(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書 『手紙歳時記』

2013-01-26 | 時評
読書 『手紙歳時記』(黒田杏子 白水社 2012年11月)

 
 印象に残るエッセイを残した歌人・俳人といえば、上田三四二、飯田龍太の名をまず挙げねばなるまい。上田三四二の「私の人生手帖」、飯田龍太の「遠い日のこと」そしてもちろん「飯田龍太全集」の中の第3巻、第4巻の随想など。

 この黒田杏子(もも子)さんの本は、これらの本とは趣が違い、新しいジャンルを開拓した感じがする。俳句の本ではない、俳句を縁の糸として交流した人々との交遊録である。

 黒田杏子(ももこ)さんは、日経俳壇の選者の一人で、毎週その記事をみては彼女の選句と講評になぜか共感するものを覚えていた。彼女は山口青邨に師事した俳人であるとともに、広告代理店大手の博報堂の「広告」編集長という別な顔をもっている。その編集の才、そして文才も十分に発揮されたものである。巧まずして、語るがごとく文章がなめらかに滑ってゆく、そんな感じのエッセイで埋め尽くされている。

 ではその一部を見て見よう。

 冒頭の「敢然と立つ波の上」は、86才現役の磯見漁師斎藤凡太さんの手紙から始まる。出会いは、新潟出雲崎での句会「渚会」であった。そこで、凡太さんはの句は、選者黒田杏子が三重丸をつけた特選句となった。

  ”間引き菜や妻も間引かれ石の下” (凡太)

この句を選ばれての凡太さんの挨拶が紹介されているが、”妻をなくした今の実感と語る”と言う。 そこから凡太さんは、著者が選者をしている新潟日報の俳壇に投句するようになり、十余年に渡って黒田杏子は、凡太の俳句を見つめ、交流を続けてきた。彼を見つめる眼差しのあたたかさが感じられる。

 アメリカの女性外交官、アビゲール不二さんとの出会いが語られる。縁あって指導をすることになった静岡県沼津の「沼杏句会」に、たった一人でやってきたアビゲールさんは、句会に英語と日本語と二つの言語で書いた俳句作品を投句する。選句もして、句会のあとでは質問までした。”スタートまもない「沼杏」の句座に鮮烈な風が流れこみました”
ここから黒田とアビゲールさんの手紙(封書 なんと鳩居堂白い和紙の縦書封筒))によるやりとりが始まり、それはひと月に2時間の俳句特別講義へと発展した。そして18回に渡った内容は一冊の本にまとめられ、2006年に『The Haiku Apprentice』(ストーンブリッジ社)として出版された。中野利子さんによる邦訳『私の俳句修行』(岩波書店)がある。黒田は、自分より20才も若いこの句友の作品から”私の大好きな句”として次の作品を挙げている。

  ”子の靴に足入れてみる夏の果” (アビゲール不二)


 西鶴研究者として著名な暉峻康隆(てるおかやすたか)氏との書簡の往復によるやりとりは愉快、愉快!出会いは、東大赤門前の法身寺で開かれている句会「東京あんず句会」の会場。一葉忌ででかける。 ”二階の小座敷に上がってゆくと、先生はしきりに手帖になにか書き留めておられます。「ああ、クロダモモコさん、存じ上げていますよ。杏っ子と書くモモコさん」”その席で、先生は茶碗酒をぐいっと呑みながら句を詠んでおられるのす。”この先生と書簡の往復による両吟半歌仙の様子が述べられる。やりとりのうちに、「花咲かおばさん」と題する人物評までうける。そのうち、現代俳句大賞の贈賞式に招かれ、このテルオカ大老にエールを贈るスピーチをする。

 ”大宗匠より、常に心に命じて行動せよと命じられておりますことをお伝えいたします。☆仕事は十年単位で取り組むこと ☆俳句しかわからないケチな人にならないこと。☆歳時記は一つの手がかり。・・・脚をしっかり使って、身体を動かして、季語という国民的文化遺産を自分の血肉としてゆく努力を俳人は積み重ねるべきです。☆長生きの秘訣すなわち日本酒のたしなみ方。①上等の酒を ②常温で ③上品に” テルオカ先生大喜び。問題は、そのあと先生が、”現代俳句協会は貧乏なのかね。賞金が少ない”とつぶやく。これには、モモコさんは、カッとなって先生をなじる。じつは裏があって、テルオカ大老は賞金を沖縄の大田知事にカンパされている。この話を金子兜太から聞いたモモコは、自宅から大宗匠に電話。”私は自宅で電話の前にひれ伏していました”先生からの最後の葉書は、黒田杏子の主宰する結社誌「藍生」の雑詠投句の用紙。

  ”大雪で韋駄天杏子立ち往生” (暉峻桐雨 九十四歳)


「蒼い目の太郎冠者 ドナルド・キーン」との交流も香り高い。

  ”罪もなく流されたしや佐渡の月” (ドナルド・キーン)

