~You light up my life

 夜中、目がさめた時にふとつけたラジオの「深夜便」。懐かしいメロディーが流れていました。デビー・ブーンが歌った<You light up my life>です。まずはYoutubeで聴いて見てください。

心に染み入ってくるような情感のあるバラードですね。大人の恋の歌のようです。この歌が流れたのは、1977年。全米のビルボードのヒットチャート100で、10週連続でトップの座を占めました。本当にしっとりした、いい曲です。この歌を、私が知ったのは1980年代半ば、東京の赤坂にある「ボントン」というこじんまりとしたクラブでした。大学で音楽を専攻していた女性たちが、バンドの演奏で歌を聞かせるといったスタイルの店でした。流行を追うことなく、長いあいだ愛しされつづけるような歌を聞かせてくれました。ここで色んな歌を覚えまさした。このデビー・ブーンの歌は、とくにお気に入りとなり、よくリクエストしました。歌詞が、またいいのですね。忘れないうちに記録しておきます。

  So many nights, I'd sit by my window,
  Waiting for someone to sing me his song.
  So many dreams, I kept deep inside me,
  Alone in the dark, but now you've come along.
  And you light up my life,
  You give me hope, to carry on.
  You light up my days
  And fill my nights with song.

 今やあなたが、私の心の灯をともしてくれる・・という詩です。ジョー・ブルックスという人の作です。彼が、作曲しています。この詩にある”You" は恋人のことをさしているようでもありますし、また神のことでもあるようです。

 話は変わります。あの西郷隆盛が愛読した『言志四録』(佐藤一斎)の中に有名な一節があります。”ただ一燈を頼め”です。なにかこの歌のことを言っているようです。

 ”一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め(言志晩録13条)

 ここで言う「暗夜」とは、ただ暗い夜という意味だけではありません。闇夜のような人生には、様々な葛藤、苦しみ、悩み、絶望などなどがあるでしょう。「それでも」、佐藤一斎は語ります。「自分の周りが闇夜(苦境)であることを悲しむのではなく、心にひとつの灯りを掲げて生きよ」と。 デビー・ブーンの歌に、この佐藤一斎の一節を思い出しました。一灯は、人によって違うでしよう。それは、愛であったり、希望であったり、夢であったり・・。それが暗夜を行く力を与えてくれるでしょう。

 俳句の例を引きますと、大野林火にこんな句があります。

   ”さみだるる 一灯長き 坂を守り(もり)”


最後になりますが、この歌が日本で出たときに「恋するデビー」とのタイトルがつきました。やめてください。せめて「心のともしび」とでも・・。

思いだすままに、逍遥いたしました。長々と、お許しください。
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読書 『特命全権大使米欧回覧実記』

2013-03-19 | 時評
『特命全権大使米欧回覧実記
  久米邦武編(岩波文庫全5冊 1977年9月)

(おことわり)初めて読んだのは、もう十年ほどまえのことだが、この貴重な本のことを埋もれさせておくのは、勿体ないと思い、読書メモを 復刻し大幅に加筆修正した)

 
 ”数英里行にて、ピトロクリーの駅に達す。時に正に五時なり、
  日はキリカムケルの山に沈み、暮煙瞑して、星光点点たり、天清く
  野曠(こう)にして、涼風の肌を浸すは、都府の陰霧濛々たる
  気色にあらず、多日に紅塵を一掃して、とみに潔きを覚ゆ・・”

 これは英国スコットランドのハイランドに遊んだ岩倉氏使節団の記録の中にでてくる文章である。この美しい散文を読んで、原文をみたいと思ったのが、この本にめぐり逢うことになったきっかけである。その美しい一文は、芳賀徹さんの「詩歌の森」のなかに紹介されていた。  原本は、もう入手できないのではないかと懸念していたが、灯台もと暗し。 岩波文庫にあるのをみつけて大喜びした。なおこれから30年後英国留学した夏目漱石も、休息のためこの地を訪れた。そのときの印象は、”ピトロク リーの谷は秋の真下にある”で始まる小文として短編集<夢十夜>のなかにある。(タイトルは永日小品ー昔)


 さて明治4年、時の政府要人である岩倉具視、伊藤博文、大久保利通、木戸孝允らを含む大型使節団は、1年9ヶ月余にわたり、アメリカから英国、フランス・プロイセンなど欧州各国を歴訪した。帰途アフリカ北部、アジアをまわって植民地支配の現状、人種差別も含めた惨状も目のあたりにした。この実記は、その時に同行した史家久米邦武がつづった視察の記録である。


