(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

気まぐれ日記ー為替の行方と資源確保

2007-04-28 | 日記・エッセイ
 このところ円通貨は、1米ドルにつき119円台を推移している。この3年間でみても2004年11月の102円レベルから、いろいろの揺れはあるものの円安方向をむいている。今や120円を伺う気配もある。ユーロ通貨にしても、ひたすら円の価値は、落ちており、163円台とか。この先、長いスパンでみて円高か、円安はどちらの方向にむかのだろうか。大いに気になるところである。

この為替は、もちろん金利レベルとの関連があるが、いわゆる国力をさしていると考えられる。そんな矢先、金属・鉱物資源に加えて、水産物などもふくめた食糧資源についても価格が上昇し、先行きの資源確保に暗雲がかかりはじめている。

たとえば、4月25日の日経新聞の記事の報じるところでは、スケソウダラ、タコ、えびの産地買い付け価格が上昇している。欧州の魚食ブームで、フィレ需要が急増している由。日本では、スケソウは練り製品のすり身やフライ用のフィレにつかわれる。
日本にすり身を大量供給するマルハ・グループの現地法人の対日供給量が四割も減少している。タコも、欧州勢との買い付け競争の激化で、欧州の小売価格は日本の1.5倍。えびでも、欧州勢が、大型のブラックタイガーに、日本勢より、2割も高い価格を提示するそうだ。

発電用石炭では、豪州のニューカッスルなどの石炭積み出し港では、2週間から、長いときは2ヶ月もの入港待ちの滞船がある。中国などの需要増の影響である。当然石炭価格は、高止まりである。

金属資源でも、エアコンなどに使われる銅も、値上がりで、過去最高値をつけている。これも中国の大量輸入のためだ。ステンレスにつかうニッケルもこの2年で3倍、航空機などにつかわれるチタンも、昨年より、3割値上がった。

円安で輸出がふえるなどと喜んでおられない。そう、為替は、国力を表している。
いつまでもこんな円安が、つづくのだろうか? それにしても、資源確保はどうなるのでしょう。 政府の戦略は? 日銀総裁の舵は、どうきられるのだろうか?




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エッセイ<花水木のこと>

2007-04-25 | 時評
”ハナミズキ天に向いて白き春”

あちこちで、花水木の花を見かける季節だ。空気の澄んだところでは、一段と清楚な花をつける。朱色の花もいいが、ことのほか白い花を愛好している。仕事、仕事で走り回り、花には無縁だった私だが、東京は九段の千鳥ヶ淵のさるホテルを定宿にしていたころに、朝のジョギングの途中に北の丸公園で、この樹と出逢った。それが始まりである。90年代には、深川に単身赴任し,近くの清澄公園まで、やはり走りにいっていた。そこでも、ハナミズキの朱と白の樹があって、週末にはその樹の様子を見るのが楽しみだった。私の親しい友人は、西宮市の甲東園というところに住んでいるが、その夫妻が、自宅を建てたおりにハナミズキを植えたところ好評を呼び、今やまち全体に広がっている。

このようにハナミズキが広がったのは、戦後のことである。アメリカ産の花水木がが、こんなに広がったのには訳がある。そのことをについて書いておきたい。
新垣秀雄は、朝日新聞で論説委員として活躍し、17年余にわたって「天声人語}を執筆した。彼が、花や緑や鳥のことなど自然と人生について語った『花と緑のことば』を出したのは、1984年のことである。その中に「花水木物語ー日米・桜と水木の交流史」という一節がある。

 ”花水木は美しい花だ。海棠の艶と山茶花の寂びとを備えている。桜が散る頃から  咲き始める。晩春から初夏にかけて咲く。アメリカ渡来の異国の花だが、すっかり日本の風土に馴染んで、昔から我が国の花のような顔をしている。しかし今でこそ国民に広く愛されているが、大正時代から昭和も戦前までは、日本国民に疎んじられていた。終戦後も数年間は多くの『日本人は、花水木のことをほとんど知らなかった。

