(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 薔薇と月の日々

2014-05-29 | 読書
エッセイ 薔薇と月の日々~ラビアン・ローズ


 ラビアン・ローズというのは、かのエディット・ピアフ歌うところの歌「ばら色の人生」の原題である。これを地で行くような物語をお届けします。以前、別ブログ<海の手六甲>で「俳句堂」という記事を書いたことがあります。これは、古都鎌倉の町の路地をすこし入ったところにある古書店のことである。この店の佇まい、集められた趣味のよい本、主人とも話が弾んだこともあり、二度、三度足を運んだ。・・・実は、この店のことは、空想の所産である。ホトトギスの俳人でもある藤本壮吉さんという方が書かれた小文で、”このような店を持って、いくばくかの生活の糧とし、ささやかな存在感を持って俳句への貢献をして過ごしたい・・・”というようなことで、想いをふくらませてこの掌文になったのである。

 さてここにお話することが、自分がかくありたいと願うことからきた空想の所産か、それとも実際にあった話か、それは読み手のみなさんのご想像にお任せすることにしたい。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここに二人の女性がいる。かなり齢を重ねてはいるが、長年知的な職業に携わってきたせいか、二人とも未だにその魅力は衰えていない。揃ってチャーミングである。男たちからのディナーのお誘いも少なからずある。その上に知的好奇心、探究心があり、行動的でもある。 二人は、仕事を通じてずっと友情を育んできたが、一線を退く時期が近くなってきた頃から、一つのアイデアを温めてきた。二人は同じ街に住んできたが、今ではお互いに離れたところに住んでいる。一人は伊豆半島の最東端にセカンドハウスを建てた。住まいは少し高台にある。そして東向きで海に面している。もう一人の方は、これも街を離れ中山道の宿場町であった赤坂にある古い民家を改装して住んでいる。東海道本線JRの大垣駅の北西にあたる町である。なにがしかの庭もあり、それは東南に向いている。

(薔薇の日)
 このように今は離れて住んでいる二人であるが、年に二回、日を決めて、それぞれの家を訪ね一日を一緒に楽しむことにした。まず初夏の薔薇の花の咲く頃である。伊豆高原の高台にある住まいでは、主人が丹精込めて薔薇を育てている。薔薇は朝露に濡れている姿がいちばん美しいという。

 ”薔薇よりも濡れつつ薔薇を剪りにけり” (原田青児)

しかし、そんな薔薇の花を眺められるのは、自分で薔薇を育てている女主人だけではある。彼女は、様々な思いを胸の底に秘めて生きてきた。崩れ落ちそうになったこともあった。しかし、それはあくまで彼女の胸の中でのこと。それ以上ではない。

 ”バラ散るや己がくずれし音の中” (中村汀女)”
 ”薔薇満開一夫一妻つまらなし” (高千夏子)

 お昼ごろになると、もう一人の女性が伊豆急行に乗って伊豆高原駅までやってくる。女主人が丹精込めて育てた薔薇たちが遠来の客を出迎える。「ピエール・ド・ロンサール」、「アンヌ・マリー」、赤い「ロイヤル・ウイリアム」、ダブル咲きの「ピンク・カフェ」などなど。

     
                    
     
                              


伊豆の海に浮かぶ大島も見える庭のテラスで、ゆっくりした時間を過ごす。ローズティーにローズシロップを数滴落とし、ローズ・チョコを摘みながらの一時。

そう二人は、「薔薇の日」と決め毎年逢うようになったのである。。薔薇の花を愛で、香りを嗅ぎ、来し方行く末を振り返る。好きな詩歌や、音楽のこと、最近熱中して読んだ本、好きな絵画のこと。絵は、このシーンにはラウール・デュフィのような色彩豊かな絵がふさわしい。学生時代の若き日のことにも話は及ぶ。 ”あの頃、二人は若かった!”