 しばらくして、黒田杏子は同人誌「件」(くだん)を創刊する。そしてメンバーが五万円ずつ出しあって、すぐれた句集や評論を対象に賞をだすことになった。第一回の「みなづき賞」は中村草田男俳句を世に遺すことに尽力した「萬緑」代表とその刊行委員会に行った。そのうち「件」主催の講演会にキーンを招き、かつ「みなづき賞」を授賞する運びとなった。キーンは、「ドナルド・キーン著作集」や「おくの細道と日本文化」など精力的に講演活動を行なっている。贈賞式では、金子兜太や芳賀徹がお祝いの言葉を述べた。この間の手紙の往復がつぶさに紹介されている。

 榊莫山、瀬戸内寂聴との交流もまた心あたたまるエピソードである。 昭和の終焉と同時に師の山口青邨が亡くなり、そのあと青邨の精神を受け継ぐ形で、黒田は新しい俳句結社を興すことを決意する。その俳誌の表紙を飾る書「藍生」を榊莫山にていねいな書簡を送って依頼する。そうしたのは瀬戸内寂聴のアドバイスによったものである。折り返し莫山から黒田の創作集団を作るとする考え方を支持するとの封書が届き、その数日後「藍生」という二文字が5タイプ、色紙に墨書されたものが届く。その御礼にと黒田は三重県名張にある榊莫山の自宅を訪れる。その日の喜びが書かれた一文は、著者の感動に溢れたもので、印象に残る。

  ”かきくわりんくりからすうりさがひとり” (寂聴)

 最終章では、歌人鶴見和子との出会いと交流が語られる。、そして対談の相手として望まれたが、黒田は”鶴見和子と黒田杏子では本になりません”と断り、金子兜太との対談を提案する。対談のあと金子兜太先生は、すっかり和子ファンになり、「姉御としての和子さん」と讃える。そして鶴見和子なき後、鶴見俊輔・金子兜太・佐々木幸綱、の三人による『鶴見和子を語る』という本を黒田がプロデュースする。さらに鶴見和子の忌日を「山百合忌」として毎年開催している。黒田杏子はこの「山百合忌」の名付け親であり、司会・進行をつとめている。この交流は、藤原書店刊の『われの発見』(社会学者鶴見和子と歌人の佐々木幸綱の対談)を読んだ黒田が、一枚の読者カードに感想をしたため、著者の鶴見和子に送ったことから始まっている。たった数行の読後感がはじまり。

 世に知られた人たちだけでなく、名も無き市井の人々との交流もあり、人とのつながりを大切にする人だという印象が残った。こういうエッイの書き手と出会えたことはとても嬉しいことであった。





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気まぐれ日記~わが町2012年

2013-01-22 | 時評
わが町2012年

 ここ六甲アイランドは、人口約18000人の小さい町ですが、そのデザインコンセプトを描いたのが、私の好きなそして尊敬する設計家の宮脇檀(まゆみ)さんです。残念なことに、亡くなってしまわれましたが、この緑溢れる町並をを散策するたびに宮脇さんのことを思い出します。詳しいことは2007年1月に書いた記事「男の生活の愉しみ」をご覧ください。

 この小さな町にも、2012年はいろんな動きがありました。
まず、「K-POP」がやってきました。以前子供の遊園地だったところの跡地に仮設のスタジアムを作って、大音響のライブがあり、チケットを握りしめた若い子がぞくぞくとやってきました。その数、なんと2万人。結構な入場料ですが、どこ吹く風。不況など関係ありません。六甲ライナーも何時間にもわたって満員で人が溢れていました。

そしてなんといっても目玉は、「神戸レディースフットボルセンター」の開設です。12月にオープンしました。FIFA女子ワールドカップ(なでしこジャパン)に7名の選手を送り出したINAC神戸レオネッサの専用グランドです。夜間照明設備もある立派なものです。ちまたの噂では、サッカースタジアムの建設も議論されているとか。



住宅エリアをとりまく、小高い緑の散歩道<シティヒル>の外側は物流拠点や港湾設備、お菓子の工場などで占められていますが、ここの集配拠点の屋根、2万平方メートルの屋根に太陽パネルを設置するとの計画が動き出しました。太陽光発電が実現するとすると嬉しいですね。


地域の西のエリアに、元のラグビーグラウンド跡地を利用したアパート群がいくつか建設されました。相当な数の若いファミリー層が増えました。近くの小学校は入学してくる子供の数が増えて対応に大童です。先頃の総選挙では若いお母さん方が子育て支援に積極的な「みんの党」を応援したようで、結構多くの支持を得ていました。


島の中にあるシェラトンホテルで温泉掘削が始まりました。今年の春には源泉が湧きでて、一般の人にも開放するそうです。本当に湯がでるかな、といぶかる人もいますが、この島より少し西の方にある埋め立て地区の脇の浜では”なぎさの湯”という天然温泉が出ています。ここでもきっとお湯が出るでしょう。



