(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

涼風雑感 老いしと思う老いじと思う

2018-06-05 | 日記・エッセイ
アイルランド ゴールウェイ湾の入日
涼風雑感~老いしと思う老いじと思う

   ”老いしと思う老いじと思う陽のカンナ” (三橋鷹女)

 鷹女の句は激しい情熱のようなものを感じさせる。日常を超えた詩的世界を描く。今の私の心境はこの句の表現するところに近い。たしかに体力的なこともふくめ、年をとったとつくずく思う。一方で、なにまだまだと太陽を浴びて咲くカンナの花のように情熱が溢れているところもある。うかうかと八十路近くになり、このところ考えることも関心事も少し変わって来たようにも思う。そこで、いつものように感じていることや頭をよぎることを思いつくままに、つづってみた。そしてつづり終わって、振り返りどんな変化が出てきたか探ってみようと考えた。


(これからの人生の過ごし方)

 一年前くらい、まだ50歳代半ばの男の人で中国問題の専門家を知ることになった。彼が最近、こんなことを言っている。

 ”いや~、それにしても、世の中は嫌なことばかりですね。国と国は揉めてばかりですし、各国の政治も酷いもんですし、宗教上の対立も酷いですし、トランプも金正恩も習近平もプーチンもわがままですし、日本は少子化が進み衰退する一方ですし、日本の借金は1000兆円を超えていますし、我々は十分な年金をもらえませんし、保険や税金は上がる一方ですし、世界の所得格差も広がる一方ですし、地球上では1日に4万人もの人が餓死していますし、相撲界の体質は改善されないままですし、日大はあんな感じですし、偉い人はパワハラやセクハラばかりしていますし・・・福島の原発被害も解消されぬままですし、駅では毎日のように人身事故が起こりますし、子育てにはお金がかかります。五十肩が痛いですし、中性脂肪や血糖値が気になります。疲れやすいですし、何をしても大して面白くないです。仕事もぶっちゃけ嫌いですし、とにかく我々の日常は嫌なことばかりで埋め尽くされております。・・・

でも、よくよく考えて下さい。こういうネガティブな事象ばかりに目が行くという
 思考こそが「歳をとる」という事なのではないでしょうか?
昔は世間や世界がどうなっているということなんかに気にしていませんでした。
世間よりも自分の将来や未来のことだけを考えてきたとも言えるでしょう。


そう考えると、今の自分の年齢(50代後半に突入)は自分の人生をこのまま静かに
終わらせていくのか?それとも、もう一花咲かせ、更に意義ある人生とするかの選択を迫られているような気がします。

そう考えると今の私に日本や世界を憂える余裕などありません。まずは自分ファーストです。そんなこんなで、自分の人生は折り返し地点を完全に過ぎたことを自覚しつつ、輝
ける老後への第一歩を踏み出そう、そんなことをすごく考え始めている今日この頃の私です。”

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 これには共感を覚える。つまらぬマイナス思考はやめて、もっとポジティヴに行きたい。いくら残された時間が短くても。ある人が言っている。

 ”暗いところばかり見つめている人間は暗い運命を招き寄せることになるし、
   明るく、明るくと考えていく人間は、おそらく運命からも愛されるだろう


 話は変わって俳優山崎努の生き方について。ごく最近、エッセイストの関容子さんが俳優の山崎努と対談をして取材をした。その一文が興味を惹いたので、ここに取り上げることにした。タイトルは「人はみな、不安定の中に生きている。山崎努、81歳。憑依(ひょうい)する人生の実感」 

新作映画「モリのいる場所」で仙人のように生きる画家熊谷守一を演じている。彼は97歳で亡くなるまで、ほとんど自宅の外に出かけることなく、庭の植物やアリなどの虫たちを見つている。山崎は、この画家を”僕のアイドル”と敬愛していた。

          


”人間って群れて生きる、社会を作って生きるものですから、どうやって社会とうまく折り合いを付けていくかというのが、生涯のテーマだと思いますね。外へ出るのが好きな人でも、実はどこかで不安や恐怖といった不快なものがあって、それを乗り越えてやってるわけです。人間って、生きにくいものなんだ、生きていくというのは大変なことなんだと、僕はこの年になって思うんですね。” 山崎にとって、よほど熊谷守一が気になる存在せある。