     


そしてまだ日が沈まないうちに場所を変えるのである。やがて夕暮れが近づいてくる。堀口大学の詩「夕ぐれの時はよい時」を思い浮かべる。

 ”夕ぐれ時、自然は人に安息をすすめる様だ。
  風は落ち、ものの響きは絶え
  人は花の呼吸をきき得るような気がする、
  今まで風にゆられていた草の葉も たちまちに静まり返り
  小鳥は翼のあいだに頭(こうべ)をうづめる・・・
  夕ぐれの時はよい時。かぎりなくやさしいひと時。”

 二人は、伊豆急の伊東駅からすこし高台に上ったところにある、一日二組のみというオーベルジュへ足を運ぶ。海を望む部屋には、漆喰壁に古い和ダンス、へりのない琉球畳が敷き詰められている。古陶には野の花が飾られ、そうたいにシンプルである。古代桧の湯船に浸かったあとは、いつもは飲まない二人であるが、今夜はカクテルで乾杯をする。

     

夕食は地魚や地元伊豆高原のフレッシュな野菜を取り入れた料理、選んだ器は地元作家の作品や古美術の器で供される。料理人の温もりを感じる料理を満喫する。食事を楽しみつつ、またその後も話は尽きない。伊豆の夜は、静かに更けてゆく。海の向こうに月が上る。時によっては海面に星が映るときもある。こんな贅沢も、たまにはいいのではないか、と思う二人である。


     


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(月の日)やがて秋が来る。二人だけで、静かに中秋の名月を愛でる「月の日」である。

 ~後半に続く











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(予告編)エッセイ 「月とバラの日々」

2014-05-29 | 読書
ただ今、制作中。しばしお待ちください。
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読書 『京都人の舌つづみ』(吉岡幸雄)

2014-05-21 | 読書
読書 『京都人の舌つづみ』(吉岡幸雄 PHP新書 2004年7月)

 京都は祇園の新門前通に染司よしおかという植物染めの店がある。そこの五代目がこの本の著者である。日本の伝統色と染織史の研究を専門とし、また美術工芸分野の出版社「紫紅社」を設立して、様々な色にまつわる本を送り出している。


     


 この人の事を知ったのは、もう10年ほど前になるが、手を染めていた水彩画の絵の具のことから始まって、また短歌など詩歌に現れる日本の色に興味を抱くようになった。その頃、水彩画に熱心に取り組んでいた親しい友人が、『美しい日本語の辞典』(小学館)という本を教えてくれた。そこには、117色の日本の色が画像入りで紹介されていた。浅葱色、柿色、樗色(おうち)、瓶覗、唐紅色・・・それだけでも心が踊った。しかし、それらの色の事をもっと広く、深く、またそれらの背景を知りたいと思うようになっていった。そうしてこの本『日本の色辞典』に突き当たったのである。まさに、”色遊び”に熱中したのである。(”色事”の方ではありません(笑)) 今や、この本は私にとっては宝物のような本である。

 その後、『色の歴史手帖』(PHP)や『日本人の愛した色』(新潮選書)なども読み漁った。いずれこれらの本のことや、著者である吉岡幸雄(さちお)さんの事を書いて見たいと思っている。それはさておき吉岡家は江戸時代からつづく染師であるが、”うちはレールものは買わへん”、という祖母、食材を大事にしてきた祖母に可愛がられて育って著書は、食文化についても一家言を持っている。その吉岡が、食への関心ごとについて語ったのが、この本『京都人の舌つづみ』である。「食べログ」のようなグルメ本ではない。 注)レールものとは、汽車によって遠くから運ばれてきた時間のたったものを指している。

        

 その語るところを、いくつか見てみよう。

 ”京都に暮らしていて、食に関して何が幸せかというと、野菜がじつに美味しいこと、それに新鮮であること、つまり朝、畑から採ったものが、お昼までには手元に届いて、早ければ昼食に、遅くともその日の夕食に供されるということではないかと思っている。それというのも、昔から「京に田舎あり」といわれるように、街中から2~30分も車で走れば各所に田や畑があって、そこで旬の野菜がつくられているからである。「京都の農家には、千年以上も前からお公家さんに野菜をつくってきた歴史がありますから・・」”


 ”(おばんざいあれこれ)先斗町にあるおばんざい屋さん「ますだ」で出てくるもの。 おからの煮(た)いたん/大徳寺麸/たにしの煮いたん/大名だき/鯖のきずし・・・

          