そしてフィナーレ! われらのエリア(イーストコート7番街)に狸がやってきました。信楽の狸です。だれか奇特な方が、竹林の一角に狸の焼き物を置いたら、しばらくして、それではさみしかろうと、もう一匹増えました。私も、信楽へドライブして、もう一匹増やしてやりたいな、などと思案しています。


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映画 『レ・ミゼラブル』異聞

2013-01-18 | 時評
映画 『レ・ミゼラブル』異聞
 
 『レ・ミゼラブル』観てきました。どうして見に行ったか? それは、ラッセル・クロウの演技を見たかったからですよ。2000年の「グラディエーター」でアカデミー賞主演男優賞を獲ったラッセル・クロウは渋いですね。剣闘士役のラッセル・クロウがことのほか格好良くて、その映画を見た後、私は家に帰ってから、わがパートナーに宣言しました。”これからしばらく無口でいるぞ”と。しかし三日と続かず、笑われました。それから天才数学者を描いた「ビューティフル・マインド」もよかったですね。

この映画は、1985年にロンドンで制作されたミュージカルの映画版です。ご存知ヴィクトル・ユーゴーの大河小説に基づいています。日本では、豊島与志雄訳の岩波文庫版がありますが、この本は、ボランティアの方々のお陰で電子版(青空文庫)でも読むことができます。

 さて映画は2時間45分にわたる大作です。せりふはなく、すべて歌でカバーされています。イヤホンから流れるピアノの生演奏にあわせてキャストたちが歌を歌い上げ、あとでそれにあわせてオーケストラの伴奏がつけられたそうです。だから生の臨場感があります。劇場版のミュージカルでは得られない迫力を感じました。キャストは全員オーディションを受けて選ばれたそうです。ジャン・バルジャン役のヒュー・ジャックマンは好演してました。それからマリウスを慕うエポニーヌ役のサマンサ・バークスは歌も演技も良かった。主役かなと思うくらい。一口でいうと、ミュージカルとは違った魅力があります。一見の価値ありです。

 ここから少し横道にそれます。映画をみている間、私はただひとつのことだけを考えていました。それは、わずか一切れのパンを盗んだがために、そして脱獄をくり返し19年の刑をうけたのですが、仮釈放されてもその身分証明書には”危険人物”と書かれ、しかも毎月監督署に出頭しなければなりません。そんなジャン・ヴァルジャンを警視ジャベールは執拗に追いかけるのです。なぜそんなにしてまで、追いかけるのか? もっと巨悪がいるのではないか、凶悪犯もいるだろうに、と疑問と憤慨を感じながら見ていました。

 恐らくユーゴーは、それを物語のなかの一つの主題に据えていたのでしょうね。「法こそ正義」に対するアンチテーゼを提起していたのではないでしょうか。

 上智大学のアーカイブのなかに「人間学紀要 ゆるしと人権:シェークスピアの「あらし」より」という文献(和泉田健治)というのがあり、そこの中に次のような一文を見つけました。

 ”立派にして厄介な法治主義の権化の姿を、より理解する上で参考人物とし て見るのに  ちょうどよいのがある。フランスの小説例になるが、大陸法の性 質を知る参考になる。 法 治主義の悟性的硬直は「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを追い詰めるパリの 警視ジャベールのその典型を見ることができる。

 彼は、人を尊敬する時は、ひたすら尊敬する。犯罪者が立ち直って市民生活 に貢献でき るようになることなど想像することができない。犯罪者は犯罪者である。一つの法を犯  したものは、次の行為において、罪を犯すのである。 単純な合理論であり、独断論であ る。法の体系があり、それに従うものと、それからはみ出した粉砕するべき違反者がいる のみである。疑いだすと、彼 の目つきは果てしなく疑惑を含んだものとなる。硬直し、 柔軟性を欠いたと き彼のすべてが崩れ去ってしまい、セーヌ河に身を投げて自殺してし まう。 他人も自分も許すことを知らない彼には、法治主義という因果律的世界の外部  がとてつもない恐怖を持って感じられたからである。ここの個人的にのみ道徳的であろ  うとする魂のあり方の限界が見てとれる。”


ここで法治主義の議論をしようという訳ではありません。問題は、法が常に正しいか、時代にあっているかとうことであります。すこし難しい話になりましたが、しばし辛抱してお付き合いください。

 先年ワシントンを訪れたとき、トーマス・ジェファーソン・メモリアルをに足を運びました。彼は、独立宣言の起草者で、建国の父と言われています。このホールの中の壁にはジェファーソンの言葉が彫り込まれていて、それをみて深い感銘を受け、しばし立ち尽していました。南東の壁、パネル4には次のような言葉が刻まれています。