年を取ることについては、こう言う。自然体で生きている感じだ。
”「物忘れがひどくなったとか、そういうことはないけど、一昨日も孫とピクニックに行ったら全然ついていけない(笑)。全体的にトーンダウンしているんだろうな。でもそれをいい意味で利用すればいいわけです。若いころはちょっと逸(はや)ることもあるし、年を取ってからじゃないと発見できないこともある。だから、年を取ることをマイナスだとは別に思ってないですね」”

山崎はサラリーマンでもない。企業経営にかかわった人でもない、官僚でもない。文筆家でもない。俳優であるが、このジャンルの人にはほとんど出会ったこともないので、話は興味深かった。これもごく最近のことであるが『柔らかい犀の角』といういわば山崎の読書日記のような本を手にした。それを通読すると、ものすごい広範囲の乱読家である。それを通じて感ずるのは、山崎はモリカズのような仙人ではない。むしろあらゆる方面に興味を示す。そして自然体で老境を生きている、くったくのないオヤジである。ほぼ同年代。気になるオヤジ!

           
余談になるが、ジョージ・ギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』にあるように美しい自然に囲まれたカントリーで読書を愛し、読書をして過ごす、というような受け身の人生は私には似合わない。好奇心を働かせ、もっと積極的に生きていきい。

 もう一つの余談。作家の五木寛之が、ごく最近『百歳人生を生きるヒント』という本を出した。その中で、彼は10年毎にどのように生きるかということで、次のような表現をしている。

 ”八十代の自分ファースト:社会的しがらみから身を引き、自分の思いに忠実に生きる時期。九十代の妄想期:これまで培った想像力で時空を超えた楽しみにひたる時期”

なにも八十代、九十代と区切る必要もないように思うのだが・・・。この人には余生という概念があるようだ。会津八一にいわしめれば、”余生などというものはありません”。
  

(読書)

 手に取る本の傾向は、少し変わりつつあるような気がする。これまでノンフィクションが圧倒的に多く、それに海外を中心としたミステリーさらには詩歌などの本を読んできた。昨年は歴史書、それに世界の歴史についての本を数多く読んだ。世界を知らずして、日本を語るなかれ、というわけである。そして同じような著者の本に飽きてきたということもあり、これまで余り手にしたことがなかったような著書を読んでいる。いわく、『柔かな犀の角』(山崎努)、『知の体力』(永田和宏、なくなった歌人河野裕子のご主人)はそれぞれに興味深い。どちらも人間的に余り知らないので、余計興味深い。山崎努は81歳の俳優。(前出)ものすごい本読みである。「柔らかな犀の角」は。、いわば読書日記であるあが、それを読んでいると、81歳とは思えないような好奇心に溢れている。年はとっていても、若々しい。映画「モリのいる場所」では仙人のような画家熊谷守一を演じていたが、この俳優の実像はまだまだ若い。

 読書という範疇からそれるかも知れないが、テープで講演を聴くということを最近再開した。1075年~1980年代だからずいぶん前のことになるが、仏教学者の紀野一義という人に傾倒したことがある。東京は谷中に全生庵という臨済宗の寺院がある。山岡鉄舟ゆかりのお寺である。紀野はここであの長大な道元の『正法眼蔵』(95巻本)の連続講義を行った。まだ若かった紀野師による熱のこもった講演は聞く人の耳目を集めた。それに心を惹かれ、ぼうだいなテープ集を手にいれた。当時は夢中になって聞いたものである。そして正法眼蔵のもとになったのが「法華経」である。これも「法華経の風光」という連続講義がカセットテープの形になって残された。最近のメカではカセットテープをかけると、それがUSBメモリーに録音される。改めて聴いてみたいと思ってる。知識を得るというよりは心の安らぎを覚えるということである。

 本を選ぶということになると、問題はいい本屋が見当たらないということもある。とくに関西で。大阪や神戸ではジュンク堂が、数多くの本を集めおり、堂島あたりのジュンク堂にはいろんなジャンルの書籍が揃えられている。三宮のジュンク堂には希少本も揃っている。東京には丸善もある。しかし、残念ながら半日そこに浸って本を眺め、探すということになると、東京は代官山の蔦屋にしくものはない。ここには、人生を深く愉しむという観点から本だけではなく映画や音楽などのメディアも揃っている。2F にあるAnjinでは、飲み物や食べ物もあって、その上、朝からシャンパンが飲めるのである。”本が売れない”などと不満をもらす前に本読みが満足できるようなアプローチを考えよといいたい。上京したおりには、時折ここへ立ち寄る。いつも半日以上滞在して山程本などを買い込むのである。


 (宗教について)

  これからでは遅きに失した感もあろうが、宗教について勉強することも大事だと思っている。宗教を肯定するにしても、否定するにしても、十年くらいの心の戦いが必要だと言う人もいる。いや、一生の課題であろう。それだけの努力を要する人生上の大問題であり、古今東西にわたって、人間はこれを追求してきた。

 神は存在するか? 仏性はあるや否や?