  (おつゆ)毎食に欠かせない椀物で、すまし汁のことである。「おつゆ」の基本の具は、うちでは乾燥して湯葉と青葱をたっぷり入れたもの、それに豆腐と麸やかまぼこであった。これに三つ葉を添える。ときに塩鱈やほうれん草、また冬が近づくと壬生菜や水菜といった季節の野菜であった。柚子などの柑橘類の一片を吸口にして、なにかしら変化をつけていたようだ。”

 ”湯豆腐で思い出すのが、陶芸家の河合寛次郎さんの食べ方である。大根をおろし器でたくさんおろして、土鍋に水の代わりにいっぱい張るのである。その中に豆腐を入れて、塩味をつけて火にかけよく温めて、それを食べるというものである。私も試してみたが、大根の味が豆腐とみごとに混じりあって美味しかった。!

 ”(掘りたての筍の味)京都の美味しい筍は、その育て方によるところが大きいのではないだろうか。筍を栽培する農家では、前年の秋から竹やぶの手入れを入念におこない、柔らかくてやや太めのものを育てる。竹やぶには、近くの山から運んできた柔らかな赤土を藁(わら)や木くずと一緒に敷き詰める。地表から数十センチほど、赤土を盛り上げておいて冬を迎えるのである。その盛り土によって、筍が地表に顔を出す時期が遅くなり、土中大きく育って日光と冷気には当たらないので、白く柔らかく、そして甘みのある筍になる。いわば筍をだましだまし育てているのだ。”・・・・”筍は、掘りたてが一番。掘りあげてから時間がたてば、どんなにいいものでも味は落ちる。はやる気持ちを抑え、なじみの料理屋へ筍を抱えて直行し、すぐ調理してもらった。”この時ほど、その滋味に感動したことはない。”


 ”(山椒の葉を入れた鍋料理)筍の旬がほどなく終わりにかかるころ。筍料理に欠かせない山椒の葉が美味しくなってくる。山椒の若葉(木の芽)は、白味噌と一緒に擂ってたけのこと和えたり、「若竹煮」と称する、若芽と筍の炊き物 など相性は申し分ない。・・

     

 私の知人に、食に関して一家言をお持ちの方がいて、もう20年前になろうかと思うが、ゴールデンウイークを過ぎたころにお招きをうけた。
 その知人の座敷には、花をつけたばかりの山椒の葉が、大きなザルに山のように盛られていた。北山に山林を持つ友人が摘んでこられたそうである。食卓には大きな鍋が据えられていて、地鶏と筍、山菜などが炊かれていた。鶏からはみるからに美味しそうなダシが出ていて、そのままでもすぐに食べられるようになっていた。
 客人が揃って酒になったが、しばらくして鍋が頃合いになると、山椒の花と葉をザルから鷲掴みにして、何回も何回も、高く積むようにして鍋に入れた。そんなに沢山いれて大丈夫ですか、と訊ねてしまうほど入れる。そして、蓋をして蒸らすことに三分、葉が柔らかくなったところを、鶏とともに椀いっぱいに盛ってくださった。
 辛いだろうと思いながら口にいれたが、若い葉と花は素晴らしい香りを放って、しかも鶏のダシの味と山椒が見事に溶け合って、口から胃まですーっと通っていくようで、まこことに美味しかった。”


          ~いやあ、至福の一時でんなあ!!!


 
 ”(鮎の話)京都の夏の暑さは格別で、こうした暑い夏に美味しいものというのが、そうたくさんあるものではなく、口寂しいかぎりりである。ただし鮎がある。・・京都では古くから都の西を流れる桂川が良質な鮎の漁場として知られてきた。とくに、ここでは早くから鵜飼が行われていて、獲った鮎を朝廷に献上する「桂御厨(みくりや)」が設けられていた。・・・『源氏物語』にも鮎を食べる場面が見られる。「常夏」の帖で、六条院という理想的な屋敷を構えて優雅な生活を送っている光源氏は、「いと厚き日」に釣殿に出て、息子の夕霧や親しい殿上人たちと、「西川よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうももの」などを焼かせて小宴を催している。注)釣殿とは、邸内を流れる小川に張り出してしつらえた涼み台のこと、近き川は賀茂川。「いしぶし」とはそこで穫れるハゼのようなものである。