 "I am not an advocate for frequent changes in laws and constitutions , but laws and constitutions must go hand in hand with the progress of the human mind. As  that becomes more developed, more enlightened, as new discoveries are made, new truths discovered and manners and  opinions change, with the change of  circumstances, institutions must advance also to keep pace with the times. We  might as well require  a man to wear still the coat which fitted him when a boy  as a civilized society to remain ever under the regimen of their barbarous ancestors"


 すこしかんたんに言えば、法や憲法は人間の知性(人間の心)の進歩と共に 、また時代にあわせて進歩しなければならぬ、と言っているのです。

 旧来の陋習を守っているだけでは、進歩がありません。法も同じ事です。東京地検特捜部という司法の現場にいた郷原信郎氏が、『「法令遵守」が日 本を滅ぼす』という本を書いています。まだ詳細に読んだ訳ではありませんが、”社会の実態と乖離している現状を放置したままで、法令遵守を強化しても、結果は社会に弊害をもたらすだけに終わる”と主張しています。(なおこ れはコンプライアンス不況に関する主張で、レ・ミゼラブルに出てくるよう なふつうの刑事犯罪のことを言っているのではありません。)

 映画をみながら、あれこれ考えていました。もっと素直に音楽を、物語を楽しまないといけませんね。春になったら、デンゼル・ワシントンの映画「フライト」が公開されるので、今から楽しみです。


(文中余滴)

この本が出版された時、ユーゴーは海外旅行に出かけていました。本の売れ行きを心配したユーゴーは、ただ一字の電報を出版社に打ちます。”?” これに対し出版社もただ一文字”!”との電報を返電したのです。”どや?売れてるか”、”もう売れて売れて”という訳です。” 余談ですが、日本で一番短い手紙は、昭和47年の南極越冬隊員にあてた妻からの電文”アナタ”、と言われています。

 ”消息は一行にしてこと足らむ思いは文字に書き難きかな”
                        ー吉井勇
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気まぐれ日記~シドニーの友人から

2013-01-13 | 時評
気まぐれ日記~シドニーの友人

 シドニーに住む友人とクリスマスカードなどをやりとりしてうちに、もう少し詳しく近況報告をしようや、ということになりました。彼から最近届いいたメールには写真が添付されていました。メールのタイトルは、"3 Great Photos”とありました。

 友人の名は、ドクター・ラリー・ウィットマン。ノースシドニーのニュートラル・ベイに住み、カイロプラクティックのクリニックを開いています。

余談ですが、カイロプラクティックは代替医療の一つでです。WHOによって認可されています。病気の原因が脊椎などの椎骨の歪にあると考え、その歪を調整するものです。カイロプラクティックを資格として法制化しているのはアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、そしてEU諸国など40か国です。日本はクリニックはありますが、公的資格は認められていません。


 ラリーさんは、カナダから移り住んだひとでカイロプラクティック専門大学の資格をとっています。1990年代の初頭にシドニーに住んでいた私達は家族ぐるみでラリーさんのお世話になり、腰痛などなおしていただきました。ラリーさんは、子供がいなかったせいか我が家の娘をとても可愛がっていただき、そのこともあって随分親しく交流させていただきました。日本に戻ってからも長男の抱えていた疼痛の問題で、国際電話をかけてアドバスをもらうということもありました。

ラリーさんは何年もまえに長年一緒だったパートナーと別れ、独身を通してきましたが、昨年めでたく美しいご婦人と再婚をはたしました。写真は、二人でバリ島にハネムーンに行った時のものです。可愛くてチャーミングですねえ。

それから昨年11月に新しいハーレー・ダヴィッドソンを手にいれたと言ってきました。それがもう一枚のもの。排気量1300ccのVrod ナイトロッドスペシャルです。私もハーレイに乗らせてもらったことがありますが、エンジンをかけたときのドッドッドッと響く重低音には魅せられます。





 こんな年になっても人生を楽しんでいる彼のかっこ良さに、以前(2008年7月)みた映画『バケットリスト』を思い出しました。”人生のグランド・フィナーレを豪勢に過ごそうぜ、人生を楽しむに遅すぎることはない”と言うエドワード(ジャック・ニコルソン)のせりふを引用して、ラリーさんへのメールを締めくくりました。

 "You only live once, So why not go out in style"







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俳句/読書 『句会で遊ぼう』

2013-01-09 | 時評
俳句/読書 『句会で遊ぼう』(小高賢 幻冬舎新書)

 ”俳句でもやろうか”と言ってしまった顛末(てんまつ)記。いやはやまったく愉快な本です。句会の実況中継というカテゴリーに属する本といえば、小林恭二さんの『俳句という遊び』それに『俳句という愉しみ』がまず頭に浮かんできます。かなり衝撃的な本でした。(詳しいことは、2007年7月に、このブログに書きましたので、ご覧ください。 俳句仲間からかなりの反響を集めました。)