無神論者であるにしても、神との永続的な対決の経験を持ったうえでの、”神の否定”でなければならない。今一度宗教書を読み直し、模索して胸にしみる箴言を書き留めておきたいと思っている。単に、紅灯の巷を遊び回るだけの人間ではありたくない。


(音楽の愉しみ)

 音楽を聴くのは、やはり生演奏がいい。先頃、東京のNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィの指揮すN馨の定期演奏会を聞いた。前から4列目の左の席。シベリウスの交響詩「四つの伝説」を聴いたときは衝撃のようなものを感じた。シベリウス特有の通奏低音が続き、そして炸裂し、咆哮する金管群。ダイナミックレンジの大きな演奏だった。パーヴォはエストニア生まれ。2015年10月にN馨の首席指揮者に就任した。これまで外国から招聘した客演指揮者はいても、首席指揮者というのははじめてのことである。N馨には、それまで定年制がなく、楽団員もだれていて適当に演奏しているとういうようなこともいわれていた。それがパーヴォが就任してから、様変わりとなった。彼が、就任する前にインタービューを聴いたことがある、詳しいことは失念したが、彼の迸るような情熱ならばきっと新鮮な響きをもたらしてくれるだろうと感じた。その期待にパーヴォは応え、首席指揮者としての契約は2021年8月まで延長された。機会があれば、彼の得意とするマーラーの作品を聴いてみたい。

ベルリン・フィルの首席ヴァイオリン奏者である樫本大進のことは、コラム「風の音」でふれたので省略する。この秋、10月に彼の主催するルポン国際音楽祭が赤穂市などで行われるので聴きにいく積りである。

この他最近注目しているのはユジャ・ワンという中国系のピアニストである。ツイピを趣味にしている人から教えてもらい、この一二年演奏を聴いている。ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールで演奏風景を見ながら聴くことができる。最近もキリル・ペトレンコの指揮でプロコフィエフのピアノ協奏曲3番を聴いた。実に若々しく、エネルギッシュで超絶技巧の曲を軽々と弾きこなす。それでいてリリシズムをも感じさせる。日本のピアニストでは、こうは弾けない。来日することがあったら、ぜひ聴きに行きたいピアニストである。

          


(食事の愉しみ)
 いわゆるグルメではないが、美味しいものを食べたいという欲求は強い方である。かといって、ステーキにフォアグラを乗せた料理とか、ウニのだしで魚介をしゃぶしゃぶするとかというような珍奇な贅沢料理には余り興味がない。素材を大事にして、もっと単純に食べさせてくれるのがいい。外で食事をする、とくに旅先の宿で食事を愉しむということになると、朝食の充実しているのが望ましい。ところが、これがあまりない。

     

上の写真は九州は日田にある宿(「風早」)の朝食。いつも満足。これに会津の定宿「芦名」のいろりばたでの朝食も間然とするところがない。酒処福島の酒「国権」を口に含めば、朝から陶然とする。両者に共通するが、味噌汁と漬物がうまい。他の宿では、なかなかない。

レストランや料理屋を選ぶのに重視しているのが、味は当然だが客あしらいのよさ。これが意外に問題がある。京都であるたいそう評判の店でに友人を案内した時、カウンター10席ほどの小さい店であったが、料理人は無愛想、一言も発しない。そういうときでも、女主人が愛想よく応対してくれたらいいのだが、これも愛想が悪い。料理を食べていても”うまいなあ”と言う気持ちにはなれない。この客あしらいの点で問題があるところが少なからずある。笑顔一つで印象が変わるのに・・・。

 作家の柏井壽(ひさし)さんが、最近『グルメ嫌い』という本を出した。”料理人の矜持に欠けた店”、”インスタ映えで口コミサイトに投稿するブロガー”などなど。料理人もマスコミも、また私たち客そのものも、大いに反省するべきところである。そんな彼が、例外としてとりあげたのが、京都駅近くの<燕(えん)>と、四条烏丸近くににある<和食 晴る>。どちらも程よい価格で美味しい料理とお酒を楽しめる。

京都の御池通から富小路に沿ってあがってゆく(北へゆく)と二条通を西へ曲がったところに<二条葵月>という夫婦ふたりでやっている小体な割烹がある。最後に鮨がしめにでるコース料理だが、季節で内容も変わるのでなかなかの味である。食事が終わって外へ出ると、主人かあるいは女将さんが見送りに出てくる。そして深々と頭を下げるのである。こういう店は余り知らない。まさに余情残心!