明治の末、東京市から米首都ワシントン市に贈ったあの桜に対するお礼として、アメリカから日本にプレゼントされてきた花水木だが、日本人はこれを大切にしなかった。アメリカ人は桜を大切に育ててポトマック河畔の桜並木は世界的名所になったのに、日本ではせっかくもらった花水木をうっちゃらかして、花水木の名所などはどこにもなかった。・・・・・

 私は昭和25年3月に朝日新聞の「天声人語」に、このことを書いた。4月に愕堂尾崎行雄翁がワシントンでの桜祭りに招かれて渡米するについて、古い新聞や 文献を調べている内に、のことが分かり、天下の注意を促した。 それが大きな 反響を巻き起こした。まず故川崎秀二議員は父子二代にわたる愕堂翁との縁から尾崎記念館(憲政記念館)園内に数百本の花水木を植え、東京ロータリーは創立50年記念事業として北の丸公園に数百本の花水木を植樹した。いらい花水木をロータリーのシンボル・ツリーとして各地の同倶楽部が盛んに植えて、以来ハナミズキは日本各地に広がっていった。

  ”米国に国花の定めはないが、アメリカン・ドッグウッドは国民に広く愛されているナショナル・フラワーともいうべき名花である。・・・・大正4年米農務省技師W・スウィング博士が政府の正式使者として、ドグウッドの苗40本と種子数ポンドを携えて来日した。その苗木が日比谷公園と野方苗果圃に植えられ、種子は小学校などに配布された。”

 ”戦後になって深大寺のか神代植物公園などが盛んに栽培して各地に配布し、多摩丘陵、井の頭自然文化園、日比谷、上野公園その他でもきれいに咲くようになった。・・・さらに昭和59年には、アメリカの児童生徒たちから花水木の種子200万粒が日本花の会に贈られ、一月に米大使館においてマンスフィールド大使らが列席して、その贈呈式が行われた。”


ハナミズキの学名は、Corunus florida 、英名はFlowering Dogwood 。アメリカ・ヤマボウシともいう。

          ~~~~~~~~~~~ 

 余談だが、実はアメリカの国の花と言うのがある。あまり知られていないが、カーネーションである。  "Carnation"    
分解すると、CarのNation・・・・ 車大国だから・・・。 このジョークをいうと大抵のアメリカ人は、ひっかかる。 (笑)



 
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詩歌・俳句<白き春>・・・心覚え

2007-04-21 | 時評
白き春

李(すもも)咲くわがまちやはり白き春
わが街にに白き春ありゆきやなぎ

今わたしが住んでいる街は、春になるとまず大島桜が白い花をつけ、ついで雪柳
すもも、そして4月も中旬をすぎると花水木の白が真っ青な空に映えるようになる。
それで俳句を詠んでは”白き春”を連発し、いっそのこと季語にならないかなとの願いをいだいた。

そうこうしている内に、『英語歳時記』のページを繰っていたら、桜の花盛りの項に、
おなじような表現を見つけて嬉しくなった。心覚えとして、記しておくことにした。


”Spring goeth all in white,・・・
O'er heaven the white cloud stray;
White butterflies in the air,
White daisies prank the ground;
The cherry and hoary pear
Scatter their snow around"
-R.Bridges: 'Spring goeth All in white'

「春は真白き装いで通る・・・・
 天上には白き雲漂う
 白きチョウ空に舞い
 白きヒナギクく大地を飾る
 白きサクラとナシの木は
 雪の花びらをまきちらす」

ちなみに、『英語歳時記』は、英米文学についての、日本の歳時記のようなものが
できないかとの願いから、研究社が英米の詩歌・散文を渉猟してまとめた労作である。
成田成寿編集、土居光知・福原麟太郎・山本健吉の監修により、多くの執筆者の協力を得てなった。
春・夏・秋・冬・別巻からなる。(1968年初版)

俳句を詠むようになってから、改めてこの本をひもとくようになった。かの地の
花鳥風月、生活、行事などなどに触れるのも楽しいものである。
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読書『東大のこと、教えます』

2007-04-16 | 時評
『東大のこと、教えます』(小宮山宏 プレジデント社 07年3月)