     

 ”平安朝の頃の桂御厨は、いまの桂離宮のある桂の里であったが、近年はもっとその上流の、保津川、上桂川のものがよいとされている。私の友人が、苦労して釣った鮎を焼いてくれる。他人には触らせようとしない。持参の鮎を炭火にかざして、団扇であおぎながら、親しい人たちに食べさせてくれる。私は、焼きたてを蓼酢などはつけないで頭からかぶりつくのであるが、一口ごとに香りが口の中に広がっていく。その後冷えたビールで口をすすいでまた一匹、となるわけだが、その時だけは京のうだるような暑さもしばし忘れるのである。”


 ”(夏の賀茂茄子)夏の京都でさらに美味しいものをあげるとすれば、茄子であろうか。賀茂茄子という野球のボールより少し大きまものが、その名のとおり、かつては上賀茂あたりで栽培されていた。これも焼いて食べるのが美味しいようで、輪切りにしたものを油をたっぷりと敷いて焼く。その上に京風の白味噌や赤味噌を練り込んだものをのせて田楽風にして食べるのがもっぱらであるが、私はたっぷりの生姜醤油で食べるのも好きだ。

 ”(九条葱の季節に~魯山人風すきやき))会場となっている友人宅へ行く前に、私は錦市場によて、薩摩産の鰹節、それも堅節でかなり上等なものを一本買い求め、その場で丸ごと薄削りにしてもらった。それを持って会場宅へ急いだ。着くとすぐに、あらかじめ弟さんの高木豊氏が京都御所の東側にある、梨木神社の染殿井の井戸から汲んでおいてくれた水でダシをとった。まず、敦賀の奥井海星堂の上質の利尻昆布を水を張った大きな寸動鍋にたっぷりと放り込み、清酒をどぼどぼと注いで、沸騰するのを待った。温度が上がったらま鰹節を袋から取り出し、二つかみ、三つかみ入れてすぐに火を止めてダシ汁を濾した。それを鍋に四杯ほどつくり、たっぷりと用意しておくのである。
 牛肉は知人に無理を頼んで問屋に出向いてもらい、上等のロースを目方にして4キロほどを、すきやき用に薄く切ってもらった。
 その日は総勢15人が集まった。土鍋をガスコンロの上に置き、先ほどのダシ汁をたっぷりと張り、そこに醤油を入れて、吸い物より濃い目の味付けにする。鍋はあまり熱くしないで、やんわりと湯気が立つほどのところへ薄切りの肉をいれ、色が変わるか変わらないかのところでそのまま口に運ぶ。いわばダシの効いたしゃぶしゃぶである。これにポン酢や胡麻だれなど一切つけない。卵を用意することもない。

     

 そうして牛肉を一、二枚食べたら、今度は先の九条葱の青みだけを鍋にいれて食べる。鍋の中に牛肉の灰汁(あく)がたまったら別な容器に移して、作りおきのだし汁を新しく張って再び牛肉を泳がせるとう案配である。・・・”



 と、いうような次第で、えんえんと続くのであるが、このくらいにしておく。それよりも食材へのこだわり、また食材の活かし方を語ってきたので、それであるならば、やはり締めとして、京都の美味しいお店のことを、ほんの少しでも聞かせもらわねばなるまい。詳しいことは語りたくはないらしいが、いくつかの店が紹介されている。その中で、特に印象に残っているのは鄙にも稀なとしている伏見桃山の魚屋町にある「石勢」(いしせい)である。海鮮居酒屋というところらしい。