(健康について考える)

 このところの関心事は、なんといって健康の問題である。幼い頃から頑強ということなかったが、余り病気はしてこなかった。しかし、体力・筋力の衰えは如何ともしがたい。さらに血液検査をすると色々な数値が上昇しつつある。ごく最近では血糖値HbA1cが上がり始めた。放置して置くと、糖尿病にもつながるし、血管もダメージをうける。中性脂肪の値も高い。かかりつけのドクターは”基礎代謝がすくなく、摂取カロリーが多い”という。ところがご飯を茶碗の半分、あるいは朝のトーストをパン半切れにしても、なかなか事態は改善されない。再び、聞いてみると食事の後に甘いものを、ちょっとと言って口にいれてませんか”、という。それで二ヶ月近くまえから、甘い物をぴたりとやめた。はじめの一週間は、まったく甘い物を口にしなかった。砂糖も。植物由来の甘み成分であるラカントに切り替えた。それから紅芋酢という国産の紅芋からつくった酢を毎朝飲んでいる。ポリフェノールの一種であるアントシアニンを豊富に含んでいる。二ヶ月後の血液検査が楽しみである。

 昨年の秋に彦根城を訪れた。上へ上へと登ってゆく。それはいいのだが、天守閣の急な階段を上がるにに一苦労した。とてもじゃないが、山登りはできない。しかし同年代で、未だに北アルプスに登っている仲間もいる。一種の筋力とトレーニングをすることも必要かも知れない。それは、ともかく年を重ねてから、体が硬くなっている。いつも定期的にメンテナンスにいくスポーツマッサージの先生に、すすめられてスペシャリストにストレッチを定期的にしてもらっている。行くと、一時間位かけて足の先からふくらはぎ、太腿四頭筋から股関節、肩関節、首周りと伸ばしてもらう。これが終わると、なにか体がスッキリして柔らかくなっている。プールで泳いでも、クロールの時、すうっと前へ伸びるように進む。ずっと続けることにしている。

そうそう食事のことを忘れていた。いつも生野菜はドレッシングをあれこれ変えてサラダにして食べる。それから、朝食や昼食では、カレーライスをよく食べる。カレー粉に含まれているタメリックやクミンなどは認知症対策にいいとか。美味しいので食べ過ぎることがあるので、要注意だ。


  
(旅の愉しみ、行きたいところ)

 伊那谷のこと。一年ほど前に「旅にでかけよう」というエッセイを書いた。(170210)その時のこととは全く違っている。そう、気分はころころ変わるのである。わがまま勝手はお許しいあれ。
”二三日、シドニーに行ってくる”というような言葉を残して飛びだつことはあっても、基本的には国内の旅に限る。それも何故か中央アルプスと南アルプスにはさまれた伊那谷あたりへのドライブをしたい。

 伊那谷の南アルプスをのぞむ遠山郷・下栗の里は、高速道から離れ国道152号線の狭い山道を登ってゆく。目の前に展望が開け、遠景に南アルプスの峰々をのぞむしらびそ峠につく。そこからしばらく走ると下栗の里につく。標高800から1100メートルの、最大斜度38度の斜面に畑や家が点在する。中央道を走っていて、ふと目についたところである。

ここだけではない。伊那市から東に行けば桜で有名な高遠町がある。高遠城址は春になるとコヒガンザクラで埋め尽くされる。伊那路の中央には飯田の町がある。ここには横山大観とならぶ日本画家の菱田春草を主軸とする飯田美術博物館がある。そして、なぜか私は「いいだファンクラブ」の一員になっている。それから高遠から152号線で南下したところの長谷に素晴らしい山岳写真ギャラリーがある。津野裕次という山岳写真家がいて、2009年からずうっと中央アルプスや南アルプスの写真を撮りつづけている。彼は伊那市長谷にフォトギャラリーを開いている。山好きの私にとってはこたえられないような写真が展示されている。もちろん星空の写真も。津野さんは1946年生まれ。まだお元気だ。出かけていって話をしてみたいと思っている。