 当時の文語体で書かれた漢字、外国語を片仮名で表音読みしているなどなじみにくいところもあるが、大変な感銘・感動と驚きと興趣をもって読み通した。こういう本を残してくれたこと自体、先人に感謝したい。

 注目その一:明治政府は、政府としてまだ確固たる基盤を固めたとはいえないこの時期に、中枢の要人をふくめた大型の使節団を2年近い長期にわたって派遣したのは、諸外国との条約改正協議がまじかに迫っている状況にあったとはいえむしろ驚き以外のなにものでない。近代日本の進路を見極めるため先進諸国に学ぼう、という強い意志が働いたのであろう。それは団の出発にあたっての三条実美の送別の辞に、よく表れている。
  
 ”外国の交際は國の安危に関し、使節の能否は國の栄辱に係わる、いまや
  大政維新、海外各国と並立を図るときにあたり・・・・
  行けや海に火輪を転じ、陸に汽車をめぐらし、万里馳駆 英名を
  四方に宣揚し、恙なき帰朝を祈る”

 司馬遼太郎の小説にあるように、まさに坂の上の雲を目指して上ってゆこうという高揚した心が感じられる。

 注目その二:前編にわたって久米の記述は、各国の地理・経済の実情から教育・軍事・社会制度、さらに産業の状況にいたっては技術のすみずみまで微に入り、細部にわたっていることである。あるときは政治制度から金融資本の制度、国々の人間性や歴史をのべるかとおもえば、またあるときは染色、ゴムの製造、製鋼・造機工場などなど専門技術者でなければ理解しにくいようなことまでつぶさに観察し、詳述しているのである。

 どうしてこういう事が可能な人間が江戸末期の教育環境のなかで育っていたのか不思議に思うが、明治の頃はそういう人材が幾人も在したようである。司馬遼太郎は、ある時期明治の人がどんな書簡を書いたかという事に興味をもった。その著書『ある運命について』(中央公論社)のなかで、海軍大将八代六郎の事にふれている。八代はロシア領のウラジヲストックに語学留学していたが、そのときロシア式の暖炉(ペーチカ)に感心して、その構造を広島の知人に書き送っている。かれはたかが五尺ばかりの暖炉の構造をのべるに当って、その前に広大なシベリアを説き、ややちじめて斜面のおおいウラジオストックの地形を述べるのである。そのうえで家屋の構造におよぶ。表現が当をを得ていて建築家がこれをよめばそれだけでロシア風民家が建てられそうにさえ思えるほどである。八代は文章表現のうえで家屋を建ておえてから、ようやく暖炉の位置、構造に至る。一海軍の軍人の私信のなかで、このように地理学的、もしくは土木建築的な対象をつかみとって読み手に正確に伝える文章能力が成立していたことに、司馬は驚いている。

余談になるが、この点でもっと凄い人物がいる。日本海海戦で先任参謀として勝利に導いた秋山真之である。秋山は1890年代の末にアメリカに留学している(若干29才)が、その間同僚と議論したり、友人に書き送たりしている話題は、世界のなかで日本のおかれている位置と、世界の政治・経済・産業・技術の動向に対する幅広く、しかも深い認識を示すものであった。下記の著に詳しい。

      注)島田謹二著 <アメリカにおける秋山真之> 朝日新聞社
           同著 <ロシア戦争前夜の秋山真之ー明治期日本人の一肖像> 

 この久米の実記も単なる見聞記でなく、広い視野から欧米を眺め、学ぶべき点批判的な点をあきらかにしている事が注目に値する。

 注目その三:この本について専門家のあいだでは、つぶさに研究されているようである。なかでも校注を書れている田中彰氏による解説は、そのものが一冊の書になるほど詳しく、また明解で優れたものである。

近来これほど好奇心をかき立てられた本はない。面白かった!画家安野光雅さんは旅を好む画家であるが英国、アメリカに行ったときはこの本を携行した、と書いておられる。

 ”イギリスの旅に味をしめて、また持っていった「米欧回覧実記」・・・”  ー『アメリカの風』安野光雅 朝日新聞社(1983年)


 何年も前のことになるが、畏友川口三郎君(京都大学医学部名誉教授)に案内され、京都は岩倉にある岩倉具視幽棲の地を訪ねてことがある。今は人もあまり訪れることもない旧居で、この『米欧回覧実記』の原本を見つけて、感激を覚えた。今もある。


(つづく)アメリカ、イギリス、ヨーロッパ諸国などを巡った記録を読み返し、現在時点での印象を語りたい。



 
 