 ”とくに私が気に入っているのは「白魚のからあげ」で、これがじつに旨い。白魚の旬以外は冷凍モノを使うそうだが、白魚はしっとりと柔らかいのに外側の薄い衣はカリッと見事に揚がっている。揚げ物は、料理人の腕が試されるようなものだか、石原さんの技の一端をうかがうことができる料理ではないかと感心している。石原さんは白魚につける衣の捌き方がうまく、揚げるタイミングが極めて絶妙で、これは私が「石勢」で必ず頼む一品として、ビールのお供に欠かすことができまい。そのほか、「生湯葉のグラタン」といった珍しいものもある。これは、洋風のグラタンの上にチーズの代わりに湯葉をのせ、表面をこんがりと香ばしく焼いた一品。すりおろした蓮根をまるめて揚げた「蓮根まんじゅう」もおすすめで、・・・、「甘鯛の桜蒸し」という料理もいい。一塩をした甘鯛(ぐじ)の身を干し椎茸で味付けしたもち米でくるんで蒸し上げ、桜の葉をのせてあんをかけて仕上げられている・・・「石勢」では、日本酒もいい銘柄が揃っていて「玉の光」の純米酒に、それに「月賞」(げっしょう)という聞き慣れない珍しい酒もある・・・”

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こんな記事を見ていたら、よだれが出てきて、酒をすすりたくなってきた。酒は「久保田」か、いや本命は山口の「獺祭」か。それとも京都の料理に敬意を表して、富翁の大吟醸「吟懍」とするか。贅沢な悩みではある。

          

 この本を読み通した時の印象であるが、岩本芳子さんの『味覚旬月』という料理についての随筆を思いだした。どちらも食材や料理についての深い愛情のようなものが感じられて好きな本である。料理好きな方、本当に美味しいものに興味がある方は、是非目を通されることをおすすめする。  なあーんも、高い料亭などに行くことはおまへんで! 究極のグルメは、親しい友を招いての”家めし”ではおまへんか。









 
 

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(予告編) 読書 『京都人の舌つづみ』

2014-05-16 | 読書
あの名著『日本の色辞典』をつづられた染色界の第一者、吉岡幸雄さんの語った京都の食文化についてご紹介します。この週末は、林業再生プロジェクトの様子を見に、岡山県西粟倉村へ出かけますので、アップは多分週明けになろうかとおもいます。しばらくのお待ちをお願い申し上げます。







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時評 万国津梁の鐘~那覇空港を拠点に世界を開拓

2014-05-08 | 読書
エッセイ 万国津梁(しんりょう)の鐘~那覇空港を拠点に世界を開拓

 15世紀に成立し、明治政府に併合されるまでの400年間に及んだ琉球王国。とくに中国・朝鮮・からマラッカ・シャムに及ぶ「海の道』の中核としての琉球王国の黄金時代について、その全体像を描いた好著がある。高良倉吉著の『琉球王国』(岩波新書 1993年1月)がそれである。著者は沖縄に生まれ、愛知教育大学で琉球史を専攻した。1999年より琉球大学法文学部教授、2013年には退官して沖縄県副知事となった。

 この本を読む時、琉球が15~16世紀に海外貿易ネットワークの中継国貿易家として、大いに羽ばたいたと知って驚いたものである。この本の第三章は「アジアの中の琉球」とのタイトルがつけられ「海のシルクロード」の拠点として重要な位置を占めていたことが分かる。以下は、本書からの引用である。

 ”当時の中国商品は強い国際競争力をもっており、これを欲しがる人間は世界のどこにでもいた。競争力の強いこれらの商品を、明朝が設定した政策的枠組、つまり進貢貿易ルートを通して大量の確保できたことが、琉球の商業勢力としての地位を一気に押し上げたのである。入手した大量の中国商品のすべてを、むろん琉球はみずから消費したわけではない。消費したのはそのごく一部であり、大半の商品はさらに貿易船に積み込まれ、日本・朝鮮・、東南アジア諸国の港に運ばれたのである。下記の地図は、その交易ルートである。”


 では琉球は何をもって大量の中国商品を買い付けることができたのだろうか?