ただこれはプロの俳人たちが集まった句会でした。俳句の素人が集まり、酒を酌み交わし、うまいものを食べながらやるとどうなるか、その様子を紹介したものが本書です。といっても並の句会ではありません。そのメンバーの名前を見るだけも楽しいのです。宗匠小高賢(こだかけん)は歌集『本所両国』で若山牧水賞を受賞、また講談社では本名鷲尾賢也で編集者として活躍。文章も楽しく、うまい。彼の文は次々に読んでみようという気にさせる。そして何よりもこの句会が始まった発端は、東京農大名誉教授にして食のエッセイスト、小泉武夫です。本当に彼の文章は秀逸ですね。ピュルピュル、チュルチュル、コクリンコなどなど擬声語がふんだんに溢れる<食あれば楽あり>などを読んでいると、ついその料理を作って食べたくなってしまうのであります。

その小泉先生を囲んで、3~4ヶ月に一度うまいものを食いつつ酒を呑む会がある。気のおけない編集者、新聞記者あるいは食品業界の小泉ファンなどなど。最近は、数人の女性陣も参加してワイワイガヤガヤ。それが、そのままのスタイルで句会をやることになった。”たしかに清遊というスタイルもあるだろう。しかし、飲みながら、食べながらの合評は得がたい時間である”


「俳句と短歌は似たようなものではないか」という乱暴な意見から、小高賢が宗匠役。といっても、もしドラの高校野球部の女子マネージャーの様なもの。中心となる指導者がいる訳でもない。まったくのアマチュアが、俳句でもと悪戦苦闘した句会の実況中継である。句会は、宗匠がその場で席題を出し、ひとり5句を即吟するスタイル。その中からいいと思う句を3句、ひどいと思う句(X印)を1句選ぶことになった。

すこし長くなった。早速句を見てみよう。
両国のうなぎや「両国」で開かれた第一回の句会。白焼きに山葵などをからめそれを肴に酒を呑みたい面々。そこでX印を披講された句、

 ”燗酒を干して気がつくひながかな”
 ”八重桜年増おんなのうとましさ”

”1句目は、昼間から酒を呑んでいる。まだ陽が落ちていない。長時間呑んでいることになる。これは小泉さん以外にないだろうと、作者がすぐに分かってしまう。にもかかわらず小泉さんに同情はなく、事実を平たく述べられているだけで、これが俳句とは思えないとの酷評が出る” 実況中継ができない程の激しさ。口から先に生まれ出たようなメンバーばかりなので、”大量の塩と辛子が塗りこまれる。にもかかわらず”またやりましょう”との小泉さんの声。これが泥沼の始まりだ。

 ”コミュニケーションの潤滑油としての俳句。そういう側面を私たちの世代はもっと重要視してもいいのではないか” ”終わったら酒が飲める。みんなと話ができる。そういう楽しみがあると、句会はつづく。そのうち「俳句でも」から「でも」がなくなり、俳句が手放せなくなる。


 ”出勤をやめろやめろと百日紅”

句会がつづくにつれ”「俳味」の有無が作品評価にも幅を利かせてくる。この句はたしかに現実的すぎる。粋もない、色気もない。俳句はそういう日常をどこか超越しているものではないだろうか。これは短歌的だ。おそらく宗匠の作に違いないと糾弾されてしまった”

2ヶ月の一回のペースで開かれている句会の3回目で、ひとりでx印を五個も食らった句が出た。

 ”不倫かな老いも若きも船の旅”

俳味もなく、しかも詠嘆の助詞「かな」の使い方がおかしい。不倫であろうと、恋愛であろうといいではないか。邪推や年寄りのジェラシーがいやらしい。まさに散々であった。x印は三。この作者はほかにx印二の句があり、計五個
のx印。

      ~~~~~~~~~~

 こんな句を見ていると、この句会は大した事はないように思われるかも知れない。しかし続けているうちに、そして女性陣など新メンバーも加わり、選句眼も向上、秀句佳句が出てくる。

 ”宮ずもう子供雷電ここにあり”(醸児)
 ”四国路や今年も埃のご開帳”(醸児)

◯印四票でトップになった句。、

 ”それ逃げろ月夜畑の裸の子”(醸児)

 ”秋の雲椅子も机も無口なり”(鬼笑)
 ”天地のふちに咲きたる曼珠沙華”(鬼笑)

いずれも◯印が二、三票入った作品である。

 ”妻病んで孤独身にしむ冬支度”(敦公)
 ”リタイアの友より届く新酒かな(敦公)

一句目は敦公が初めてトップ賞を獲得した句である。
二句目は、◯二票。

 ”水底の空をはいゆく田螺かな” (茶来)

トップ賞の句。なるほど洒落た句である。きれいな水、。空さえ映っている。そこに田螺が動いているのである。”その時、私の句は「たにし鳴く月夜の畦は別れ道」 いかにも嘘っぽい。実際を知らないことが見え見えである。