 
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読書 『Gray Matter ~アメリカの心』

2013-03-15 | 時評
読書 『Gray Matter-アメリカの心』
        ー全米を動かした75のメッセージ
 

 その75のメッセージの一つを、京都に住むMさんに贈ります。彼女は子育しつつ、さまざまな家事をこなし、また家業の経営の一端をになって仕事をつづけ、さらには地域の発展に寄与したいと日々活動するダイナミックなレディであります。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 アメリカに、ユナイテッド・テクノロジーズという会社がある。航空機エンジンや空調装置、ヘリコプターなどなど工業製品を世に送り出している。従業員22万を擁する大企業である。バロンズ誌で、2012年に「世界で最も尊敬される会社」のリストに、その名が載った。いまでいう複合企業である。

 同社は、1979年から1985年にかけてアメリカの代表的な新聞の一つである「ウオール・ストリート・ジャーナル」に「グレイ・マター」と題する広告キャンペーンを打った。通常の広告とは全く性格を異にし、人間一般の人生について語る、というものであった。いわば、人生肯定の歌である。

全米の反響はものすごく、同社は360万通にもおよぶリプリントのリクエストを受け取り、また70万通近い手紙を受け取った。このキャンペーンの基本的なテーマー”個人としていかに生きるかが、やがて国家としていかに活きるかを決めることになる”ーそれが人々の心の琴線にふれたのである。同社はメセージのなかから、とくに反響の大きかったもの75編をあつめて『Gry Matter』として出版した。日本でも、学生社がそれをただちに翻訳し、日本語版として出版した。もう今から25年以上まえのことであるが、これらのメッセージは今も、その輝きを失っていない。

 さてMさんに捧げる一編とは、

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ”The Most creative job in The World”

It involves
taste,
fashion,
decorating,
recreation,
eduation,
transportatin,
psycology,
romance,
cuisine,
designing,
literature,
medicine,
handicraft,
art,
hortculture,
economics,
goverment,
community relations,
pediatrics,
entertainment,
maintenance,
perchasing,
direct mail,
law,
accounting,
religion,
energy,
and management,
Anyone who can
handle all those
has to be somebody
special.
She is.
She's a homemaker.


(日本語訳)

 世界で一番クリエイティブな仕事とは

  それに関係するもの
  味覚、
  ファッション、
  装飾、
  リクリエーション、
  教育、
  交通、
  心理学、
  ロマンス、
  料理、
  デザイン、
  文学、
  医薬、
  工芸、
  芸術、
  園芸、
  経済学、
  政府、
  近所付き合い
  小児医学、  
  老人学、 
  接遇、
  管理、
  購買、
  ダイレクトメール、 
  法律、
  会計、
  宗教、
  燃料、
  そして経営、
  誰であろうとこれら全部を
  やってのけられる人は、
  きっと特別な人に、
  違いない。
  その通り。
  彼女の名はホームメーカー。

    注)1980年7月掲載。13万通余の手紙が寄せられました。手紙には、私たち
(同社)が主婦の立場を支持しているばかりでなく、家事担当者(ホームメーカー)という性別のない言葉を使ったことも取り上 げて感謝されいました。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ほかにも素晴らしいメッセージに溢れています。また折をみてご紹介いたします。






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絵画/エッセイ 「読書する少女」~一枚の絵から(余滴)

2013-03-11 | 時評
 一枚の絵から、話は広がります。もうひとりの美女の絵をご紹介します。
18世紀の画家ジョージ・ロムニー描くところの「レディ・ハミルトン」です。子犬を抱く彼女は、たとえようもなく可愛らしいですね。でもフラゴナールの絵に出てくる少女とくらべると、こちらの方が成熟感があります。この女性のほうが、好きだと呟かれたのは、畏友Kさんです。もう何年も前のことですがある夜、洛中の小料理屋で二人で呑んでおりました。ワシントンのナショナル・ギャラリーで頼まれていた絵葉書をわたしたところ、非常に喜んでくれました。ところが、”実は”と切り出し、”レディ・ハミルトンの方により魅力を感じるのだが、”とつぶやいたのです。そして、彼女はかの有名な英国のネルソン提督の愛人だった、と教えてくれました。写真の絵は、ニューヨークのフリック・コレクションに架けられています。メトロポリタン美術館の斜め前なので、すぐにわかります。鉄鋼王であったヘンリー・フリックのコレクションを、彼の邸宅跡に展示しています。フェルメールの作品も三枚ほどあり、小振りですが、とても素晴らしい美術館です。