 ”『大明会典』に規定されている琉球の貢品のうち、馬・螺殻・海巴・生熟夏布・牛皮・硫黄などは明らかに琉球産である。当時、琉球では大量の馬や牛の飼育が行われていたらしく、馬は運搬用の役畜として、牛はなめしが皮にして中国に輸出していた。螺殻・海巴は貝殻のことであり、このうち螺殻は夜光貝のことで、螺鈿漆器の用材として珍重されたものである。生熟夏布は琉球産の織物、おそらく芭蕉布のようなものだと推定されている。火薬の原料となる硫黄は琉球の硫黄島で採取される品であった。建国の当初、明がモンゴルの勢力を駆逐するために琉球の馬と硫黄を必要としていた。
 しかし、こも程度の品々では大量の中国商品を買い付けるには不十分である。『大明会典』を見ると事情が判明する。刀・扇・泥金扇・生紅銅などの日本産品、象牙・錫・蘇木あるいは香辛料などの東南アジア産品が含まれているのだ。つまり、琉球は自国には産しない他国の品々をも中国に輸出していたのである。

     

 そこで答えはおのずから明らかとなる。琉球は中国商品を日本、朝鮮、東南アジアに売りつた後、今度はそれぞれの国々の特産品を船に満載して那覇港に戻ってくる。そして、調達してきたこれらの品々に自国産の物品を加えて中国に輸出し、ふたたび船いっぱいに中国商品を満載して帰還するという典型的な中継貿易を行ったのである。・・・・”

 ”中継貿易国家として繁栄を極めていた当時の琉球の気概を示す有名な梵鐘がある。「万国津梁の鐘」と通称される梵鐘で、現在沖縄県立博物館に展示されている。その鐘銘の一節に次のような言葉がある。

 「琉球国は南海の勝地にして、三韓(朝鮮)の秀をあつめ、大明を以って輔車(ほしゃ)となし、日域(日本)を以って唇歯(しんし)となす。この二の中間にありて湧出するの蓬莱島なり。舟楫(しゅうしゅう、船舶)を以って万国の津梁(架け橋)となし、異産至宝は十方刹に充満せり。」 この文句が寺院にではなく、首里城の正門にかけられていたのである。琉球王国の自負を現している名文ではないか。 ちなみに本書の著者高良倉吉氏の現代語訳は次の通りである。

 ”わが琉球は南海のすぐれた地点に立地しており、朝鮮のすぐれた文化に学び、中国とは不可分の関係で、日本とも親しい間柄にある。わが国は東アジアの中間に湧きでた蓬莱島(ほうらいとう)のようなものだ。貿易船をあやつって世界のかけ橋の役割を果たし、国中に世界の商品が満ちあふれている、というのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、この「万国津梁」の現代版のことである。5月7日の日経紙に次のような記事が載った。ANA(全日空)が沖縄で取り組んでいる貨物ハブのことである。

 ”燃油費上昇を通じて航空各社を苦しめてきた為替相場での円安。30日に発表した2014年3月期の連結純利益が前の期から大きく減ったANAホールディングスも例外ではない。だが目を凝らせば違う風景が徐々にではあるが見えてきた。貨物・旅客とも国際事業の強化が奏功し、外貨建て収入が拡大しているのだ。製造業や小売りのように大規模な拠点を設けずとも海外で稼ぐ体制を築けるか。

ANAHDグループは国際貨物の取り扱いが伸びている
 4月上旬深夜2時、那覇空港の一角。とある建屋内では小型フォークリフトが所狭しと荷物を運び回り、係員が手際よくコンテナに積んでいく。ここで国内外から集まった貨物機がそれぞれ荷物を目的地ごとに積み替え、再び飛び立っていく。東南アジアの主要都市を往復8時間程度で結べる立地をいかし、ANAが09年に開設した沖縄貨物ハブだ。台風が接近しても風向きは一定なので、実は欠航も少ない。就航地拡大などで「1日あたりの取扱量は2年前は多くても500トンだったけど、今は750トンにまで増えた。

 この貨物事業が円安を追い風に変える翼のひとつとなりそうだ。14年3月期の円安による増収効果はANAHDは400億円。国際線の運航規模が大きい日本航空(JAL)の225億円を上回った。「国際貨物の売り上げの7割は海外(外貨建て)で、円安による為替換算がプラスに働いた」。ANAHDグループは貨物専用機9機を保有し、日本貨物航空のチャーター機も使う。さらに間もなく1機の専用機が加わる。これらに国内外を飛ぶ旅客機の貨物スペースも組み合わせ「毛細血管のようなネットワークを築いた」のが海外の顧客もひき付けた。