 書店に行くと、この本は、教育学のコーナーに置いてある。おいおい、ちょっと待ってくれといいたいね。 たしかに東大の現役の総長が、教育のこと、東大のことなどについて語っている。しかし、これは、教育学というような本ではない。日本のこと、地球環境の事、医療問題や漱石のこと、それにウエブ進化論の梅田望夫との対談もあるんだ。日本という国は、環境やエネルギーや少子化等々課題が山積しているが、それを逆手にとって「課題先進国」になろうと提案している。
西の田辺聖子に対する東の小宮山宏と思えるぐらい、アウトスポークンな話しぶりに惹かれて、一気に読んでしまった。


(東大には、海外から優秀な教授を引き抜く力がありますか)
 東大にはあるが、問題は日本のインフラ。・・・・・
そこで考えたのが、インターナショナル・ゲストハウス。東大付属病院の分院のあった文京区目白台に、やく500室を擁する立派な施設をつくる計画を進めている。

同様に東大柏キャンパスがある千葉県柏市でも計画を進めている。千葉県と柏市、流山市、千葉大学、そして東大の五者で、環境に配慮した国際学術都市を造る計画が06年末から本格的にはじまった。千葉県の堂本知事は「柏市を日本のパロアルト」にしましょうと張り切っておられる。

   注)パロアルトは、米国カリフォルニア州の町で、シリコンバレーの一角。そしてスタンフォード大学の町である。


(最近の東大生)
 最近の東大生を見ていて、つくずく思うのは、自分の半径5メートルの人と付き合う勇気にかけているということ。傷つけたくない、傷つけられたくない症候群である。軽いつきあいは多いようだが、ときには互いの心に深く踏み込むことが必要ではないかと思う。自分がふだん接している人を大切にして、その人に興味を持つ方が断然面白くてスリリングな筈なのに、テレビや雑誌に出ているタレントにうつつを抜かす・・

(専門教育以上に教養教育が大事だ)
 若者の人間力の低下が問題になっている。人間力の低下を食い止めるために大学ができることは、大学に集う人の多様性を確保することと、教養教育を強化することだと思う。教養は、万人に必要なものであり、専門知識を身につけるうえでの基礎となる。しかし多くの大学では、教養よりも専門教育重視という考えで、教養学部を廃止してしまった。

 東大がその流れに乗らなかったのは賢明だったと思う。東大にはその名も教養学部があり、そこの教授たちが主導して廃止せずに踏みとどまった。

(どうすれば世界における日本の地位が上がるかーコンセプト先行型でいこう)
 たとえば環境に気を配り、環境への負荷を最小限にとどめようと、市民や企業それぞれがこれほど日々の行動に移している国は日本だけである。

 日本のゴミの分別収集のやり方は、自治体によっては世界一きびしい。代表例が名古屋市である。名古屋市民は、毎日15種類のゴミを家庭で分別している。そのお陰で藤前干潟は、ゴミの埋め立て地にならずにすみ、日本有数の渡り鳥の飛来地として有名である。北九州市でも官民が一致協力、循環型産業都市を目指して、ゴミの徹底分別をしている。私は、市の環境局長にあって話を聴いたが、彼一人で住民相手の説明会を600回も開催したという。その甲斐あって新方式のゴミ分別の達成率は90%を超えた。・・・

   注)地方自治体の環境対策の問題には、まだ現役のころに係わったことがあり自治体の官僚とも話した事がある。そのなかで、北九州市の取り組み姿勢は本格的かつ真摯であるとの評価だった。どこかの町とは、大違いだった。

(高齢化による医療費の高騰は止められないか)
 高齢化による医療費の高騰は不可避の流れだ。「もう国庫からの支出は限界だから、医療費を早急に抑制しなかればならない」と主張するひとがいるが、これは私に言わせれば間違っている。健康維持のための予防治療もふくめ、「医療費をこれ以上増やさない」と宣言することは、GDPを増やさないと言うことにひとしい。
内需とは、「国民がなにを必要とするか」によってきまる。足りないのは、あるいはますます大切になるのは、人々の健康、つまり病気の治癒と予防だ。・・・