 なぜわが友Kさんが、このレディ・ハミルトンをお好きなのか?そのカギは映画「美女ありき」にあると推測しております。この映画『美女ありき』(That Hamilton Woman, Lady Hamilton)は、1941年のイギリスの恋愛映画です。18世紀末のイギリス海軍提督ホレーショ・ネルソンとハミルトン夫人の不倫の恋を描いております。ネルソン提督をローレンス・オリヴィエ、ハミルトン夫人をヴィヴィアン・リーが演じています。まさに美男美女。序ながら、この二人、不倫の末に再婚してます。もう一つ余談をいえば、宝塚でもこの二人の愛を取り上げて公演しています。ローレンス・オリヴィエのカッコ良さもさることながら、ヴィヴィアン・リーの気品のある美しさは、たまりません。映画「風とともに去りぬ」や「哀愁」を見た方なら、ご賛同いただけると思います。Kさんは、ヴィヴィアン・リーの面影を思い浮かべながら、この『レディ・ハミルトン」の絵を鑑賞されたのでしょう。

 京都での「雨夜の品定め」の一幕でした。 


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絵画/エッセイ 「読書する少女」~一枚の絵から

2013-03-07 | 時評
絵画/エッセイ 「読書する少女」~一枚の絵からあれこれ

 18世紀のフランスの画家、ジャン・フラゴナールの作品に「読書する少女」という絵がある。(写真)好きな絵の一つである。先年ワシントンのナショナル・ギャラリーを訪れた時は、予めキュレーターに電子メールを送って、そこに絵があることを確認しておいたこともあり、無事ご対面できた。レモンイエローの服をまとった若い娘が、なんの本かは分からないが、読書に集中しており、静謐と気品すら伝わってくる。ちなみにこのギャラリーでは、写真を撮ろうが、スケッチしようがなにも言われない。しばし絵の前に立ち尽くしていた。絵の原題は、”Young Girl Reading" とある。(1770年の作)このワシントンへの旅のことは、親しい友人のK さんが、その著書『折々の人間学』のエピソードの一つとして取り上げていただいた。

 同様な読書をする女性を画いた作品は、ゴッホ、ルノアールなどあるが、読書する知的な女性のイメージとしては、このフラゴナールの絵を真っ先に挙げる。日本にもある。黒田清輝、浅井忠なども同様のモチーフで絵を描いている。しかし、フラゴナールに匹敵するようなものは、過分にして知らない。

ところがあったのである! 今、京都は三条高倉の京都文化博物館で行なわれている<日本画 こころの京都>展の展示作品の中にあったのです。かの上村松園の絵が二点。そのなかの一つが「静かなる夜」サブタイトルが「源氏物語を読む女」となっています。掛け軸にかかった縦長の絵は、脇息に右肘をつき、左手に本をもって、行灯の灯りのもとで本を読みふけっています。畳の上に座った和服の少女は、松園の「娘深雪」に面影がよく似ております。なんとも優雅な着こなし。(下の絵は、松園の『娘深雪」です)

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読んでいる本は、「源氏物語第八帖「花宴」」です。源氏の君と朧月夜との恋の物語です。娘は、まだよく知らない恋の世界に引き込まれているかのごとき風情です。可憐な姿に見とれておりました。(下の絵は、「花宴」のシーンです)

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あまりにも魅力的な絵なので、夕方再入場して今一度見とれておりました。まことに残念ながら、この絵をだれが、いやどこの美術館が所有しているか明示されていませんでした。おのれ一人のものにして楽しんでいるんです。秘すれば、花でしょうか。だから写真もありませんし、撮影はもちろん禁止でした。その代わり、もう一度足を運んで、スケッチさせてもらおうかなと思案しております。

ところで、本を読む男性というような絵はないのでしょうか? ないですねえ。その代わり「徒然草』の中に、同じようなシーンの描写がありました。

徒然草第43段、

 ”春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賎しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば*、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば*、かたち清げなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして*、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。
 いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。”

 この”文”はどうも書(本)のことを指しているようです。だれか絵にされませんかね。


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ところでこの絵画展、なかなかのコレクションです。古くは円山応挙の「京名所図屏風」ー遠景にかすむ塔などの点描が素晴らしい、や山口華楊の「青蓮院の老木」、京都府最大のブナを画いたの猪熊佳子の「森の王」、緋色一色の女性を画いた西野陽一の「緋の花」、珍しい流れ橋を画いた吉川弘の作品、舞妓さんの凛とした横顔を画いた「一力亭白椿」(森田りえ子)ー壁の朱と大輪の純白との対比が素晴らしい、などなどいつまでも見飽きませんでした。3月24日までやっていますので、ぜひお出かけください。絵の鑑賞がすまれたら、近くの<イノダ>で珈琲でも如何ですか。私は、浅焙りの「コロンビアのエメラルド」を気に入っております。