     
 


 最後に伊那谷ではないが、奥会津は大沼郡三島町にある霧幻峡にはどうしても行かねばならぬ。奥会津を愛し、只見線の復活に奮闘している写真家星賢好さんとは、たまたま東京の表参道にある秋山庄太郎写真芸術館で出会った。秋山は花と女性のポートレートを得意をした。いかに女性の写真を撮るのか、その秘訣を探りたくて出かけたのだが、たまたま会津の写真展があり、その写真を撮っていたのが星さんであった。彼が生まれた三島町にある霧幻峡に面して可愛い石のお地蔵様がおかれている。村人は季節にあったちゃんちゃんこを着せる。このお地蔵様については、以前に「私の愛するお地蔵さま」という記事を書いたことがある。(2014/10/13) 最近、このお地蔵さまの横にベンチがおかれるようになった。そのベンチに座って、来し方行く末を思いめぐらしてみたいと思っている。

         



(着物のこと)

 年のはじめの頃、久しぶりに着物が着たくなった。京都の行きつけの店にゆくと、着物姿で現れる女性が少なくない。着こなしも上手である。それもあって、着物部というグループができ、時折連れ立ってあちこちの庭園などにでかける。無鄰庵とか、また時には貴船とか。夏ならば浴衣がけで祇園祭を楽しんだり、花街のひとつ上七軒で浴衣パーティをしたりする。それもあって、若い頃に誂えた大島紬(泥染め)をひっぱり出してみた。そうするとあちこちにシミや汚れがでていたので、専門のクリーニング屋にお願いして、洗ってもらった。これで一安心と思った。ところが、京都コンサートホールでの音楽会に、仲間と連れ立って着物姿で行こうということになり、たとう紙からだしてきてみると、サイズが合わない。袖丈が短い、背丈も短い、それに前身頃もあわない。ということで、”えらいこっちゃ!” そうしたら、これをちゃんと作り直してくれるお店があった。10日ほどかけて完璧にサイズをあわせてくれた。で、京都まで意気揚々と出かけた次第。
この頃になって、暑くなったので、夏用のを拵えることにした。お店の常連に着物の製造卸の人がいて、また生地の反物を見立ててくれるひとがいて、さらに縫ってくれる人までいて、小千谷縮で夏の着物を製造中。これを着てゆくところも、ちゃんと設営ができている。一力のお茶屋、白川沿いにある白沙村荘でのお茶会、御苑か青蓮院での着物撮影などなど・・・。いそがしいことである。



(色遊びについて)

 「色遊び」が好きである。と言っても、色事のことではない。『日本の色辞典』という本がある。生家「染司よしおか」の主人にして染色家の吉岡幸雄さんの著作である。1980年代に志村ふくみさんの植物染と出会っていらい、染色には興味を持っていた。水彩画を習うようになってからは、水彩絵の具を混ぜ合わせていろんな色を創り出すことに興味を持った。

 ところで利休鼠という日本の伝統色がある。茶色に緑がかったような色である。

     

江戸時代の言葉に「四十八茶百鼠」という言葉がある。贅沢を禁じられた江戸の職人が試行錯誤し、色の中に微妙な色調を生みだした、「茶色系・鼠色(灰色)系」の染色のバリエーションを指す。当時、着物に関して庶民が身につけられるものは、柄や色、生地まで細かく厳しい規制がなされ、生地素材は「麻・綿」、色は「茶色・鼠色・藍色」のみと限定されたが、「他の人とは違うものを着たい」という欲求は今も昔も変わず、色の中に微妙な色調を生みだし楽しむ日本人ならではの美意識から「四十八茶百鼠」などの落ち着いた渋い色が多く生まれている。その中に利休鼠という色がある。ご存知の北原白秋の詩に「城ヶ島の雨」というのがあり、それがよく歌われる歌になった。その中に、”利休鼠の雨が降る”という一節がある。

  ”春の富士利休鼠の雨の中” (ゆらぎ)

という駄句を詠んだこともある。渋い色であるが、心に留まっていた。先ごろ、仲間の絵画展(光彩会)があり、足を運んだところ、銅版画の背景に似たような色合いの絵をみつけて嬉しくなった。実に味わいが深い。野禽の姿と背景の色がよくマッチしている。作者に聞くと、何度も刷りを重ねて、ようやくこの色に達したとか。 山崎努の本の表紙も利休鼠の色に近い。