 しかしすべてバラ色というわけではない。貨物事業は旅客機も入れた全体では営業黒字だった模様だが、沖縄貨物ハブ事業は14年3月期も赤字だったとみられる。本来なら黒字を達成しているはずだがいまは「今期に黒字を見通せるまでに改善し、17年3月期までの中期経営計画までには黒字化を目指すとのことである。


 「万国津梁」(ばんこくしんりょう)。かつての琉球王国が貿易立国を目指して掲げた「世界の架け橋」という意味の言葉だ。ANAHDが沖縄ハブもいかしながら世界各地でさらに顧客を開拓して世界を結ぶエアラインになれるか。いまはこれまでの路線網拡充に加え、国際線用大型機など70機という同社最大規模の機材発注を終えて「器」は整いつつある。現場も経営陣も「世界のリーディングエアライン」という目標に向けた真価が問われるのはこれからだ。”


 是非ANAには、そして沖縄には頑張って欲しいと思う。私たちは、沖縄には負い目を感じている。それは、終戦直前のいわゆる沖縄戦でのことである。およそ20万人近い死者をだしている。そのうち半数の10万程度は民間人である。そのような尊い犠牲の上で、今日の日本の平和と繁栄がある。糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園を訪れ、祈りを捧げたいと願っている。(写真は、ひめゆりの塔に詣られた今上天皇ご夫妻。当時、皇太子ご夫妻)

     











    
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気まぐれ日記 生涯教育について想う

2014-05-01 | 読書
気まぐれ日記 生涯教育について想う

 初めて海外出張に赴いたのは1971年の秋のことでした。企業経営の多角化と研究開発について、世界の各地を回り、多角化経営に優れた経営を展開している企業を訪れては意見交換をおこなった思い出があります。その時に、関連する学会が開かれているというので立ち寄ったのがアメリカ合衆国発祥の地といわれるペンシルヴェニア州にあるペンステート(ペンシルヴェニア州立大学)でした。広大な校庭にある建物に入ったとき、壁紙にあった言葉は、今もまざまざと思い出します。 ”Continuing education”と書かれていました。もちろんその時に初めて知ったことばではありますが、意味するところはすぐにわかりました。。学校を卒業し社会で働いていても、またすでに退職していても、あるいは家庭を守ることでいっそがしい主婦でも、いつでも大学で学ぶことを続けようというもので、様々な社会人向けのプログラムが紹介されていました。今では
Department of Continuing Education という学部すらあるようです。以来このことは耳に焼き付いて離れることはありませんでした。

 それから30年近い星霜が流れました。リタイアしてしばらくしたある年の夏、京都にある某有名私立大学を訪れました。京都御所に隣接する立派な大学です。ここは社会人を受け入れることで知られていました。私の親しい友人もそこでしばらく勉学に励んでいました。教授として、また学科主任・副学長として忙事をこなしなながら、です。それに刺激を受けた私は、色々な書類を揃えて提出し、ある研究科の教授のところへ伺いました。「アメリカの外交戦略の形成過程」について~つまりアメリカ政府の外交政策がどのようにして構築されてゆくのか、それを調べ、日本の外交政策との比較研究をやってみたい、という思いが根底にあったのです。しばらく私の話を聞いたその教授は、こう言いました、流石にその年で・・・、とはいわなかったのですが・・・。

 ”外交政策について勉強したり研究したりして、どうしようと言うのですか。外交官になれるわけでもなし。それに日本にしてもアメリカにしても外交に関する資料(外交文書)は、公開されるのに長い年月がかかりますよ・・・” と、いうようないささか冷たい反応でした。すっかり気落ちした私の、神戸に戻る足取りは重かった。早くから外交問題に関心をもち、日本の外交史はもちろん、アメリカのそれについてもジョージ・F・ケナンの『アメリカ外交50年』や、またヘンリー・キッシンジャーの大著『外交』(上下)など様々な書物も読み通していたので、この分野に於ける研究については、いささかの気負いもあったのに・・・。

