(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

コラム 風の音~映画「散り椿」

2018-02-23 | コラム
コラム 風の音~映画「散り椿」

 今は、まだ見ぬ恋人に出会うのを待っているような心境である。映画「散り椿」のことである。なぜ、そうなるに至ったのか? 先ごろ親しい友人に誘われて加古隆という人のカルテットの演奏会に足を運んだ。(しらかわホール 名古屋)

 加古隆は長年映画音楽の作曲をしてきた人である。この名前におなじみではない方もおられるかもしれないが、あの映画「阿弥陀堂だより」のテーマ音楽を作曲した人といえば思い出されることであろう。彼は作曲活動のかたわら、長年に渡ってカルテットの演奏活動を続けてきた。加古隆がピアノを弾き、それにバイオリン、ビオラ、チェロという構成である。

 演奏会では、冒頭に「阿弥陀堂だより」のテーマ音楽「風のワルツ」が流れた。聴いていると、おだやかな春の日差しを浴びているような気持ちになってきた。それからいくつもの映画音楽が演奏された。その次のパートでは、「パリは燃えているか」など「映像の世紀組曲」を演奏した。第2部の「大河の一滴」に続いて、「散り椿」のテーマが演奏された。ほとんどがチェロの独奏であった。切ない愛にあふれたような調べにうっとりしてしまった。最後はオーケストラ曲の「熊野古道」の第一楽章の旋律が流れた。

 とても余韻が残る演奏会であった。そして演奏を楽しんだだけにとどまらず、次への発展につながっていったのである。まず映画「散り椿」ぜひとも見てみようと思った。今年の秋の公開される予定である。そして散り椿の花を、この目でみてみたいということにつながっていったのである。

 まず映画「散り椿」のこと。これは作家葉室麟の同名の小説を原作にしている。舞台は享保15年のある藩。かつて藩の不正を訴えたが、認められず故郷を去った男、瓜生新兵衛(岡田准一)は、連れ添った妻の篠が病に倒れた時、彼女から最後の願いを託された。それは、藩に戻って榊原采女を助けて欲しいと言うものだった。二人は良きともであり、良きライバルであり、また篠をめぐる恋敵であった。藩の不正を正そうとするして、かつての親友采女と対決する。・・・


     


この映画を貫く散り椿のテーマ音楽にしびれてしまった。そして二人の対決の場には五色の八重の椿が散るという、そのシーンを見てみたい。

 調べてみると、「散り椿」というのは普通名詞ではなく、実在する椿の固有名詞なのである。花弁が一片一片散っていく一木には白から紅までさまざまな色の椿の花が咲いているという。どこで見られるかと、さらに調べると京都の地蔵院という古刹にあることがわかった。花が咲くのは三月下旬という。

     




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(予告編) コラム 風の音~映画「散り椿」

2018-02-23 | 料理
当初は、カレーライス(カレーラスではありません(笑))のことについて書くつもりでしたが、訳あって、こちらを先行させていただきます。しばらくお待ち下さい!






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コラム 風の音~古代ペルシャの文明

2018-02-02 | 料理
コラム 風の音 古代ペルシャ文明のこと

まだこの冬の雪が降り出すまえのことである。”焼肉・ホルモンは松阪”、と聞いて松阪までドライブした。その道すがら、ミホミュージアムに立ち寄った。開館20周年記念ということで「桃源郷はここに」と題して特別展が開催されていたのである。このミュージアムのコレクションの名品が並べられていた。古墳時代(6~7世紀)から中国南宋や朝鮮王朝時代の陶磁器、それに平安時代以降の仏教美術などが、所狭しと並べられていて、目を瞠った。奈良時代の紫紙金字金光明最勝王経巻などなど興味深いものが少なからずあった。

 しかし最も驚いたのは南館で展示されていたエジプト、南アジア、中国・西域など世界のさまざまな地域から選りすぐった古代美術である。なかでも、ペルシャの金杯の豪華さ、その精緻な造形には驚嘆をしたのである。というのも。昨年秋に京都の国立博物館でみた「金印」のことが頭に残っていたからである。一片が2.3センチの金色に輝く国王金印「漢委奴国印」。後漢の光武帝が紀元57年に倭奴国に下賜したという。わが国は、まだ弥生時代。これを受け取ったわが先人たちは、光り輝く金印に驚き、かつその高い文明にひれ伏したであろう。後漢は洛陽に都があり、科学技術の進歩も著しかった。蔡倫による製紙技術の開発、渾天儀による天文学研究、全身麻酔による手術などなど。そして、この金印を見て私自身も、古代中国の力を感じたのである。

     

 ところが、古代ペルシャにかかると、そんなものは目ではない。ミホ・ミュージアムで陳列されていた黄金の装飾杯の豪華さ、獅子の形をした取っ手。、その装飾のきらびやかさは驚嘆意外の何ものではない。

 

金杯は黄金で作られており、三頭の雄ライオンが周囲に取り付けられている。キーラン洲のマールリーク遺跡から出土した。


これがいつの時代のものか。それを知って、目を疑った。紀元前1000年頃のものである。その頃はメディア人がイランに到来し定住した。そして王国を築いて、それを受け継いだペルシャ人が帝国を支配した。その頃の技術がどんなものか知るすべもないが、メソポタミアと表裏一体のイランの都市文明ではアフガニスタンの神秘的なラピスラズリなどを神官や貴人達が身にまとっていたようだ。時代背景を知りたいと、世界史の本『世界の歴史①人類の起源と古代オリエント』をひもといたが、まだよく理解するに至っていない。要は、中国後漢に先んずること1000年レベルでで高度な金属の加工技術を持っていたということである。もちろん、加工する資源もあった。

古代中国の工業技術がすごいと思っていたが、世界レベルでみると上には上があったのだ。何事も世界的視野でみることが重要だと思った次第である。













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