     ~~~~~~~~~~~

(女性の活躍)
 女性記者出身にして、今は法務省に勤める。そして世界中の山に登るアルピニスト、蒼犬。”初めて句会に出て、ああ、この程度なら大丈夫と思ったいうから、口惜しいではないか” デビュー以来、醸児提供の賞品の獲得率が高い。俳句歴はまだ浅く、2009年4月のデビュー。はじめは俳号もなく、x印への酷評を浴びていた。しかし、その秋の醸句会では、席題「稲雀」「蕎麦の花」「夜学」では今までにないことをやってのけた。出詠句5句すべてに◯印がつく完全試合! ◯印12はそれまでもないし、それ以後もない。

 ”蛍光灯一つ切れたる夜学かな”(蒼犬) ・・・◯印五
 ”チョーク粉の浮き上がり見ゆ夜学かな”(蒼犬)・・◯印三
 ”光琳の蒔絵より出で稲雀”(蒼犬)・・・◯印二
 ”稲すずめ思いのほかの穂のたわみ”(蒼犬》・・・◯印一
 ”蕎麦畑角を曲がれば恩師宅”(蒼犬)・・・◯印一

後に◯四票の句もでる。

 ”青年のくるぶし高き夏衣”(蒼犬)

以来、快進撃が続いた。彼女の句は、切り取りがいい、説明的でない。
わが醸句会が怪物にきりきり舞したことは事実である。だがスターの登場は句会を活性化する。


 途中から参加した水産会社の社長(ぎょ正)の句は、時間を経ると良さが匂い立つ。

 ”裏木戸の水まく先にあしびあり”(ぎょ正)・・・◯印四票

これは記念すべきトップ賞の作品である。「水まくさきに」と「あしびあり」の間にわずかな時間・空間が生まれている。ふと目をとめると、その先にあしびが・・という風に読み手は感じとれるのだ。

さて宗匠の句は、ほとんどトップ賞がない。たしかに票は入っている
が、多くの仲間から断トツに支持される俳句は、本人の想像以上に少ない。

 ”朝寒にしろき身の透く露天風呂”(醸児)・・・◯印二票


(血で血を洗う句会風景)の章では、これでもかという悪口が飛び出す。
冗談、反論、脅迫、哀願、開き直り・・・と披講風景が実況中継される。
これは、読んでいてもすごいや! しかし問答の合間は笑い声ばかりである。ほとんど冗談すれすれだが、各人はそれなりに真剣なのだ。あまりひどいので以下省略する。

 さて2005年の3月から7年間も句作に苦労したので、突然合同句集を
出そうということになった。ひとり三十句。題して「舌句燦燦」 瀟洒で芳醇な句集が完成したところで、終わり。