          

     
 また紅花に色についても興味を抱いている。山形から最上川経由、京都に運ばれ紅の原料などになった。寒中につくられた紅は色が冴えるので寒紅と称され若い娘たちの人気になった。指す指は薬指、それを紅差指という。

  ”寒紅をさす言ひたきを言ひ尽くし” (鷹羽狩行)

この紅の花は、半夏生の咲く頃、一輪花をひらく。そして次の日から次々と咲いていく。その地のその紅花の色をこの目で確かめたいと、いつの日か山形の紅花の畑に行ってみようと思っている。それが、不思議な縁で山形は河北町の出身の女性と知り合うところとなり、紅花の開花情報をつぶさに教えてくれた。今から、楽しみである。

 吉岡さんの『日本の色辞典』には、209色にもわたる日本の伝統色のことが詳しく記述されている。中国から古代日本にわたる色の起源やそれにまつわる歴史なども詳述されている。色を辿る旅を続けて行きたいと思っている。



(これからしたいこと)

 できることならば、家を一軒建てたい。それも広々として樹々に囲まれた家を。そこに専用のキッチンを設けて料理をする。そして友人たちを呼ぶ。時には皆で楽器を持ち寄ってアンサンブルを楽しむ。この六甲アイランドは外国の人が多いので、声をかけて国際交流をする。またネパールなどから働きに出ている人も少なくないので、彼らを招いて親睦を深めたい。
 
 英語の原書を速読できるようにしたい。司会者にして書評家でもあった児玉清さんは、ミステリー好きが高じてほとんど新刊本を原書で読んでいた。今でも読めないこともないが、速度が遅い。もっとさあっと原書や英字新聞の記事などを読めれば、世界が広がると思う。

 それから奈良についての紀行文を書きたい。昔の学生は和辻哲郎の『古寺巡礼』や 会津八一の『自註 鹿鳴集』を携えて古都奈良を旅したものである。また戦後ならば白洲正子の本『十一面観音巡礼』などを携える事があったかも知れない。しかし、これらは寺社仏閣や仏像のことなどに詳しいが、いわゆるガイドブック的な旅の案内書ではない。写真もあまりない。それで自分の目で確かめ、歩きまわって、時折の詩歌も入れたような味わいのある紀行文を奈良について書いてみたい。いくつか資料も溜まってきた。これからも書き足して完成させたいと思っている。


    
(別れのことは、まだ先のこと)

 ”美しき死に方なども語りあひ 哀しく笑みし夜半を忘れず” (吉井勇)

 まだ死に方のことなど語る気にならない。苦しまずに死ぬのにはコブラの毒がいいらしいと聞いた事はあるが・・・。というわけで、バケットリスト絡みで最後の恋についての言葉を紹介して、この長文を締めくくることとする。

 以前に映画『ザ・バケット・リスト~最高の人生の見つけ方』というのをこのブログで紹介したことがある。主人公はモーガン・フリーマンとジャック・ニコルソン。そのニコルソンが来日したときに、会見でこんなことを言っていた。

 ”Q: 今でも恋はしていますか?

  A:もちろん!今、人生最後の大ロマンスを探しているところだからね。この前も
   素敵な女性に出会ってね。今でも、素敵な出会いがあった夜は、プッチーニを
    聞いてしまうんだ”
このプッチーニの音楽ってなんでしょうね。「寝てはならぬ」でしょうか。マリオ・デル・モナコの絶唱があります。



 ながながと話をしてきたが、これからは今までと違う人生が私を待っているような気がする。そんなことを考えながら、この文をつづってきたが、最近のなって90歳をすぎても現役で活躍している人のことが頭をよぎった。まず最近マレーシアの首相になったマハティール氏。その国の行く末を思う時、今やらねばと立ち上がった。7月で御年94歳。それから、アメリカ最強最高の投資家として有名なバークシャー・ハサウエーを率いるウォーレン・バフェットは近く88歳。砂糖のたっぷりはいったチェリーコークを朝から5杯も飲んで未だに陣頭指揮に努めている。その上をいくのが、チャーリー・マンガー。バフェットの右腕にして左脳といわれている。彼も食べたいものを食べて運動に気を遣うこともない。この8月で94歳! いやあ、負けるわ!





      ~~~~~~~終わり~~~~~~~~~







コメント (4)
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