 日本の医療費を30兆円に抑えるという無理な議論はやめて、逆に増やすべきなのだ。需要があるものは伸ばせばいい。問題は、その費用を誰が負担すべきかなのであって、国庫に余裕がなければ、市場経済の中でお金が廻る仕組みを作ればいい。・・もっと抜本的な解決策がある。健康医療関係の新しい産業をつくって、受益者本人に直接、お金を使わせることだ・・・

   注)かなり乱暴が議論展開だが、要は発想の転換を説いているのだ。私のかねてからの持論だが、予防医療(健康体操などもふくめ)に加え、東洋医学をもっと本格的に研究し、西洋医学と合わせて現場で効果的に活用することだ。鍼灸ひとつでも、うまく使えば医療コストは大きく低減される。

(少子化を食い止めるには?)
 子どもが減ってゆくということは、関連市場が縮小し、ビジネスチャンスが減るということ以前に、社会の生き生きとした活力が失われていくことに他ならない。少子化を食い止める切り札は、デンマークのように、仕事をいかに早く切り上げることができるかだと思う。短時間勤務が可能な環境であれば、仕事を持っている女性でも家事や子育てができる。女性がいそがしい時は、男性が肩代わりしてもよい。

   注)以前新聞を読んでいて驚いたことがある。ある地方の役人が、保育施設を減らすことを言い出した。その理由が、「こどもの数が減って行くから・・」だと。思考回路が、おかしくなっているのではないかと、一瞬思った。保育施設を増やして、充実させることで、共働きしている若い夫婦でも子どもを生んで、育てようという気になるのに。あほちゃうか?

実際私の住んでいる町は、保育園などのがあちこちにあり充実しているので若い人の住むところとして人気が高い。そこらじゅうに子どもの姿があり、声が聞こえてくる。
 
(東大に時価総額があるとしたら、トヨタより大きい?)
 20兆円積んでも、東大は買えない。すぐれた研究実績、研究者を核として大学に教員や学生が集まり、その成果を社会に還元する、するとまた人やお金が集まってくる・・これが永続的に繰りかえされる場である大学は、お金には換算できない価値がある。・・・人間を育てていく価値・・・

    注)東大の経済価値を試算しているが、それが妥当かどうかは別にして発想が面白い。

(経営者で、東大教授にスカウトしたい人はいますか)
 伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長は、物事をお金以外の尺度で見る能力をお持ちの
人。文学部の教授もつとまるかもしれない。

 「ウエブ進化論」の著者梅田望夫さんもいいと思う。その著書の中で、「自分より年上の人と過ごす時間をできるだけ減らし、自分より年下の人と過ごす時間を増やしたい」と書いている。・・若い人が好きだということは、教育者の必須条件である。

   注)サムエル・ウルマンの詩”青春”などを持ち出して、いつまでもトップの座にしがみつく経営者が少なくない。若い力を信じて、任せようではないか。


 このほかにも「漱石の生き方」を書いた秋山豊(岩波で漱石全集の編集に携わったひと)のことや、戦前イエール大学で活躍し、ルーズベルト大統領に日米開戦の回避を働きかけた朝河貫一のこと、また梅田望夫との対談も掲載されていたりして、幅広い話題に興味は尽きない。あえて望めば、東大の文系のこと、たとえば哲学をどうするか、地政学を扱うのか、また国文のありかたは、などなどについても語って欲しい。

 京大や阪大の学長は、こういう発言をしないのかな?
  


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読書『マイク・マンスフィールド』(上・下)

2007-04-11 | 時評
『マイク・マンスフィールド』(上・下)
         (ドン・オーバードファー 共同通信社 05年12月)

 マンスフィールド氏は、もと駐日大使と言ったほうが、日本では分かりやすだろう。しかしこの本の原題がSenator Mansfield とあるように、アメリカ議会の上院議員であり、16年にわたって民主党の院内総務をつとめた人物である。この本は、ルーズベルトからケネディ、ジョンソン・ニクソン・などからレーガンに至るまで9代の大統領のもとで、アメリカ外交、なかんずくアジア問題での政策形成に大きな役割を果たしてきたマンスフィールドの人生を追ったものである。縦糸が彼の人生史であるならば、横糸はアメリカの現代外交史、そのものである。アメリカの外交や議会史に関心を持つ人間にはきわめて興味深いものがある。

