(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書『味覚日乗』『味覚旬月』

2008-03-04 | 時評
『味覚旬月』『味覚日乗』(辰巳芳子)(ちくま文庫 2006年)

 長年にわたり食材とそれを生かす料理を追い求めてきた料理研究家の随筆集である。一芸に秀でた人の文章は、その道の如何にかかわらず、美しく魅了されるものがある。染色の志村ふくみ、画家の堀文子の文章がそうだ。この本も負けず劣らず素晴らしい文章で埋め尽くされている。

今の季節はどんな旬の素材があるか、それをどのように料理するか、そんな文章を時折見て、料理をしてもらったり、また自ら包丁を握ることもある。日本の素材と料理の伝統に対する愛情が溢れた文章は、読んでいて楽しくなるのである。早春の今はアサリの季節。菜の花との芥子和え、卯の花炒り、あさりの干物、蕗のとうの含め煮、よもぎの霞揚げ・・。 ”左党は日が暮れれば、そわそわ”

本来料理を楽しむ人が読む本ではあろうが、季節の風物詩を描くエッセイとしても、大変味わいがある。また日本の年中行事についても数多く触れてあり、種明しをするようだが、俳句の題材をみつけるのにも適した本である。いつも手元において、楽しんでいる。

『味覚旬月』は、出だしからして鋭い表現があり、それも哲学的なニューアンスで物事の本質を突いたような文章に驚かされた。そして詩の様な心の安らぎすら感じる。エッセイイストとしても、ただ者ではない。

では『味覚旬月』からの文章をいくつか・・・・

 ”(一月 小豆仕事)母の小豆仕事には、私など逆立ちしてもかなものがあった。それは栗ぜんざい。渡し餡に、別炊きした大納言をそっと加え混ぜる。漆芸に、黒漆の地に色調を一段階あげた黒漆で図柄を描く仕事がある。漆芸の極致のようなものだが、それに似て、餡の中に別炊きした豆が光るのである。ごく小ぶりの秀衡椀に、うこん色に香る栗。紫を帯びた餡は半がけに。結構を絵にしたような味わい、色、香りだった。「小豆をさらすこつは、餡を味見してもわかりにくい。さらした水の味を確かめるほうがつかめる」 つまり小豆の渋気の抜け加減は、餡にとまったものより流失したものから推測しろということ。・・・捨てねばならぬものから、掌中を許されるものを推測するのは、逆説的ではあるが、学問・芸術・人生のあらゆる局面に敷衍しうる”

 ”(私の春)

   春をまつ 人々の心根は
   もえ出る とりどりの新たな命に
   自分の命を重ね 一つ光の中で
   共に息づく その喜びをこそ
   仰ぎ求めているような気がする

ある日、あけ放った朝の窓に、昨日はなかった、うるおいを感じる日がやってくる。ほおが感じたこの知らせは、「蕗の薹を見におゆきなさい」なのである。蕗場にゆく、かならず指先ほどのものが、時たがわず待っている。とれとれの蕗の薹をくるみ味噌で和えたり、海の散歩でやっと「みつけた寸詰まりの浜防風を酢味噌にしたり、こうして一隅の楽しみをつくりながら、春を待つ”

 ”春はやはり鯛かと思うが、鯛の骨酒ほど夜桜の席にふさわしいものは、世にまれだと思う。旬の美しい鯛を塩焼きにし、あたためた大鉢にすえる。同時に五、六本の熱燗を用意し、これを共に客前に持って出る。視線の集まるなかで、鯛にとくとくと燗を注ぎかける。火をつける。青い炎がゆらめき立てば、手をうたぬ方はいない”


”(春の恵みーあえもの)「数ある日本料理のなかで、あなたがもっとも世界に誇りうると思っているものは、なんですか」と問われたら、それは「和え物、小鉢ものです」とためらわす答えてしまうような気がする。これらが、萩や色鍋島、織部や九谷の小皿や小鉢に、季節を集約したかのように盛られたさまは、さながら、はるかなる海、山を掌にうける心地さえする。それは四季を通じて、いずれの捨てがたい味があるが、さんといっても”春”にういういしい素材は、人の心を捉えてはなさぬところがある”

 文庫本のあとがきで、著者はこんなことを言っている。

 ”親娘で「いのち」への願いを持って「たべもの」とかかわってまいりました。
たべものを、つくるべきようにつくることでのみ仕上がってくる人間の境地。そうしたたべもので養われることでのみ培われる魂の質。約100年の流れのなかで、気づいたことを、おぼろげながらでも、言葉にしたいと願いつつ筆をすすめました。「食」という一見あたりまえに見える事柄から、その境地、その質を語りおこすのは、独特の作業を必要とするものです・・・・”

 由布院の「玉の湯」の山本料理長は、著書の薫陶を受けたとか。「料理は愛情」との言葉をモットーに、83才の今も後進の指導にあたっておられる。『味覚日乗』も食材と食に関する、同様に楽しい。読んでいると、かたはしからつくって見たくなるのである。最後に以前に詠んだ拙句を。

 ”かの黒きエプロンきりり寒厨” (ゆらぎ)


コメント (2)
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