   ~~~~~~~~~~

この三十句から、あえて5句を選句してみました。選句眼の問われるところです。12人それぞれの終わりの2句が紹介されているので、それに◯印をつけました。みなさんなら、どの句を採られますか?


 ”紫雲英咲き放物線の空ひとつ” (鬼笑)
◯”たたずめば青田に水脈(みお)の刹那かな”(鬼笑)

 ”凍蝶やどちらも行けぬ片野池” (ぎょ正)
 ”羽下げてはぐれ一羽や迷い鶴” (ぎょ正)

 ”二荒の春野の木々の舞踏かな” (茶来)
◯”春の野や男体山の影の先” (茶来)
 
 ”キンコンカンコンばらりばらり氷柱かな” (枝光)
◯”遠山や青田の風の行き止まり” (枝光)


 ”夕もやの買い物籠に葱二本”  (少賢)
 ”目で告げてマスクの顔と別れたり” (少賢)

 ”うぐいすの初音のひびき草光る” (醸児)
 ”それ逃げろ月夜畑の裸の子” (醸二)

 ”大きなるマスクささえてぼんのくぼ” (蒼犬)
 ”枝々を透かしてもなお寒昴” (蒼犬)

 ”行商のマスク行き交う小樽駅” (翼)
 ”アンヌプリ屋根の王冠寒昴” (翼)

 ”灯に黒くうるめいわしの腹光り” (出味)
◯”凍鶴や耐えて三日の野菜掘り” (出味)

 ”大濠に白鳥の孤影夜寒かな (敦公)
 ”ひとり寝の身にしみわたる夜寒かな” (敦公)

 ”凍て鶴の芯のあたりのちろ火かな” (南酔)
◯”寒昴近くでぐれる星もある” (南酔》

 ”湯豆腐も冷めて更けゆく夜寒かな” (北酔)
 ”氷柱のび寒冴えわたる飛騨の里” (北酔)

     ~~~~~~~~~~

 存分に愉しみました。「醸句会」に参加したような気分になってきました。こんな句会やってみたい!




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未来へ扉を開く若い力~気まぐれ日記

2013-01-06 | 時評
気まぐれ日記~未来へ扉を開く若い力<殻を破れ>

 お正月の三が日は、初詣・映画(”007”)・地域の新年互礼会などと遊んでおりました。そればかりでは、と三日の夜は日経新聞元旦版にじっくり目を通しました。

今年の日本経済新聞の元旦版は、いつもと様子が違っていました。広告や会社経営者や財界などの新春挨拶はあまりなく、その分特集記事が充実していました。題して、「変身の時 殻を破れ」 25頁にもわたるクオリティの高い特集でした。このまま読み過ごしてしまうには、いささかもったいないと思い、せめて手がかりになるようなところをピックアップしてご紹介します。

若い人それにすこし中高年も混じっていますが、それは2013年を殻を破って新しい姿に生まれ変わるにしたいと、活躍をつづける15名の人々の紹介です。丹念な取材を通じて、描き出された彼らとは・・・。

①ウエブと政治の関係について新たな取組みを提唱するジャーナリスト、津田大介(39歳)。
 ”今後取り組みたいのが「政治メディア」の立ち上げだ。「端的に言えば、 審議会ウオッチです」各省庁の審議会や自民党の政調部会など に提出された 資料をかみくだいて論点をを整理し、ネットを通じてネットを通じて寄せら れた意見をまとめ、政治家や官僚に伝えていく 試みだ。”

 インターメットを使えば政治参加の垣根を低くすることができると主張する。急速に普及しているソーシャルメディアを使うえば、誰でも簡 単に政治家や 官僚に向けて意見を表明できる。受け取る側の政治家たちも、ネットを通じて「有権者の生の声を聞き、参考にする意識がめ ばえている。双方向のやりとりが拡大すれば「世論のデータベース」が構築され、政治の質が変わっていくと言うのが津田さんの主張のポイ ントといえる。

②インドのバンガロールの地下鉄工事で、土木・建築など全行程の品質管理の責任者を務める阿部玲子さん(49)。大学院を出て入社できた 中堅ゼネコンでも女が山に入ると山の神が嫉妬して崩落する、としてなかなかトンネル の現場に行かせてもらえなかった。「他人にはない 付加価値を身につけろ」 との上司の言葉に押され、欧州の掘削技術の名門であるノルウエー工科大学に留学し、そこから道を切り開いてい った。バンガロールでは、日本の大学 などが開発した最先端の安全・環境システムも普及させようとしている。

③米国で医療機器部品開発会社を立ち上げた藤田浩之さん(CEO)(46) 米GEなどを経て、MRIの心臓部であるラジオ周波数磁場をつくる「コイル」 開発の企業を興した。オバマ大統領の一般教書演説の後、ホワイトハウスに招聘され、近く商務省の政策顧問にも就任する。オバ マ政権の産業政策立案にかかわる。
 外交官ではないのだが、最近気になるのは実は日本のことだ。”誰と議論していても一言も出てこない”

④再建の第一歩を踏み出した福島県川内村の村長、遠藤雄幸さん(57)
 ”村の自立のためには働く場が必要”と、精密機械や木造住宅のメーカーを 招致。メガソーラーの誘致計画も進んでいる。内陸部へのバス 路線の整備、診療所の医師らの拡充などにも取り組む。「村長、帰ってきて本当に良かったよ」12年4月、村の道端で住民の男性に満面の 笑顔で話かけられた。振り返れば一年で一番嬉しかった瞬間だった。

⑤「待機児童をなくせ」駒崎弘樹さん。(33)「おうち保育園品川シーサイド園」を経営し、4人のスタッフが0~2歳児9人を預かる少人 数保育園を運営する。プランを立てると同時に政府に協力を要請。待機児童対策のモデ ル事業として認められた。運営手法は、惜しみなく 公開する。長年待機児童 対策で悩んできた横浜市がその手法に基づいて小規模保育施設を28園運営するなど実際に広がりも見せている。

⑥農産品海を渡る~コメ卸最大手の神明は、2年前インドネシアのジャカルタ で外食店経営に乗り出した。”スシの主役であるコメを扱う会 社として、なにも不思議なことはない。本業だ”と進出を決意した。昨年5月は、回転ずしチェーンの元気寿司と資本提携した。今年は5月 にタイに進出する 。コメの消費拡大のためのもうひつの策が海外への輸出だ。”若い生産者ほ ど海外に打って出たいという熱意を持って いる”ただこうした熱意を汲み取ることを政治ができていない。現在の戸別所得補償制度は、飼料用のコメの 生産に多額の補助金を支給し ていいる。藤田社長は言う、”いいコメを安く 作る農家を応援する仕組みを取り入れて欲しい””他の食品業界では消費拡大のための議論をするのに、コメは既得権益を守ることが先にきている”、と業界のあり方を問う。

 日本総研の三輪主任研究員は、「海外進出を通じて日本の生産ノウハウをベースにした新たな効率化モデルが生まれる。既得権に縛られた日 本の農業の構造を変えるきっかけになる」と話す。

⑦家電を革新したベンチャー企業バルミューダの創業の二重構造に改め、空気を拡散させて自然な優しい風を作りだす。消費電力も3Wと従来 型の数分の一。その後も挑戦は続いた。12年11月には新分野として空気清浄機「ジェットクリーン」を発売した。従来のものとは違い、部屋のどんな場所に置いてもあらゆる方向から空気を吸い込み、循環させることができる。扇風機を含めて、アジアや欧州でも販売を 始めることを視野に入れている。


⑧ネット生命保険で新しい道を切い開いたライフネット生命保険の岩瀬大輔副社長(38)。業界の「タブー」に挑戦し、保険料がほぼ半分の ネット直販生保をたちあげた。客から受け取る保険料の内訳も開示。「保険の原価を始めて開示した」と話題になった。ネット専業の生保は世界でもはじめて。すでに岩瀬の視線は海外を向いている。”日本発のビジネスモデルとして海外に挑戦したい」と意欲を燃やす。

⑨日本人デザイナーとして婦人服ブランド「ソマルタ」を立ち上げた廣川玉枝(36) ファッションで越境する。シンガポールの大型複合施 設「マリーナ ベイ・サンズ」のファッションショーでトップを飾ったのが日本ではまだま だ無名の婦人服ブランド「ソマルタ」だ。かろ やかなピアノの旋律に合わせ て花柄や幾何学模様のボディウエアに身を包んだモデルがランウエイを歩く。”ファッションで人を感動せた い”、 ”デザインの力で日本を良くしたいです」と語る。毎シーズンに新作を発表する無縫製のボディウエア「スキン シリーズ」。縫い 目をなくした特殊加工の生地の服をまとうことで、女性の体のラインを美しく見せる。衣料品では珍しい縫い目のないスキンシリーズは、国 内のニットメーカーが製造を担当する。「日本のものづくりにはまだまだ可能性がある」と廣川さん。

⑩iPS細胞で「そくさ筋萎縮性側索硬化症《ALS》の治療薬の候補物質を見つけた」京大准教授の井上治久(45)。 井上は、iPS細胞で「難 病を制することができないか」とALSやアルツハイマー病の治療法開発に取り組んでいる。
 「神経細胞を大量に作れなければ品質がばらて創薬に使えない」と考え、効率良く作る努力を重ねてきたことで、世界に先駆ける成果を出せ た。

 「チャンスがあるならダメと決めつけない」と鋭い眼差しを向ける。

最後に、

⑪「行動する評論家」荻上チキ(31)注目を集める若手論者の代表格だ。”「ダメ出し」するのでなく、「ポジ出し」(ポジティブな提案を 出すことこそが大切だ”、と断言する。自分でメディアを作ることも言論活動と考え、2008年に言論サイト「シノドス」を発足。

 →http://doraku.asahi.com/hito/runner2/111101.html

政治・経済・社会の気鋭の論者を集め、メールマガジンや動画の配信のほかセミナー開催している。”チームを作ることで社会をよりましなものに変えるメッセージを送りたい”

   ~~~~~~~~~~~~~~~~