 マンスフィールドは、1903年ニューヨークに生まれたが早くに母がなくなり、父とも別れモンタナの叔母のもとで育てられた。わずか14歳で海軍に入隊、除籍後はモンタナの銅鉱山の労働者として働く。ここで地元の有力者の娘モーリーンと結婚、彼女の奨めと励ましのお陰でモンタナ大学へ。卒業後ここの教授になる。この時に書いた論文が「米国と朝鮮の外交関係」に関するであった。おりしも日本による韓国併合が起こったときで、”アメリカは、日本が弱小な隣国を併合する際に介入するどころか抗議すらしなかった”と結論でしている。以降アジアへの理解を深めることになる。

 注)当時のアメリカ政府の姿勢は、英国もそうだが、一種の植民地主義であり、日本は英米政府の理解を得つつ、韓国併合などを行ったようだ。この辺の事情に関しては、ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』(メディア・ファクトリー、95年7月)に詳述されている。私自身、日本の行動について、あれこれ意見を述べる力量も識見も持ち合わせていないが、すくなくとも様々な見方があるといえる。

 その後友人や妻モーリーンの勧めで連邦議会の議員の選挙に出馬、以降下院議員、上院議員をへて、民主党院内総務として長く活躍した。人柄は、誠実で人に愛されることひろく、また重要な争点については超党派に徹する人であった。これだけのことであれば、底辺より身をおこし、苦学力行よく立身出世した、いわゆるアメリカン・ドリームの物語である。しかしわれわれが興味を抱くのは、それよりもアメリカ外交にまつわるホワイトハウス内の様々な事実と背景についてである。

その中で最も多くのページを割いているのがベトナム戦争の問題である。マンスフィールドの基本的な姿勢は国益重視であり、「外国の事情をよく理解し無益な軍事介入を控えるというスタンスであった。彼は、、早くからインドシナ問題には関心を持っており、アイゼンハワーが就任した1953年にはサイゴンを訪問している。
マンスフィールドは、「現時点においてインドシナはアジア大陸で最も重要な地域である」としてインドシナの「喪失についてはソ連の進出を防ぐ意味でも軍事援助を増やすべき」と述べている。そしてフランスの支援のためインドシナに米空軍の技術者を派遣するというアイゼンハワーの決定を支持している。

  注)このときステニス議員というひとが、「この行動は米国を武力でインドシナ戦争に直接介入する道につながる可能性がる」と批判している。

その後1964年・65年のインドシナへの軍事介入を決定し、地上軍の投入を決めた事に対しては、孤独であったが明確に反対した。ニクソンに対しても当初は、支持したが、戦争が激化の道を歩んでゆくのを「悲劇的な無駄」と呼んで、反対した。彼は、いつも胸ポケットに米将兵の最新の死傷者数を書いたカードを入れていた。

     注)今のイラクでの状況と酷似しているなあ。

さらに1970年4月にニクソンの指示で米軍と南ベトナム軍がカンボジアに侵攻するに及んで、大統領を支持する姿勢を変換し、上院に働きかけ、軍事行動を財政面で促進する対外援助権限法案を否決するに至った。ウオーターゲート事件でも、調査委員会の円滑な調査を促進した。
 
中国との関わり合い:海兵隊の若者であったときに中国を訪れたマンスフィールドは早くからこの国に注目し、ニクソン時代の1972年に訪中し、米中関係の再開の役割を担った。訪問当時、中国は、毛沢東による文化大革命による激しい混乱の最中であったが、マンスフィールド報告は、”中国は文革の中から立ち上がった・・”とその動きを容認しているようであった。また”人間に対する明らかな弾圧の兆候には遭遇しなかった”とも報告している。当時、このような無批判な評価は、ニューヨーク・タイムスのレストン記者の記事に見る如く、かなり見られたようだ。このあたりは、完全に中国当局の手のなかで訪問したマンスフィールドの限界が感じられる。長い中国経験を持つ英国の「マイケル・リンゼイ卿は批判的な分析や考察が欠けていると指摘した。