 さてさらに10年以上が経ちました、インターネットを利用しての学習の場があちこちで提供されるようになってきたのです。単なるテキストや図表などの情報にとどまらず、動画の技術の進歩のお陰で有名大学の授業の様子が、自宅に居ながらにして見られるようになってきました。アメリカのスタンフォード大学などは、はやくからそのようなプログラムを提供してきましたた。ベンチャー経営論などよく見ておりました。それがごく最近になって、無料で有名大学の授業をオンラインで受けることができるようになって本格化したのです。そうして”MOOC”という言葉が聞かれるようになりました。

(では、MOOCとは・・・)
原語は、Massive Online open Cources、ムーク(ス)と呼ばれています。アメリカの大学が中心となって作り上げたプラットフォームです。その一つにCousera(コーセラ)というのがあります。



コーセラ)これには、750万人の人が参加し、643のコースがあります。スタンフォード大学が中心となり、プリンストン大学などと一緒になって立ち上げられました。
どんなコースがあるのか、すこし例を挙げてみます。

 ・The New Nordic Diet・・北欧流のダイエットについて


 ・Exploring Quantum Physics・・・量子力学の勉強です
 ・Introduction to Household Watertreatment・・・家庭から出る排水の処理について
などなど。他にも、たとえばMusic/英語で、をチュックするとバークリーの音楽コースでロックの歴史を学ぶ、またエジンバラ大学(英国)では楽譜の写真が現れて、音楽理論の基礎を勉強するコースが紹介されています。




 (もうひとつの・・ edx)こちらはボストンのMIT(憧れの工科大学、経済学者のポール・サミュエルソンもここの出身)やハーバード、バークレーなどが参加しています。京都大学の名前もみられます。)Super Earth and Life というタイトルで地球と生命について学ぶコース、次の世代のインフラ、自然災害、そしてビッグデータの活用についてなどなど、興味深い課目が目白押しです。ジャズを聴いて鑑賞するコースもあって、これなら多分英語のハンディにかかわらずついて行けるかな、と思ってしまいます。7月末から開講なので、やってみようかな?

(日本のMOOCSはどうなっているのでしょう?)JMOOCという組織ができ、この4月からいくつかの講義の配信が始まりました。


東大や京大で取り組みが始まっています。東大は、コーセラで。edxでは、東大も参加しています。近代日本に関する講座も秋から始まる予定です。(もちろん英語で) Visualizing Postwar Tokyo.
これには「反転授業」といって教授陣との対面講座が計画されています。

 日本では、コーセラなどとは別に gacco と呼ばれるJMOOCのプラットフォームができて、4月14日から「日本中世の自由と平等」という課目が東大で始まっています。私の、ほぼ同年代に親しい友人が、これに参加していて”面白いよ”と言ってきました。「反転授業」もあるそうです。関西大学は「化学生命工学がつくる未来」を、立命館大学からは、「歴史都市京都の文化・景観・伝統工芸」という課目が、こ夏頃に予定されています。



 私立大学の試みとしては、早稲田大学から「国際安全保障論」というコースが、この6月から始まることになっており、私自身はこれに強い関心があるので、申込をして開講を待ち構えているところです。栗崎周平准教授の担当になります。調べてみるとこの方は、ハーバード大学ジョン・オーリン戦略研究所のフェローをしておられたことがあり、理論と実証面での話が伺えると楽しみにしています。



 ”この講義では国際関係、とくに昨今の日本を取り巻く安全保障環境を理解するために、国際政治学における主要な理論や実証的な知見を概観する。安全保障の戦略的環境は戦争の影、つまり武力行使の可能性によって特徴付けられる・・・・”との説明があり、今から大きな期待をしています。早くも、モーゲンソーの名著『国際政治』(上中下)も読み始めています。

 
 これらのJMOOCのプログラムは、まだ始まったばかりであり、今後質量ともに充実してゆくものと思われます。その広がりが楽しみです。

 ”あー。やりたいことが思うように学べるんだ!”

 この記事を書いていましたら、二葉亭餓鬼録というブログに「ハーバード大学でLady Samuraiの講義をした北川智子さん」という記事を見つけました。彼女のさっそうとした講義をこのedx で聴いて見たいものです。いやあ、オンライン学習って、楽しそうですね!



 すこしお固い話題になりました。連休中に頭を柔らかくして、次は楽しい話題をとりあげますね。 ご静聴ありがとうございました






コメント (6)
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