まだまだご紹介したいところですが、この位で。日本の力、とくに若い力は捨てたものではない、と将来に期待を覚えたお正月でした。
みなさんは、これらの動きをどのように受け止められますか? 若い力、埋もれたパワーにエールを送り、応援しようではありませんか。
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新春のご挨拶~初詣

2013-01-02 | 時評
みなみな様

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくご交誼賜りますようお願い申し上げます。

 元旦はよく晴れ、気持ちのいい天気になったのですこし遠出をして、京都の南にある石清水八幡宮(いわしみず)に行ってきました。ここは天王山の戦いで知られた山崎とは、淀川を挟んで対岸に位置し、男山の山頂にあります。平安時代まで歴史を遡る、歴史の重みのある神社です。はじめて京阪電車にのりました。気持ちのいい電車ですね。ケーブルを降りると、大勢の老若男女が押しかけていました。あまりの人出に、お賽銭を人の肩越しに投げるひとも見かけられました。絵馬に願い事を書いて、奉納してきました。

 つたない句をすこしご高覧に供します。
  
   ”初山河光溢れて描けば春”

   ”読初はドリトル先生童心に”

   ”時計の針動き出したる初山河”

       ~~~~~~~~

 新年のはじめなので、読書の話題もひとつ。 フランスの文学者、モンテルランは、こんな名言を残しています。

 「この生涯において、何度も読み返し得る一冊の本を持つ人は
  幸せな人である。さらに数冊を持ち得る人は至福の人である」

本好きの私にとってそんな本の一冊を上げるとすれば、躊躇することなく、『詩歌の森へ』(芳賀徹 中公新書)を選びます。詩、和歌、短歌、俳句、散文について書かれた芳賀さんの名文には酔いしれます。みなさんの選ばれるのは、いかがでしょう。
コメント (4)
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