(おまけ)今日、8日も一度絵を見に行ってきました。この「静かなる夜」の絵の前にたち、純粋輪郭画法のまね事をして、鉛筆を走らせました。でも、和服など輪郭のはっきりしない絵は、模写もむづかしいです。ギブアップしました。でも、よく見たことで、細部まで頭に入ってきました。「イノダ」では、、枝垂れ梅が、ほぼ満開でした。











 
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読書 『日本一心を揺るがす新聞の社説』(つづき)

2013-03-03 | 時評
読書 『日本一心を揺るがす新聞の社説』(つづき)
        (水谷もりひと ごま書房新社)

 ご紹介するもう一編をどれにしようかとかなり迷いました。そして「誇り(プライド)は自分で考えればいい、という韓国の人の話題にしました。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 98年1月、韓国ソウル市内にある人材情報センターに初老の男性が職をもとめて訪れた。同センターの所長は戸惑った。その男性が希望職種の欄に「食堂の従業員」と書いたからだ。

「ご冗談でしょう。ご希望の職種は本当に食堂の従業員なのですか?」
「はい、そうです」

 所長を困らせたのは男性の年齢ではなく、前職だった。男性は韓国を代表する財閥の一つ、三美グループの副会長・徐相禄(ソサンノク)さんだった。

 前年、三美グループは不渡りを出し、徐さんは引責辞任をした。経営者としての失敗。何万人という従業員とその家族に迷惑をかけた。贖罪の気持ちでゼロからやり直すと決めた。失業者が職を探すのは当然だ。ならば以前から一度やりたいと思っていたウエイターを希望した。

 人材情報センターを出て家路に辿り着くまでのほんの数時間の間に、「三美グループの元副会長がウエイターの職を探している」というニュースで大騒ぎになった。

 友人から電話で「そこまで切羽詰まっているとは知らなかった。」と慰められた。70歳の姉は電話口で「あんたがそこまで落ちぶれるなんて・・・」と泣いた。「お前が落ちぶれるのは勝手だが、俺の顔にまで泥を塗るようなマネはするなよ」と怒る人も。

 だが、家族は違った。妻は「あなたは、自分だったら素晴らしいウエイターになれると口癖のように言っていたわよね。自信があるならやってみるべきよ。今までお世話になった分、お世話をする側になれば学ぶことも多いはずよ」気がかりだったのは結婚が決まっていた息子の事だった。三美グループの副会長ではなく、食堂のウエイターという肩書きで息子の結婚式に出席することになる。

 息子は言った。「僕は社会的な偏見を果敢に押し退けて、ご自分がやりたい仕事に挑戦しようとしているお父さんなが誇らしいです。

 病院の待合室で読んだ週刊誌の書評のページで徐さんの自叙伝「プライド」を知り、すぐに買って読んだ。日本以上に韓国は古臭い権威主義の国である。そんな社会で、財閥の副会長だった男性が60歳にしてゼロから人生をリセットした物語はあまりにもドラマチックだった。中身をもう少し紹介しよう。

 就職活動は困難を極めた。どの経営者も自分より経歴の高い徐さんを雇いたくないのだ。徐さんの就職活動には信念があった。「失敗したらゼロからやり直すのは当然だ」「職業に貴賎はないことを証明したい」「自分がやりたい仕事をする」

 98年4月、徐さんはロッテホテル35階、レストラン「シェンブルン」でウエイターの仕事を得た。就職して最初に、副会長時代の秘書4人を招待した。正式にお迎えし、順番に料理を運んだ。恐縮する秘書たちを和ませようと話しかけた。帰る時には、エレベーターまで見送り、30度の角度で頭を下げた。「またのご来店をお待ちしています」という言葉も忘れなかった。

 徐さんは言う。「自負心や誇りは誰かに与えられるものではない。自分で自分に与えるものだ。自動車の部品を作っていようが、飲食店で料理を運ぼうが、路上で靴を磨こうが、職場や顧客、そして自分のために必要な仕事をしているということに誇りを持てばいい」


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 己のやっていることに自信と誇りを持ちたいものです。お読み頂き、ありがとうございました。
 

 
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