この当時の中国観とは、ことなり、1950年当時は、中国との関係改善には、慎重であった。たとえば、1954年にマニラで、彼は非公式には金門島などをめぐる紛争で中国を爆撃するという計画には反対した。しかしながら、公式には彼は米国による人民中国の承認と国連の加盟にはゆるぎない反対の立場をとった。55年には、彼は反中国のロビーグループである共産中国の国連加盟反対100万人委員会に加わっている。

  注)中国の国連加盟はいいとして、どうしていつのまに安保理の常任理事国になったのか、何故英米はそういうことに踏み切ったのか、疑問だらけだ。地政学的パズルゲームの結果か。

このほかマンスフィールドが議会で成し遂げた功績についても語りたいが、長くなるのでこの辺で筆を擱くことにする。駐日大使時代のことについても、ワシントンとのやりとりの公電が、情報公開法により、著者の開示要請にこたえて、公にされており、興味深いものがある。


余滴)
本書でケネディからジョンソン・ニクソンフォード大統領のアジ外交政策の推移を読み、私は、改めて1821年に第6代アメリカ大統領(当時はまだ国務長官)のクインシー・アダムズが語った言葉を思い出す。

 ”アメリカは国際社会に仲間入りを許されて以来、しばしば徒労ではあったが、常に 変わることなく、各国に心からなる友情、平等の自由、そして寛大なる相互主義の手をさしのべてきた。アメリカは、しばしば無関心と侮りをもって迎えられても、いつも、平等の自由、平等の正義、平等の権利と言う言葉を語りかけてきた。アメリカは、ほぼ半世紀にわたって、自国の独立を主張し守るとともに、唯一の例外をのぞき、他の国々の独立を尊重してきた。アメリカは、たとえそれが我が国が最後の最後まで守り抜かねばならない原則のための闘いであっても、他の国々の問題に干渉することはなかった。アメリカは、ヨーロッパ世界の・・・すべての戦いは、恐らく今後何世紀にもわたって、根強く残る権力と台頭する権力の戦いであろうと考えてきた。それがどこであれ、自由と独立の基準が広げられ、広げられるであろうところには、アメリカの心と祝福と祈りが寄せられるだろう。しかしながら、アメリカは撃つべき怪物を求めて海外に出ることはない。

・・・・アメリカは言葉の内容と自らの行動による連帯表明によって、アメリカが普遍的に最上のものと考える大義を示すのである。アメリカがひとたびアメリカ以外の旗のもとに立つならば、よしんばそれが独立の旗印であれ、自由を僭称する戦い、すなわち権益と策謀、私的な貪欲、嫉み、野望の戦いに引き込まれざるを得ないであろう。
そしてアメリカの政策の基本的原理は、いつのまにか自由から力へと変わっているだろう。額に掲げる理念の徴はもはや自由と独立の神妙なる光を放つことなく、たちまち皇帝の王冠にとって代わられ、虚偽と汚濁に輝く支配と権力の暗黒の光芒を放つことになろう。そしてアメリカは、世界の独裁者となり、もはや自らの精神の統御者たり得ないであろう。アメリカはそれをよく知っているのである”

           (1821年7月4日 ジョン・クインシー・アダムズ)



『アメリカ外交とは何か』(西崎文子、岩波新書 04年7月)は、建国期から冷戦後にいたアメリカ外交の推移を詳説した興味深い著作であるが、この中で述べられているルーズベルト大統領時代の米西戦争以降のアメリカの姿勢は、上記のアダムズの言葉とは、違う方向に動いている。もちろんマンスフィールドの書の中にあるインドシナとの関わり合いも違う動きだ。さらにいえば、周辺諸国への影響力を強めてゆく最近の中国の動きもそうだ。
上記の2冊もあわせ読むと、様々な事実が浮き彫りになり、一層興味深いものがある。


 

 
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読書『マイク・マンスフィールド(上・下)』・・・・次回の予定です

2007-04-01 | 時評
ただ今、春休みのため、しばしお休みします。4月10日頃再開いたします。
しばらくお待ち頂きますようにお願いもうしあげます。
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